76 プラットホーム
「荒れてるなあ。まるで夜じゃん」
クラシックと乗客の話し声が混在している食堂車の窓の外は、雷光がちらつく荒れ模様。防音設備のおかげで雷音は聞こえない。
大陸横断鉄道ニュームーン号で迎えた翌朝は、清々しさとは程遠く――
「おかげでうちのネムはお眠だし。この子は日光を30分以上浴びないと完全には目が覚めないんだぞー」
コクリコクリと舟をこぐネムは覚束ない手つきでパンケーキを頬張る。
その拍子にクリームを鼻にくっつけた。
「しょうがないな……」
皿の上のナプキンをたたみなおして拭ってやる。
「なあ、ネムさん。朝からそんな甘いものだらけって平気なん?」
「……疲れた脳に染みてていい感じよ」
「そういうもん……?」
ネムの手はさらに蜂蜜を追加しようとしている。
女の子は蜂蜜と砂糖で出来ている……んだったか。
「男の子は、男の子の食べ物を食べますか」
朝食はオムレツだ。ベーコンとフライドポテトがついている。
口に入れるが……何も味がしなかった。
「あ、ケチャップか」
皿に添えられたソースをつけると、料理の味がした。
「経費削減か? 生クリームとジャムと蜂蜜がセットになっているネムの朝食とどっこいのお手軽さだな……そう思わねえ?」
こっそりネムに話しかけたが、間が悪かった。
「見どころがあるな、坊主!」
突然の大声に、ネムの肩が跳ねる。
声の主は奥のテーブル席で食事をしていた男性だ。
顔の半分を覆う髭で、年齢がよく分からず、見ようによっては、30代にも60代にも見える。髭から出ている肌は、赤っぽく、まるで酔っぱらいにも見える。
「この鉄道を運営するアクイラ社はもともと軍の物流を担っていてよお。軍に卸す日用品や食料なども取り扱っていて、軍じゃ味は頓着しねえ。料理も一流のシェフが作ったもんだが、朝食だけは陸軍に卸している冷凍食品の余りを提供してんだ。陸軍との蜜月関係を保ってきたおかげで生き残って来た企業方針の、副産物ってやつだな。客にこのレベルをよぉく出せたもんだよ」
言い終えるなり、自分の言葉が面白かったのかくつくつと笑い出す。
近くのテーブルへ料理を運ぶ乗務員が嫌な顔をしていた。
「そうですか……」
すごい扱き下ろすじゃん、と内心で思っていると、ネムがぼそりと零す。
「ならなんで乗っているのだか……」
(ネムさんんん………!)
少し離れたルヴィの小声も聞き取るような聴覚の良さだ。
真後ろの潜め声が聞こえない筈もなく――
案の定、がははと豪快に笑う男はネムの呟きにも返答した。
「軍人の見栄でこの列車の内装は見事だろ? 一等級ってもんよ。リグナムバイダの超高級コンドミニアムであるコンフューサビルを設計したのと同じ建築家アルバート・デニ・ダラスが監修してるんだ。あの傲慢なダラスはセレブ向けの建築しか受け付けない。ほとんどが会員制だから住人の誰かに許可されていなければ入ることもできないだろ? ここは違うってのも見どころだ」
ネムは顔半分を手で隠し小さくなった。
ルヴィもぎこちなく「はあ……」と曖昧に反応するしかなかった。
助け舟を出したのは、一緒にいる男性だった。
「ブラザー、少年が困惑してるぞ。俺たちは鉄道ファンなんだ。蘊蓄が飛びてるのはご愛敬、大目に見てくれ。クルーの皆さん、俺たちはあなたがたを尊敬しています」
同席している男性は、一番近くの若い給仕にチップを持たせる。
しかし、給仕の女性乗務員は苦い顔だ。
「………お客様、持ち込みのアルコールはご遠慮願います」
すると別の男性の乗務員がやって来て、耳打ちをする。
たちまち顔色を変えて、女性の乗務員が頷いた。
「ごゆっくり……」
「どうもお疲れさん」
レイルファンと自称した男性は、髭面の年齢不詳の男性とは違い、すっきりとした顔をしていたが、日も差さない列車内の中でサングラスをしていた。手を軽く振って、伴って去っていく給仕を見送った。
「あいつら何て?」
「『リストナンバー34』だそうだぞ。有名人になったもんだ」
「ブラックリストだったりしてな」
がはは、とまた奥のテーブルが湧いた。
(いや、そうだろ)
とんでもねえな、と思い、首をひっこめた。
ネムは額を押さえている。
「どうした?」
『…………うるさくて頭が痛いの』
内容よりも、ネムの機転に感心した。
地獄耳に気づいて、ネムが母国語に切り替えたのだ。
頭良すぎか、とそれに倣う。
『輪をかけて騒がしいもんな』
奥のテーブルでルヴィたちのことについて話しているのが聞こえたが、肩をすくめて流す。無視が一番楽だ。母国語を話しても、どこの国出身かまでは判別されない。この国でのイクシオリリオンという国の存在感の無さがうかがえる。
(外交力ないもんなあ)
——ノイズ音が走る。
クラシックが途切れ、車内アナウンスが流れる。
予定時刻より遅れを見込んでいるとのこと。
『遅延が通常とは聞いてたけどな。雨のせいか?』
『………どうかしら』
ネムが言うには、昨晩遅くに停電が起こったらしく、しばらくの間停車し、乗務員が点検するような行き来があったとか。
アナウンスがあった通り、終点であるウェンディシティのユニオン駅に降り立ったのは、予定されていた到着時刻より大幅な遅延——約一時間半ほどの遅れがあった。
完全に停止した列車の窓からは既に物々しい佇まいの鉄道の職員たちが待ち構えていた。列車の扉は一斉には開かず、まず一般車両から開くようだった。出ていくのが見えてしばらくしてから、寝台車量の扉も開いた。
