71 期末試験
68話が抜けていたので、後ろにずれます…すみません…
子どもは風の子というもの。
だが、何もこんな寒空の下で駆け回らなくても、と思う。
ボールを追っかけて、縦横無尽に入り乱れる。
ルヴィは荷物を持って、そんなバスケットコートを端の方から眺めた。
周囲で一緒に観客となっている取り巻きの注目を集めるのはボールの所在だ。
体格のいい子どもたちの中で、一際小柄な少女が目立つ。
そのネムだけが大人だった。
華奢な少女に見紛うネムが体格差のある相手に全く怯まず正面へ向き合った――と思ったらするりと躱してゴール下までノンストップだ。そして身の丈ほどに高く跳びあがり、顔より数段大きいボールを片手に、軽々ダンクを決めてみせ、静かに地面に着地する。
湧き上がる歓声。
ネムはまさにコート上のヒーローだった。
感極まり、タックルする勢いで駆け寄って来る子どもたちを器用に搔い潜る。
そうして端っこでひっそりと見守っていたルヴィの前まで悠々と戻ってきた。
「お待たせ、ルヴ」
「活躍したなーネムさんや……何人抜きだよ」
薄っすら頬を紅潮させる程度。
汗は見受けられない。
本国の身体力検査では膂力以外で、男子を上回る結果を叩きだしていた。
「遠くから狙った方が点数は稼げたのだけど、やっぱり体格がいいわ……前に立ち塞がれたらとても届かないと思って」
「まるで金魚みたいな活躍だったぜ」
「……金魚?」
ネムはルヴィから荷物を受けとりながら、首を傾げた。
ルヴィは夏休みの祭りの戦利品であった金魚を育てていた時のことを思い出す。
「水槽の中の金魚って、たくさんの障害物があるだろ? それにぶつからないんだもんな」
「そう? ぶつかっている気がするけれど……でもたしかに体表に傷はついていないわね」
金魚ね、とネムは可笑しそうだ。
女の子が笑うと、可愛さで世界が平和になると思う。
ほんわかしていると、ゴール下の子どもたちは困惑顔で騒然としていた。
見ると、駆け寄った先に対象の人物がいないことにやっと気づいたようだ。
「行きましょ」
ネムもちらっと見てからルヴィの手を取った。
コートの端にはフェンスの戸口が解放された出入り口になっている。
そそくさと退場しながら、ルヴィは背後を見遣った。
「いいのかー? 実は胴上げしようとしたみたいだけど」
「十も年下だけれど、男の子たちだもの」
「……あ、そうだな」
から笑いするとネムは肩をすくめた。
「たまに運動するのもいいわね。汗をかくから帰りにしかできないけれど」
「汗なんてひとっつもかいてないじゃんかー」
またまたーとルヴィは茶化した。
短くなった髪を手で直しつつ、ネムはため息を吐く。
「見えないところにかいているの。拭いて来るからちょっと待ってて」
レストルームへ行くと言って、ルヴィにコートを預けた。
外で突っ立っているだけだったルヴィはだいぶ寒い。
それでも軽やかな気分だった。
見上げた冬空は曇っているが、どこからか太陽の光を感じた。
――本日、最後の期末試験を終えたのだ。
息を多く吐き出して、白い吐息を眺めた。
「フォールセメスターも終わったな……」
夏の終わりにアクイレギアにやって来て、脳裏を駆け巡る課題と勉強の日々。
特にこの試験期間はストレスに押しつぶされたネムが、吹き出ものだ、唇が腫れたなどと涙目になって騒いでいた声すら懐かしい。明日からはおよそ一か月の冬休みが始まる。
「何にせよ試験が終わってよかったぜ」
「あとは成績が出るのを待つのみね」
ルヴィの独り言に応える声があった。
振り返ってその姿を認める。
「おかえりー、ネム」
「ただいま。……外つ国のレストルームが不衛生なのを忘れていたわ」
「あー……そこは発展途上って感じだな。しかもここはちょっと治安が悪いとこだしな」
ここはカレッジから近いハーレーという地域だ。
細い路地に入ると、壁にはスプレーで描かれたアートに埋め尽くされている。
