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黄金が降る  作者: 毎路
73/95

72 リトライ

 頬に硬い板の感触がして目を開けると、錠剤が転がっているのが見えた。体を起こすと節々が痛んだ。顔にかかる髪が不揃いだったことよりも、髪色が赤茶色だったことに驚く。辺りを見回す。転がったスーツケースの中身が散乱し、雑に切り落とされた赤茶の髪の束がごみ箱から飛び出ている。散らかったというより狂気的なものを感じる部屋だ。ただ……いやに生活感がある。ここはどこだ。仕事を辞めて憧れの海外留学に来たはずなのに、一体どうしてしまったのだろう。


 助けを求めるように見回した先にカレンダーを見て、愕然とした。




******


 とうとうこの日がやって来た。

 渡航して初めて、この巨大都市リグナムバイタを離れるのだ。

 前回の秋休みには残念ながら不慮のトラブルにより中止になってしまったが今度こそは。


 意気込み新たに、年下の幼馴染に立ててもらった計画を聞くと、初めから一味違っていた。なんと、行きに、アクイレギア大陸横断鉄道の一等客室を予約していたのだ。通常は、飛行機でひとっ飛びなのだが、わざわざの陸路だ。これは通なのか? それとも酔狂というものなのか……?


「この、列車旅に対するネムさんの熱意はどしたんかいね……?」


 ちなみに、大陸横断鉄道とはいうが、乗り継ぎありだ。これは先月の秋休みに計画していた、欧州豪華横断列車の焼き直しと言ってかもしれない。当然、飛行機とは違って列車旅なので日数を要する。


「せっかく1か月ほどの休みがあるのだから、普段できないことを目一杯やりたいじゃない?」

「それもそうだな!」


 これもまた一興。ルヴィは親指を立てて同意する。

 既に朝日が眩いアパートの部屋は、こざっぱりと片付いていた。

 ここ最近、ネムの為に花を活けていた花瓶にも水はなくからりとしている。


「期末試験の重圧から解き放たれたオレらが遊び狂うぜ!」

「それはちょっと怖いわね。わたしは結果も……気がかりだもの」


 ネムは心配なあまり、昨日、メンターとそのガールフレンドと一緒に成績についての交渉の仕方も教わったぐらいだ。ルヴィが思うに、そんなに心配する程ではないはずだが、もともとルヴィは楽観的に過ぎ、ネムは少々悲観的だ。これは性分なので仕方ないと言えばそうかもしれないが、ルヴィはネムに対して気にするな気にするなというようにしている。


「それは忘れて遊ぼうぜ。心配してても結果は変わらないだろ?」

「………そうね。わたしもルヴを見習うわ」

「オレに見習うところがあったのかー」


 ほどほどにねと頬を膨らませたネムに、ひっひと笑う。


 ルヴィたちは、来月の中旬まで、およそ一か月の冬期休暇に入った。

 そして今回、大胆にもその休みの2分の1を旅行に費やすことにしたのだ。


 なんたる贅沢! それもこれも……急なルヴィの要望にネムが柔軟に対応してくれたおかげに他ならず、お願いしたルヴィがいうのもなんだが、全くたまげたものだった。どのくらい急かというと、今日出発に対し、昨日の夜に予定変更というか追加をお願いしたのだ。年下の幼馴染にはマジで頭が上がらない。必要な経費はいくらでも出そう、ルヴィの兄が……っと、これはいつものことか。


「こいつも先月買って、ようやく出番だもんなー」


 ピカピカの新品をごろごろと転がす。秋に買ったが季節は冬になった。やっとお披露目できる、ルヴィたちのおニューのスーツケース。ネムが新調したのは水色、ルヴィのは黄色とグレーのストライプの派手なものだ。互いに付属のリボンとストラップを交換しているので、同じスーツケースを購入した人がいたとしても見分けがつくようにしている。


