84 フラッシュ
矯正施設の門戸は入るに易く、出るのに難い。雑多な人種の坩堝で問題が起こらないはずはなく前科者ともなれば監視の目も厳しいものになる。担当する弁護士をこちらの者で固めておけば問題ない。よくある話だ。
「――ですので、本人に更生の意思ありと認められていますが、被害者からの訴えにより、引き延ばしを図っているところです」
「必要なものは?」
叩けば埃が出てくるのが人間だ。
暗に金に糸目をつけない意向を示す。
「分かりました。では、弁護士費用を私の事務所で負担し、被害者のサポートとその他の被害者を探します。男性については暴行と恐喝で訴えが可能でしょう」
被害者リストを渡され目を通す。
電子化が進んでも、紙以上に安全な情報のやり取りはない。
「女性は、被告人に対し重い罪状で訴えることができます。………ただ」
目をあげると、弁護士は恐れたように目を伏せた。
「被害女性の中には、”新薬”に関わっている者がいます。例の通りの件と接触する可能性が高いのです」
定例会議では報告に上がっていない特殊製造されたドラッグだ。ブラックスカルがリストの中の女性の半数以上についていた。元締め組織が収拾に動くはずだが、今回は対処が遅れている。本拠地であるシラーキュスで変事があったようだが、詳細な情報は報告にはない。欧州の人間は、アクイレギアをエルムの操り易い田舎者が住む巨大な植民地だと考える。情報は遮断されていることがほとんどだ。幸いなことに、欧州に出向く用事がある。
「問題ない」
為すことは変わらない。
被疑者は今後、死ぬまで矯正施設から出ることはない。
そして。
「事が済んだ後、別口で彼らを訴えさせればいい」
日常を脅かすものは取り除く。
二度と目の前に現れないように。
リストの上位にとある名前があった。
警察からもマークされている人間だ。
思い返せば、気に障る人間は揃ってよく廊下で共に囀っていたものだ。
同じ群れならば、同じ境遇に落としてやるのがいいだろう。
顔をあげると、待っていたらしい弁護士が肩を震わせる。
何のことはない、口許を触ると笑っていたようだ。
ひと撫でして収める。
「警察……いや、FBIも動いているだろう。情報を流してやればいい。触れた人間と、物の流れを」
ワンフロア上のプライベートエリアに戻ると、人の気配がした。出迎えに現れたのは、家令だ。使用人と護衛のいる一つ下のフロアから、このエリアに自由に出入りできる唯一の家の者だ。父母からマスターキーを預けられている。
「ご機嫌ですね。お預かりします。どうぞこちらを」
僅かに高揚していた気分が下降する。伸ばされた腕に外套を預けると、代わりにメッセージカードを受け取った。差出人は父母で、要約すると、降りかかった面倒ごと対してもっとうまく立ち回る様にという苦言とともに外野が勝手に制裁に動き出していると忠告が連ねられている。
「御耳の早い………」
裏面にコードがあり、来年に行われるCESの先行会と入場のチケットが綴られていた。先行会での、顔役に指名ということが一筆添えられている。前時代的なメッセージカードだが、年老いた父母はそもそも前時代を生きて来たが故の産物だ。
「旦那様と奥様はカテドラルから司祭をお呼びして過ごされるようです」
「何時ものように手配を」
代わらない対応を指示してレギナンドは、カードを手渡して襟元を緩めた。それで終わるはずだったが、流すことが出来ず苦言が漏れた。
「……報告を?」
「はい」
あっさりと悪びれもせずに薄く笑んだ。
「ご当主は、一粒種のジュニアのことを大変気にかけていらっしゃいますれば」
ある程度の裁量を執るようになってから、父から付けられた家令だ。
そのきっちり撫でつけられた白髪を見下ろす。
家格でいうと、欧州の古い家柄であるこの家令のほうが高い。
「――咎めているわけではない」
その単語ほど上滑りするものはないだろう。
「貴方の機嫌を取ろうと必死ですね。我々のぺサパよりも前に一大行事があるので、そこで家族が揃うように働きかけているようです。出来の悪い長子を持つと要らぬ苦労を負うものですね」
その点我々も苦労しましたが、今は安泰ですと嘯く。
レギナンドを一粒種と言っておきながら、同じ口で矛盾することを言う。
「それで出しておやりになるのですか」
「何のことだ」
見返りに何か要求されたわけでもない。
勝手にやったことだ。
たとえ、乞われたとしても。
「あそこから出すつもりはない」
「承知しました」
プライベートの軛を跨ぐと、家令はそれ以上は近づかなかった。
「マホニアの代理として指名されたのですから、CESに出席されるパートナーについては如何しますか?」
「――適当に」
「では、仰せの通りに」
問いかけには背中を向けたまま答える。
かかりつけの医師から渡された薬が机に転がっている。
「これに何の意味がある」
ストレスなど、馬鹿馬鹿しい。
『久しぶり。連絡ありがとう。わたしは元気よ。試験も、やれるだけのことはやったわ。不安だけれど。あなたの方はどうかしら。昨日、試験が終わったのでしょう? わたしの都合で勝手に連絡が出来なくなると言っておいて、ごめんなさい連絡嬉しかったわ。前の髪留めは、お礼というより、わたしがあなたに似合うと思ってあげただけなの。だから、お返しとかはいらないわ。それと、デメトリア・ハワードと恋人というのはわたしの誤解だったのね。ごめんなさい。リグナムバイタでの関係性を調べてみたのだけれど、これが普通のことなのか分からなくて、あなたに妙なことを言ってしまったのね。ただ……彼女はあなたと多少、親密だったでしょう? だから思い余ったのかもしれないのだけれど……』
