65 秘匿技術
あーだこうだと言い合いをしていると、電話が鳴った。
待っていた相手からだ。
取った瞬間にルヴィは一言告げられる。
『釣れた』
それだけだ。
ルヴィは返事をして電話を切り、やっと拳を握った。
「っしゃ! 帰れるぜ!」
これで憂いなく帰宅できる、少なくともルヴィは。
急いで片づけをして、室内の面々に手を振る。
「んじゃな!」
タクシーを降りると、辺りは暗くなっていた。昨日ぶりの帰宅。目の前は古い柳の木があるアパートだ。急いでパスコードを入れて玄関から入る。照明が点灯するより先に、慌ただしく階段を駆け上がり、屋への扉の鍵を開けて勢いよくノブを回した。
「ただいまっ……ネムっ」
扉の先に、ルヴィは幼馴染を認めた。
思わず目頭が熱くなった。
想定していなかった外泊だったので、再会の喜びはひとしおだ。
それがたとえ、怖ろしい剣幕でもって迎えられたのだとしても……。
「――おかえりなさい、ルヴ。一体何をしていたの?」
両手を腰に当て、仁王立ち。
長い手足でモデル体型だと、それすらも様になっている。
ルヴィは、パアァン、と顔の前で両手を勢いよく叩き合わせた。
頭をほぼ同時に下げる。
「ごめんっ……調子に乗って、少年探偵団みたいのやってました……!」
後ろでは扉がガチャリと閉まる音がした。
ルヴィの垂れた首には怪訝な声が降ってきた。
「……なんですって?」
唾を飲み込み、おちつけと念じる。
既に、本国から情報が回って来たのだろう。
ちろりと視線を挙げると、幼馴染の不機嫌そうな顔が目に入った。
果実のような唇は引き結ばれ、薄青の瞳には不信の影を宿している。
ルヴィは素直に白状することにした。
今となっては、隠す必要もない。
……ここに至るまでを回想した。
昨日、ネムと別れて、パトリックとカレッジ内に蔓延する新薬という薬物がもたらす身近な危険性について話し合った後のこと。カフェインと甘味を補給した図書館のカフェテリアから、ちょうど警察が来るという連絡を受けたパトリックとともに、そのルームメイトが入院中である病室へと向かうことにした。……同大学院に通う、アマンダというピオニー系アクイレギア人が配布しているかもしれないという情報を伝えるため、そして新薬を乱用しているらしいアンドリューを何とかしてもらうために、だ。
寒空の下、物々しく警察官と警備員二人が話しているのをしり目に、カレッジを出た。最寄り駅までは地下鉄で15分ほど。最寄り駅まで徒歩で行く時間を含めると30分ほどで着く。この道のりは、前回ルヴィが入院したときにパトリックが来たことがあるのでルヴィは付いて行くだけでよかった。泥濘に何度もすっ転びながら向かった病室の前には、パトリックの電話の内容の通り、警察官とそして――。
「なんでデイビッドさんがいるんです?」
「あれ、ルヴィの知り合いなのかい……?」
パトリックは不思議そうな目を向けてきた。
警察と共に、銀髪の長身のFBI捜査官のデイビッドがいた。
あまりに派手な容貌なので、一目でわかった。
警察に目配せして、苦笑したデイビッドがやあ、と手を上げた。
「久しぶりだね。今日はあのガールフレンドと一緒じゃないんだ」
「ネムとはそんなんじゃないですけど……」
この一言が、部屋のその場にいる面々に微妙な顔をさせた。
反応は様々だ。
「……そうじゃないかと思ってたけど」
マスクをつけたままぼそりと呟くのはパトリックだ。
ルヴィはちらりとその不審者にしか見えない顔を見た。
「誤解されてもいいやって思ってたけど……逆になんでそう思ったんだ?」
異性ふたりが一緒にいると、まず最初に疑われる関係性というのは理解している。そのため、どこか確信的なパトリックの物言いに、ルヴィたちが気付かない何かを感じ取ったのかと気になったのだ。
マスクが息苦しいのか、顎の下に下ろしてから口を開いた。
