92 レガシー
これは与えられた役目の一つだった。企業体の健全さを前面に押し出した催事が行われる会場の地下で、案内役に通されたのは、ほとんど暗闇が広がるばかりの劇場ホール型の空間。僅かな光源しか配置されていないが、呼ばれる者はそれで充分事足りる。騒めいていた声がさざ波が引くように途切れ、指定の議席に着く。数人が後に同じ階の席に着くと扉が完全に閉まり、真下で照明が点き、空間の中央に楕円状の卓が浮かび上がった。照明は天井と下からの光で、影もなくその位置にいる人物たちを浮かび上がらせた。同時に、最上階にあった僅かな光源すら消え――揃ったのを示す。
「どうぞ、マジェスティ」
飲み物を注いだ盲目の給仕が下がる。その傍に黒髪の女が佇んでいたが、共に下がらせた。今回、下位に空席がいくつか見られた。地下深くのこの空間には、自然のものは何一つ存在しない。中央が最も低く、明るい。階層ごとに連なる議席の中で、上に行くほど暗く、下位から上位の者を見ることは叶わない――それは誰も、レギナンドの顔を見ることができる者はいないということだ。同じ階層であっても、その僅かな光源すら失われた状態では、互いを知ることはできない。声を発すれば話は違うが、生憎と迂闊に話す人物はこの最上位の議席にはおらず、下の者ばかりが口許を浮かび上がらせ、その下卑た声で囀る。
下位へ行くほど面子が変わり、高位の手引きで中位はよく騒ぐ。
科学祭典の会場、その地中深くに、世間を賑わす問題の渦中にある当事者を囲うが、それは只の娯楽といっていい。開幕するまでは麻袋を被せられている演出までしている。
「――紳士淑女の皆様方。お揃いになられましたので、これより開会致します。私は当カウンシルのファシリテーターに任じられましたハーシェル・ウォリックです」
楕円の卓――その上座で進行役に選ばれた俳優が厳かな面持ちで告げ、垂れたこうべを上げると、渦中の者に被せられた麻袋が解かれた。下位の席は騒々しくなる。自殺したと表では報道されている資産家の顔が露わになる。………別段、珍しいことではない。
「この壇上の幕開けを飾るのは、昨今の報道を席巻している話題のその人です」
ここでの結末は決まっている。
弾劾された者に対する疑いの真偽は重要ではなく、かけられた時点で有罪が決まっている。擁護者ひとりいない状態で、箍の外れた者たちによる嗜虐性の赴くまま、喧々囂々とがなりたてる私刑の内容は、物覚えの良い進行役によって須らく拾い上げられ、埒外な処遇が決まる。
白装束の処刑人によって運び出されると……暗転。中央の灯りが消え、傍らの僅かな光源が戻って来る。
「苦味酒です」
盲目の給仕から銀の杯を受け取る。
給仕は閉じた目をそのままに、顔だけとある席へと向けた。
僅かな光を頼りに目を細めると、銀杯を掲げるのが分かった。
手にした杯に、口はつけない。
互いの足を引っ張るための詰まらない会合だ。
再び、点灯と共に幕の上がった、下の中央の舞台では、次の演者が立たされていた。その後も何度か、暗転と明転が繰り返され、いくつかの罪名と処遇を勝手気ままに付けられた者たちは、白い装束に身を包んだ処刑人に連れて行かれて姿を消した。こうして表では未解決の事件の主要人物たちが断罪という名の甚振りに遭う。それらは娯楽の域にあるものでこれといって刑期に限りはない。あるとしたら裁定者が飽きるか満足するか、あるいは彼らの死のどれかだ。そして表の人生を密かに終える彼らの持つすべての物はその肉体に至るまでここで消化される。罰を下すと嘯きながら、正義とは程遠い場所。
槍玉にあがるのはどれも似たような者だ。飽くことなく演目が繰り返されるが、大して変わり映えのしない、冴えない顛末。そんなありきたりな終わりを眺めるよりも、意識の大部分が別のことに割かれていることを自覚している。
昨夜も、分かり切った苦渋を味わったというのに――再び、地上からの信号が送られてくると席を立った。
………地下へ戻ると、壁に肩を預けている男がいた。
「やあ、もう終わったよ」
左手に銀杯を掲げた。
席を立つ際に、残していったものと同一らしい。
敢えて暗闇の中で会合を開いているというのに、その意を解さない振る舞いを見せる。正気の沙汰ではない――が、既にレギナンドもまたそうした振る舞いをしていた。それも二度にわたって。
