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黄金が降る  作者: 毎路
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86 ニューイヤー

『私は役に立てたかな』


 およそ五日間に及ぶフィールドワークの後、ノリス教授は別れ際にそう問いかけてきた。その言葉が別れてからも、ずっと頭の隅に残っている。自分の愛車のように馴染んだ車のハンドルを操り、無人の道路を運転する。風景は、草も生えないような赤い大地から、草が生え、木が立ち、木立は木々になり、林になり、森になった。バックミラーは遠ざかっていく赤い地平線を映し出し、曲がりくねった道を過ぎると森に埋もれて行く。対向車が来ることは滅多にない。


 車をレンタルした期限まで、大地を見て回りながら、周辺の宿泊施設やキャンプ地を回ることにした。


 自然公園として開放されている区画に入ると、教わった通りキャンプ道具一式を借り、安全についての誓約書に同意し、GPSを持たされ、あとは自由にテントを張って泊まることができる。そろそろ日が暮れるのでルヴィとネムは巨大な岩の上に慌ててテントを張った。岩の上から下の情景を一望できたが、見渡す限りの一帯は無人だった。


「オレが来たああああああ!!」


 ルヴィは大岩の上で地平線に向かって叫んだ。


「明日には、シンシティのホテルにいるなんて、想像もつかないわね」

「だな……」


 折り畳みの椅子に腰かけて、固形燃料で燃えている炎を見つめた。

 大自然の真っただ中にいても、こうして文明の利器に支えられている。


「ホットココアよ。アクイレギアでの市販だから、きっととても甘いけれど」

「この寒さの中では貴重な栄養価として摂取するぞ」


 湯気が立つコップを受け取る。

 鮮烈な光を放っていた夕陽はとっぷりと地の底に沈んだ。


 真っ暗になるかと思われたが、代わりに満天の星が降ってくるように頭上に広がっていて、暗くはないのに、暗く見える。


「きれいね。まるで宇宙を見上げているみたい」


 ネムが感動した面持ちで見上げている。

 連れてきてよかったと、思う。

 でも、ここから先は、どこへ連れて行けばいいのだろう。


「――ねえ、ノリス教授だけれど、どうだった?」


 ココアに口を付けていると、ネムに問いかけられた。

 どう、というと……。


「なんか謙虚な人だなって印象を受けたかな。現象の説明するのとおんなじくらい、ショーンについて話してたな」


「ショーンさんのこと尊敬しているのね」


 ネムが微苦笑する。言い過ぎともいえない。ノリス教授は、あらゆる報告書の発見はガイドの案内によって見つけたものだと言っていたし、ガイドとしてヘッドハンティングしたショーンの力なしには見つけられなかっただろうと我がことのように自慢していた。その度に、背が低く素朴な目をしたショーンは髭に埋もれた口をひくひくとさせて、恥ずかしそうに目をぎゅっと閉じていた。


「いい関係を築いているんだろうな」


 教授が学生の研究成果を盗用することはあるはなしだ。

 それが原因で命を絶つ学生もいるくらいに、昔から問題になっている。


 ノリス教授とガイドのショーンとの間にはそういった鬱屈した雰囲気はなかった。ノリス教授がショーンの力を称賛しているからかもしれない。けれども、報告書は連名になっていなかった。


「ショーンさん、以前は他の研究者のもとで働いていたのをスカウトしたというじゃない? こうまでノリス教授が名声を得てしまったのでは、前の人から何かやっかみも受けそうなものだけれど」


 ネムが膜を張ったココアの表面に息を吹きかけた。


 ヘッドハンティングされてガイドは今の環境に不満は無さそうだった。

 信頼関係の有無だろうか。


「前の研究者とは軋轢は少なからずあるんじゃねえかな」


 ショーンは発見を積極的にノリス教授に伝えているようだった。

 それこそ見つけたらすぐに、という感じに。


「学術界は未知への第一の発見者になるのが重要なんだ。早い者勝ちの競争だな。論文書くくらいなら、従来のものとは少し違った視点を提示するだけでもいいけど、教授まで上り詰めようと思うと、新たな発見や解明が必ずいる」


 前の研究者のもとにいた時、ショーンは協力を惜しんでいたのではないかと思う。

 有名になったノリス教授の報告の地域は、それ以前に目ぼしい新発見はなかった。


「その際に、現地人だったショーンは重要なファクターなんだ。聞く限り、それを結構強引に手に入れたノリス教授は、そういったやっかみも承知の上だろうな」


 教授になっている時点で、そういった熾烈な競争も身近なものだ。

 新たな発見を手助けしてくれるガイドにも恵まれた。


「ノリス教授には、ショーンがいたけど、オレにはネムがいるからな」

「調子がいいわね。わたしも……今回の経験で学んだことは多いけれど」


 どんなことだろうと目を向けると、ネムは呆れたように笑った。


「男性ばかりの集団での過ごし方かしら? 心構えとかね」


 ……すっかり忘れていたが、紅一点のネムにとってはなかなか厳しい環境だっただろう。それを感じさせない振る舞いだった、というか。


「わたしのこと、昔みたいに、男の子だと思ってたでしょう?」

「えっへへ……」


 今となっては過去の自分の眼球を洗ってやりたいほどなのだが、はじめて会った当時、ルヴィはネムを同性だと思っていたし、近所でも相当なガキ大将だと一目置いていたものだった。


