93 “ルーティーン”
日常は不変ではなく、常にちょっとずつの変化を伴って形作られる。
冬期休暇の旅行からリグナムバイタに戻って来ると年が変わっただけではなく、取り巻く環境も変わっていた。それは、この国の治安もそうだ。朝のニュースで連日取り上げられるトピックは様変わりした。
『……墜落した小型飛行機の爆発により延焼した森林の消火活動がようやく終了しました。小型飛行機は全勝している為、遺体は見つかりませんでしたが、乗っていた犯行グループは全員死亡したと思われ、捜索に当たっていたFBIと捜査協力していた陸軍は……』
テレビには亜熱帯の密林から黒煙がいくつも立ち上り、地面に流れ出る黒い液体が映っていた。
「少し前までは、仮想通貨についてのニュースばっかだったのにな」
果汁100%の濃いオレンジジュースを半分くらい水で薄めたものを飲みつつテレビを呟いていると、身支度を済ませた幼馴染が姿を現した。――すっかりアクイレギアナイズされたジーンズとセーターという装いだ。やや、髪が伸びている。顎のラインだったのが、それを超えるくらいになっているのを見て、自分の頭髪が気になった。鏡は毎日見ているようで見ていない。
確認しようにもこの場ですぐに見られる鏡はない。
諦めて、つまんでいた髪を放し、隙の無い美少女に笑いかける。
「うちのネムは完璧だなー。起床遅かったろ? 正直言うと、遅刻を覚悟してた」
「ギリギリを見極めたの。それと、遅刻しそうなら言ってちょうだいね?」
手首にルヴィと色違いの腕時計を巻いて、ネムが眉をひそめた。
はーいと返事しつつ、ソファを立って保温していたコーヒーポッドを持ってくる。
「お互いここでの生活に慣れましたな」
テーブルに着いたネムのカップに注いでやる。
本日の朝食は、トーストと目玉焼きとカリカリベーコン、飲み物はお好みで、である。
(とかいいながら、ネムはコーヒー、オレはオレンジジュースって相場は決まってんだけど)
さらにいうと、朝に強いルヴィが朝食を、夜に元気なネムが夕食を用意するのが習慣になっていた。食事をする幼馴染の向かいに座りつつ、テレビを眺める。
「例のハイジャック事件、とうとう捕まらえられなかったのね。FBIも軍も動いていたっていうのに……」
ネムは大して興味もなさそうに、しかし引っかかる顔で卵の黄身を割った。
喉元過ぎればなんとやら、去年から引っぱり続けるこの事件の報道は真新しさも緊張感もなくなってくる。
「言い方は変だけど、腕利きではあったんだろうな。こんなにこの国から目をつけられているのに、何週間も逃げ続けてたんだ。……それも死んじゃったみたいだけどさ」
逃亡中に犯行グループが乗っていた小型飛行機は密林に墜落した。現在の報道の仕方を見ると、死傷者の出なかったハイジャック事件よりも、国が自然保護に指定していた森林に流れ出た燃料による汚染問題に重要度が傾きつつあった。
『………森林汚染の環境を回復させるには……』
犯罪者とは言っても人の命なのだが。
食べ終わったネムが最後のコーヒーを口にして、ぽつりと呟いた。
「アクイレギアは、いまだに化石燃料を使っているのよね」
早々にそのエネルギー市場から抜け出た本国では無縁の被害内容だ。
「――ネム、そろそろタイムリミットだ」
「わかったわ」
玄関に先に出て、ネムが出て来るのを待つ。
3階には、ルヴィたちしか入居していないため、朝の慌ただしい時間でも静かだ。管理人の趣向により、最近導入された掃除家電機器の稼働する僅かな音が聞こえてくるぐらいだ。
「お待たせしました」
「いいえ、お姫様」
手のひらを出して芝居を打ってお道化てみせるとネムが笑いながら、手を乗せ――ルヴィはそのまま自分よりも小さな手を握った。
隣で一緒に歩く幼馴染の存在は変わらない。
それに勇気づけられてまた一歩踏み出すことができる。
片手で玄関の戸締りをして、掃除している円盤状の機器を跨ぎ、新学期の履修科目について話しながら、1階まで下りていくと、早めに出勤してきている管理人に気づき、声を掛けた。
「あ、行ってきます。――ジャミラ」
無心で作業をしていた管理人はその忙しい手を止めた。
「良い一日を」
