83 レンタル
バスのエンジンはけたたましい音を立てて、土煙を巻き起こす中。セージブラシュ州の最大都市シンシティは、ケッペンの気候区分でいうところの砂漠気候BWhだ。夏は40度を記録するが、冬場の冷え込みは氷点下の寒さだ。ジャカランダでは用無しだったコートを着込む。ようやく地面に足を着けることができる。このバスの道のりときたら、命の危機を感じる連続だった……。
「おっと……ルヴ、大丈夫?」
よろけたところをネムに支えられた。
腰に腕を回されて、くるっと一回転。
気づいたらバス停から少し離れたところでバスの出入り口を眺めるところにいた。
「次の機会はあるのかしら?」
「…………今の気分だけで言うと、ナシかな、うぷっ」
運転が荒い、というよりは、道の状態が悪いというべきだ。
「明日はお楽しみのフィールドワークよ。元気を出して。今日はここで寝るだけだから」
そういいつつも、バスの停留所から離れられない。
他の乗客と同じく、バゲージタグを持って、荷物が降ろされるのを待たなくてはならないからだ。
「……なあ、ネム。あっちに泊まるん?」
バス停の真向かいには、夕焼けを受けて毒々しく赤く照らされるホテル群がまるで壁のように佇んでいるのがみえた。ラスボス感がある。ネムは頷く。
「シンシティでも三本指に入る有名どころを予約しているわ。……ユールログのフェスティバル昨日で終わってしまっているから、静かなのでしょうね」
花火が消えてしまった後の閑散とした空気があるのはそのせいか。
危うい音を立てて路上に積み重なるスーツケースの山。
そこへ我先にと詰めかけるので、下ろす係の男性が怒鳴った。
「……投げられてるなあ」
「新調したばかりなのに……」
おニューのスーツケースが瑕物になってしまうのは諦めた。
ネムに手を取られて、時間を確認される。
「教授との待ち合わせがいよいよ明日なわけだから、用意が必要だよな」
ネムはまたまた頷いた。このバス停で荷物を受け取った後は、明日の移動手段である車を即日レンタルするという。その車に乗って、数日分の食料などを調達する。野外活動に必要なもののリストは既にフィールドワークのアポイントの時にメールで送られて来ていた。問題は、今日の残りの時間でこれらを用意する必要があることだ。そして今は既に、夕暮れ時。
「今日泊まるホテルでは駐車場も予約してあるからそのまま乗り入れることができるわ」
「素晴らしっ 無駄のないスケジューリングありがとう」
そこで待っててと言われ、電灯の柱に凭れかかったままネムの後姿を見守る。
人波を避けつつ、スーツケースを二人分持って来てくれた。
「これでスーツケースが開かなくなったりしたらどうする?」
「破壊して新しいものを買うしかないんじゃないかしら? まだ先は長いもの」
乗り物酔いでグロッキーなルヴィに代わり、タクシーも呼んでくれる。目印となる場所はここからほど近い、駅のロータリーを指定。肩を借りつつ他の人々に交じって移動する。ロータリーで待っていると、地下で入り口から荷物を抱えた大量の旅行客がぞろぞろと這い上がって来た。近くに国際空港から直通の地下鉄があるらしい。それにしても……。
「男、ばっか……」
8割は確実に男だ。むさくるしいことこの上ない。
しかし、世はユールログの真っ最中。
仕事があるとも思えない。一体何の集団だ……?
ネムはあっさりと答えた。
「ご用向きはカジノ、といったところではない?」
さすがは背徳の都市……。
「オレたち超健全じゃん。みんな自然豊かな観光じゃないのね~」
口笛鳴らして、スーツケースに凭れつつ、不健全な輩を流し見る。
自分がカジノに行こうと言ったことは棚に上げる。
やって来たタクシーは10分14ドルだった。
アクイレギアの都市部はだいたいが渋滞している。
辿り着いたカーレンタルショップでは、おすすめされたスポーツ用多目的車をレンタルすることにした。砂地や急勾配にも対応できるものだという。その中でも今回は、舗装されていないオフロードや悪路での走破に特化しているクロスカントリーSUVに。ついで、最も高額で補償範囲の広い保険の付いたプランで契約。期間は余裕をもって2週間。夏季と年末年始は繁忙期であるのでハイシーズン価格となり、割増……。通常の1.5から2倍ほどの料金になっているらしい。ショップ内は来店予約をした客以外は受付終了となっていた。
「……兄貴、一番性能のいい車と一番高い保険に入っておいたからな」
レンタル車に乗り込み、ぐっと拳を握り込む。
空は暮れて真っ暗だが、街並みはネオンでぎらついていた。
アクイレギアで初の運転である。
ナビはネムに任せる。
「お次は食料だな」
「いいマーケットがあるわ。経路でいうと……」
携帯のマップツールを開いていたネムが変な顔をする。
カーナビに連携して、マップを見せてくれた。
マーケットの前の道で一部大渋滞している。
「うわ真っ赤だな。別ルートは……ないのか」
事故でもあったのか。
かといって、迂回できるような脇道もない。
「このまま進むしかねえな」
「駐車できる路上があるから、そこに留めましょう」