「ふう。根拠が必要かい? ……じゃあ、学術面からアプローチしようかな。デイヴィスが1985年に発表した、愛情・友情モデルがある。愛情の中に友情があり、愛情については二つのクラスターに分けられるとした。一つは情熱クラスターで、魅惑・性的衝動・排他性を、もう一つが世話クラスターで、擁護・最大の援助だというよ。友情については、喜び、相互援助、尊敬、自発性、受容、信頼、理解、開示性だね。ルヴィとネム嬢の関係性はまさに、友情モデルにぴったり当てはまるんじゃないかと思った、かな?」
聞いてみたはいいが、難しいことは分からん。
「そっか。まあ、ありがとな」
ルヴィは笑った。そしてルヴィをして長身と言わしめる、思案気な顔をしたデイビッドを見上げた。デイビッドの隣の男性警官はデイビッドの肩下に頭が来るほどの身長差だ。
「それでデイビッドさんは……どうしてここに?」
「捜査の関係でね」
浅黒い肌の警察に頷いて見せた。
すると、IDを見せ、所属と名前を名乗ってくれる。
「リグナムバイタ市警の薬物部門の刑事ビル・ブルームだ」
世界の首都といわれるリグナムバイタにおいての警察組織は巨大だ。広大なリグナムバイタ市地下鉄を管轄する地下鉄局、航空支援、ギャング対策、麻薬取締、爆発処理班、テロ対策、港湾隊、高速道路隊、タクシーに扮するなどして防犯活動を行う巡回局などの組織も内包する。
「パトリック、一昨日のサンプルの提供に感謝する」
「お役に立てたのなら幸いです。こちらこそ、僕のルームメイトの捜査をよろしくお願いします。それと……こちら」
パトリックがルヴィを示した。
なんでもいいが、この警官はよくこの恰好でパトリックだと分かったなと思う。
「僕の友人のルヴィです。こちらの方はお知り合いのようですが」
「お見舞いに来ました。ルヴィアス・キングサリです」
「どうも。君もカーマイン大学の子か?」
「はい」
尋ねられ、ルヴィは頷いた。
パトリックが揃ったので全員で病室に入った。
生憎ベッドの上の住人は目が覚めていないようなので、部屋の隅に集まった。
口火を切ったのは、警察官のビルだ。
「バーナード・ムーアの薬物の捜査についてだが、FBIと連携を取ることになった。君は知り合いのようだが、こちらがFBI特別捜査官のデイビッド・バートンだ」
「よろしく。君がルームメイトのパトリック・コールデンだね」
パトリックは差し出された手を握った。
首を横に倒して、怪訝そうに尋ねる。
「……FBIがどうして?」
「バーナードが摂取していた薬物に関連する事件が、このリグナムバイタで頻発していることが判明した。その成分と、他の州で使用された薬物とがヒットしたんだ」
パトリックと目を合わせた。
サングラスをしているのでよくわからなかったが、パトリックが尋ねてくれた。
「それってジャカランダ州ですか?」
「……どうしてそう思った?」
ビルは変わらない表情だ。
当たっているかどうかわからない。
しかし妙に疑われるよりも、考えを述べるだけ言ってみようと思った。
「実はオレ、そのことについて、お話ししたくてパットに付いて来たんです」
これはただ証拠があるわけではない。
ただ、推測だ。
それでも放置はしたくなかった。
「オレのルームメイトに危険があるかもしれなくて」
ルヴィはパトリックについてきたいきさつを話し始めた。
ある学生とトラブルがあったが、その学生が薬物を使用しているらしいこと。
その薬物を渡している学生にも心当たりがあることだ。
「ルヴィが通うカレッジでも広まっているのか。名門カレッジの闇かな」
「若者はそういった薬に手を染め易いのだ、デイビッド」
貶されている気がする……。
しかし実感のこもったようなセリフに何も言えない。
確かに、カレッジ内の至る所でカンナビスらしき匂いは嗅ぐ機会はあった。
