74 マーセナリー
「えー? 僕、この女の子と一緒に食べたい!」
ツンツンした金髪頭が駄々をこね、ジョーと呼ばれる男性に睨まれても一歩も引かない。纏まりそうにない流れに、乗務員が苦笑いがやや不快気に歪む。
「……………えー……」
これも何かの縁かもしれない。アクイレギア風に言うと――
「………ここで会ったのも運命かもしれません。食事、ご一緒しませんか?」
******
カーテンを閉め切った窓へ、風が吹きつける音がした。
まるで、嵐のよう。
どこにスイッチがあるのかは分からないが、空調設備が作動している。たいして寒くもない部屋の、ベッドで上で毛布にくるまりながら爪を噛む。今朝がた、話しかけるタイミングを逃したことが悔やまれて仕方ない。かといって、玄関扉の入り口で聞き耳を立てて、人が通るのを待つのはもう疲れた。
一回の失敗で、気持ちがくじけてしまった。
誰が追って来るわけでもないのに、部屋に籠って震えているのに何時間たったのだろう。
「……落ち着こ……」
一つずつ整理しよう。
時刻は、16時18分。
日付は、西暦2086年12月19日。
「……………ありえない。こんなの」
すぐに目の前の事象を否定しそうになり、慌てて首を振る。
落ち着いて。
ゆっくり深呼吸 だ。
吸って、吐く。
そして降って湧いた言葉を口の中で繰り返し、頷く。
「言葉は……」
わかる。
意思疎通は可能だろう。
視線を足元に走らせる。
物が散乱した床だが、必要そうなものだけを近くに並べておいた。
現金もクレジットもある。
冷蔵庫の中に食べ物もあった。
部屋は広く、生活に必要な設備は揃っている。
だからしばらくはきっと――
******
不機嫌一歩手前と言った表情の乗務員は、砂色の髪を後ろに撫でつけたジョーから何かを持たされるとすぐに表情を一変させて手際よく五人席を整えると、ルヴィたちの前にワゴンの料理を乗せ、三人組からはオーダーを聞き取って機嫌よくからのワゴンを押して去って行った。
「物珍しいか?」
思わずその背中をじっと見てしまうと、ジョーから笑われた。
慌てて顔を逸らし、笑って誤魔化した。
「や、チップ文化っていうのがまだ馴染んてないっていうか」
「即物的に感じるんです」
言葉を探していると、ネムが両手を何度か組み直しながら呟く。
ネムの向かいに座るバルドが噴き出した。
「小難しいこと考えるね? 頭のいい子ちゃんなんだ?」
揶揄しているのかと思いきや、ジンジャエールのストローを弄りながら、意外にもしっかりとした自説を述べた。
「チップは目に見えるだろ? 目に見えない感謝や詫びを形にすると、僕ら的にはお金になんの」
「……そう」
目をそらすネムの意識を集める意図かパチン、と指を鳴らした。
するとその手にはどこからか現れた赤い花が差し出されていた。
「――え?」
目をぱちくりさせるネムへとウインクをし、気障に首まで傾げて見せた。
「僕はバルド。休暇中のお気楽なマーセナリーだよ。バルって呼んで」
出した赤い花をネムへと捧げる。
聞いたことのない単語だった。
手品師ならマジシャンだろうが。
「器用なんだな。……もらってやれば、ネム」
「ええ………」
受け取ったネムの手を握るところでルヴィは手を叩こうとして、ジョーが先にバルドの手首を締め上げた。ルヴィがするよりも痛そうだったので良しとする。
「いたたたた! ちょ、余興を披露しただけっすよ」
「余計なことばかりする手のようだからな。何が休暇中だ、馬鹿が」
どうやら、本当は休暇ではないらしい。
横目で視線を見交わすと、ネムはそろっと赤い花をテーブルの間に置いて放した。
向かいの席でひと悶着ありつつも、自己紹介がまだだったことは確かなので、名乗りあうことにした。………この数分の間に既に相手の名前は分かっていたけれども。
「……ネムです。大学院生です」
ツンツン頭の熱い青い視線に耐えられなくなったのか目をそらしながら幼馴染が短く名乗った。
「へえ、ホントに頭いいんだ! どこの州から来たの? 東海岸方面だよね?」
このニュームーン号は、大国アクイレギアの、不思議なほどに印象の薄い首都アックスから大都市を経由してウェンディシティ間を行き来する。今回は下り路線の為、どこ方面から来たのかはこの通り喋らなくてもばれてしまう。誤魔化すなら、旅行の帰りだということだが、ネムが学生だと話してしまったので、冬季休みに入ったばかりのこの時期に旅行帰りというのは見え見えの嘘になってしまう。