時間に間に合わないと思い、早めにコンパートメントを出て、寝台車の出入り口に最前列で並んでいたルヴィは、地下のホームに降りてぎょっとした。
「止まれ」
扉の直ぐ両脇に職員がそれぞれ左右に二人と一人、合わせて三人がついていた。列車の乗務員とは異なり、にこりともしない無表情だった。硬質な声で静止を命じたのは、左側の手前の職員だ。
「名前は?」
「あ……ルヴィアス・キングサリです」
左側の手前にいる職員に聞かれ、答えると、奥のタブレットを持った一人が何かをチェックして片手をあげ、右側の職員がルヴィの顔をじっくりと見て頷いた。
「行け」
「…………どうも」
空港の入国審査の方が余程愛想がいい。
「出ろ、名前は?」
すぐ後ろのネムも同じように聞かれた。
質疑応答ののちに解放されると、ネムは水色のスーツケースを引きながら小走りにルヴィの隣に並んだ。足取りからほっとしているのが伺える。視線を感じてちらっと奥を見ると、職員のひとりがネムの方を二度見しているところだった。
あまりの美少女っぷりに思わず振り返った――とそんな感じだ。
すぐに顔を戻すが、さもありなん。
首を傾げたネムを促し、先に降りて進んでいる一般車両の乗客の波を追いかけた。速足はそのままに、腕時計を確認し、ネムに情けない顔で尋ねる。
「時間って、間に合いそうか?」
「ええ、なんとか。乗り継ぎのほうも遅れているようだから。そちらはまだ到着していないらしいの………どちらも遅延していなければ、時間的に厳しかったかもしれないわね」
言いながら、ぞっとしたように腕をさすっていた。
「遅れたとして、チケットを取り直せばいい。ハプニングが人生を豊かに面白くするってな」
「……そうね」
同意しかねる顔で頷かれる。
行き当たりばったりのルヴィとは違い、ネムは綿密に計画を練る派だ。
「おいおい、これは一体何だ!? ここは監獄か何かか?」
二両ある寝台車のうち、ルヴィたちとは別の寝台車から降りた乗客が大声で騒ぐ声がした。聞き覚えがあり、振り返ると、それは朝食のレイルファンだった。
「何の権限があってこんな詰問をするんだ? 俺たちは金を払った客だぞ?」
こういうものと思って受け入れていたが、どうやらそうではないのか。
「………あの人ら、もう一つの寝台車に乗ってたんだな」
「一緒でなくてよかったわ」
正直な言葉に、ルヴィも同感だが、聞こえるかもしれない。
口の前に指を立てて、出口を目で促す。
しばらく無言で進んで、十分離れたところで、ネムに話しかけた。
「………あの人らの言うことも一理あるのかもな」
黙ってネムも頷いた。
周囲は至る所で小さな言い合いが起こっている。
「いつもとは違うのかもしれないわね。事件でも起こっているのかしら?」
「ローレルさんの言ってたこと、気になってくるな。一般だったから、もう先に降りちゃったんかな?」
もう一度会って、お菓子のお礼もしたいところだが、ネムは首を横に振った。
「ここで降りたとは限らないわ。この終点の前にもいくつかの停車駅があったから。……大抵は、このウェンディシティで降りるのでしょうけれど」
「次、さっさと降りろ!」
首を竦める。
どこかで乗客を叱りつけるような声が響き渡った。
「……すげえな」
列車内のサービスを提供してくれていた乗務員たちとは違い、プラットホームの職員たちはかなり高圧的で、先ほどのレイルファンの反応程ではないが、他の乗客たちの反感も買っているようだった。抗議している人もそこかしこにいたが、有無を言わせない空気があった。
「他の停車駅ではこんな感じではなかった気がするけれど、一番人の乗り降りが多いせいかしら。こんなに徹底しているのね」
「無賃乗車でも懸念してんのかな?」
文句を言っていた乗客は職員と幾つか言葉を交わすとそれ以上騒ぐようなことはなく、乗客たちは看守に睨まれた囚人のように首を竦めて駅のホームの出口へと向かう。ルヴィは囚人だと思ったが、ネムはまた違った感想を思ったようで――
「軍隊に入ったみたい」
ネムがぼやくように小声で愚痴ると、運悪くちょうど、ぴんと背筋を伸ばした職員が柱の陰に直立した前を通るところで、目深にかぶった帽子の下から見下ろすようにじろりと睨まれてしまう。声を詰まらせたネムの肩を抱えて反対側に引き寄せ、ルヴィが代わって笑い、誤魔化した。
「……口は禍の元ね」
耳ざとい人に絡まれたり、間が悪く愚痴を聞かれたり、今朝から散々だといった顔だ。もごもごと口許を触るので、口数が減ってしまったら不憫だと思い、努めて明るく励ました。
「そんな時もあるって気にしない気にしない」
「……眠気も吹き飛んだわ」
ネムが肩を落とす。
「不幸中の幸いだな。あ、ほら、ここが例のユニオン駅だぜ」
薄暗いホームを出ると、神殿のような白い大理石の柱が並んだ地下駅の待合が広がっていた。かつてこの駅は、大昔に、マフィアとの抗争でクライマックスを迎えたシーンを撮影した舞台になっていた。その当時と変わらない白い床に、黒いベンチが列になって並んでいるが、今そこにはほとんど空きがなかった。
人々は濡れた大きな荷物を抱え、疲れたように座り込んで項垂れているか、怒ったような声で電話先にまくし立てている。まるで災害直後の避難所のようだった。




