64 余罪
運ばれてきたエスカルゴは、貝類のような触感だった。
彼の柳眉がひそめられるのを見て、ネムは意地悪な気持ちが湧いてきた。
フォークですくい上げ、彼の顔の前に差し出す。
「食べてみない?」
もちろん、本気ではない。
ただ、先ほどのような戸惑った顔が見たかっただけだ。
その報いか、ネムは自分が驚いた顔をする羽目になった。
「………あ、あの……だ、だいじょうぶ?」
ネムの手首に手を添えて、口許まで運んだ彼は、エスカルゴを一口した。
眉間に皺を寄せて咀嚼していたが、やがて嚥下した。
「水はいる?」
ネムは間違えて自分のグラスを差し出していた。
彼は口許を押さえて首を振る。
「奇抜な、味はしていないな」
「そうね……強いて言えば、オイルの味かしら」
ネムはグラスを下ろして眉を下げた。
「これが好みなのか」
彼の視線から、エスカルゴを見下ろす。
目を瞬いた。
「好みかと言われると、なんとも……これ以外にもっと好きなものがあるわね」
あっけらかんとネムが答えると、彼は「そうか……」と目を伏せた。
その複雑そうな顔を見ていると、気分がよくなるから不思議なものだ。
じっとそのかんばせを眺めていると、重要なことを忘れていることに気づいた。
「――それで、なのだけれど」
ネムはようやく口火を切った。
昨夜ルヴィに、新しくできた友人と親睦を深めるのは良いことだと言われた。
しかし、今日彼と待ち合わせをしたのには、表向きのショッピングとは別に、目的があった――昨日の騒動のことだ。
「……アンドリューの件についてはどういった扱いになっているの?」
あの時のネムは気が動転していた。そのため、警備員やそのまた外部の警察とのやり取りで、間に彼が入ってくれているようなのだ。経過の内容も、今朝のようにメッセージで知らせてくれる。ありがたいことだが、そのためにネムは当事者であるにも関わらず、どのように捜査が進んでいるのかが分からないのだ。
「今は警察の管轄の病院にいるが、勾留中となっている。薬を処方され、今は意識もはっきりしていて、取り調べを受けている」
「そう、よかった」
ネムはほっとした。ネムの言葉に彼が目を向けてくるのが分かった。言おうかどうしようか迷ったが、彼が間に立ってくれているので、正直に言うしかなかった。
「わたしね、使っていたスタンガンを改めて確認したら、強度が最大になっていたの……もし、万が一があったら大変だと思って」
「スタンガンで人が死ぬことはない」
「そうよね? わたしも気絶するだけだって聞いてたから、気負いなく使えたもの」
アンドリューはうめき声をあげて気絶し、ネムの上に乗っかってきたが、その重たい体は常に呼吸して、生暖かい呼気をネムの首筋に掛け続けてくれたのだ。思い返しても腹が立つ。必死で顔をそむけたが、だらしなく口から吐かれる息は、妙に甘ったるい匂いがしていた。まるで香りの強い花々を全種類取り集めて鍋に無理矢理煮詰め、人工甘味料を大量につぎ込み、そこへ胃液が混ざっているのか、据えた匂いまで加わっていた。その空気を間近で吸わざるを得なかったネムは、あまりのことに意識がぼんやりと遠のきかけたほどだ。
「……次に会ってわたしを責めてきたら、それこそ許さないんだから」
ネムが息巻いていると、
「アンドリュー・ワンがカレッジに戻ることはない」
「え?」
驚いてネムが彼の顔を見た。
「他に4件の傷害と2件の器物損壊の罪状が上がっている。退学は必須だ」
「そう、なの……」
ネムのせいで、と思ったがあまりに余罪が多かった。
むしろ、そんな人物とグループワークを共にしていたことにゾッとした。
「わ、わたし、よく無事だったわね……」
「無事、では……」
彼は言いかけた言葉を切った。
ネムは首を傾げた。
「それで、わたしは改めて事情聴取をされるの?」
最も気になることだ。
FBI捜査官であるヒーカンの取り調べを思い出し、緊張した面持ちで尋ねる。
彼は首を横に振った。
「すでに現場での証言が警察に伝えられている。そのほか、別件での訴えが既に進行しているので、大きく取沙汰されることはない」
「それなら今後、連絡も警察から来ないということでいいのかしら?」