日常は不変ではなく、常にちょっとずつの変化を伴って形作られている。
そして今以外の過去は、存在したのかも怪しいような遠いものになっていく。
ルヴィは今、疎らに埋まっているカレッジの図書館に来ていて、併設されたカフェテリアのテーブルの一つに、一人で待ち人を待っている。
新学期が始まってから受講科目の登録に忙殺された期間をどうにかこうにか熟して、やっと人と会える時間を作り出せたのは、1月の後半に差し掛かかる頃になってようやくだった。その待ち人は1時間も遅れてやって来た。
「やあ、ルヴィと………あれ、ネムは?」
さて、その相手は悪びれもせずに辺りを見回す。
堀の深い褐色の肌に濃い眉の下で、輝く瞳を持っている。
タマリンド留学生のルドラだ。
「…………ネムは講義で指定があった本を探しに行ってくれてるんだ」
ようは待ちくたびれたわけだ。しかし、お礼をするために呼び出したのはこちら側なので思わず出かけた言葉を飲み込む。専攻の違う友人と会おうとするなら、ひょんなことからばったり出くわして……といった偶然を期待するのは無謀に過ぎる。奇跡と言ってもいい。なぜなら、この名門カレッジの敷地は広大で合う上に、在籍する学生数は3万人を超えるからだ。
(前に女の子に囲まれてるパットを見掛けたのは、凄いことだって気づいたぜ……)
あんな偶然はあの一回きりだった。
……もしかすると、誰でも一回ぐらいは起きる程度の確率なのかもしれない。
「ええ? そっちは本格的に講義の内容がスタートしてるんだ?」
「二回目以降からの参加は認めない路線らしくて初回からこんな感じで飛ばしまくってるぞ」
驚いた声に返事をしながら、手もとでネムに戻って来るようメッセージを打とうと携帯を点けた。すると、画面が見えたのだろう、ルドラがあっという顔をした。
「ルヴィもそのツール使ってるんだ」
「……いや、ルドラとも使ってただろ?」
今日会う約束をしたのも、このメッセージツールを使ったのだ。
怪訝な顔をして見上げると、ルドラは首を振り、テーブルに手を置いて屈みこみ、携帯の画面を指さした。
「ウィスパーじゃなくて、こっちのフォダだよ。ツールストアにあがったばかりなのに、すごいレビュー数で、ランキングトップを総なめにしてる。登場したばっかりなのに軒並み評価がえぐいからさすがに怪しいと思って、僕は様子見してたんだけど……ルヴィは流行に乗るタイプなんだね。受ける印象と違ったかな、もっと古典的な感じかと」
古典的とはなんだ、古典的とは。
そうは思ったものの、それよりも見過ごせないものがあった。
”フォダ”と口にされていたが、それは身内が製作に携わったものだった。
携帯ツール『写真日記』。
「…………う、略称も既に付いてるのか。に、人気なんだな」
「知らずに使ってたのかい?」
ひきつった顔をしていると、ルドラは呆れたように、ツールストアを見せてくれる。
「新学期が始まる前ぐらいにちょうど出来ただろ? 自分たちの休暇を見せびらかすのにちょうどいいツールってことだね。開発者のアイデアもすごいけど、ストアにあげるタイミングもすごいビジネス感覚してると思うよ」
感心した顔で製作者情報を眺めるルドラ。
慌てて、自分でも見てみると、そこには兄の名前はなかった。
(企画者だもんな)
そして表示されている製作者の名前が本名とは限らない。
ツールで入って来る収入はまたいかほどになるのだろうか。
「っと、いけね、ネムに連絡しないと」
ルドラがその間に、飲み物を注文しに行っていた。
メッセージを送りつつ、その背中を何とも言えない気分で眺めた。
「こればっかりは文化の差だよな……」
はじめはネムも一緒に待っていたのだ。30分くらいは。
ルヴィはタブレットでいくらでも文献を漁れば、時間を潰せる。
しかし、ネムはそうでもない。
店員がこちらを見るので、手を上げて頷く。
注文を終えたルドラがやって来るので、テーブルに出しっぱなしにしていたタブレットを片付ける。向かいの席に座ったルドラを見て首を傾げた。
「手ぶらだな?」
「出来るのは15分後だってさ」
呼び出しアラームを見せてきて、実にのんびりとした返事だ。
カフェテリア区画は広いが人は疎らにしかいない。にもかかわらず、飲み物一つでそんなに待たせるのか。飲食店でアルバイトの経験があるルヴィとしては考えられない。
