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黄金が降る  作者: 毎路
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08 オリエンテーション

 我が子を木の上に立って見る親のような心地の数日間だった……。


 連絡先を交換しよう、どこに住んでるの、恋人はいる、電話番号教えて……エトセトラエトセトラ。数多くの新入生の関心と興味と淡い恋心をかっさらっていったネムが答えるのは一律笑顔で「ごめんなさい、分からない、携帯持ってないの」だった。雑過ぎね? 断るにしても、もう少しやりようがあったんじゃね、とも思う。口には出さないけども。


「…………終わったわ、やっと」


 あらゆるシャイな人々の心を折る行事。

 それは新入生向けのオリエンテーションかもしれない。


「………お疲れー、ネム」


 薄青の柔らかな髪が元気を失って机の上に散らかる。

 うっそりと上げた瞳はひどく陰っていた。


「どうしてこんなに疲れるの?」

「頑張ったからだぜ……」


 全日程3日間のオリエンテーション。

 朝の9時から17時までみっちりあるこの行事は人にとっては地獄かもしれない。

 その内容のほとんどは、新入生(レクリ)同士の交流(エーション)だった。


 グループを作ってミニゲームをする。

 ゲームは手を変え品を変え、何度もメンバーを替えて行う。

 

 その度に、自己紹介をして、ちょっとした親交を深める。

 まさに浅く広く、一瞬だけ社交的に振る舞う。


 自己紹介、初対面の印象に失敗した?

 なら再挑戦すればいい!


 …………延々と続ける中、要領を得て、何回目かには成功体験を得るものだし、相手も逐一妙な奴がいた程度の印象はすぐに忘れ去る。

 

「よく考えられてるなって思うけど」

「二度目はしたくないわ」


 楽しいものもあった。

 しかし、これが初日を除いて朝から夕方まであるとなると……。

 顔面に張り付けた笑みが何度もはがれかけた。


「でも、途中からは良い感じだったじゃん」


 最初は強張っていて、ルヴィも大変やきもきした。

 しかし、何が吹っ切れたのか、楽し気な笑顔で参加していた。

 それ以降、ネムのその笑顔が崩れることは一度もなかった。……一度も、だ。


「かんばったなあ、ネム」

「もう一瞬もがんばれないわ」


 その頭を撫でてやる。


「初日の学長の有難いお言葉と履修登録の説明が終わったら、そのあとの残りの日数も延々とレクリエーションぶっ通し……強烈だったな」


 オリエンテーションの日程が全部終わったのはつい先ほどのことだ。

 アパートにこのまま帰らせるのはあまりにも心が痛んだ。


「ネム……オレは感心したぞ。人見知りのネムが、自分から話しかけて笑顔でゲームに参加してて。やっぱり留学に来るもんだな。一皮むけたなんてもんじゃない! すごいぞ!」


 偉い、すごい、最高だ、と褒めちぎる。

 このネムの姿をみれたことが、ルヴィのこの留学の一番嬉しいことかもしれない!


「相手が……わたしのことどう思ってるか、考える余裕もなくて……ただ、この時間が終わるまでだからと必死で。取り繕えるだけ頑張って取り繕ったような………」


 しどろもどろになりながらネムはその時のことを語る。


「その取り繕った仮面は上出来だったぜ」

「………そう?」


 ぐっと親指を立てる。


 その証拠に、同じグループになった全員は須らくネムに見惚れていた。

 男女の区別なく、はっと見てしまう顔は全世界共通だ。

 まったく、罪作りな美少女である。


「おかげで心配してなかったぜ、オレは」

「…………それなら嬉しいわ」


 ネムは乱れた髪に指を挿し入れて整えつつ、小さく言った。

 欠けたるところないこんな完璧美少女に自信がないところがあるとするならば、それは対人関係だ。


 薄青の髪を指でいじりながら、小声で尻すぼみに話す。


「今まで余計なこと考えすぎていたのかしらって、思ったの。何も考えずに振る舞っていたけれど、今回は、それでうまくいったから」


 思春期というのは、そういったことで失敗しがちだ。

 あれは特殊な時期だと思う。

 だから黒歴史、とわざわざ名前が付くことがあるんだろう。


「………はじめは、こんなに交流の時間ばっかりとって意味ないじゃないって思ったのだけど」

「あのくらいやれば、どんな奴でも自分の殻を破れるってことなのかもな」


 ウェイターがやって来る。

 サイフォン付のコーヒーが、置かれる。

 ネムの前には入れたての紅茶だ。


 そして――大きな白い塊となっているデザートが大皿の上にどーんと乗っかっている。


 注文札がテーブルに置かれ、ウェイターが去る。

 絶句したネムがしげしげと眺めた。

 こほん、と咳払いし、ルヴィが説明する。


「これはアクイレギアで歴史ある人気のケーキだ。その名も、アイスクリームケーキ! このどっちも主役級のデザートを一緒にしてるとこ、この国の大胆さが出ててオレは好きだね!」


 ネムが怪しそうに皿の端を持ち上げ、目を細める。


「……アイスが見当たらないけれど、中に入ってるの?」


 首を横に振り、片目だけ開けて、指さした。


「いんや。ずばり、このスポンジの周りにコーティングしてあるのがホイップじゃなくてアイスなわけ。冷えてて、中のチョコレートスポンジケーキもしっとりしてるし、溶けだしたアイスがいい塩梅にしみこむからうまいんだと」


