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黄金が降る  作者: 毎路
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96 別人

 コートを着込んだネムが玄関越しに振り返る。

 廊下突き当りの窓からの光を後光のように背負っている。


「それじゃあ、出て来るわね」

「ああ。行ってらー」


 手を振ってネムを見送り、リビングに戻って開きっぱなしのパンフレットを再び手に取った。それは先日、ジェンキンス教授経由でザイガー教授が用意してくれたものだ。エリフエール大学の夏季休暇を紹介する薄い冊子。あれから……悩みに悩んでいる。


「春学期の後半から実地調査が始まって本格的に時間がなくなるしな」


 今年の夏は、他校が開講する集中講座であるフィールドワークに参加したいと考えている。その申し込みの締め切りは早いものだと今月中にある。他校のカリキュラムなので、そのカレッジに行かなくては講座の内容を見ることはできない。


「他校の学生向けの集中講座があるのは、この数校」


 州を跨いでの受講は、単位互換する条件が厳しい。

 同じリグナムバイタ州で、地理学系の集中講座とすると、該当するのは数校だ。


「うちのカレッジも集中講座があるんだよな」


 メールリ教授の植生学フィールドワークがある。

 隔年で地理学系の教授たちが担当するようで、昨年はザイガー教授の地質分析フィールドワークがあった。


「これは絶対に参加するとして、日程が被らないものだと……」


 最近はこの夏季集中講座について頭を悩ませている。

 何年も留年してコンプリートするならともかく、この選択は一回ぽっきり。


 中休みにも関わらず、ネムが気遣って外出してくれるほど煮詰まっていた。


「別の州を跨ぐこともできるってなるとな」


 単位互換は厳しい――裏を返せば、どんな成績を取ったとしても反映されないということだ。幸いなことに、ルヴィたちは前学期で人より多めに単位を取ったので、余裕がある。しかし、的外れな口座だった場合、貴重な夏季休暇が潰れてしまうというリスクがある。


「……他の州まで行ってカリキュラムを確認して戻って来るので一日以上かかるとこもある。ああああー悩むー」


 今日という中休みの日に出かければいいのだが、絞り切れてもいない状態だ。かといって最も遠いところだと行き来だけで三十時間以上かかるところも。飛行機とタクシーを用いてでそれだ。費用を気にしなくてもいいというのはぜいたくな悩みだが。後ろ脚を立たせながら、行儀悪く椅子に座って天井を仰ぐ。


「……あー、どしよ」


 検索すると、出てくる情報は膨大で、扱いかねている。

 ため息をついたその時だ――アパートのドアがノックされた。


「ネム? ……な、わけないか」


 同居人は鍵を持っているのでネムではない。かといって学友に住所を教えていないので部屋を訪ねてくるような知り合いもいないはず。配達は1階のポストか管理人室で預けられるので、ここまで上がって来るようなこともない。不思議に思いながらドアを開けると――そこには管理人室から姿を消したマリエの思いつめた顔があった。


「マザーマリエ?」


 管理人室に立つのはすっかりジャミラになっていた。物珍しかったが数日もすれば、もともと顔見知りのこともあって慣れる。ジャミラは雑貨店を時折AIに任せながら、管理人業務を行っていたようだが、現在はそれとはまた別の仕事があるらしく、管理業務も込みで多忙を極めていた。一日のうちで短時間ではなるが、外に出ている時もある。そうした外出時には、緊急連絡先が窓口に掛かっている。今は、その外出の時間ではないかと思われた。


 多忙なジャミラに代わり、やっとマリエが来られるようになったのだろうか。懐かしさも相まって満面に笑顔を浮かべてしまう。


「お久しぶりです! お姿が見えず、心配しましてました」


 そう口にしながら、ふと気が付く。

 ここは3階で、エレベーターもない。

 階段を上って来るのは、75歳になったマリエには相当負担なはず。

 そうまでしてやって来たのには何か理由があるはずだ。


「久しぶりね、ルヴィ。実は、あなたにお願いがあって」


 久しぶりに見たマリエは硬い表情だった。


「着いてきてほしいの」

「え、と………はい、もちろんいいですけど」


 その真剣さに思わず頷いた。階段を下りるのを手を貸しながら、無人の管理人室の前を通り、事故あるいは事件により壊れた、修繕がまだのガレージへと向かう。助手席に座り、細いマリエの手がハンドルを握るのを見守った。国際免許とリグナムバイタ州での講習も受けたので代わりに運転することは可能だったが、張り詰めたような、思いつめたようなマリエに、新たな提案をすることは憚られた。


 そうして、着の身着のままマリエの車に乗って十分経ったかどうかぐらいの時だ。連れられたのは、大きな庭付きの一戸建ての家――マリエの自宅だった。ガレージにモスグリーンの車を止めて、玄関からではなく、ガレージから直通の扉から家に入らせてもらう。