こういったところのレストルームはゴミ捨て場のような場所であることも多い。
ネムの嫌そうな顔に、ルヴィも微苦笑を返した。
その顔には化粧で目立たなくしているが、ニキビで荒れている。
「ネムの肌荒れもおさまるといいな」
「成績の開示まで精神的に不安定だから、まだおさまらないかも」
ネムが嘆くとルヴィの精神的な健康にも響く。
何とか持ち直してほしいものだ。
ルヴィができることと言ったら、食事を作ったり、甘いものを差し入れたり、花瓶に花を活けたりするくらいだ。おかげでマリエから切り花にするための鋏を借りていい花の見分け方まで教わるほどになった。
こうして最大の日程を終え、ルヴィはのしかかっていた重しが消えてすっきりした気分だった。しかしネムは憂鬱な顔のままだった。それには気がかりなことが残っているからだ。
「心配事が多いの」
ネムの心配は、ザイガー教授とジェンキンス教授の専門教科だ。
それぞれ試験はうまくいったようだ。
しかし評価には、日ごろの講義中の発言の内容が大きくかかわる。
ネムはそこが今一歩だと思い、憂いが晴れないのだ。
「大丈夫だって。毎回、ネムはちゃんと先週で課題だった部分の内容を調べてるし、それに対する教授からの質問にも自分なりに答えていたから、悪くないと思うぞ」
もともとネムの大学での専門ではない分野なのだ。
意見を述べて参加できていること自体がすごいことだ。
「……もしCがついたら、直談判するわ」
アクイレギアのカレッジの成績が不服な場合は教授について理由を説明してもらったり、申し立てに行ったり交渉しに行ったりするらしい。それで覆る場合も多々あるという。
「なりふり構っていられないもの」
「………あのネムが、成長したなあ」
目元の空気を払って、涙を拭うふりをする。
ルヴィの言葉に、ネムは少し明るい顔をした。
「……そう? ならいいんだけど」
ルヴィはここぞとばかりに全力で頷く。
ネムの気分が上向くのを感じ、改めて体を動かす大切さを知る。
「運動するのは精神にいい影響を与えるっていうのは本当らしいな。だいたいのことは筋トレで解決するらしいぜ」
「……筋トレで?」
「やっぱり健全なる魂は健全なる肉体に宿るってことだな」
ネムはそうかもしれない、と眉を下げた。
しばらく街中を歩きながら、景色を眺めているとネムが話しかけてきた。
「ねえルヴ。覚えているかしら、以前話していたシンシティのカジノの話」
「え? うん、行きたいよなって」
ルヴィは秋休みの計画の時にもカジノに行きたいと話したことがある。
秋休みの計画はすべておじゃんになってしまったが。
「シンシティへのチケット取ってあるから」
「――え? マジ?? いつとったん??」
何度も言うが、学生の最大のイベントの一つである期末試験が今日終わったばかりなのだ。しかしネムは事も無げに言う。
「先週のうちね」
先週と言えば、まさに試験週間真っ只中。
なのに、冬休みの旅行の準備すらしていたというのか。
……ルヴィは何も考えずに、勉強ばかりしていた。
「早く使う予定を立てておかないと、年末に痛い目見るじゃない?」
ははあと頭が下がるばかりだ。
女性の頭はいくつもの物事を並行して考えているというが、どこまで同時に思考しているのか。
「いつから行くん? ま、まさか明後日から?」
明後日という具体的な日付がルヴィの口から出たのには理由がある。
試験週間が始まる前から、ネムに予定を入れないでくれと言われた日付だからだ。
「そうよ」
「なるほどなあ」
ルヴィは自分の期末試験対策をのんきにしていた間、ネムはストレスと闘いながら、期末の勉強と冬休みの計画とルヴィの兄のあぶく銭の使い道を考えてくれていたわけだ。胸が痛む。
「それで、明日は何か予定を作ったの?」
「パットとバーナードに会うくらいだな」
ネムはと訊こうとして口を閉じる。
せっかくできた友人であるレドだかレギーだかとは、先々週あたりにその恋人の襲来があってしばらく会わないようにしていた。
