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黄金が降る  作者: 毎路
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97 月像

 呼び出しの電話をネムに掛けてからも、質疑応答を繰り返し、その言動を検証していく。テーブルの上にはその痕跡として、ペンで描かれたそれぞれの筆跡の紙片が並んだ。


「休憩にしましょう。お茶を用意したわ」


 マリエが蔦模様が縁を彩るカップを人数分テーブルに置いた。

 揃いのデザインのティーポッドから紅茶を注いでくれる。


「………あたしの話、信じてもらえた?」


 薄い唇を何度も引き結ぶ仕草をしてからやっと絞り出した声で言う。

 正直に言うと、信じるか信じないかは五分五分だ。


 思わず黙り込んでしまう。

 言葉を探している束の間だった。

 だん、とテーブルが揺れる。


「どうせ精神科に行けって言うんだ……! やっぱり、そうだ! 頭がおかしくなったって言われるか、人体実験されるオチじゃない!! 酷いよ、マリエ! マリエだけは信じてたのに!」


 マリエがすぐにエミの肩を抱いて宥める。


「あなたをそんなところにはやらないわ。そんな目に合わせないと約束する。――あなたもでしょう、ルヴィ」


 マリエからの視線がこちらを向き、ルヴィは慌てて頷く。


「も、もちろん」


 そう口にしつつも、理解してしまう。

 マリエは、この状態のエミを病院に連れて行く気がないのだと。


「…………信じられない気持ちがあるのは事実です。けど、否定するのも難しい証拠がこの通りあるんで」


 ルヴィはテーブルの上を指し示す。

 それらの紙片を目にしたときの心境は諦観に近い。


「これを理解できる人が限られているのは、事実ですから」


 ため息を吐く。

 すると、エミがようやく落ち着いたように、テーブルを叩いた拳をおろす。


 しばらくの沈黙ののち、来客のベルが鳴った。

 立ち上がろうとするマリエを制し、二人を見下ろす。


「オレが出てきます。マザーマリエはエミさんと一緒にいてください」


 エミへと視線を向けると、マリエが浮かせた腰を再び椅子に下ろす。エミの手を壊れ物に触れるかのように両手でそっと握り、見上げて来た。


「ありがとう、ルヴィ」

「いいえ……」


 首を横に振る。これは、自分のためだ。

 この場から離れて、冷静になる時間がほしかった。

 それに時間経過からすると、呼び出しした相手の可能性が高い。


「………ルヴィ、玄関は右よ」

「あ、え!? す、すみません!」


 慌てて逆方向につま先を向けて歩き出すが、背後で二人分の笑いが聞こえてきたのは気のせいではないだろう。いいのだ、ルヴィの尊い犠牲をもって、和やかになってもらえれば!


 玄関まで道のりを教わって、頑丈な電子キーの扉を開いた。

 空は曇っていたが、まるで世界が祝福するように、光が差した。


「――どうかした、ルヴ」


 キラキラと光をまとっているように見えたが、声を掛けられて我に返る。


「いや、ネムさんを見てると本来の世界に戻ってきた気がしてさ」

「なあに、それ」


 口許に手を当て、おかしそうに笑う。

 その手首には、腕時計があり、針がきちんと動いている。


「修理、ちゃんと終わったんだな」

「これでやっとお揃いね」


 お互いにムーンフェイズの時計を見せ合う。

 ルヴィのはゴールド、ネムのはシルバーだ。


 見たところ、いつものショルダーバッグ以外は、手ぶら。

 修理品の受け取りと、もう一つ出かける用事があると言っていたが。


「贈り物は買えたのか?」

「ええ。それに、もう送ったの。宛先も間違いなしよ」


 用事を終えたからか、すっきりした顔だ。

 すると曇っていた空も明るく日が差してきた。


 背後の電灯の柱に小さな虹がかかっている。


「それにしても、ルヴがマザーの家にいるというからびっくりしたわ。よく無事に来られたわね?」


 半身になってスペースを空けると、ネムが入った。

 ドアを閉めると自動でロックが掛かる。


「オレはマザーマリエに車で送ってもらったから。ネムは歩き?」

「ええ。途中から」


 幼馴染との雑談が懐かしい気がするが、今朝振りだ。いつ見ても飽きない美少女っぷりを眺めて、動揺していた気持ちが収まったと思っていたのだが、それは気のせいだったようで、ルヴィはがっちりネムの肩を抱えて部屋へと連行する。


