58 天然由来
そういえば、パトリックは話を始める前に、自分の口許の怪我を指さしていた。
「親父さんにしこたま殴られたんじゃないのか」
「父も目は狙わないよ、いくらなんでもね……」
失明の可能性がある、と苦笑いしつつも、深刻そうな顔だ。言いにくかったのはむしろ、こちらの方だったのかもしれない。
確かに。つまり、失明の可能性があるのに、目を殴られたのだ。
それは先ほどの親子喧嘩より、危険で、悪質だ。
「じゃあ、誰にだよ?」
「それが……」
講義室に他の学生がやって来た。
どうやら次の講義で使われるらしい。
パトリックは顔をしかめて、口を閉ざした。
ルヴィは肩をすくめる。
「場所、変えるか。あ……見舞いのクッキーありがとな。めちゃうまかった」
他の人には聞かれたくなさそうだ。
さっきの話も、あまり大っぴらにはしないものだろう、本来は。
だって、排他的で秘密主義と自分で言ってたのだ。
「喜んでもらえてよかったよ」
「お礼に、コーヒーでも奢るぜ」
「なら、図書館のカフェテリアでお願いしようかな。他のところはどうにも口に合わなくて」
パトリックはマスクとサングラスをした。そしてルヴィたちは一緒に立ち上がって、荷物をまとめ、図書館へ向かう渡り廊下を進んだ。図書館は、この講義棟からだと、渡り廊下を二回通過すると辿り着く、なかなかの距離にある。そして1階から地上に降りて行くよりも、渡り廊下を使っていく方が、人通りが少ないうえに、屋根があるので雪が積もっていることもない。安全な道のりだ。歩きながらパトリックが再び口を開いた。
「……この目の怪我だけど、ルームメイトにやられたんだ。薬で幻覚を見たらしい」
「ルームメイトいたんだな! ……幻覚!?」
「いつもは温厚なんだけどね。僕の代わりに参加してもらったパーティーで配られた新薬を試したんだろう」
「し、しんやく?」
いや、パトリックの代わりに?
どこを突っ込めばいい……。
「パーティーはもともと僕が誘われてたんだ。秋休みの間にあるって、他の教養で一緒だった学生からね。でも僕は、ちょうどエルムに里帰りする予定があって」
どうしても気になってルヴィは尋ねた。
「その、自分の代わりに他の知り合いを呼ぶっていうの結構あるのか?」
「え? ……割とあることだと思うけど?」
パトリックは何でもなさそうに頷く。
ルヴィはその場合の問題点を広げて見せる。
「――それって互いに初対面にならね?」
サングラスから、金色の眉が片方持ち上がる。
すぐに眉がしかめられる。
「いたた……交友の輪が広がるだろう?」
「たしかに……」
こういう文化圏だ。
しかしルヴィにはきついし、ネムだったら耐えられないだろう……。
「その、パーティーで薬配るのって、普通なのか?」
「ここでは珍しくないね。断ればいいだけさ。僕は一切しない」
するとパトリックは思い出したように笑った。
「君たちが、以前、クラスメイトに誘われたパーティーでカンナビスを一服誘われて、ショックを受けてそのまま帰って来たという話を思い出した。そんなことを聞かされると、二人とも大の大人だというのに、僕が過保護になってしまうよ」
子ども扱いされて、むっとした。
「でも、実際、パットのルームメイトだって薬で暴力ふるって来たんだろ?」
「それが問題さ」
あっさり返されて肩透かしを食らう。
つまり、どういうことだ……?
