68 大嵐
こちらを飛ばして投稿してました…
冬の嵐だった。
強い雨風によって窓枠がガタガタと鳴った。
週末は嵐と共にやって来た。
朝のランニングの日課は中止。
早朝に見た限り、窓の外は土砂降りの大雨だ。
今は風も強く、街路樹の枝は常に斜めにしなっていた。
簡単に朝食を済ませて、それぞれの部屋に籠って課題に取り掛かって数時間後。
座ったままぐっと伸びをすると眩暈がした。俯いて目を閉じると、じんわりと血が眼球に巡るような、痺れる感覚がした。眼精疲労も馬鹿にならない。電子機器で資料を眺めるよりも、ルヴィは紙で読むほうがずっと性に合っていた。だからといって一度きりしか使わない電子上の資料を紙に印刷するのは、資源の浪費に思えてとてもできない。目薬を差して瞬きを繰り返すと少しはましになり、机上の時計を見て思わず呻いた。
「うえ、4時間ぶっ通しはきっついな……」
机の上には、とある土地の20年ごとの地図が並べられている。
メールリ教授の報告した地域だ。
広大な森林と貫くような一本の河川、そして川を横断するような鉄道。問題の地域には住宅地として緑の中にあったが、自然にはあり得ないほどの高濃度の化学物質が検出され、土壌が汚染され、住人たちの健康も脅かされていた。
「原因究明とかって、そんな大層なことするつもりじゃなかったんだけどな……」
ただ過去の事柄を遡って行くだけ――それがこうも難航するとは。
ルヴィの推測はいたってシンプルだった。その地には工場があり、その跡地に開発が進んで、過去の汚染物質が今になってあふれてきてしまっているのではないかというもの。
「でも過去100年遡っても、工場なんてないんだよな」
そもそもその付近は、自然公園だった。長年希少な動植物を保護してきた自然公園に隣接するように開発された土地から、重度の障害が起こるほどの有害な化学物質が検出された。これはまったく不自然なことだった。
確認された住人の症状は、本国でも過去にあった公害病と酷似している。そのためルヴィは、今回報告された土壌汚染については、過去にあったであろう工場が原因と見当をつけていたのだが、そういった工場は影も形も見つからなかった。
「そうなってくると、自然公園もあるような、今まで手付かずだった場所に街を作ったら化学物質で汚染されてたって妙なことになる……けど、そもそも通常の500倍のセレンなんて、自然界に滅多になくね? どう考えても人工としか……」
仮説が外れて悔しいのとは違う。
ただどう考えても可怪しいのだ。
何かを見落としている――しかしそれが何なのか。
自説に固執するわけではないが、地図にのらない工場でもあった方が納得がいく。建設途中で頓挫したとか、すぐに潰れてしまっただとか、はたまた秘匿された研究所でもあったか、などとどれも地に足のついていない妄想のようなものを思い浮かべる段階で、扉がノックされた。
「ルヴ、ちょっと休憩しない? お茶を淹れたのだけれど」
「んー? あ、もうそんな時間か。ありがとな」
昼の二時を過ぎている。
ルヴィはトレイを受け取り、幼馴染を招き入れる。
簡易のテーブルに置き、ネムはルヴィのベッドに腰掛ける。ルヴィが受け取ったトレイの上には、紅茶とミルクと砂糖、そしてマドレーヌがあった。ネムはストレートだが、ルヴィは砂糖とミルクをたっぷり入れた。一服して、先に口を開いたのはネムだった。
「課題はどこまで進んだの?」
「レポート一つを除けば全部終わってるぜ」
本来であれば、明日マリエの教会へルヴィも行く話だった。
しかし、この嵐によって中止になった。
「見栄えのする聖堂だって聞いたから楽しみにしてたんだけどなー」
「しばらくは難しそうだわ。わたしたちには期末試験もあるのだもの」
「だなー……」
今回の大嵐は、マリエも管理室に出勤できていないほどの激しい風雨だ。
明日も大事を取って欠勤になる。
