モノマネ組体操
灯枇は運動会という親達用の見世物小屋が大嫌いだった。何が楽しくて汗だくの直射日光下で何度も何度も軍隊じみた入場行進の練習をさせられ、色分けされた団ごとにクラス対立を煽られ、馬鹿馬鹿しい出し物の振り付けで、羞恥心に苛まれなくてはならないのか。
かけっこだって連日の図書室通いで廊下を走り、いつの間にやら鍛えられては居たものの、本という名のニンジンもぶら下げられず、クラスの連中の為に走れだなんて、そんな悪条件下で灯枇に全力を出せというのが間違っている。
その見世物小屋の集大成かつ極致とも言える出し物が、かの悪名高き組体操だ。どうしてもやりたい奇特な奴がこの世に実在するというのなら、大人も子供もそいつらだけで全部やれば良い。ちなみにその頃、灯枇はクラス内で身長順に並んだら前の方になっていたので、組体操をする時、土台になることはあまり無かった。それでもたかが子供の同級生による支えに気を抜いたら怪我をしかねず、一瞬でも油断する事は出来なかった。
更には最低最悪な事に、組体操の導入部分に何かクラスごとにダンスせよという理不尽極まりないお達しが先生からあった。小学6年生の発想力などたかが知れている為、灯枇のクラスは小島よしおの「おっぱっぴー」、隣の雲母のクラスは、にしおかすみこの「にしおかー、すみこだよ」、更に隣の妃鞠のクラスは覚えていないが、恐らく何かしらの流行りのお笑いネタから振り付けを持って来ていた筈だ。
この灯枇にとっては恥ずかしくて堪らないモノマネから始まった組体操唯一の収穫は、練習中にあった一コマしか無かった。
「おい、ちゃんと肩に手を乗せろよ!」
何と、組体操の流れの一つで何列かに分かれて、まるで汽車ごっこみたいなポーズをとって前と後ろから順繰りにウェーブする際に、灯枇の前に居た人物は、彼女の元片想い相手の1人・松長 蓮だった。
ちなみに彼は、妃鞠と雲母のアウティングにより、灯枇が昔片想いをしていた事は、確実に知っていた。だからそんな灯枇に触れられるのは嫌だろうし、灯枇本人も気まず過ぎて、軽く肩に手を当てる程度に留めていたのだが、実は真の漢前であった彼には余計なお世話だったようで、強い口調で注意された。灯枇はその雄々しさに惚れ直す事は無かったものの、ああこの人を昔好きだったのは間違ってなかったなあ。と、実は密かに嬉しく思った。
そんな彼もまた中学入学時点でフコーカへと転校し、後に長崎の大学へ進学したようで、灯枇は大学の水泳部で参加した大会の際に、電光表示板で彼と同姓同名を発見し、別に会って話したりはしていないが、ふとその一コマを思い出して懐かしくなった。