「えっと、お邪魔します」


 目上の人の自宅に招かれたとき、どういって反応するのが正しいのか。


「どうぞあがって。こっちよ」


 ………どこか性急だ。


 靴から室内履きに履き替え、その痩せた背中についていく。

 家の廊下は丁寧な作りの壁に沿うように、趣味のいい調度品が並んでいた。

 マリエは廊下にある扉の一つの前で立ち止まる。


 一人暮らしだと聞いたが、何故かマリエはその扉にノックをする。

 そしてなかへ声を掛けた。


「エミ、いいかしら」

「――はい」


 エミ? 疑問が浮かぶと同時に扉が開く。そこには日焼けした茶髪を、かなり短くしたエミがいた。背中まであったのに、かなりばっさりいったなという感想よりも、違和感を覚えた。眼鏡の奥で、溌剌とした瞳をしていたのが印象的だったのだが、今目の前にいるエミは、強張った顔をしていて落ち着かなげに視線をうろつかせ、目が合わない。


「……エミさん?」


 前回もドア越しに話したが、様子がおかしかしくこんな感じだった。

 そこで最初の疑問に戻る。


「あれ、なんでマザーマリエの家に?」


 アパートの2階、階段の突き当りがエミの部屋のはず。

 詰問したわけではないのに、エミが体の前で手を忙しなく組み直し、声を震わせた。


「あ、あたし……。」

「――待ってちょうだい」


 状況を説明させて、とマリエがエミの手を握り、ルヴィをリビングへと誘った。そのマリエの動作が、まるで娘を守る母親のように感じられ――それに何とも言い知れない、違和感を覚えた。




 艶のある木製の装飾が美しい棚に、小物や置物、書籍が置かれていた。長椅子にはパッチワークのクッションが置かれ、温かみのある居間だった。全体としては、さりげなく、棚が多かった。正方形の枠組みが壁全体と、腰丈までの間切りに用いられている。整然としているので、散らかった感じも煩雑な印象もない。最も収納されているのは書籍だ。マリエはかなりの読書家なのだろう。次点で、瓶詰めだ。瓶の中には、見てすぐにわかるようなジャムや香辛料、茶葉やドライフルーツ、ドライフラワーがある一方で、何かの生き物の標本もあった。他の物は生活に必要なものだったので、それはどこか浮いていた。


 イクシオリリオン系四世であるというマリエは、外履きの靴から、本国でも見慣れたスリッパに履き替えて静かに絨毯の上を歩き、リビングの奥のテーブルへと案内してくれた。


 壁際には暖炉があり、火が揺らいでいた。

 そこだけ石造りになっており、煙突があった。


 楕円形のテーブルに着くと、マリエが手ずからお茶を淹れてくれる。

 傍の棚には、紅茶の茶葉が瓶に詰められているのがたくさん並んでいる。


 ティーセットは予め準備されていて、あとはお湯を注ぐだけのようだった。


「とても信じられないことかもしれないけれど」


 マリエが前置いて、話し出す。

 それは開いた口が塞がらない内容だった。

 エミがこうしてここにいる経緯はまさにそういった類で。


 マリエは、秋ごろからエミが何かに思い悩んでいるようだった。それに気づいていたけれども、詮索はせず、見守るつもりだったのだが、いつも積極的に顔出ししていたユールログに姿を見せなかったことを心配したマリエがエミの部屋を訪ねた。すると、エミがこう打ち明けた――朝起きてみると、自分が自分ではなくなっていた。知らない場所にいたが、名前は同じで、言葉も通じる。しかし、確実に今までとは違う世界にいるのだ、と。


 言い終わると、マリエの手は震え、それまできれいに注いでいたポッドから一滴、心のさざ波のようにカップの水面に雫を落とした。ほう、とマリエから吐息のようなため息が聞こえた。


 エミを見る。

 すると、唇を噛み締め、蒼白の顔をした人がいた。

 正面から相対すると、否が応でもなく感じることがある。


 全く印象が異なる。

 こんな歩き方を、目線の運び方を、以前はしていただろうか、と。


 別人――という言葉が頭に浮かぶ。

 そう、まるで別人なのだ。


「つまり……あなた自身が、エミさんだと認識していないってことですか?」


 記憶喪失、というワードが浮かび上がって来る。

 まともに顔を合わせて会話したのは最初とその次の二回ぐらいだ。あとは旅行に立つ前のドア越しの会話が一回だけ。


 たった三回しか言葉を交わしていないのだが、二回目からは、どこか苛々していて、三回目は情緒が乱れているように感じた。マリエが感じた印象を用いれば、思い悩んでいたから、と取れるかもしれない。つまり、ストレスがあったのだ。


 精神的な負荷により、記憶が失われた――?

 

 その考えは、すぐに否定された。

 エミによる、もっと奇怪な発言によって。


「あたしは確かに(エミ)蝶野(チョウノ)。でも出身は日本で、イクシオリリオンなんて国名は聞いたこともない」


 マリエの顔を見ると、深刻な表情だった。

 ニホン、と口にしてみるが、妙な感じだ。


「エミ、ルヴィに字を書いてあげて」

「字?」


 すると、見慣れないけれども、見たことのある形を書き出した。


「――どうしたの、ルヴィ」


 思わず口許を覆っていたようだ。


「ちょ、ちょっと待ってください。あの、オレだけだと一個しか知らないから、ネムを呼んでいいですか?」


 エミは最初、何故か抵抗していたが、マリエに手を握られ、折れたように頷いた。


「え、と。じゃあ、電話します」


 携帯で電話して、ネムを呼ぶ。

 ネムが来るまで、エミとマリエの話を聞いてまとめておく。


 ――これを、どう扱っていいのか。


 正直頭を抱えつつ、幼馴染を待った。

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