 不思議そうな視線を感じたが、心の中は荒れ模様でそれどころではない。


「お邪魔しています、マザー。………あら?」


 ネムが薄青の瞳を丸くして、マリエの隣に座る人物を見つめた。

 言葉を交わしたのは一回だけのようだが、さすがに顔を覚えているのだろう。

 エミは、顔をこわばらせた。


 ネムはマリエとエミを交互に見交わし、何となく歓迎されていない空気を感じ取ったようで、眉を下げていた。慌ててルヴィは自分が座っていた席の隣にネムを座らせて、何が何だか分かっていないネムにまず言った。


「ネム、下の名前を月像(ゲッショウ)で描いてくれね?」

「え? ええ」


 ネムは不思議そうにしながら、白紙にかいた。

 その紙をエミのテーブル前まで滑らせた。


 暗褐色の瞳が瞬く。


「『ネム』………ううん……漢字なら『(レイ)』?」


 ネムは驚いた様に顔を上げた。

 その先には、顔をしかめたエミがいる。


「読めるの?」

「すげえよな。オレの家に伝わる苗字の月像も読めたんだぜ」


 紙切れに『金鎖(キングサリ)』と描いたものを見せる。

 

 一般人であるルヴィたちには模様にしか見えない。

 ネムが尋ねる。


「エミさんって月像の研究をされていたのでしたかしら」

「ゲッショウなんて知らない。あたしが知ってるのは漢字」


「カンジ?」


 互いに疑問符が飛び交う。

 ルヴィは先ほど聞いた話をまとめて、ネムに説明する。



「ここにいるエミさんは、もともとニホンって国で大学院生をしてたらしい。専攻は歴史な。で、そのニホンって国の形はこれ」

「イクシオリリオンね……?」


 多少足りないところ、多いところはあれど、大体の国土は似ている。


「で、同盟国の一つがアメリカ」

「アクイレギアに似ているわ?」


 極めつけだが。


「エミさん、今は」

「2011年」


 年が明けた今、2087年になっているはずだ。

 ネムは初めて耳にしたルヴィと同じように、目を瞬かせた。


「それ、は……だいぶ昔よね……?」


 目を見交わすだけで以心伝心する。正気を失った人か、と。

 思考には浮かんだだろうその考えは、こちらを見つめてくるマリエの悲しそうな顔により、決して口には上らないのだが。


 ネムは、ぐっと言葉を飲み込むと、絞り出したようにある単語を口にする。


「…………タイムトラベラーみたいな?」

「それじゃ、国名とかもろもろが違う理由にならない」


 ルヴィが首を振り、それまで紅茶を用意してくれているマリエが口を開いた。


「パラレルワールドから来た、ということに、なるのかしら」


 マリエの言葉も力はない。しかしそれを聞いて、ネムの肩が下がり、力が抜けたように背もたれに身を預けた。何とも言えない、途方もない迷宮に彷徨い込んだような顔をしているのを互いが確認して、沈黙が下りる。


「たとえ、どうであっても、私はあなたを守るわ」

「マリエ……」


 決意の滲んだマリエの言葉に、エミが縋るような目を向ける。エミの頭を抱きしめたマリエの黒に近い瞳が、ルヴィとネムを見た。そこから何を期待されているのかを何となく察した。


「………今日のところは、この辺で失礼します」

「このことは」


 エミではなく、マリエが口にした。

 ネムの肩を抱いて、しっかり頷く。

 

