70 ステディ
カラン、と音を立てて扉を開いて、中を見渡す。
そして探していた姿を見つけた。
「よお、ネム」
ネムから、決めていた場所ではないところへの呼び出しを受けた。
すると思いもかけない光景に出くわす。
なんと、あのネムが同じ年頃の同性とテーブルを共にしていたのだ……!
「って、こっちは? ……あ! 例のショッピング友達か?」
信号機の赤のように真っ赤な髪の持ち主。
おそらく人工染色だろう。
ルヴィは目を輝かせて見たが、年下の幼馴染は困り切った顔だ。
「じゃなくて、その恋人らしいわ」
相対していた女学生は肩を跳ねさせた。
しかしルヴィを認めるなり、ぎっと鋭い眼光を向けてきた。
「何よ、驚かせないで!」
「な、何事……?」
困惑しかない。
とりあえずネムの隣に座る。
「あんた、この二股女の手綱をしっかり握ってなさいよ!」
「二股……?」
一体何の話だ。
横からウエイターがコーヒーとハーブティーを持って来た。
顔をしかめているが、ルヴィはそのままカプチーノを頼んだ。
ウエイターが離れるのを見計らい、ネムが顔を近づけて事情を小声で説明する。
「へえ、ショッピング友達って男だったのか」
その恋人が目の前の、真っ赤な長い髪の女学生。
ネムへ向ける目は憎々しげだ。
その真っ青な双眸には、完全無欠の美少女が映っている。
……なるほど把握した。
ルヴィは、ネムの肩に手を置き力強く頷いた。
「それはホントにただの友達だぞ。オレが保証する」
「何が保証よ!? この女が誰と会ってたのかも知らない癖にッ」
まず、ネムは平気で嘘をつけるような神経をしていない。
それなのに二股なんて器用なことができるはずもない。
まあ……隠し事はするかもしれないが。
「知ってるさ、ショッピング友達だってな。ネムはオレに何でも話すんだ。だから、そいつのことも知ってる。その性別までは知らなかったけど、いつどこで何をしたのかぜんぶ知ってるぜ」
多少盛って話せば、ネムは口を開いて何も言わずに閉じた。
するとふざけていると思われたのか。
赤髪の女学生は拳を握って肩を震わせた。
「話になんないわ! あたしはこの目で見たのよ!」
一体何を見たのか、ルヴィはネムへ目で問うた。
すると映画館にいたところ、と口パクで伝えて来る。
「…………」
デートみたいだと思いはした。まあ、十歩譲って納得しよう。
……決定的な浮気の現場を見たような勢いだったので正直、拍子抜けした。
緊張の糸が切れて気が緩んだのが目に見えて気に障ったのだろうか。
赤毛の女学生は突如として、短い単語を鋭く吐いた。
「切ってよ」
女学生は険しい形相のまま、テーブル越しに身を乗り出した。
「縁を切って、彼と! 今すぐに! この貧乏人! ビッチ!」
いったん火が付いたら止まらないタイプと見た。
そしてものすごい暴言を続けて言われたが、ルヴィはその意味が全く分からなかった。
周囲の客の顔がしかめられるので酷いスラングなのだろう。
外つ国の悪態は悪辣なものが多数あるという。
母国語に置き換えもできないほどと聞いた。
何かは分からないが、暴言を吐かれていることだけは分かり、ルヴィは言葉を詰まらせるネムに代わって暴走している相手を制す。
「おい、落ち着けって」
すると、その言葉に、気の強そうな目に、みるみる涙が浮かぶ。
これにはさしもの血も涙もないと言われるルヴィもぎょっとした。……冗談だ。
この女学生の情緒が不安定なのかもしれない。
「あんたのせいで、何もかも変わったのよ!」
テーブルの天板が強く打ち付けられる。
飲み物を入れた器がカチャカチャと音を立てた。
ルヴィは引きつつも、刺激しないように控え目に提案する。
「なあ……何で変わったのか、恋人本人に聞いてみねえ?」
話を聞いていて蚊帳の外であるルヴィが思うに、問題はそこに尽きる。
それを外野に当たり散らされてもどうしようもないのが本音だった。
「あ、あんたたちに何がわかるってのよ!」
「いや、分かんねえからその相手に言ってほしいんだけど」
普通に反射で返してしまい、まずいと口を閉じる。
しかし時すでに遅し。
「この女が、近づかなかったらいいだけよ!」
口ではそう反論するものの、頬にはいく筋の黒い涙が伝っている。
目の周りの化粧が涙で流れているのだ。