「それもそうか。でもルヴィ、今はちょうどういいぞ」
なあビル、とデイビッドが眉を片方持ち上げた。
随分と気安い関係のようだ。
ビルは、眉間の皺を指で解しながら教えてくれた。
「対策ができるという点では、な。……この薬物に関しては、今日の午後に制度が改定された。現時点では違法の分類に入っている。その子の名前を教えてもらえるなら、監視対象に入れておこう。あと、その薬物を他に持っているのなら、今のうちにすべて渡してもらいたい」
違法所持になるからと。しかし、ルヴィはもとより持っていない。パトリックは警察に渡していない分を、自分の伝手で成分分析したようなのでまだ持っている可能性は高そうだ。パトリックはすらすらと答えた。
「いえ。あれが全部です。トラブルになりかねないのが、アンドリュー・ワンと言います。新薬をパーティーで配っているようなのが、アマンダ・ヘイリーです。二人ともピオニー系で、東洋人たちの集まるパーティーが共通点のようで、交流しているのを耳にします」
ルヴィは顔色を変えないようにするのを頑張った。
「そうか。監視対象としてリストに入れておこう」
そう警察が言った時、病室でこんもりとした山になっているベッドの上からうめき声が聞こえた。
「バーナード、起きたのかい」
パトリックが大股で近寄った。ベッドの脇のAIナースの画面が明るくなり、睡眠時間などの測定数値を告げる。ルヴィも後に続こうとしたが、動かない捜査関係者が気になって声を掛けた。
「どうしたんですか?」
警察官のビルとデイビッドが意味深に目配せしていた。
尋ねると、まず口を開いたのはデイビッドだった。
「君はある意味当事者だから伝えてもいいかな。……患者にまた睡眠薬が投与されていることが発覚したんだ、この病院内でね」
視線を横にずらす。
そこにいるのは、パトリックとそのルームメイトのバーナードだ。
ルームメイトがなかなか目を覚まさないのだというパトリックの話を思い出す。
「まさか今回もってことですか……?」
「彼の点滴棒に僅かに付着していた。体内には睡眠薬の成分は検出されなかったがね」
それは特殊な睡眠薬だったということだろうか。
ルヴィは専門家ではないので、睡眠薬が体内に残る物なのかは分からない。
「じゃあ、マードック先生が戻って来たんですか?」
「いいや。彼は既に……いや。彼が不在であるこの病院で再び同じ事象が起こっている」
マードック医師は命じられて行ったとルヴィは思っていた。
それは間違いなかったとしても、他にも命じられて行っている人がいる?
それとも命じた本人が直接行っている?
考え込んでいると、デイビッドに目で外へ出るように促された。
「ビル、こちらを頼んだ」
デービッドは既知の仲らしい警察官のビルにそう言うと、ルヴィの肩を抱いて別室へ誘導してくる。そこは隣室だった。寝泊まりしていたのか、何かの機材などが置かれている区画と、カウチの上のブランケットが散乱している区画とがあった。
「片付けが苦手でね」
「いえ」
ルヴィは長居するわけでもないと気にしていないジェスチャーをする。
携帯ではなく、何かの危機を取り出して、スイッチを押す。
「驚かないのかい」
「………兄と連絡するときも使うんで」
会話を盗聴されないためのジャミングだ。
ルヴィは携帯の電源も落として机に出す。
デイビッドは口許で笑って同じように出した。
「君のお兄さんは恐ろしい人だね」
機材のスイッチを入れて、画面が光る。
画面の前にいるデイビッドは顔が青く照らされる。
ルヴィは、接続待機中の画面を見た。
「仕事仲間にはなりたくないなって思います」
「なるほど。まあ、同じ会社に入ることは常人にはほとんど不可能だろう」
ルヴィは肯定も否定もしなかった。
「不可能を可能にした、夢物語を現実にした。そんな奇跡の技術の博覧会だからね。まさか、この目でその関係者に出会えるとは思わなかった」