「せっかく知り合いを見つけて贈ったのに、一口も飲んでくれないじゃないか」
「………顔を合わせる必要が?」
互いに身を包んでいるのは、式典に参列するような正装だが、それは地上の祭典に出席するためのものではない。そして、あの暗闇の中で、レギナンドに気づいたということは、流れる血はより濃い。
そうした事実に気づいてもいないのか。
表で出会ったかのように、大きな身振りを加えて感情を露にする。
「少年時代に同じ学び舎を共にした仲だろう? それに、ご隠居たちの暗黙の了解は僕たちのような若人には古すぎるルールだと思わないか」
僅かな期間だ、エルムで過ごした日々は。
黙っていると、両手を広げた。
「無視するなって。君が寡黙なのは今に始まったことじゃないけどさ、また再会したんだ――まさか、こんなところで……とは思わなかったけどね」
ここに居合わせたことへの居心地の悪さを覚えているようだ。
微苦笑する、その造作は整っている。
その金髪に琥珀の瞳、白い面はかつて幼少の面影を残している。
変わったと言えば、髪色が以前の方が明るかった。
「ここで何を語れと」
振り出しに戻る。
案内役は扉の前に控え、ここまでの警備もそのままだ。
終わったという言葉を鵜呑みにするには、説得力に欠け、誰と繋がっているかもわからない衆人環視のなか、話せることなどありはしない。
「大丈夫、他はみんな、それぞれ別室に向かったよ」
知らないわけではないらしく、短く要点だけを答える。
………では、戻る理由もなくなったわけだ。
踵を返すと、隣に並んできた。
一気に呷ったのか、控えていた給仕に空の杯を渡す。
「待ってって。気が短いやつだな。君の言う通り、ただ友誼を深めたいだけならガーデンパーティーの時にでも話してるよ」
「用件は」
判り易く、顔をしかめる。
「あのさ、レジー、自分がモテない皺々の老体に女の世話をされたからって僕に当たるなよな。ピオニーの女性だったのは分の悪い君の両親への当てつけだろうけど、美人だったんだろ? でもまるで君の方が潔癖な少女みたいに大げさに拒絶してたから完全に面白がって目をつけられてる、注意しろよっていうのが、旧友からの忠告」
僅かな光源が灯った際に、盲目の給仕についてきたのが黒髪の女だった。常人にはあの程度の明度では何も見えないだろうに、面倒なことだが、一定上の階層の輩は、姿かたち、国が違えど、血がつながっている。より濃い血を持っていれば、暗闇の中でもし秋には困らない。昼間の木陰ほどにしかならないのだろう。
「最後までいるようにって念押しされて初めて出てきた僕は、びっくりしたよ。一番ダメって言われてた途中退席を君がするんだものな」
中座する影響など知ったことか、と。
昨日は、今日以上に、動悸と眩暈が酷かった。
いつもよりも多めに錠剤を飲んだ。
そうすると情緒の浮き沈みが少なくなり、平静でいられる。
昨日は――地上からの信号が来るなり、寄って来ようとする女の首を絞めあげ、後も振り返らず退席した。案内役が震える手で昇降機の扉を操作するのを苛々しながら眺め、乗り込み足早に地上へと向った。
そうだ。その時ばかりは連綿と継がれる嗣業のことなど完全に意識の外にあった。気が急いていた。それが仮令、仲睦まじく並ぶ後ろ姿であったとしても――ただ、今一度、この目に映さんがために。
「引き続き今日も退席して……さすがに呆れて僕が」
「わざわざ正体を現して忠告しに来たと」
先回りして言葉を盗むと、気分を害した顔をする。
しかしすぐにため息で押し流した。
そうした冷静さを持っているのがエルム人らしい。
「連続はどうかと思うよ。さすがにね。君は僕よりも議席は上だけど、その議席だって、君の親父さんのものだ。なのにその議席より上の老害は何人いると思う?」
ため息をついて頷く。
「そう、四人だ! まったくもってナンセンスだよ。僕たちが気を払うべきは地面を歩き回っている有象無象の蟻連中じゃない。餌に食いつくのはナシにしても、もっと断り方を考えなきゃ……って」
ひとしきり上流階級のエルム語で喋ったかと思うと、不意に言葉を途切れさせる。腕を組み、顎に手をやる。その間も、歩みを止めずについて来る。白い顔を上げたかと思うと、黄金の、片方の眉を上げる。
「………君、知らない間に禁欲的になったね?」