 テーブルの上で圧倒する、堂々のワンホールだ。

 外側はアイスであるために、冷気を感じた。


「この上の黒いクッキーは見覚えがあるのだけど」

「思い浮かんだそれで間違いないぜ」


 黒いクッキーに白いクリームを挟んだ菓子は商品名が付いている。

 昔からの定番商品だ。


「他の会社の商品をこんな風に使っていいのかしら?」

「もう有名税みたいなもんじゃね?」


 砕いて粉々にしたものが白いホールケーキの上に撒かれている。

 そして原型を残したクッキーが二つ飾りになっていた。


 ルヴィはネムへナイフとフォークを渡した。

 暖房によって、アイス部分が徐々に解け始める。


 時間は有限だ。


「オレたちへの頑張ったご褒美に。ちょっと量は多め」

「夕飯の予定はなくなったわね……」


 ネムはナイフとフォークを受けとり、ルヴィが頼んだデザートを恐々としながら眺めた。

 三人か四人で食べると丁度良いのではないかという量だ。


「これ、ここじゃ普通に二人で食べきるらしいぜ?」

「カロリーは聞かないでおきましょう……」


 ネムと一緒に手を合わせてから巨大なケーキとアイスの山を切り崩していく。

 今から糖分を過剰摂取するのには理由がある。なぜなら――


「これ食べて、履修登録を始めないとだからな……」

「今日のお昼から開始されているというわ。オリエンテーションすべてに参加している学生はそもそも不利なのに」


 ちなみに、オリエンテーションは初日だけ参加でもよかったらしい。

 知ったのは、終わった後なので、まさに後の祭り。


「疲れ切ったオレたちには必要なのが休息と甘味! そして愚痴とおしゃべり!」


 今後の話をするだけでも、頭がまとまるだろう、と続けると、ネムが顔を上げた。


「早いものだと、明日から講義が始まるものね」

「登録だけして、あとから辞めたり、最初に受けて登録を後から正式にしたりは出来るけど、人気の講義は定員漏れがあるから急いで登録した方がいいもんな」


 登録期間中でなければ、登録ができない。

 そして、後から辞めるにしても、修正期間中に削除しなければ、取り続けることになる。


 ちなみに、成績により退学用件というのが存在する。

 良い成績を取れない見通しならば、この期間に削除しておかなければ、後に響く。


 アイスを頬張りつつ、算段を立てていると、


「おいしい……結構食べられるかも」


 疲れているせいか、ネムの手が進んでいた。

 甘味のおかげで元気が出てきたようだ。肩を竦めた。


「そりゃよかった。まだまだあるからな。これ食べて帰ったら、さっそく科目をみなきゃな」

「ルヴの興味のありそうな講義を検索するから、キーワードを教えてね」


 ケーキを口に運びながらネムが言う。

 ルヴィの夢に献身的な幼馴染に、思わず口にした。


「――なあ、ネムはさ。オレについて来てもらってるけどいいのか?」


 思わず手許を見た。


 ルヴィが関心を持っているのは、この大地で起きていることすべてだ。地理やその地での歴史、ひいては考古学にも興味がある。


 今はただ、知りたいばかりで。

 いろいろなことを、自分の手で解明したかった。


 ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュという研究者が1940年に、地球を支配している物理的な諸法則を知り、その法則と地球上の諸生物との関係を広く知って、地と人とのあいだの諸関係についての新しい見解をもたらすことを目的とした学問が地理学であるとしている。


 その地理学の中でも地誌学という一分野が、ルヴィの興味に近い。

 けれども、それだって膨大で。


「ルヴのおかげでいろんな世界がみれているわ」

「そっか。そうだったよな」


 ずっと昔の約束を出されて、思わず笑った。


「ええ。ルヴの見せてくれる景色は絶景だって期待させてもらうわ」


 未だにこれという方針を絞り切れていない。

 専攻を深めるというゴールにおいて、効率的ではない道のりになるだろう。

 まさに、自分探しの探求だ。


「それに、エルム語を話せるようになったらそれだけでアドバンテージよ。教養教育科目が取れたら、興味のあることを浅く取ってみてもいいかしらってくらいね」

 

 事も無げに言ってのける幼馴染に頭が下がる。


「オレ、ほんとに一生ネムには頭が上がんないぜ……」

「あら、じゃあ。わたしはずっとルヴの旋毛を見ることになるのかしら?」


 甘いものを食べてご機嫌になった幼馴染は揶揄ってきた。


「………それって楽しいか?」

「悪くないわ」


 ……きっと甘味でご機嫌になっているからだろう。

 よく知るはずの幼馴染の、どこか空恐ろしい一面を垣間見た気がした。


 そっと目をそらしてケーキをつつく。

 一度やって来た皿は、ノンストップで行かないと溶けたアイスにスポンジがドロドロになってしまうので注意が必要と学んだので、機会があれば参考にしてほしい。


 明日からはついに、初回講義である。

 今夜は、そのために準備をしよう。








 ダン、と壁を打つ。ここは階段下の自習スペース。大きく取られた窓から、照明が不要なほどの光が入ってくる。秋学期初日の講義が終わった棟には、人通りはほとんどなく、廊下と階段下を衝立で仕切っただけのこのスペースに至っては無人だった。そこへルヴィの怒号が響き渡る。


「まっじ、ふざけんな!」

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