そして……泣くということは、薄々察しているのだろう。
第三者が口出す問題ではないが、こうして当事者が突っかかって来るのだ。
ならばこの際、はっきりと言った方がいいのかもしれない。
ルヴィは出来るだけ優しい声音でその厳しいだろう現実を諭した。
「……あのさ、恋人の交友関係にまで首突っ込んで疑うようじゃ、あんたら当事者同士でちゃんとした信頼関係を築けてないんじゃないか?」
「うるさいわね!……レギーは何もかも持っているの。美貌も、財力も、能力も何もかも。だから彼を本当に好きでもない女が群がって来るわ。あたしが一番彼のことを愛しているのに! あたしが、あたしだけが、彼自身を愛しているのよ……」
気遣ったルヴィは一気に白けた。
「なあんだ、惚気かよ……」
「ルヴってば」
それまで空気に徹していたネムが耐えきれなかったらしい。
ルヴィの腕を抓った。
「いてて……」
ネムには睨まれた。
辟易しながら頷き、相手を宥める。
「それでそのレギーとやらは、自分に近寄ってきた女に手を出すのか?」
出さないだろうという意味合いで言った。
しかし、赤毛の女学生は眉をぎっと吊り上げたが、一言も声を漏らさなかった。
おいおいおい……。
妹分の交友関係に、口出しした方がいいかと思い直すだろうが。
「……手ぇ出すのだとしたら、それはそいつの問題だろ?」
これは恋人同士の問題だ。
その相手本人に訴えないと何も変わらない。
「つまみ食いを見咎めるようなことはしないわ」
すごい台詞だ。
リグナムバイタの恋愛事情おそるべし。
しかしこの場合『恋人』という関係自体、破綻しているように感じられる。
自由恋愛というより、ただの発散ではないか。
「じゃあ何が問題なんだ?」
「あたしが彼のステディなの! 彼の魔が差した相手にあたしが釘を刺すのは正当な行為よ」
「ステディ? ……よくわからんけど、他に手を出してもあんたが恋人なのは変わらないってことだよな?」
「……っそうよ」
ルヴィはいきり立つ赤毛の女学生へ理解を示して、押しとどめつつも混乱してきた。いよいよ、リグナムバイタの自由恋愛というのは聞きしに勝るものがあった。
道理に反していると勝手に思うのはルヴィたちが異国人だからだ。
それがまかり通っているのは、それが国民性として適しているからだと理解していた――今までは。
しかし……どうやらそうでもないらしい。
「レギーとやらは自分に寄って来る子をそのまま食っちまう男なわけだ」
「っ魔が差しただけよ。男だから気の迷いでつまみ食いするくらいはあるわ!」
つまり、この女学生は自分の恋人の習性は認識しているということだ。
ルヴィは思考を巡らせる。
ややこしい話だが、女の子の話の論点イコール真に言いたいことではない。
口にされる内容の論点とは、往々にして別のところに本心がある。
それを解読しなければならない。
「……うんわかった」
「何がよ!」
ルヴィは手を前に出す。
かなり不作法だが、それで女学生は口を閉じた。
「あんたの言いたいこと」
「はあ?」
この女学生は、恋人の行動自体は容認しているように聞こえる。
しかしこうして、わざわざ釘を刺しに出張っているということは、だ。
「そうはいっても、あんたは恋人が寄ってくる女の子に手を出すこと自体が嫌なんだろ? それを本人に伝えろよ」
恋人なんだし、と宥めるように言う。
ルヴィは至極、真っ当なことを言ったつもりだ。
しかし、女学生はわなわなと震え出した。
噴火寸前の火山を目の前にした心地で内心舌を巻く。
この女学生の地雷が分からない。
「……言ってる、けど! この女と会うようになってからはあたしが傍にいるのも許してくれなくなったのよ!」
「えっ」
ネムはぎょっと目を丸くする。
水を向けられるとは思わなかったのだろう、大きな瞳が零れ落ちそうだ。
すると大きく見開かれた薄青色の瞳には自然と透明な光が湛えられる――それを目にした者は皆ネムが無実だ叫ぶだろう。これは時と場合によれば、この幼馴染の厄介なところでもある。
「……どうぞ」
「あー、ありがとうございます」
カプチーノをテーブルに乗せてそそくさと退散するウエイター。
あとでチップは大目に渡そうと思いつつ、さすがに乾いてきた喉を潤す。