エレベーターに乗り込み、ついてきた男が回り込んできた。
訝し気な、アンバーの瞳が覗き込んでくる。
見たい瞳はこれではない。
何が禁欲的だ。馬鹿馬鹿しい、自制などとそう考えた時、嫌なことに思考が触れた。
「ちょ、ちょっとレジー、大丈夫かい!?」
いつもならば見せない姿を晒している。
自覚しながら、立て直しを図る。
懐からタブレットを出し、口に含んで奥歯で嚙み砕いた。
――何事もない。密室の箱が階数を上がっていく度に、獣の唸り声が聞こえる。
壁についた手に、青く血管の浮き出た不健康そうな白い手が支えるように握って来る。
見れば、青ざめて心配するような顔があった。
こんなところで再会するような人物ではなかった。
エルム王室の園遊会のような、明るい場所にいるような古い学友だった。
そこにどんな血が流れているかは、分からないものだ。
来たくて来たわけではない。ただ生まれた場所がそうだった。
それに見合う人格を作り出さなければならなかった。
******
揺れた家が崩壊し、ばらばらになった積み木が転がる。
湖の水面のように静かな青い瞳がそれを哀し気に見つめていた。
『ぼくはきっと死んでしまう』
幼さの残る少年の声が、がらがらと転がる積み木の音と共に耳元で聞こえた気がした。
「…………なんとかするよ」
元通りにしなければ、とそう思って答えたのと同時に、身体の肌寒さで目が覚めた。
視界がずれている。眼鏡をかけたまままた寝落ちしていたらしい。
体を起こすと、慣れた感覚がなく、冷えた肩に手をやって空ぶった。
――もう何日経つだろうか。見慣れた店内はいつも以上に薄暗く、寒々しく感じる。
父が死ぬ前に、代々続く生業を継いだ。
そのために自分は産み出されたから。
家の伝統を継ぐ片手間に、雑貨店を営み、レジデンスの管理人を手伝う。
それでいてどれもこれも中途半端で、やる気もない。
ただ、この騒がしい国のなかでも、静かに本が読みたいだけだ。
その夢は叶い、そうした日々に満足している。
そのはずだった。
褐色の手のひらを握り込む。
開いたままの本を閉じて本棚代わりにしているカウンター下の収納棚に仕舞う。
シャッターをあげると、あまりの眩さに目を細める――また重たい音がした。
積もった雪が軒先から地面に落ちたのだ。
白銀に輝く外は、あまりに眩い。
車道を挟んで向かいのレジデンスのガレージには管理人の車が止まっていた。
眩さ以外の理由で外から目をそらした。
朝はアクイレギアンらしくコーヒーと決めている。 アダムが愛飲していたブレンドをそのまま慣れているからと同じものをストックして常飲している。入り口に背を向け、フィルターに湯を注いでいると、外から足音がして、そっと扉が開かれた。
「ジャミラ」
声を掛けられる前から誰か分かっていた。
「よかった。起きていたのね。今日もお願いできるかしら」
「わかった」
ありがとう、と消えるような笑顔を見せた。
足元、気を付けてと返すと、マリエは頷いてレジデンスに戻っていった。
フィルターから落ちた少ないコーヒーを飲み干した。
それはぬるくて、苦い。
雑貨店をAIモードに設定して、レジデンスへ向かう準備をした。
ユールログを過ぎてから、すっかり変わってしまった。
何が彼女をそうさせたのか、分からない。
ただ、こうしてカウンターで寝落ちしてしまったジャミラに毛布を掛けてくれた人はもういないのではないのかと思った。それが甘ったれた考えだということは分かっていたけれども、血のつながらない小娘の甘えをそのまま受け入れてくれる存在だった。
カウンターに置きっぱなしにしていた本が目に入る。こんな時はいつも同じ本を手に取ってしまう。ロムドゥオルの主流な川の中流域バサック地方は、5世紀から6世紀初頭にかけて天女との婚姻による建国説話というのが存在する、と話していた少年の声を思い出す。その子もまた、その血のために重圧を背負っていた。生まれながらに生業を継ぐことを求められ、才能を期待されていたジャミラと同じように。幸か不幸か、ジャミラには才能があった。
「…………らしくないな」
今朝は死んだ人のことばかり、考えてしまう。
それは生きている人との問題から目を逸らす口実だと知っている。
作動したAIが切り替わり、『仕事』の通知が来ていることを伝えた。
『でもきみは生きていて』