「マザーマリエの携帯、まだFBIに取られたままらしいぜ?」
だから、アパートの中で何かあれば、マリエの自宅の電話に掛けることになっていて、その電話番号を予めもらっていた。ミルクと紅茶のいい香りを吸い込みながら、金髪のFBI捜査官を茶化すように言うと、聞いたネムは呆れたような顔だ。
「まあ……きっと返すのを忘れているんじゃないかしら? 他にも、いろいろな事件に中途半端にかかわっているのでしょ? ヒーカンは」
ネムもどこからか聞きつけたらしい。
あるいはルヴィの兄がしゃべったのかもしれない。
「手あたり次第っていうか、節操がないっていうかな。それで、押収品の処理を忘れている可能性も否定できねえよな」
あの要領の悪さを思い出して、ルヴィは苦笑いした。ヒーカンの行動は非効率的なこと甚だしいが、だからこそ部外者でも横から口を挟んで入れ知恵したくなるのだろう。
「ヒーカンは、自分のやるべきだって思う範囲が広いんだろな。オレたちの目下のやるべきことは、課題だけど。ネムはどこまで進んだんだ?」
「まだあと四割残ってるわ……」
憂鬱そうに首を垂れる。
長くなった薄青の髪が白い項を隠していた。
「まあ、オレも実は難航してる。思ってた要因が見えてこなくてさ」
苦笑して白状すると、ネムは顔上げ、首を傾げた。
「でも――随分と楽しそうね?」
言い当てられて、ルヴィは顔を手で拭いた。
苦笑したつもりが、普通に笑っていたらしい。
誤魔化しが出来ない人間だよなと自分を慰め、ニッと笑う。
「実はさ、謎解きしてんだ」
「謎解き?」
ネムはルヴィの机を横目でみる。
口をとがらせて怪訝そうに尋ねてきた。
「ただのレポートなのに、何かの調査でもするつもり?」
余力があるみたいね、と呆れた声音が続く。
へらへらと笑って、頭を掻く。心境は、楽しいことを独り占めしていたことに気づかれたばつの悪さとでもいうのだろうか。温められたカップを両手で持ちながら、内容を話した。
「メールリ教授の地質調査報告で面白いのがあったんで、その問題の土地について調べてたんだ。自然界ではあり得んレベルの汚染が見つかったんだけど、何が原因でってところの記述が報告書にはなかった。だから、調べてみようと思ってさ」
「同じ地図が何枚もあるようだけれど……?」
「これなー、ぜんぶ年代が違うんだぜ?」
早速ルヴィの見当が外れた証明でもある地図を前で広げる。
一見してこの違いが分からなくても仕方ない。
過去の地図は合わせて5枚。
そのうち4枚は、ほとんど変わらなかった。
延々と緑があるだけだと表している。
「100年漁ってみて、以前の80年までは特に変化なし。鉄道が通ったり、道路が通ったり、自然保護の施設が出来たりってくらいだな。その大体が20年ごとだったから、それだけ印刷してみた。最近がこれだな。街が出来てるやつ。これで5枚分だな」
ぱっと見て明らかに違うのは、最近の1枚のみ。
川に沿うように、住宅地が開発されている。
高濃度の化学物質が検出されたのならば、当然原因があるはずだ。
「ここはもともと固有種があるような森林地帯なんだ。そこを国が自然公園としていて、その管理をする小さな施設ぐらいしかなかったんだ。それが近年になって、自然の近くで生きて行こうっていう有志が集まって共同体を作ったんだけど、どんどん人が集まったんで、正式にきちんと学校とか街の設備を整えようってことになって、周りの自然を切り拓いて住宅地を広げたらしいんだけどさ、開発したはいいもののって流れ」
「……なのに、その土地は汚染されていたの?」
ルヴィは頷いた。
ネムは難しい顔でしきりに首をひねっている。
そう――おかしいのだ。
「これは過去100年の地図で、もしこれより前に工場があったとしたら、それが原因なんだろうって思ってデータから拾って来たんだ。ただ、そんな痕跡はなかったんだ」