「これから滞在する日数を考えると小さすぎるけれど、洗濯しながらね。ルヴ、お腹は空いていない? 今日は列車に乗るまでが大変なのだけれど」

「だいじょーぶ! 冷蔵庫の中も生ものをきちんと整理したしな!」


 簡単に朝は目玉焼きとコーンスープとオレンジジュースで済ませたルヴィたちは、昼前になってようやく旅支度を終わらせた。昨日はルヴィとネムは別々に予定があって忙しかったのだ。ネムに至ってはルヴィが無理を言って予定の調整をしてもらったために、寝不足気味だ。


「そうね。あと、忘れ物はないわね?」


 うっすらと隈が見えても可憐な美少女であるネムが確認してきた。

 それに対して元気いっぱいに返事をする。


「おうよ! 何かあっても、クレジットと現金があればなんとかなるってな」


 必要なものはだいたい現地でも売っているのでそれほど神経質になる必要もあるまい。ルヴィは胸を反らし、拳を天井に突き上げた。


「れっつ大陸横断鉄道の旅! いやー楽しみだね!」

「そうね。……駅には15時までにはつけばいいから……そろそろ行きましょうか」


 ルヴィばかりテンションがぶちあがっているけれども、ネムは淡々と携帯で時刻を確認していた。そういえば、やっと昨日壊れたペアルックの腕時計の修理を出すことができたらしい。壊れてからだいぶ時間が経っていたが、期末試験が控えていたのでなかなか行く時間を見つけられなかったのだ。


「早く直るといいな、おソロの時計」

「あら、早く直ったとしても、受け取りができないわ。この街にいないのだもの。年明けに取りに行くと伝えているから、ゆっくりでも構わないわ」


 ネムはそう言ってちょっと笑い、ルヴィの腕時計を見てきた。

 これと揃いなのだが、今はネムのが欠けている。


「わたし、物持ちはいいんだと思ってた」

「そんなこともあるさ」


 肩をすくめると、ネムは表情を緩めた。

 ひとつ目を閉じてから、スーツケースの取っ手を握った。


「それじゃ、これから4日間の列車旅を頑張りましょう」

「もう疲れてないか? ごめんな、オレが急に無理言ったせいで……」


 ルヴィは済まなく思って眉を下げたのだが、ネムは首を振った。


「旅路は予定を立てる時が一番楽しいってことよ。わたし、もう家に帰りたいわ」

「今家いるじゃん……」


 これはなんとも早すぎるホームシック。おそらく世界最速。

 苦笑して突っ込むと、既にここのベッドが恋しくて仕方ないのだという。


「でももう一眠りするわけにもいかないわ。そろそろ行きましょう、余裕を持って行きたいの」

「おうよ。寝るのは列車に乗ってからだな。これから長いぞ?」

「ふふ。ええ、わたしが計画したのだもの。もちろん承知していますとも」


 通常であればリグナムバイタからシンシティまでは飛行機が常套手段だ。というか、それ以外は時間がかかり過ぎるのだ。空港間で考えても、3610㎞あり、直行便で4時間はかかる。

 それを、アクイレギア大陸横断鉄道と銘打った列車2つを乗り継いでジャカランダまで向かい、バスに乗ってシンシティへ突入するのだ。

 飛行機であれば当日到着するが、列車だと4日間もかかる。


「列車に乗りさえすればこっちのものよ」

「あとは揺られるだけってな!」


 これからルヴィたちはまずリグナムバイタから搭乗駅まで向かい、乗車手続きをして最初の列車に乗る。そして明日の朝ウィンディシティで、別の列車に乗り換える。ここは乗り換え時間があるので、ウィンディシティを観光してもいい。15時になったらジャカランダ行の列車に乗り換え、もう二泊して、リグナムバイタから離れて四日目の朝にジャカランダに到着する。ジャカランダは年間を通じて温暖なのでそこでさらに二泊してから、シンシティへ行き、約一週間を過ごすというものだ。贅沢な時間の使い方だ。こんな時でもないとなかなかできない。