「ルヴィやネム嬢には無縁かもしれないけれど、だからこそ耳に入っていないと思って。今、このリグナムバイタで急速に流行ってる新薬って知ってる? 割と有名で、そろそろ取り締まりが始めるんじゃないかって話だけど」
「………カンナビスじゃないのか?」
「それは大昔からだね」
そういえば、ネムが調べてくれた時にも、珍しくはないと言っていた。
「流行っているのは、現時点では合法だ。一応だけどね。参加したパーティーで新薬が配られていたというのは、送られてきたメッセージで知っていたんだけど。辞めろと返信したのに、それを僕がいない間に部屋で試したらしい」
「そんな暴力ふるってくるような幻覚みるのに、合法なのか……」
「取り締まりが追いついていないだけさ。きっとまたルームメイトは、瘦せるって相手からそそのかされたんだな」
パトリックは額に手を当て、ため息をついた。
「その幻覚で、部屋に戻ってきた僕を強盗か何かだとと思ったようだよ」
「うわ……エルムから戻ってきて早々、災難だな……」
「そうだね。信じられないよ。自分の身に起こったことが」
その感覚はルヴィにも覚えがある。
つい最近の出来事がまさにそうだ。
ジェンキンス教授の言う通り、人生は思いもしないことが起こる。
それはルヴィ自身にもそうだが、パトリックにもそうなのだ。……ネムにも。
「銃とか持ってなくてよかった」
「本当にね。でも、ハイになっていたのか、椅子を片手で持ちあげたときは焦ったね。なんとか避けて止めたんだけど、椅子は粉砕。ルームメイトはそのまま泡を吹いて倒れたから、救急車を呼んだよ」
「めっちゃ、怪力じゃん……」
外つ国の人間、すげえと思っていると、パトリックは首を傾げた。
「薬で一時的にじゃないかな。いつも自分の体が重たくて、思うように動けないっていうのが口癖なんだ。腕も……肩から上に持ちあげるのも息が上がるほどだったし。倒れ込んだ時は建物全体が揺れたような気がしてさすがに驚いたかな」
「もしかして巨体……」
ルヴィは言葉を選んだが、脳裏には自分の体重を支えられないほどに太った肥満体型の映像が流れていた。アクイレギアには、人口がほとんど肥満の街があるとか。
「そんなこともあってルームメイトは今、入院中だよ。まるでルヴィと入れ代わりって感じだね。病院もルヴィたちと同じところなんだ。昨日も見舞いに行ったけど、まだ目が覚めていないらしい。相当きつい薬だったんだね。あんなに険しい顔をしたところを初めて見たよ」
「怖え」
痩せる薬という謳い文句には注意しよう……。
「それで、ルームメイトが参加したパーティーで薬を流してたのが、誰なのかを参加した人に手あたり次第に尋ねてみたら、アマンダって子が配ってたというのが分かったんだ」
「ふーん、どういう子なんだ?」
首をかしげて尋ねると、パトリックが肩を落とした。
眉間を揉もうとしたが、サングラスをしていたので指を弾かれていた。
唸りながらルヴィに告げる。
「ネム嬢のグループワークで一緒だったピオニー系アクイレギア人の子だろう? アマンダ・ヘイリー」
そこまで言われて思い出す。
この秋休みにいろいろあり過ぎて、すっかり忘れていた。
「いろいろあったし、無理もないと思うけど。あのアマンダって子は、ピオニーの集まりの中でも声が大きいみたいで、いろいろ火種を抱えているようだよ。僕も例の間違った噂はそれとなく修正してるんだけど、あそこの特異な集まりにまでは入り込めない。そこからの噂がどうしても嫌な感じに僕の耳に入って来るんだ」
「……話が長くなりそうだな」
ルヴィは歩きながら、ネムに先に帰るようメッセージを送ることにした。
これ以上、あのグループワークのメンバーにネムのメンタルを損なわせるわけにはいかない。
講義棟をもう一つ越え、図書館に入り、一階に降りた。
図書館内のカフェテリアは、静かで落ち着いている。
木の梁が大きく外に迫り出し、そこからガラスの壁で解放感があるデザインだ。
そのカフェテリアでカプチーノとエスプレッソを頼み、デザートにはチョコレートとスコーンとした。一番端の席に腰掛ける。パトリックが小さなカップを持ち上げた。
「退院祝いに」
「ありがと! パットも早く良くなりますように!」
小声でカップを持ち上げ、パトリックはマスクを外した。
ほぼ同時に一口飲んだ。そしてルヴィから尋ねた。
「で、嫌な感じにっていうのは?」
「アンドリュー・ワンは今いくつも傷害事件抱えてるって言ったのは覚えてるかい?」
来るとは思っていたが、やはりあの馬鹿の話だ。
ルヴィは青筋が浮かぶのを感じながら頷いた。
「ああ。忘れもしねえよ」
「賠償金の話が上がってる。それで家に泣きついたんだろうね。とうとう父親に見限られて、今は生活費も打ち切られてしまっているらしい。一人息子だから、結局また、援助は再開するだろうけど」
一人息子がそんなのだったら、怒りもするだろう。
箔付けのために高い学費を出して送り出したのに、傷害沙汰で警察の厄介に何度もなっているとなれば。
「親も大変だな……でも、どうするんだ? 就労ビザじゃないから働けないだろ」
「少なくとも、自分で働くっていう考えは持ってないんじゃないかな」
働けないし、生活費は打ち切られるし。
詰んでないか……?