「……リグナムバイタ」
ネムの渋々答える声に、大げさなほどに反応する。
「大都会っ 地元じゃマルーン大学院くらいしか知らないんだけど、もしかしたら僕も知ってるカレッジだったりする?」
ネムは水を飲みつつ、慎重に言葉を選んだ。
「………そうかもしれません」
破顔したバルドは青い双眸を向けて来る。
肩をゆらゆら揺らし、口許はわかり易く弧を描いていた。
「そんな警戒しないでよ、よしよし、クイズだね? じゃ僕が当てるよお? 反応からして超有名どころっしょ? 二人は物理学って感じじゃなさそうだしでも……エリフエール大学? ……あ、違う? じゃあ、カーマイン大学? ……お、正解でしょ? でしょ?」
「え、ええと」
「当たったね! いやー、見れば見るほど頭がよさそうだね! 成績もいいんでしょ?」
「せ、成績? うっ……それは、まだ……」
うっ頭が、みたいなフレーズだな。
そういえば、成績は明日正午以降にメールで通知されるはず――呑気にちゅーちゅーとストローでオレンジジュースを吸っていると、ネムの顔が可哀想なくらいにみるみる暗くなるのが目に映った。
そしてルヴィの方を見もせずに、ぐい、と袖を掴んで引っ張る。仕方なく肩をすくめ、三人の相手を順繰りに見た。と言っても目が合うのは、飲み物にも手をつけずに腕組みして傍観しているジョーの糸目だけで、金髪のバルドは頬杖をついてにんまりとネムを見つめ、大男のローレルは古めかしい紙のメニュー表に釘付けだった。実に気乗りしない。
「えー、クイズという名の質問攻めが始まってるとこ悪いけど、自己紹介、オレな。名前はルヴィアス。ルヴィって呼んで……くれてもくれなくてもいいぜ。こっちは本当に休暇中のお気楽な学生な」
自己紹介とは名ばかりだが、流れを戻しつつ皮肉も加える。
喰らえ――といっても最終的な一撃はネムが加えた。
「一緒に住んでいるの」
明らかに求められていない自己紹介は投げやりになったが、ネムが間髪入れずに付け足した情報の威力は事実以上のものがありそうだった。
「い、一緒に住んでる……?」
バルドはガーン、と背景に音が出そうな顔だ。
どう考えても、ルームメイトとは違う関係性を想像していそうだ。
喉の奥で笑う声がその隣、ルヴィの真向かいから聞こえた。
「今日一愉快な出来事かもしれないな。この馬鹿は自分と同じくらいの年頃の美人とみると口説くのに余念がない。初対面で悪いが、諦めてくれ、不治の病というやつだな」
「……そうですか。お気の毒に」
ネムがつんとして言うと、糸目をさらに細めて可笑しそうにした。
まだ衝撃から回復していないさまを横目で見て、改めて名乗った。
「ジョージだ。聞いての通り、ジョーと呼ばれてる。こっちのデカいやつがローレル。こいつらとは何度か任務を共に遂行することがあった同業者で……所謂、腐れ縁というやつだ」
腐れ縁、とわざわざ口にするほど、三人の取り合わせが物珍しく見えることを自覚しているようだ。しかし、それにつっこむのは野暮というものだろう。深入りする場面でもない。代わりに別の疑問を口にする。
「バルドはさいしょ、休暇中って言ってたけど………」
「ほとんど休暇」
ジョーは開きかけた口を手で押さえた。
たぶん、抑え込んだのは、ため息か小言だろう。
ルヴィたちの仲を邪推しただろうバルドは、逆立った短いブロンドヘアが少々萎れたように見えるほどへこんだ様子だったが、すぐに別の風が吹いたのか、軽薄さを取り戻した。その口からは相変わらずとりとめのない話が零れたが、これがなかなか含蓄に富んでおり、どこまで本当か分からない武勇伝はそこかしこに現実感があって面白かった。途中で三人の食事も運ばれ、列車が走行し始めた。また何度か停車したが、その度に通過する軍用の無骨な装甲をまとった貨物車も気にならないほど盛り上がった。
ほとんど喋っているのはバルドだけだったが、気にならないほどだった。アクイレギア人に自分の話をさせると止まらないし、きっと彼ら以上に面白おかしく話す人種はいないのではないかとすら思う。感心しながら聞き入っていると、とうとう給仕がデザートを運んでくる段階になった。