 ネムはふらついた足取りでスーツケースを引きずろうとするのを預かる。


「持ってくぜ」

「……ありがとう。マザーに昇降機を動かしてもらうようお願いするわ」

「おうよ、合図くれよな」


 先に部屋を出たネムを追って荷物を転がした。ネムが階段を降りていく姿を見送り、ルヴィは部屋の鍵を閉めた。このアパートの部屋ともしばしの別れ。ネムのホームシックまでではないが、やはり名残惜しい気がする。良い物件だったということだろう。


 ルヴィたちの部屋の向かいにある貨物用の昇降機の前に荷物のスーツケースを転がしていき、ネムから階段の手すり越しに返事をもらう。扉を開くと台座が上がってきた。そこに荷物を載せて、扉を閉めた。絡繰りで下に降りていく音を聞きながら、ルヴィも階段を使って降りる途中で――ガチャリ、と扉が開く音が聞こえた。


 そのまま足音も聞こえず物音が続かないのが妙に気になって、ルヴィは降りかけた階段を引き返し、その扉が開いたのが聞こえた2階フロアを覗く。すると、ちょうど奥の部屋からエミが扉を半分顔を覗かせていた。目が合った。見開かれた目に、ルヴィはにこりと笑かけた。


「おはようございます、エミさん」

「……………お、おはようございます」

「最近、顔を合わせませんでしたけど、お元気でしたか?」

「あ………その」


 ルヴィは違和感を持った。

 こんなにもおどおどとした感じだっただろうか。


 その時、ルヴィの頭には、エミの担当教員であるエルズワース・フリーマンのことが思い浮かんだ。地理調査の報告書の上では、メールリ教授と同カレッジのゴリッジ教授とは対立する関係にある。報告書の内容を裏付けるデータも上がってきている今、フリーマン教授の立ち位置は少なからず微妙になっている可能性はある。自分を受け持つ教授がそのような状況にあるので、その影響の余波を受けているのかもしれない。


 エミが半開きの扉からぐっと身を乗り出した。そこで初めて、トレードマークともいえる長い一本の三つ編みにていた赤茶けた髪がバッサリと切られていることに気づいた。


「あれ、髪切ったんですね」

「え? ……あ、うん」


 今やネムもかなりのショートカットになっているが、それとは違い、不揃いで乱雑だった。それに、返してくる相槌も返事も物言いも覇気が感じられない。

 これは妙だと思った。エミ・チョウノは、国内で完結した内向的な国民性であるイクシオリリオン人らしくない、わざわざ外つ国へ出ていく気概のある、本国では希少な部類の人だったはずだ。内心で怪訝に思っていると、意を決したようにエミが口を開く。


「……っあの、あたし」

「ルヴー、まだなの?」


 階下からのネムの呼びかけが重なる。

 下ではルヴィを待って、ネムとマリエがいるのだ。


「やべ、今行くー」


 昇降機でスーツケースの荷物を1階に運んだあとは、駅までマリエの車で送ってもらう手筈になっている。驚いたような声がルヴィにかかる。


「ど、どこかに行くの?」

「はい、ちょっとルームメイトとしばらく旅行に2週間ほど」


 話の途中だったので、申し訳なさそうな顔を作りつつ答える。

 それを聞いて、ぐっと表情を張り詰めさせたエミは俯いた。

 ルヴィはさすがに様子がおかしいと思った。


「エミさん……?」


 再び呼びかけたが、エミは応えずに部屋に引っ込み、扉を閉めた。

 次いで鍵の閉まる音が響く。……明らかな拒絶だ。


「え……何か気に障ることしたか? オレ……」


 女心と秋の空とはいうが、摩訶不思議。

 理不尽の極みでは。


 些かの不快感を抱いたが、再度階下からのネムの催促が掛かり、ルヴィは慌てて階段を下りる。するとルヴィの頭はそれ以上、引きずることもなくさっぱりと忘れてしまう。悩みがなさそうとはよく言われる言葉だ。