ユールログはこの国のマシアハ教のイベントで、そうでないレギナンドにとったは関係のない代物。けれども、会う理由としては、自然なものだった。それが。
――頭が痛い。
錠剤へと、手を伸ばした。
手放せなくなった錠剤を飲み込み、車から降りる。一般には年明けからほどなくしてCESがシンシティで開催される。その実、年末の大薪の復活祭に合わせ、先行会と称して有識者のみが招待されて開かれる。報道も規制され、極少数の招待客しかいない。今回のパートナー役には広告塔となっている若い女優が宛がわれた。車を出て別の車から出てきた女優と合流するとすぐに大量のフラッシュが焚かれた。メディアへの露出はNGと取り決めがあるはずだが、レギナンドの腕に掴まる女は上機嫌に笑みを浮かべて応えている。
「……あら、そんな目で見ないでくださいな。伏せていてもどこからか嗅ぎつけてやって来るのが彼らパパラッチですもの」
「先行会程度でこの賑わいは聞いたことがない」
本来は公にはならない。
ここにいる野次馬が撮った写真は全て握りつぶされるだけだ。
にもかかわらず、挙って集まった。
「あまりにも急に人気が伸びすぎたせいかしら、私の」
「………」
俳優業界では横行している、作り物の体を押し付けられる。
特にジャカランダではそれが顕著だ。
嫌なことを一瞬で想起して苛立つ。
その感触が疎ましくてならない。
「そんな冷たい目で見ないで。ここは私に任せて。こういったことには慣れているの。貴方のような魅力的な御曹司だとこんな下世話な輩には不慣れでしょう?」
今回の指名には、裏があるとは思っていた。
わざわざ本家付きの家令が姿を現すほどの何か。
成程、この女には気が大きくなるような”後ろ盾”があるらしい。
「私、伊達にこの業界で生きてきたわけじゃないんですよ。ここで不満げな顔をするより笑顔をサービスして見せつけるのが、上手な乗り切り方――アドバイスです」
片目だけを瞑って微笑した。
賢しらな物言いだが、甚だ馬鹿げている。
自作自演のリーク。
重大な規約違反だ。その意味も分からない女をパートナー役に選んだ家令。
ではこれは試されているのだろう。
どうするか、先日父母から忠告された内容を思い返し、見下ろす。
何を思ったか、女は満面の笑みだ。
「――大した度胸だ」
それは蛮勇という。危機感の薄い獲物だとも。
目を細めて見下ろすと、白い頬を上気させた。
「いくつもの大企業を背負う貴方から褒められるなんて、嬉しいわ。私は女優。どんな時も笑顔でいるのが仕事ですもの」
「……なるほど」
契約違反として抗議文を送りつけるだけのつもりだったが気が変わった。
「どんな時も、か」
その時、同じようにパパラッチに囲まれたなら、この女がどのような顔をするのか見ものだった。皮肉交じりに笑うと、我が意を得たりとばかりに大きな笑みで頷き、肩から落ちて来たブロンドの髪を手で背中に払った。毒々しい赤い爪が目に入る。
「ええ、もちろん……それが女優としての私のプライドだもの。さあ、あちらのカメラに向かって笑いましょう」
その画角に指定して配置したのだろう。
一人だけ悠々と立っていた男がカメラを構えた。
契約違反は織り込み済みのようだ。
関係ない。ゴシップ誌には切り取った女だけの写真を上げさせる。
これからどこまでも墜ちていく予定の若い女優を前に、最後の輝きとばかりに視界を埋め尽くすフラッシュが焚かれた。
「祭典のいい幕開けを飾りましたから、きっと今回のCESは素晴らしいものになるでしょう」
「ああ――楽しみだ」
この、泥のように腕に絡みつく女が沈んでいく様を想像すると。
攻撃的に偏り気味の思考を自覚しながらも、それにゆだねると楽だった。
「ねえ……私たち、パーフェクトだわ。とってもお似合いだと思いません?」
女優が顔を近づけて来る。
馬鹿馬鹿しい。
汗と香水の入り混じった女の顔が近づいてくるのを眺めていると、視界の端をよぎった影に振り返る。その影は雑踏に紛れたのか既にない。幻か、最近よく錯覚する――落胆と同時に、首筋にねっとりとした感触が押しつけられた。
悲鳴のようなはやし立てる声が上がる。
茶番だ。すべてが疎ましく、馬鹿馬鹿しい。
肩を押しのけて、手のひらで乱暴に拭った。
横一線の血のような赤いルージュ。
それを見ていると胸がすくような光景が脳裏に閃く。
気分が上向くのと同時に自分の口角も上がるのが分かった。
「………あ………」
自称ブレイクして間もない若手女優は、間抜けな顔をレギナンドに晒す。腐っても演者なのか、すぐさまその場しのぎの顔を取り繕い、パパラッチのカメラへと片目をつぶって見せるとレギナンドへ腕を絡めたまま、重心の偏った歩き方で階段を上る。その度に豊満な体が当たるのが、不思議なほどに疎ましくてならない。つい先ほど――視界をよぎったのが、現実なのか幻なのかもわからない。きっと幻だ。下された診断を思い返すが………。今は、陰惨な想像を腕に絡みつく女優を題材に頭の痛みを興奮で誤魔化しながら、光に満ちた会場へと向かった。