ところがほとんどの席の前に皿が並んだところで、最後の一皿、バターケーキを床に落としてしまう。どん、という衝撃と共に通路を通ろうとしていた乗客の巨体が給仕していた乗務員の体にぶつかったのだ。五人席を無理やり作ったことも原因だろう。乗客は他の連れ合いと列車の話をしていて起きた惨状にはちらりと目を向けただけで去って行った。
「――あ――――」
蒼褪める給仕、それまで静かに食事していた大男の呆然とした声が響き――ルヴィとネムはほとんど同時に自分の皿をローレルの前に差し出した。
「はいこれ」
「どうぞ。わたしはもうお腹が空いていないので」
ほとんど反射的な早さだった。
我に返ると、ローレルもだが、バルドとジョーも目をぱちくりさせていたのが気まずかった。
「はい、フォークも」
ルヴィはずい、と押し出して手を放した。
ネムも赤くなった頬を手で扇いでいた。
ローレルは自分の前に置かれたチョコレートケーキとレモンケーキをじっと見下ろしていた。
そんなハプニングがあったが、止まった時間が動き出したように腹筋を引きつらせて笑い転げたバルドが、自分語りを再開させ、一通り聞き終えるとまるで娯楽映画を一本見終えたような充足感があった。
「お、やっとっすね」
会話で意識の外にあったが、すれ違いに時間がかかっていた軍用車両が完全に通り過ぎたようで、停車していたニュームーン号が再び動き出したのだ。ルヴィはいつ止まったのかも覚えていないくらい、話に夢中になっていたので、驚いた。
「――さて、我々は食事を終えたので先に失礼する」
「っすね」
「え、もう? さっきデザートが来たばかり……あれ?」
三人の皿を見ると空だった。
無言で食べ続けていたローレルや時折口を出す程度だったジョーはともかく、ずっと喋り通していたバルドの皿もで、ルヴィは目を白黒させる。
「僕ら、食料補給は早いんだ。職業柄?」
バルドたちの武勇伝を聞くうちに、最初の単語の意味が分かるようになった。
笑うバルドは左手でサムズアップしながら続けた。
「これからはすれ違うとしても数分だよ。さっきのが一番長い停車区間だったから。外の風景も両側眺め放題。そして――僕らの仕事の80%は完了ってとこ」
ルヴィは目を瞬いた。
よくは分からないが――
「今、なんか今初めてバルドが傭兵なんだと思った」
「ここでー?」
けらけらと笑って席を立つ。
ジョーが代表してチップを白いテーブルの端に置いていく。
「では冬期休暇を、ボーイアンドガール」
「じゃね、ルヴィアス。君の考古学の話は面白かったよ。ネム、君みたいな美しい女性と食事が出来て、僕の今年一番の幸運を更新したよ! この出会いもきっと運命、ぜひ僕と連絡先を交換、」
ジョーの腕に首を拘束され、妨害されている。
その時に気づいたが、ジョーの腕は白い棍棒のように鍛えられていた。
遅れて立ち上がったローレルが、ふいに口を開いた。
「明日、この列車を降りるんだな?」
「はい、まあ。終点なので。な、ネム」
ネムは頷いた。
すると、帰りのことを訊かれた。
「飛行機のつもりです」
「こんな楽しい出会いがあるなら、帰りも列車にしてもいいかもですけどね」
相手がバルドではなかったからだろう。
ネムがまともに返事をした。
ルヴィも社交辞令も込みで答えると、ローレルが低く唸った。
「空路で帰れ。ウェンディシティには寄るな」
「え?」
「——ローレル」
ジョーが低い声で呼んだ。
それまでジョーの言うことは聞いていたローレルが違う様子を見せた。
険悪な雰囲気になり、やや困惑する。
ただ、心配して言ってくれているのだろう。
その理由として思い当たるのは――
「…………やっぱり治安が悪いんですか?」
大事件をきっかけにアクイレギアは長く内戦状態になったが、個々の争いを俯瞰してみると、やはり西側と東側という構図は欠くことができない観点だ。そして西部と東部の中間というのは焦土も多く、放射能の汚染もまだ浄化されていない荒野が広がっている。
40年前の大事件を境に、一新された鉄道の車両は、当時の軍の最新の技術を用いて放射線の影響を受けないように設計されている。アクイレギアの東西の移動は飛行機が主流となり替わって久しいが、大陸中央の南北の移動は地中を潜る、鉄道がいまだに重用されている。……もっとも大陸中部というのは実際にはかつて戦場になった荒野で、軍の施設が地中に埋まっている実しやかに噂されている。
その噂に拍車をかけているのが、ウェンディシティにあるマルーン大学院だろう。
