18歳は教師になれない
灯枇の歴代担任の中で、とにかく最高過ぎたトーリエ先生は、その後附属小と呼ばれる若草市きってのトーリエ校に招聘されたのだと、風の噂で灯枇は聞いた。気さくなトーリエ先生はまた、永遠の18歳かつ自称ゴリラと設定てんこ盛りの先生で、自分の事はトリゴリ先生と呼べとクラスメイト達に言い、実際そのように呼ばれていた。怒ると教卓を蹴飛ばす事も一度あったが、概ね良い先生だった。
トーリエ先生は、まずクラスの机をぐるりと円周状に並べさせ、先生を真ん中に囲むような形で授業をしていた。また、忘れ物をした生徒用に貸出しの文房具を予め用意しており、忘れ物をしたと報告すれば、決して怒らないばかりか、にこやかに文房具を貸し出してくれた。灯枇がこの制度にどれだけ救われた気持ちになったか。
通常忘れ物をした生徒というものは、先生に言った途端。怒られ、溜息を吐かれ、隣の席の人に謝って貸して貰いなさいと指導が入る。それが嫌で回避するには、先生に黙って仲の良い友達からこっそり借りておく。もしくは1番幸運なのが、学校にきょうだいが通っている者だ。それが1番遠慮が要らない。
しかし不運にも灯枇の弟・森次はまだ小学生では無かったし、誰かに頼んで物を借りるという行為自体、灯枇にとっては最も勇気を必要とした。そんな灯枇はクラスの誰かに頼まれれば、物を貸す事自体は、やぶさかでは無かった。
灯枇は自分がありがとうを言われるのは別にいいのだが、自分でありがとうを言うのは苦手だった。プライドが高いのでは無い、むしろ自尊心が低過ぎるのだ。断られたらどうしよう、そもそも迷惑に違いない。お礼を言うのも下手だから、こんな奴に貸すんじゃなかったと思われる。そんな不安で頭が一杯で、でも怒られるのも怖くて、灯枇はもし忘れ物をした際には気が気じゃなかった。しかしトーリエ先生のアイディアは、灯枇のそんなストレスを払拭したのだ。
うっかり忘れ物をしてしまっても大丈夫、というたった一つの事実だけで、灯枇は安心して学校に通う事が出来た。後年、灯枇の口煩い祖母が言うには、灯枇はトーリエ先生が担任だった、小学3年生が通知表のピークで、後は下り坂なのだそうだ。