「オレは関係ないんですけど……」
関係者の親族なだけだ。
それは関係者とは言わないだろう。
「なんですか? ……人質にするとか?」
ルヴィはこう思った。うまく交渉が行かなかったので、自分を取引材料に当てるのだと。
実際は思っていたのと違った。
「いいや、感謝をしたくて」
「感謝?」
画面に人影が写った。
デイビッドは口許で笑みを浮かべた。
「ヨモツヒラサカは素晴らしい創業者だ。身内に、ドナー移植でもどうにもならない状態の子がいたんだが、保管されている技術によって臓器を培養し、助かったんだ」
『それは俺の技術じゃないけどな』
横を向いていた長兄がこちらを向いた。
その顔が思いっきり歪むのをみて、ルヴィは慌てて先手を打った。
「兄貴、えーと。ばんわー?」
『こんばんは、になるか?』
大きなため息が聞こえた。
「さっきの、培養……なんだっけ?」
仕方なしに兄は説明する。それは表に出てこない技術だった。ES細胞などの分化万能細胞は、分化万能性を維持したまま増殖し、多種多様な細胞へ分化可能だ。しかし、分化万能細胞も体細胞の核内に持つ遺伝子の塩基配列は全く同一なのだ。分化能の違いは、様々な遺伝子の発現量とそれを制御するクロマチン修飾、およびDNAメチル化などのエピジェネティックな情報の違いに由来するという。
『例えば、ES細胞はOct3/4やNanogなどの遺伝子を発現して分化万能性を維持している。だが、終末分化した体細胞ではこれらの遺伝子は発現していない。すべての体細胞はOct3/4やNanogの遺伝子を核内に持ってはいるのに、様々な転写因子やエピジェネティック機構により、発現が抑制されているんだ』
兄が以前ルヴィに話してくれたことだ。すべての体細胞の遺伝子は、すべての細胞に分化可能な素養を持っており、分化させないように抑制している機構を、人の手でどうにかすれば、例え心臓であろうと眼球の角膜であろうと、培養することができるという。
『その遺伝子発現パターンの違いを解析し、人為的に切り替えることが出来れば、分化した体細胞を未分化な分化万能細胞へと戻すことができると考えられていたんだ』
「つまり、初期化みたいなことか?」
『リプログラミング、その通りだ。この仮説を裏付けていたのが、核移植技術によるクローン胚作製の成功だ。核を取り除いた未受精卵に、体細胞から取り出した核を移植する。これによって、核内の遺伝子発現パターンが未分化な細胞のパターンにリプログラムされることだな』
「ど、どゆこと?」
『つまり、卵やES細胞の中に、核内のエピジェネティックな情報をリプログラムする因子が含まれていることを意味している。これが万能に分化できる細胞と、出来ない体細胞との差だということだ』
例えば、メチル化されたDNAは静止状態であり、DNAメチル化、ヒストン脱アセチル化、ヒストンメチル化などで、DNAが凝縮し遺伝子発現がオフになる。不活性化だ。それに対して、非メチル化DNAは活性化状態であり、DNA脱メチル化、ヒストンアセチル化、ヒストン脱メチル化などであり、DNAが緩み遺伝子発現がオンになるというものだ。
「なるほどな、わからん」
新技術というものはこれまでの歴史上いくつも存在した。
表に出たのは一握りで、一瞬出たとしてもすぐに消されることが多かった。
その研究者・開発者を保護し、新技術を保管する組織がある。
表では大手製薬会社と銘打っている。
長兄フィサリス・キングサリはそこの一職員だ。
仕事はいつも危険と隣り合わせ。
ルヴィはその家族だとは知られてはならず、その組織があることを口にしてもいけない。その技術のやり取りには天文学的な額が動いている。まさに命がけ――敵は世界の富の殆どを掌握しているのだ。