「いいのだけれど。ノリス教授もそうだったし。ショーンさんは最後まで気にしていたわね。でも、わたしが聞きたいのは、ルヴのしたいことと少し違っていたんじゃないかしらって思ったの。……動く石の現象は、解明されてしまうとがっかりしたのではない?」

「正直なところ、宇宙人の仕業だとか言われてた時の方がロマンがあったよな」


 ルヴィが苦笑しながら再びココアに口を付ける。

 すると、ネムがそれよ、と目を向けて来た。


「うん?」

「ルヴって、そういう……謎の解明よりも、なにかの謎を発見することの方があるでしょう? 今回の現象を映像で撮影してこうだったというのはあまり興味がなさそうだった」


 あー、と視線を落とす。

 

「ノリス教授の専攻がオレの興味とずれているっていうのがあると思う」


 地理学には大きく分けて、地誌学と系統地理学がある。1957年のハーツホーンの地理学関係図式によると、地誌学から細分化した、気候学・土壌地理学・地形学は、系統地理学では無機科学として気象学・土壌学・地質学に、植物地理学・動物地理学・人種地理学は、生物科学として植物学・動物学・人間生理学に、民族地理学・経済地理学・政治地理学・社会地理学は、社会科学として民族学・経済学・政治学・社会学といった系統諸科学にさらに細かくなっていくという。この区分でいうところの、無機科学が専門にあたる研究者だ。


「…………む、無機科学?」

「そ。気候とかその地の土壌や地形についてをより科学的にしたのが系統諸科学。まあ、これらを全て集約したのが、地誌学なんだけど」


 ネムはちんぷんかんぷんと言った顔だ。

 そういえば、ルヴィが何を研究したいのか話してなかったと気づいた。


 それにはまず、ネムに違いを理解してもらわなければならない。


「オレたちが通うカレッジで例えると、ザイガー教授の研究領域に近いかな」

「…………なんとなく分かるような。オルガが土壌分析でザイガー教授を頼ったのよね」


 オルガとは農薬メーカーに勤めている社会人で聴講生としてザイガー教授の講義に出ていた。


「オルガは本国でいう、農学部の大学院があってるんだろうけどな」


 アクイレギアで最大手と言ってもいい農薬メーカーは、名前が何度か変わっているが、過去のいくつもの事件にかかわっている。悪名高い枯葉剤を作った企業で、軍事兵器とは紙一重の農薬を扱っている。


「………紙一重というか同じというか」

「なあに?」


 オルガとは顔を合わせたら話す間柄だったネムに、なんでもないと首を振る。彼女は結局、ルヴィたちとは別のカレッジを受けることを決めた。


 これ以上関わることはないだろう。

 

「土壌分析と言えば、メールリ教授も報告書をあげていたわよね? なら、メールリ教授もザイガー教授と同じ無機科学ということ?」


「いや、メールリ教授はどちらかというと生物科学………」


 ルヴィは言いかけて言葉を止め、ネムの顔を見た。

 スモアを作っていたネムがルヴィの視線に驚いたように肩を浮かせる。


「な、なあに?」


 それには答えられず、口を押さえる。


「…………メールリ教授の地質調査のデータ」

 

 メールリ教授の専門は植生に特化しているため、このハーツホーンの区分では分類がしにくいが、強いていうと生物科学になるだろう。植物は気候や土壌、地形と切っても切り離せないので、無機科学にも含んでいるともいえる。その点で、メールリ教授が、汚染土壌の報告をするのはおかしくはない。


 人体への影響を測定したという点を除けば。


「共同研究者に医療系の研究者はなかったよな……?」


 そのデータがメールリ教授から報告されたのは、やはりおかしい。おかしいと言えば、成績表のコメントも、違和感(・・・)があった。


「メールリ教授か…………」

「――来季は、所属する研究室を選ぶようになるわね。ルヴはメールリ教授を選ぶの?」


 言葉に詰まる。


「オレは――」

「誰を選んだとしても、わたしもついていくから」


 ネムは焦げ付き始めたルヴィのスモアを回収して言い放つ。


「もう、わたしは留学の経験を本国での糧にすることに決めたわ。ここでは修了できなかろうが、留年しようが、構わない」

「………えっ」


 驚いて目を剥くと、ネムは嫌そうな顔をした。


「わたしはお腹を括ったので、あとはルヴが決めるだけよ。わたしはそもそもルヴのお目付け役としてきただけで、学問をおさめようだなんて思っていないのだから」


 ほんのりと焼き目がついたほうをルヴィに寄越して、ネムは焦げた方にかぶりついた。


「わたしが心配していたのは、ルヴの選んだ道についていけるのかってことだけよ。今季、なんとか留年せずに行けたから、後は野となれ山となれよ」


 ぐっと伸びをするネムを見上げて呆けた顔を晒す。


「やりたいことがあるのでしょ」

「……………でも、この留学を棒に振るかも」


 ネムはさすがに顔をしかめた。

 反対されるかと思ったが、違った。


「棒に振らせないから」


 かっこよ、と胸を押さえた。

 そしてお道化るのもそこそこに、ルヴィは口を開く。


 その時、通知が鳴った。

 見ると、携帯で、奇跡的に電波を拾ったらしい。


 送信元はルドラ。タマリンドからの留学生だ。旅行前に頼んでいた占星術の結果を送ってくれたのだ。


「今年の運勢もですって。もうあと少ししかないのに」


 ネムがそういった時、時刻は零時を回った。

 ――新年だ。

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