連絡は取ってもいいんではと言ったので、辛うじて連絡は取っているようだが。
「それってリックのルームメイトよね」
「そ。ネムも一緒に行くか? 食の楽しみを知らない奴だって思われて、いい店を紹介して奢ってくれるらしい」
誘ってみたが、ネムは首を振った。
「明日は、キャロラインとキャロラインのガールフレンドと一緒にカフェで待ち合わせを。成績が引っかかった時の交渉のコツと、何かあった時の弁護士への依頼の仕方を教えてもらうつもり」
「……用意周到だな」
実は、髪を引きちぎられた一件だが、あとから警備員から電話があり、弁護士に相談はしたかと確認をされたのだ。こういったトラブルもすぐに訴訟に移すあたり、さすが訴訟大国だった。その時は試験準備のために時間がなかったので後回しにした。
「とりあえず、どうするのかだけは知っておいた方が損はないでしょう?」
「たくさんトラブルに巻き込まれてるもんな……オレら」
ため息を吐く。ネムは携帯で時間を確認した。
「そろそろね」
「んじゃ、行くか」
入ったのは床が一段下がった喫茶店だ。
扉は小さく低いため、頭を下げてくぐった。
「やあ、ネム、ルヴィ。こっちだよ」
中にいた、褐色の肌に短い顎髭を生やした学生が手を上げて出迎えた。
くりくりとした黒い瞳が温和な印象を与える。
「昨日ぶりね、ルドラ」
「発表良かったぞー。あ、今日の試験どうだった?」
「ありがとう。上手くいったよ」
パソコンを広げたテーブルに近寄るとにっこりと笑った。
店内は木造の壁で、赤と白の花が壁際の至る所で植わっていた。
外は寒いのだが、店内は温かく、温室のようになっているのだろう。
テーブルの上には水を張った器の中心に、キャンドルの火が灯っていた。
注文はルヴィがダージリン、ネムがアッサム、ルドラがニルギリだ。
初めてニルギリという名称を聞いたが、セイロンティーに似ていて、レモンを入れると美味しいとルドラが教えてくれた。ルヴィは有名な紅茶しか分からない。
試験の難易度や出来栄えを一通り話すと、注文した紅茶がやって来た。
ルヴィは、ネムと一緒に、ミルクと砂糖を入れて掻き混ぜ、ルドラはレモンを絞った。
それぞれ一口飲んで、息を吐く。
「じゃ、早速始めようか。データは持ってきてくれた?」
「ええ。わたしのはこちら」
「オレのはこっちだな」
白い紙片に、生年月日、出生時刻、出生地の緯度経度という3点が書いてある。
ルドラは、パソコンのソフトの中に、それらのデータを入れた。
その画面をこちらへ向ける。
「暗号化されてんな」
「あ、そうそう。だから安心しててよ。分析はこの冬のうちに進めておくから」
「結構大変なんだな」
ルヴィが算出されたデータを見ると、四角の表のようなものの中に文字が書かれている。その四角は画面の中で確認できるだけでも8つあった。それぞれには名標と番号が割り振られている。横の欄には数値が書かれていて、分析とルドラが口にするだけあって、まさにデータだった。
「いろいろとみるところが沢山あるんだ。今ざっといえることはあるけど、細かく見ていくと全く違うことが見えてくるものだから、ここでは明言を避けようと思う。これは、今ここで燃やすね」
「おう」
ネムは興味深そうにルドラがキャンドルの火に紙片を入れて燃やすのを見守った。
個人的な情報なので、取り扱いには細心の注意が必要なのだろう。
それでもここまで厳重に扱ってくれるとは思わなかった。
「わざわざ来てもらってこれだけだけど、年明けまでにはできると思う」
ルヴィとネムは頷いた。
「なんだかこの占いは、めちゃめちゃ信憑性が高そうな気がするぜ。その分、術者のルドラに負担を掛けてるから悪いな」
「僕の方こそ、データを提供してもらってるんだからお礼を言わなきゃね。タマリンド国内のデータは飽和している状態だから。あ、匿名性はきちんとするから心配しないで。この中に入った時点で大丈夫だけど」
ルドラが自信満々にパソコンを撫でた。