車で進んでいると、交通規制されていた。距離はあるがハンドルを切って、路上の有料駐車場に停めて、徒歩で向かうことにした。交通規制の原因はすぐみ見当たった。
「何か、イベントやってるみたいだな。レッドカーペットが敷かれてるぞ?」
コンベンションセンターとあった。白亜の神殿のような入り口へは階段があり、近未来的な構造の建物がくっついた感じだ。道路から階段までは赤い絨毯が敷かれているのが、取材陣の人垣の合間から見えた。
「映画俳優でも来ているのかしら?」
あれだけのカメラマンが囲っているので有名人が来ているのだろう。よほどの大物なのか、高級車が列を成して横付けにされていた。これが渋滞と交通規制の原因だ。
「こういういかにもなシンシティのイベントは完全スルーだぜ?」
「向いていないのかもしれないわね、わたしたち」
肩を震わせて笑っていると、背後のカメラを構える人垣から一斉に、滝のようなフラッシュが焚かれた。
「び……っくりしたー」
誰か、有名人でも出てきたのかもしれない。
踊り出す心臓を押さえて振り返ろうとすると、傍らのネムが震えていた。
「ルヴ……まるで人間に見つかったネズミみたいに飛び跳ねたわ」
ネムがこらえきれなくなったように笑い出す。
仮にも年上として妙なところを見られた。恥ずかし……。
「うう、笑うなよー」
片手で顔を隠して、ネムに絡んだ。ネムは笑ったまま、体重を乗せるルヴィを引きずって歩くので、諦めて自分の足で歩く。自分で運転すると乗り物酔いが治るのは何でだろう……。必要な日用品と食料を揃え、両手いっぱいに抱えた荷物を、広い荷台に詰め込んだ。スーツケース二個分が鎮座していてもまだ広いスペースに、感心しきり。店員はこの大容量の荷台と車内泊にも耐えうる品質のシートをお勧めしていて、言うだけのことはある。
「クラクションの音うるせー……」
歩行者天国のように道路にはみ出て通行する人々に苛立つ他のドライバーたち。騒音は喧しく、夜の街に響き渡った。
「………安全運転ね」
「ヒーカンの世話にならないように努力しますよっと」
不安そうなネムに軽口を叩くが、運転は慎重に。駐車料金を払って、路上の端から出ていき、ホテルに向かった。エントランスには見上げるほどのモミの木に飾り付けがされていた。チェックインした後の大理石のエレベーターに乗って部屋に入ると、歓迎のロールケーキがテーブルに乗っていた。
「金箔がこんもりだな」
大薪をイメージしたクリームの木目にはココアパウダーで色付けされ、その上に金箔がふりかけられていた。夕食前だが、予定を詰め詰めにしていたため、さすがに疲れて、早速いただくことにした。ロールケーキの断面はチョコレートとクリームの層が渦になっており、年輪のようだ。
「……リグナムバイタのアパートでは、マザーマリエがユールログを用意して、パーティーを開いているの。それを思い出したわ」
小皿から切り分けた一切れを頬張っていると、しんみりとした声でネムが呟く。飲み込んでから笑い混じりに顔を覗き込んだ。
「里心ついちゃったんだ?」
「………ちょっとだけ」
******
体の不調は時間のように、気づかないうちに出てきて、ある時を境に気づく。一旦気づいてしまうと、それは常に付きまとう違和感で、いつの間にかその不調が通常になっていく。例えば、手すりにつかまって二階に上がるのも苦労する。特に冬場は。
階段を上がって突き当りの扉の前に立つ。
息を整えてから、そっとノックしてみる。
「起きているかしら?」
返事はない。
努めて、何でもないような口調を心掛ける。
「………昨日のパーティーに来なかったでしょう?」
毎年、ユールログには、レジデンスの一階の広間に滞在している学生たちを招待し、暖炉に大薪を用意して冬至を過ごすパーティーを開いていた。レジデンスを空ける際にはその予定を教えてもらうので、誰が部屋に残っているのかは把握している。参加可否の返答がなかったのは、一人だけ――204号室の住人エミ・チョウノ。
「ケーキを持って来たの」
目を閉じて、耳を懸命に澄ました。すると何か引きずる音がした。辛抱強く反応を待っていると、足音が近づいて来て、扉を隔ててすぐのところで立ち止まった。
今年のユールログのパーティーを1階で開いたが、いつも雰囲気を明るくしてくれる彼女は、姿を現さなかった。いや、それよりも前から様子がおかしかった。思い悩んでいるようではあったけれども、なんでもない、と笑っていた。
「エミ………」
このレジデンスにいる子たちを自分の子どもとして。
けれど同時に、自立したひとりの大人として、立ち入らないようにしていた。
「何か、問題を抱えているのなら、話してほしいわ」
長い間、レジデンスの管理人として多くの学生たちの世話をしてきた。
その中でも、問題のない子より手のかかる子ばかり鮮明に覚えているのはなぜだろう。
答えが知りたくて、扉に手を添えた。
不思議なことに、同じように扉越しに手を添えてくれているような温かさを感じた。
しばらくして、恐れるようにゆっくりと扉が開いた。