その間も女学生の攻撃は止まらない。
「二人っきりで出かけてたじゃない!」
「それは」
「うるさい!」
ネムは怒鳴られて言葉を飲み込んでしまった。
うるさいのはお前だが。
ルヴィは固まってしまったネムの背中を撫でた。
「……新しくできた友達と親交を深めたいだけだろ」
そしてうまくいかない恋人とは離れたいのかもしんねえなと思う。
うーんと悩む。
双方から聞いた限り、相手はネムとはちゃんと親交を深めている。
半面、恋人との関係には消極的と来ている。
問題は、この消極的な関係を恋人がきちんと清算しないところなのだろう。
おせっかいなことを言うようだが、せっかくネムが友人を作ったのだ。
このくらいは首を突っ込ませてもらおう。
「あんまり知んねえけどさ、知らねえなりに、あんたは恋人ともっと話した方がいいと思うぜ。どうしてもネムのことが気になるって言うなら、その間はネムも会わないようにする――どうだ?」
「………話なんてもう……」
気が強そうなのに嗚咽を零す赤毛の女学生。
そこまで好きなのか。
こういう張った惚れたの話に首を突っ込むのは野暮と言うものだが仕方ない。
強めにけしかけられなければ、逆に動けないのだろう。
こうして行動力満載に出張って来る割に、だ。
恋人に対しては奥手というか何というか……。
ルヴィは呆れを飲み込んで、きつく相手を睨みつける。
「もう、もへったくれもあるか。そっちの話だろ? 恋人同士の問題なら、こっちを煩わせないでほしいんだ。お前らでなんとかしろ。こっちはただの友人の域を出ないんだからな。その話し合いをするための期間は会わないっていうお膳立てはしてやる。な、ネム」
ネムを見ると、しっかり頷いた。
「――ええ」
「約束よ………今後一切彼に近づかないで」
ここに来て人の言葉を捻じ曲げる……。
ルヴィは呆れ顔にならざるを得ない。
なぜこう、話をすり替えようとするのか。
泣きながらも、相手の行動をコントロールしようとする姿に辟易する。
「こっちは、あんたが恋人と話す機会を作ってやるんだ、自分じゃ相手とのコミュニケーションをうまく取れてないようだから。あと、なんで他人の行動を自分の思い通りにコントロールしようと思うんだ? 頼むから、自分の人生を生きてくれよ」
ルヴィに、何か意外な険しさがあったのか、赤毛の学生は息を飲んだ。
歯を食いしばると、そのまま立ち上がって、喫茶店を一人出て行った。
会計も何もなしに、だ。
その真っ赤なロングヘアが窓の外を横切り、高いヒールの足音が喧しく通り過ぎた。ルヴィとネムはそれを喫茶店の席から見送った。
「え……結局わたしはどうすればいいのかしら?」
「いったん放置。ひとまず嵐が目の前から去ったことに感謝しようぜ」
ルヴィは、ウエイターに追加の注文をするために呼んだ。
グループワークの段取りに加え、リグナムバイタの『自由恋愛』の弊害に巻き込まれるとは。ルヴィもだが、ネムですら関係のない恋愛模様、どうぞ二人で宜しく勝手にやってくれと言う話だ。
「スペシャルパフェを一つ。チーズケーキとマドレーヌとアシッドアイスをトッピングで」
注文を聞き終わったウエイターに二言三言する会話の流れの中で先ほどうるさくしたことを謝る。そして席に深く腰掛ける。
「びっくりしたわ……」
「なー。要は、恋人の立場でも不安になるようなモテ具合が原因ってことか……」
相手は罪な男だなあと思う。
ルヴィは気になってネムを横目で見た。
「なあ、ネム」
「なあに?」
一難去ったことで安心した顔をするネム。
のほほんとしたものだ。
せっかくできた友人がヒステリックな彼女持ちと判明したが、気にした様子もない。
怒声に怯える繊細な神経のわりに、こういう良くも悪くも鈍感で図太いところがある。こういった部分は、同性同士の付き合いで厳しくなるのだろうなと思う。
失礼かもしれないが、ネムに異性の友人が結果的に多くなるのは、ルヴィばかりのせいではない。
同性の友人はネムのたくさんいる親類ぐらいだ。
……親類を友人に含めていいのならば、だが。
「そのレドだか、レギーとかって、そんなにナイスガイなんか?」
「なあに、急に」
ハーブティーに手を付けていたネムは首を傾げた。
本日のベストショットと言ってもいい容姿の良さだ。