目をきらりとさせてこちらを見る。
「これはタマリンド政府が開発した高度な暗号プログラムが入ってるんだ」
自慢げに言う。
ルヴィはつられて笑いながら頷いた。
「タマリンドって、数学と物理の方面が強いからそう言われるとすごい安心感」
「ルヴ。ルドラは母国に帰ったら、政府機関に勤めることが決まっているのですって」
タマリンドでは既に主席の成績で大学院を終えている。
アクイレギアには、エルム語を学びに来たようなものだという。
「ベイステイツ工科大学がアクイレギアじゃ一番有名じゃね?」
「あそこはアレだから」
ルドラは明言を避けたが、半ばその理由は分かった。
ルヴィたちの通っているカレッジはもともとベイステイツにあったのだ。
それが40年前の大事件により移動した。
当時ベイステイツは巨大な学園都市だった。
しかし、大事件の影響により、移動して統合し改名したのがカーマイン大学だ。
対して、その地にとどまったのが、ベイステイツ工科大学だ。
移動しなかった理由は、ベイステイツ工科大学の主要な施設が既に地下へ移動していて、被害が少なかったからだと言われる。ただ、その地の安全性は今だ疑問視されていた。
「まあ、だよな。それにしてもさ、こっち方面は初めて来た」
「ちょっと雰囲気が違うわね」
ルヴィたちは、イクシオリリオン人が認める安全な区域の、そのまたイクシオリリオン人だけを受け入れているアパートに居住している為、多少なりとも驚いた。歩くだけで、眼を飛ばされた。
「そう? まあ、イクシオリリオンに比べたらどこも治安は悪いだろうね」
タマリンドに比べたら平和だよと明るい笑顔で言う。
紛争が今も勃発している国に比べるとどこも平和かもしれない。
「ハーレーはこう見えて、気のいい人が多いよ?」
ネムは手を叩いて楽しそうに言う。
「さっき一緒にボールで遊んだわ」
「最初は、オレたちが区画に入った途端ににらまれたのはビビったけどな……」
ルヴィは舌を出すと、ルドラは合点がいった顔をする。
そして困ったようにネムを見た。
「ちょっと女性には気分が悪くなるような話になるんだけど……」
ネムはすぐに耳を塞いで目を閉じた。
「いいわ」
こういうネムの、危険察知とでもいうような反応はとても敏感で素早いと思う。ルヴィはルドラに頷き返すと、ルドラが困ったように笑った。
「どちらにせよ気分のいい話ではないんだ。もともと別の場所を縄張りにしていた娼婦がカレッジの周辺の通りにまで流れ込んできているらしい。理由は分からないけど。それで娼婦を買う学生がこのエリアまで来て今まで以上に治安が悪くなってるから知らないよそ者が来るのを嫌がってるんだ」
薬物騒ぎの次は、娼婦か。
それもここから最も近いカレッジはルヴィたちの通うところだ。
「彼女たちは薬をやってるから、話しかけられても無視した方がいい」
娼婦というが、日中は普通の学生の子もいるのだという。
海外に来てから、耳慣れない言葉をよく聞く。
「………うん、忠告ありがとな」
「どういたしまして。このリグナムバイタには、昔から娼婦の有名な通りで娼婦通りっていうのがあるらしいんだけどね。そこの娼婦が消えているだとか、殺されただとかも聞くけど、どうなっているのやら。買う方も、相手がどんな病気持ってるか分からないのによくやるよね。っと、ネム、もういいよ」
身振りでルドラが伝えると、ネムが手を下ろした。
「それじゃ、年明けを待つということね」
ネムの言葉に、一瞬何のことかと思った。
ルドラの返事でルヴィはそもそもの用事を思い出した。
「データは文章で送るよ」
「楽しみだわ」
ネムが占いの結果を心待ちにするように両手を合わせる。
可愛ええと気分を癒されながら、ルヴィはミルクティーを飲んだ。
ルドラとはその店で別れた。外へ出ると道行く住人達からの睨むような治安の悪い視線を浴びるが、この視線には様々な裏事情があるのだな改めて思いながら、手を引かれるままに地下鉄に降りた。