「ああ」
ネムはほっとした。
ならば、ルヴィにもマリエにも知られる可能性は低いだろう。
ルヴィに知られるくらいなら、マリエで止めておきたいとまで考えていたので安心した。
「よかった。……ねえ、このことは他の誰にも話さないでもらえないかしら?」
「ああ」
「ほら、周りに知られると、よくない噂とか流されるかもしれな……え?」
「誰にも言ってはいない」
「あら、そう。……ありがとう」
ネムが余計な気を回し過ぎたようだ。
良識を備えた人間が、人に起きたトラブルを吹聴するはずもない。
「わたし………あなたにお礼がしたいの」
皿が入れ代わり、デザートが運ばれてくる。
彼は給仕の腕の向こうからじっとネムを見ていた。
彼に欲しいものを聞いても、すべて自分で手に入れるだろう。
謝礼だって、彼にとっては意味がない。
ネムは彼の僅かな身じろぎにすら揺れる美しい純粋な黒髪を見つめた。
「ちょっとだけ付き合ってもらえる?」
「………ああ」
食事を終えて、コートを受け取り、会計をスルーする。
そして頭を下げる店の者に見送られながら外に出た。
呼吸が一気に白くなる。
「ごちそうさま。ありがとう。とても雰囲気が良くて素晴らしいところね」
「エスカルゴ以外も気に入ったのならよかった」
ネムは思わず笑い、その一方で思考を巡らせる。
さて、行き先だがどこへ行くのが適当だろう。
携帯を取ろうと、バッグを探ると先ほど受け取った名刺が手に当たった。
住所がこの近くだ。そこに行ってもいいかもしれない。
ネムは携帯に住所を入れて、マップ表示した。
「こっちよ」
赤いピンが止まった場所へ、彼の腕を引いた。
到着して看板を見上げると、名刺の面と同じロゴが入っていた。
立派な店構えだった。
ネムはドアを開けようとしたが、自然な流れで彼が先んじた。
なかへ促され、ネムは店内に進んだ。
服飾を扱うブランドだった。
こういうところには大抵取り揃えてあるはずだ。
「こんにちは、何かお探しでしょうか」
流れるように迎え出た店員が声を掛けてくる。
ネムはにこりと笑顔を作っていった。
「髪飾りを探しているのですけれど」
ネムは真剣な目で、どれがいいかじっくりと覗き込んだ。
光沢のあるリボンや差し色の入った紐、かちりとはめることができる筒状の髪飾り。
ひとつひとつ手にとっては、彼の顔の横に添えて眺める。
「………どれも似合うわね」
「まるで画面越しから飛び出てきたかのような美麗な方ですから、何でもお似合いです」
ネムも心から同意した。
ビジュアルにケチのつけようがないとはこのこと。
「これなど、色男なお客様にぴったりでは?」
「黒髪と赤は間違いないわよね……」
ネムはため息をついた。
でも……と、青色や紫色や緑色や黄色にも目が行ってしまう。
そう、どの色でも似合ってしまうのだ。
しかしはたと気づいた。
ネムは黄色い紐を手に取り、彼の髪をひと房すくって結ってみた。
するりと髪から紐が落ちてしまう。
「髪を、結えたためしはない」
「そ、そう……」
ぎりいと奥歯を軋ませる。
するとお客様、と店員が目に力を入れてネムを見てきた。
「これは、絶対に解けない、髪留めです」
赤い髪結い紐と弓のような形をした金具の組み合わせ。
この店員の一押しが赤色だということがわかる。
こうします、と結い方を台に置かれているマネキンで試してくれる。
ネムはそれに倣って、彼を椅子に座らせて、結んでみた。
くるりと一回転させて簪のように金具に紐を通し、固定する。
すると、定位置から外れつつも、ごく緩くではあるが、一つにくくることができた。
弓型をした金の台と赤い紐の組み合わせ。
どことなくピオニーっぽさを感じさせるではないか。
「すごいわ! これ、買います!」
「……お買い上げありがとうございます」
ネムはにっこりと笑ったが、店員は納得のいく出来ではなかったのか悔しそうな顔をしていた。
値段は600ドルと髪飾りにしては破格に高いが、ブランドとはこういうもの。
口止め料? ……あるかもしれないが、これは感謝の気持ちだ。
彼が何か言う前にクレジットで支払うと、彼にその髪留めをそのままプレゼントした。
「とてもよく似合うわ」