国によって保護されてきた自然公園の一部に作られた、エコロジカルな街。
この国の歴史はたったの300年程度。
遡ったのは100年間。
「もっと遡ったとして、工場が出てくる気配がないんだよな……」
そう言いつつも、ルヴィの口許は笑っていた。
分からない、それを自ら解明する。
それはまるで宝探しか謎解きだ。
「ずっと森林だったのね。なら、土地が原因ではないのではないかしら」
ネムの言葉に顔を上げた。
開発地の古い地図を遡っても見つからない。
見つけられていないだけだと思っていた。
「……というと?」
「本国でも、昔、建造物にアスベストを使っていたことがあったでしょう? それが発がん物質だからと、改修工事が行われていたというわ。何か、建物の塗料に悪い物質が入っていたとか」
ルヴィは首を振った。
それも思いつかなかったわけではない。
「オレも実は疑った。自然保護区でもあった近隣に、工場も何もなかった。つまり、手付かずの土壌が、一気に汚染されるような機会があったんじゃないかってな。それはつまり、人の手が入った、街づくりの段階、建設時に問題があったんじゃないかって。……ただ、環境保護の団体がこの街づくりを主導してるから、建物も昔ながらの煉瓦や木材で作ってるんだ。たぶん重機が入ったのも、地面を平らに均すくらいだろうな」
微苦笑しながら話すと、ネムが口許に手を当てた。
「平らに?」
地形の説明をしていなかったと気づいた。
勾配を表す線がない平地を見せながら、川とを指し示す。
「川へ自然に排水処理できるように、高さを作りつつ整地したんだな。川から遠い方を高くして、近い方へ徐々に低くしていくんだ」
言いながらルヴィは引っかかった。見落としていたものが見つかりそうな、足りない情報が転がってきそうなそんな予感を、ネムが明確な言葉にした。
「川へということは、そこが高さ0地点よね? なら、街は盛り土で勾配を作って高さを出している?」
もともと平らな土地に対して、川へ向かって下水の為に僅かに傾斜を作っている。新たに土を持っているのだ。そして、報告されているのは土壌汚染。
「そこら一帯は、自然保護区とその周辺だから汚染のしようがない。それは間違いがなかったんだ」
「人為的なことが原因なのは間違いないのだから、人の手が入った瞬間が問題ね」
「そこは考えたけど、道路敷くのも、鉄道を作るのもそんなやばい化学物質でねえよなって思ってた。……盛り土かあ」
人の手が入った切り替わりの地図4枚は無駄に終わる。
はあーと腑に落ちてすっきりとした気分になっていると、ネムがまだ証拠もないわと窘めた。
「そ、そうだな」
「ルヴ……この街の名前は何なの?」
「ハートフォール。この川の源泉があの有名な滝なんだ。そこから来てるらしい。……にしても、盛り土をどこから拾って来たんだ? 傾斜が増えてることを考えたら、どっかから持ってきたに違いないんだけどなー」
ルヴィは環境団体が運営するサイトを調べたが、盛り土の情報までが出ている筈もない。
「……団体が街づくりをしているのなら、盛り土を自分たちで買ったんじゃないかしら? 盛り土を扱っているサイトを確認してみましょうか。きっと安価なものを選んだんじゃないかしら」
これで辿り着けるとは思わないけれど、とネムは言うが、ルヴィはお願いした。
「破格に安い盛り土はいくつか……評価は最高の星5ばかり」
「なんか、逆に怪しー。特定はできねえしなー」
現地に取材でもすればわかるだろうが。
しかしそこまですると違う。ルヴィがやりたかったのは、資料からどこまで調べられるか、その限界を知りたかったのだ。
「ここまで、か……ありがとな、ネム」
「役に立てたのならよかったわ」
そう言いつつ、ネムは眉を下げていた。
「整地って着眼点はネムの物だぜ? 助かってるって」
ルヴィはニッと笑った。