(ブラックコーヒーはすぐに出てきたのにな)
これは作り置きだったか、とカップを見下ろす。
「ルヴィのおごりだってね。あの店員に言われたよ。ありがとう」
「こちらこそ、礼をするために来てもらったんだからな」
期末試験の時に頼んでおいたタマリンド占星術についてだ。
「去年のことまで見てくれたんだよな。最後の一日にそれ送られてきて、どんな気分で見ればいいか分からなかった」
ルドラは印象的に輝く瞳を笑ませて茶目っ気たっぷりに片目をつぶって来た。
「去年の星の巡りがやたら面白かったんだ。きっとルヴィにとってのターニングポイントだったんだな。それをどうしても知らせたくてさ」
いいように言ってくれるが、内容は散々だった。
恨みがましく思いながらそれを見下ろす。
「留学するの、今年からが良かったとか、めちゃくちゃ言ってくれやがって」
既に留学してきている身でそれを言われるのだ。
普通はそうであってもオブラートに隠すのではないか。
「もう終わったことさ。ちょっとだけしかその気分を味合わなくてよかったろ?」
すまし顔で頬杖をつく姿はムカつくが、そう言われると先ほどまで感じていた無責任さとは違った、思慮深さを一瞬だけ感じた。そうは思えなかったが。
「まさか、狙って?」
「ううん、偶然」
むっと唇を尖らせた。
やっぱり何も考えてなかったではないか。
しかしルドラは占い師ではなく、一般人だ。
たまたま占星術を齧っただけの。
落ち着こう、と思った矢先に、思っていた以上に態度で不満なのが出ていたらしく、ルドラが噴き出した。
「僕はさ、一回占ったから、ルヴィのことはだいたいわかるつもり。去年、留学してきたことの影響はこれからも尾を引くから、何かあったら相談に乗るよ」
占いだというのに、いやに断定した物言いだ。
外つ国のはっきりした意見をいう文化の差だろうか。
その時、ルドラが持っていたアラームが鳴った。
「それには報酬がいるけどね!」
もう一度ウインクしたルドラが席を立つ。
「調子のいいやつー」
呆れたように手を振って見送る。まったく楽しい友人だ。
はたまた冬休みが明けた学生が集まって話すことといえば、どう過ごしたかとこれからの講義についての二択しかないといっていい。ルドラはハイジャック事件とニアミスしたことを大笑いしながら、絢爛豪華な花火が上がったリグナムバイタの年越しの夜景を写真で見せてくれた。そのさなか、ふいに周囲の学生客からぎょっとしたような声がいくつも聞こえて来て、ルヴィたちは口を閉じた。周囲の目はカフェテリアの入り口へと向かっていた。
つられて振り返ると――ネムがいた。
ちょうどカフェテリアに背を向け、誰かに手を振っている。
(ネムのあまりの可愛さに慄いた………にしてはネムは背を向けてるしな)
まさか背中で語れる美少女っぷりなのか。……わかる。
ルヴィの心の声が聞こえたかのように、ネムが振り返る。
ルヴィらを認めて、表情が綻び、足早になって来る。
「お待たせしてしまって……」
謝りつつ、ルヴィの隣の椅子を引いて座った。
その時には、周囲の視線は散っていた。
いや、覗うような気配は感じたが、それだけだった。
ネムに誰と話してたんだと聞こうと隣を見て、再びルヴィは首をかしげる。
「あれ、本は? 講義で指定されてたの、見つからなかったのか?」
「いいえ。見つけたわ。アパートに届けてもらえるよう、手配してもらったの」
(手ぶらの理由、パート2か……しっかし)
「便利すぎん?」
配送料はきっとこの私立カレッジが負担するのだろうが。本国では採算の関係で厳しそうな、革新的なシステムに感心していると、向かいでルドラの瞳が不思議な光を宿してこちらを見据えていた。ネムが不思議そうな声で、ルドラに話しかける。
「ルドラ? 占いの件では手間をかけてしまったわ」
なんでも、伝えていた出生時刻が異なっていたという。
間違っていたものを途中まで真剣に占ってくれていたと思って詫びたのだが、ルドラはにこっと笑った。白い歯がきらりと覗く。
「いいや? でももしかしたらあれで合ってたかもと思っていたところ」
不思議なことを言った。