食事の後は、映画鑑賞に行った。有名な極悪人たちにミッションが与えられそれを個性豊かなキャラクターたちがユーモラスに解決へ導くといった内容の映画が公開されていた。ちょっと広告を見ていただけなのだが、気を遣われて観ようと誘われた。興味があるかと言われると違うのだが、せっかくの機会に、アクイレギアの映画鑑賞らしいことをしてみたい気持ちもわいてきた。
「ねえ、アクイレギアだと、大きなポップコーンを買うのでしょう? あなたがいつも頼むのは何味?」
彼は黙り込んでしまった。
そして、あまり食べないので知らないと言った。
「そう。炭酸も飲まないし、あなたってわたしが想像していた典型的なアクイレギアンじゃないのね」
言ってしまってからすぐに訂正した。
「悪い意味でではないのよ? ほら、わたしだってオレンジジュースだわ」
「映画では、コーラとキャラメルポップコーンの組み合わせだということは知識としては知っている」
「そう。ならキャラメルと……あなたは甘いものが苦手よね? キャラメルとソルトでハーフにしてもらいましょう」
ネムはパパっと払って大きな容器を持たせた。
「わたしが飲み物を持つから、お願いね」
通路を通って、暗いシアタールームに入ると、平日の昼間ということもあり人は少ない。指定の席に腰掛けて間にコーンを置いた。開始もしていないけれども、キャラメル味を口にする。
「暗い中でポップコーンを食べるのも乙なものね」
「今までは?」
「わざわざ映画館で見ることってあまりなかったの。やってみたかったことができてよかったわ。もうこれで大方満足してしまったかも」
オレンジジュースを口にして、背もたれに凭れる。
上映前のコマーシャルが流れている。
時間になり、映画が始まる。
登場するキャラクターたちが悪役なので、バトルシーンで血しぶきが噴き出て、肉片が飛び散った。なぜ人体の断面をわざわざ見せるのだろう、とネムは目を手で塞いで、隙間からのぞき見た。
「……この映画は苦手だったか?」
「今のシーンは本国では規制対象ね。モザイクが掛かっていないから驚いているの」
話は面白いと普通の声音で、目をブラインドしたまま伝える。
何故なら本国で想像する静かな上映会ではなく、一人一人が映画に向かって歓声を上げたり、野次を飛ばしたりするという、観客参加型のようなものだったのだ。人は多くもないのに、にぎやかだった。むしろかき消される勢いで、ネムは隣にいる友人とやり取りをするのに、顔を近づけなくてはならなかった。
「レドはこういうアクション系が好きなの?」
「今日初めて見た」
どうやら本当に気を遣ってくれたらしい。
映画を見終わり、グッズを鑑賞して、メッセージが届いていることに気づいた。
ルヴィからだと思っていたが、本国からの連絡も複数来ていた。
顔を顰めていると、どこからか強い視線を感じて振り返った。
しかし誰からかは突き止められなかった。
その後も、ついて来るような視線を感じて体をこわばらせていると、彼が身を寄せてきた。
「――どうした」
「誰かに見られている気がして……」
「……アンドリュー・ワンは勾留されている」
心配はいらないという意味合いで言われる。
ネムはアンドリューの視線を意識したためしがないので、分からない。
けれども……。
「でも、ちょっと違うような」
これは突き刺すような鋭い視線だ。
実際に刺されているように感じるが、これは神経が過敏になっているだけだろう。
「きっと……わたし、疲れているのかもしれないわ。休み明けだもの。いろいろあったし」
「今日は休むといい。送ろう」
彼と話す間、後頭部に銃口が付きたてられているような緊迫感があった。
善意の申し出に、ネムは断ろうとも思えなかった。
手が震え出した。彼はネムの冷たくなった手を取り、やって来た高級車へと支えてくれる。ネムは乗り込みながら、再び視線を感じて顔を上げたが見つけられない。
車には行ってしまえば楽になった。
もやもやした気持ちを抱えたまま、帰宅する。
何者かに睨まれているような感覚を思い出して神経を削られていたが、本国からのメッセージの内容にすべてが吹き飛んでしまう。
「ルヴ……わたしがいない間に何をしているの?」