ルヴィはそそくさとネムの向かいに座り直した。
「いや、気になるじゃん。浮気しまくってるのに、でも好きってなるような相手なんだろ、ネムの友達。同じ男としてどんなやつなのか興味あるね。ネムは全く驚いてないしさあ」
「……周りの女性が放って置かなさそうなのは分かるから、驚きはしなかったわね」
ネムはルヴィの勢いにちょっと笑った。
そして顎に指をやり、思い返すように言った。
「そうね、とても魅力的な男性だと思うわ」
「マジか、オレよりも?」
悔しくなって地団太を踏むと、ネムは噴き出した。
その様子に、ちらりと盗み見て来た周囲の客も明るくなった気さえする。
「わたしはルヴの方が好き」
「おーいー、魅力の話だぜ? オレに魅力はないわけ?」
バタバタと足を上下させると、ネムは今度こそけたけたと笑い出した。
まさに世界を明るくするのは女の子だと思う。
だから、ルヴィの国では女性が何よりも大事にされている。
「あるからこうしてついて来ているわ」
「なあんだ、よかったぜ」
二人してひとしきり笑う。
そしてしばらくしてやって来た特大の甘味を二人で頬張った。
会計では大目にチップを払い、デザートの味を褒めちぎる。
にこやかに外に出たが、おそらくもうこの喫茶店には来ないだろう。
初来店でうるさくしてしまった。
「しっかし、モテるってのも大変だな」
「そのようね」
ルヴィはネムのことも言ったのだが、ネムはそれに気づかない。
映画に一緒に行くのを見掛けた恋人が焦るくらいに、ネムが恐ろしく魅力的ということが一因だろう。
「レドにはしばらく会えないと伝えなきゃ」
「災難だなあ」
誰にとっての災難かと言われれば、ネムにとっても、レギーだかレドだたというネムの友人にとっても、その恋人にとっても、だ。
「う、ごめんね、ルヴ。巻き込んで」
「え? ……ああ、オレのことじゃないって!」
明るく否定したが、ネムは困った顔をした。
「ルヴは完全に、巻き込まれ体質よ……」
今回はわたしだけれど、と呟くネムに手を引いてもらう。
そうかと首をかしげるルヴィはネムと共に地下鉄の出入り口の階段を下りていった。
「ねえ。レドとは、いつまで会わない期間を持つのがいいのかしら?」
具体的なことは何も聞かずにあの女学生は立ち去ってしまった。
しかしやると言ったことを履行しなければ、面倒そうだ。
それに今の状態で会えば、再びトラブルになるに違いない。
ルヴィはネムの兄貴分なので、そこはきっちりさせたい。
「うーん、どうせこれから期末試験が忙しくなるし、それが終わったらすぐに冬休みが一か月くらいあるだろ? とりあえず、年明けまででいんじゃないか?」
「……そうね、わかったわ」
ネムは頷いた。
しばらくしてやってきた電車に乗り込む。
人もまばらな席に座って、ふと額に手を当てた。
「どうしたんだ?」
「いえ。……わたしたちが期末試験や課題で慌てているっていうのに、こんな痴話喧嘩に巻き込まれるなんて考えてみたらちょっとムカつくというか」
ネムは顔をしかめていた。
一生懸命に勉強に打ち込んでいる姿を知っているルヴィとしてはその気持ちが分からないこともなかった。頭を撫でようとして、髪が不揃いなことに気づく。
「あれ? 髪切った?」
「あ………千切られちゃって」
ネムは隠すように頭に手を当てた。
ルヴィは表情が抜け落ちるのを感じた。
「――誰にだよ」
ネムは黙り込んだが、ルヴィはすぐに解った。
あの信号の赤の髪の女学生だ。
なんてやつだ。
アパートに着くと、管理室にマリエは不在だった。
壊れたガレージには車がまだあったのでどこかにはいるのだろう。
部屋に戻り、頼まれて髪をみられるように整えてやる。
髪が伸びていたのが幸いして、短い部分は一見して隠れていた。
至近距離で見ると気づくだろう程度だ。
全体的に揃えようと思うと、だいぶ短くなってしまった。
しかし自分で言うのもなんだが、ルヴィは手先が器用な方だ。
「上手いことできたな」
「そう? ありがとう。これからはルヴに切ってもらおうかしら」
「任せろ」
割と本気で返しながら、鏡の中のネムを見る。
薄青色の柔らかな髪を梳いて、自画自賛。
「オレ、やっぱショートが好きだな」
「知ってるわ」
ネムはくすくすと忍び笑った。