「誰にも言いません」

「………ええ」

「また、来てくれる?」


 また、となると――マリエを伺う。


「あなたたちを見込んで、お願いしたいの。私だけで抱えるには、限界があるから……」


 ジャミラは、という言葉が何故か喉の奥で止まった。

 浮かんだ疑問を飲み込んで、ぎこちなくだが、頷いて見せた。


「また来ます」

「明日?」


 エミが心持ち顔色を明るくして尋ねて来る。

 ちら、とマリエへ視線をスライドし、確認してから頷いた。


「できるだけ」

「……ありがとう、ルヴィ。ネム、あなたも」


 マリエが眉を下げた。

 葛藤を見越したような、気持ちの入った礼の言葉だった。


「いいえ、わたしは何も……」


 動揺を何とか押し隠したネムと共にマリエの自宅を辞した。しばらく無言で歩く。


 マリエの家が見えなくなるくらい離れ、どちらからともなく口にするのは先ほどのことだ。


「マザーは、エミさんの言葉を疑っている……というわけではないようだけれど」

「鵜呑みにもしているわけでもない。ただエミさんを不安にさせまいとしているんだろうな」


 車の中で聞いた話では、精神科に行こうと口にしただけで暴れそうになったので、何とか宥めたというが。


「さっきの話、本当かしら。マザーを騙しているとか、ない?」


 ネムが言いにくそうに話す。

 人を疑うのは気持ちのいいことではない。

 しかし可能性を考慮するのは必要なことだ。


 そして考えた結果だけれども――横に首を振る。


「エミさんって、そんな感じの人じゃないと思う」


 そう、よね、とネムが頷く。

 しかし、だ。


「ストレスから追い込まれてってことなら、話は別かも。騙すつもりじゃなくて、そういう症状ならあり得るかもしれない……マザーマリエも心当たりはあるみたいだったし」


 今から思い返すと、最初に会った時は別だが、その後は、会うたびに情緒が不安定になっていたように思われる。


「あー、わっかんね」


 両手を組んで頭の後ろにやって、空を見上げる。

 灰色の雲が黄色い空を流れていく。


「でも、さ。作った話にしては、ちょっと出来過ぎてて薄気味悪いんだよな………そこが話している内容がでたらめにも思えなくてさ」


 月像なんて象形文字を読むことができる人間は、本国でも一握りだ。

 自分の苗字か、名前を描くのがせいぜい。

 とてもあんな若い女性が読めるとは思えない。


 しかし結果は当たっている。

 これは異様なことだ。


 物思いに沈んでいると、ネムが急に思い出し笑いをした。

 どうしたのかと目をやると、首を横に振られる。


「ごめんなさい。ただ、久しぶりに名前を月像で描いたでしょう? エミさんにも、顔をしかめられたわ。わたし、本当に描くのが下手なんだなって思って」

「あー、あれな」


 黒歴史だが、懐かしさもある。

 それは今にも続く『渾名』へのきっかけだった。


 初めてネムに出会った時、名前を月像で書いたもらったのだが、読めなくて『ネム?』とルヴィが呼んだ。それが今に至るまで続いている。


 イクシオリリオンの人物名は難しく、海外向けに新しく名前を作成して旅券を作ることも多い。最も、混血が進んだ今では初めから子どもに国外でも通じる名前を付けることもある。前者はネムで、後者がルヴィにあたる。

 

 海外に出る際にわかりやすく作成した名前を『出名(イヅナ)』、生まれた時につけられた名前を『本名(ホンミョウ)』、月像で表された名前を『真名(マナ)』、表で呼び合う名前を『渾名(アダナ)』といい、前者三つが国で正式なものになっている。イクシオリリオン人の八割は旅券すらもたないので、多くは『出名』を作成せず、この『本名』『真名』『渾名』だけで人生を過ごすことになる。


 海外向けに名前を作成するのは、世界的にも珍しくはない。よく挙げられるのは、昔から海外に出て行って独自のコミュニティーを築き上げて来たピオニー人だろう。元の名前から、原形もとどめない名前を付けるという。ただ、これは正式なものではなく、旅券や正式な書類には、元の名前の音を表記するらしい。


「描く順番があるって知らなかった」

「カンジは『書く』(write)、月像は『描く』(draw)っていう違いも言ってたな」


 こういう些細な違いも比較して言及するところに、薄ら寒くなるような妙なリアリティが感じられるのだ。


「ただ、非現実的なことだから、受け止めきれないというのが正直なところだわ」

「だな。しかも、なんでオレが選ばれたんだろ?」


 エミと話したことも数回だ。


「ルヴは………話しやすいと思われたんじゃないかしら」

「それはオレの人となりを買ってくれてるようで嬉しいんだけどさ……ただ、オレはただの学生なわけで、力になれるかって言うと」


 マリエとエミの現状を打開するような解決策を提案できるか。


「誰かに打ち明けたかっただけなのかもしれないわ」

「っていってもさ、マザーマリエも対処に困ったんだろうってのも伝わって来るんだよ……」


 出来るとしたら何だろう。


「…………図書館行って調べてみるくらいしか思いつかね」

「それは……どういう方面で?」


 ネムの言いたいことが分かった。

 言いにくいけれども、「メンタルケアの方面で」と答える。


 別世界から来たという証言を頭から信じるほどおめでたくはない。

 すると、ネムが提案してきた。


「なら、リグナムバイタ公共図書館に行くのはどうかしら?」


 行こうと思いつつ、行けてなかった場所だ。そこはアクイレギアでも屈指の蔵書数を誇り、一般人でも無料で利用ができる。いいアイデアに思えた。少なくとも、今自分たちの無い頭をひっくり返しても何も出てこない。そして明日にはもう一度顔を出してほしいようなのだ。


「よっし! じゃ、今から行くか!」

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