 先に降りていたネムは既に昇降機の中からスーツケースを出してくれていたようだ。その傍にはマリエもいる。


「揃ったわね。外に車を止めてあるから行きましょう」


 マリエがほほ笑んで玄関へ手を差し伸べた。

 徒歩で行ける距離であっても大荷物なので本当にありがたい。

 トランクに荷物を載せて、マリエの運転で駅まで送ってもらう。


 ここからは電車での移動だ。

 駅の改札口から笑顔で見送るマリエに対し、ルヴィたちは手を振り返した。


 目的の駅まで到着すると、本国で人波に慣れたルヴィたちからするとそれほど混み合ってもいない普通の駅に見えた。通常は飛行機での移動が一般的で、100年以上昔でスタンダードだった移動手段の鉄道は今やすたれてしまっているらしい。さもありなん、この広大なアクイレギア大陸に対して、陸路では移動時間がかかり過ぎるのだ。山脈もあれば、崖も、川も、湖もある。


 ただ、以前は栄えていたはずの駅が、何の変哲もないありふれたものだったのは意外だった。


「ここが搭乗駅か」

「待合室で、電光掲示板に乗車時刻が出るから待ちましょう」


 一時間から二時間程度の遅れは当たり前らしいが、今回は20分遅れで乗れるようになった。待合室から重い腰を上げて搭乗駅のホームに降りると、目の前には、筒状に近い見た目の列車が現れる。40年前の大事件からあらゆるものが新しく敷設されたアクイレギア。昔はアムトラックという鉄道が走っていたが、今は一新され、黒に近いグレーの空気抵抗が少なそうなスリムな車両になっている。名前はニュームーン。


「水筒を倒したみたいな見かけだな」

「装飾もないのが珍しいわよね………3号室はあちらだわ」


 ルヴィはひたすらネムについていく。

 先ほど飲んだコーヒー一杯分の眠気覚ましでは限度があるのだろう。ネムは朝方までスケジュールを調整していたため、足元がふらついている。


 ニュームーン号に乗り込むと、アテンダントがいた。搭乗の受付で携帯に送られてきた電子IDを手叔父すると、すぐに部屋を案内され、食事の時間を聞かれた。部屋はベッドルーム・スイートという個室の寝台設備で、プライベートシャワーもついていて、食事つきだ。食事は各車両ごとにアテンダントが荷物を預かって管理してくれる。ルヴィたちは必要なものだけを取り出してあとは預けた。


「寝といていいぞ」

「うん………」


 ネムは穏和しく横になった。目を閉じてあっという間に寝息が聞こえたので、その疲れは如何ほどのものか。


「ごめんな、急に言ってさ」


 ルヴィが我が儘を言い出したきっかけは、昨日会った、パトリックからとある人物を紹介されたことによる。地理学界では有名な、エルム人の研究者。


 彼が今年の冬、レッドロックキャニオンにやって来ているという。


「駄目でもともと。そろそろ返事が来てるか?」


 年下の幼馴染の寝息を聞きながら、ルヴィは緊張しながらパソコンを開いた。

 メールの受信トレイを開くと、一時間前に返事が来ていた。


 内容を確認するのは、さすがのルヴィも手が震えた。

 そして――


「………うっし」


 ぐっと拳を握り込む。

 ネムが寝ているので、控え目にだ。

 早速返事をし、自分で言うのもなんだが、行動力の塊が過ぎるなと思う。


「やっぱあれこれ考えるよりも当たって砕けたほうが性に合ってるぜ」


 今回は砕けてはいないが。

 眠っているネムを起こさないよう、小声で独り言を零していると、車両が動き出した。窓から流れていく外の景色に目をやると、ちょうど街並みが途切れ、森厳な光景に入るところだった。


 人並みにカジノに興味がなくもないが、ルヴィの一番の楽しみは、シンシティから来るまで5時間ほどでつく世界有数の自然保護区レッドロックキャニオン。もともとネムはその日程を組み込んでくれていたのだが、パトリックからの紹介でその地の著名な研究者にアポイントを取ることに成功した。なんとか旅行中に会うことが出来そうだった。

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