昔から、兵器に用いられた中性子研究や枯葉剤の発明、放射性年代測定法の開発などを行っている。さらにはマルーン大学院の最大の出資者が軍需産業に関わる世界でも有数の資産家と来ている。
「ニュースには特に何もなかったけど、また暴動でもあったり?」
「——ローレル。二度はないぞ」
ルヴィが尋ねたが、何故かジョーが口を出す。
「……いいや、知らない」
それっきりローレルは黙ってしまう。
困惑しているのはネムも同じようで、顔を見合わせていると、咎めるように大男の名を呼んだジョーがしばらくローレルを睨んだが、仕方なさそうに代わって言った。
「温室育ちのイクシオリリオンと比べたら、外を出歩けないって神経病んで帰国したイクシオリリオン人もいる。実際、強盗や殺人なんて茶飯事だからな、被害者になる前に安全な故郷に帰れて幸せだろうよ」
温室育ち仲間であるネムと目を見合わせ、互いに恐怖に強張った顔を認める。
「……もー、ローレルが余計なことすっからー! ほら、ルヴィアス、ネムー、大丈夫だよー、君らの旅で怖いことは起きないからさ。僕が保証する」
「保証……?」
ルヴィが怪しんだ目を向けると、バルドが胸の丸十字のペンダントを唇に当てた。
「神様が君らを見ててくれるようにって今祈っといた」
パチンとウインクする。
「そりゃ、どうも」
「どういたしまして。男に礼を言われてもって感じだけど。でも、シンシティのユールログなんてやばい連中が騒いでたりするから間違っても地下都市の探索なんてのは辞めろな?」
ポケットに手を突っ込んだ、現役の傭兵であるバルドは飄々と笑った。
ルヴィたちの旅路の忠告をもらい、ルヴィとネムは神妙な顔で頷くしかなかった。
「そちらも、その、幸運を」
「えーと……仕事での無事の成功を祈っときます……」
どの神に祈ろうかとルヴィは迷った。
口にしたときは、彼らの信仰する神に向かって祈ったつもりで。
不穏な空気を残して食堂車から去って行った三人組を見送り、ルヴィたちはすぐに乗り継ぎ地点の治安情報を確認し直した。
「ウェンディシティといえば、ピザが有名なんだよな……本場でと思ってたけど」
ルヴィが入院していた時に、FBIのヒーカンが持ってきてくれた手土産にもあったものだ。
「駅前のピザ屋さん、数日前に強盗が入ったらしいわ」
「辞めとくか」
どっとつかれた気分で、コンパートメントに戻って休むことにした。
彼らは一般車両の乗客のようで、ルヴィたちは彼らとは反対側の出入り口から食堂車を出た。
個室のシャワーを浴びて早々に寝台を整えてもらい、寝支度をしていると、アテンダントが盆に白い箱を乗せてやって来た。
「晩餐のお礼を、代表してとのことです」
カードには、良い旅路をとメッセージとジョージの名前があった。
礼を言って受け取ると、毛布に潜って隠れていたネムが顔を出す。
「行った?」
「うん、けどその格好、見られてもいいと思うけど」
「メイクを落としてしまったもの。今のわたしは余所行きじゃないの」
そういってしれっと毛布を肩から落として近くまでやって来ると、箱を開いて一緒に覗き込んだ。
「これ、オウクのお菓子ね。シュトーレンね。冬至祭前に少しずつ切り分けて食べるそうよ」
冬至祭というと、アクイレギアと言わず、西洋で広く信じられているマシアハ教でもっとも重要とされる祝祭で、暖炉に大きな薪をかけて一晩燃やし続けるという行事だった気がする。復活を祝うものだったか、誕生を祝うものだったか、ルヴィはそういった方面は寡聞にして詳しくない。そもそも本国ではそういった謂れなどは伝わっておらず、ただケーキやご馳走を食べたり、贈り物を送ったりという形骸化したものになっている。そのため、ネムの豆知識にも肩をすくめるしかなかった。ちなみに、バルドが祈ったのは十中八九マシアハ教の神だと考えられる。
「へえー。アクイレギアのデザートかと思った」
お菓子とカードをもう一度見る。
ルヴィの目には、見慣れない岩ような塊が興味深く映った。
そろり、と美容に気を付けている幼馴染にお伺いを立てる。
「ネムさんや、就寝前のデザートってどう思います?」
「…………………旅行中に目くじらを立てたりなんてしないわ。いいでしょう、食べる物も遊ぶ物も予想外なことだって全部無問題よ」
ルヴィはははあ、と頭を下げて早速、気になる異色のデザートを取り出した。