「それで精神的に追い詰められて、さっき話した流行の新薬に手を出してるって話だよ。勧めたのがアマンダってことらしい。そのアマンダって子は、もともとジャカランダの大学で、結構やらかした子らしい。ジャカランダはリグナムバイタよりも薬っていう面では緩いからね」
ルヴィとしては、リグナムバイタでも相当に緩いと思っている。
そのため、ジャカランダの話はまさに無法地帯に聞こえた。
「パットの温厚なルームメイトが幻覚を見て暴力を振るってきたっていう薬を、もともとが思慮が足りなくて自己中の傲慢アンドリューに……?」
「そのようだね。家に籠りきりなのを心配したピオニーの仲間がパーティーに誘って、そこでアマンダが振る舞った流れらしい」
どうやら、新薬に嵌ってしまったアンドリューは常習するようになり、薬の力を借りて、家の外に出て来れるようになったらしい。
「……つまりなんだよ? 元気になったってことか?」
「そのまま家に籠っていた方が、世の為だと思うよ。今のアンドリューは何をやらかすか分からない怖さがある。僕のルームメイトを見てそう思って、伝えようと思ったんだ」
でも、とパットは携帯をちらりと見た。
「メッセージで伝えると、その言葉を感知して、監視されるだろ?」
「AIの監視は、無作為の単語抽出だもんな……」
メッセージでのやりとりはAIの監視を受けているのは事実だ。
表向きは、犯罪防止、不適切な思想の禁止の為だ。
しかしそれとは別に、盗聴もされているのではないかというのはひと昔前から存在する疑惑だ。
「新薬は服用後の後遺症や副作用がほとんどないらしい。ほんとかどうかは知らないけどね。それを信じて、以前からやっている連中が常習しているのはそうだけど、初めて手を出す学生も気軽に手を出すならそこからって感じで急速に広まっている。単価が安いらしい。お金のない、今のアンドリューでも手に入るくらいにね」
「もう、マジでやめてくれあいつ」
逮捕されてくれた方が安心だ。
「今朝の玉突き事故も、一番後ろの車から確認されていない薬が出てきたらしい。それが今回アマンダが配っている新薬と同じかはまだ分からないけど、用心してと伝えたくて」
「この国やばいじゃん……アマンダって何者?」
どんな人物だったかは印象が薄い。
酷すぎるアンドリューの影に隠れた感じだ。
「僕も彼女がそういう子だとは思ってなかったから、焦ってるよ。アマンダ経由だと聞いたのが、昨日の今日だからね」
ルームメイトの異変が、このリグナムバイタで流行っているという新薬の影響によるという。それをばら撒いているのが、果たして一学生であるアマンダだけなのか。手掛かりには違いないが。
「……ジャカランダに知り合いでもいればね。新薬の方は僕の伝手で、警察に提出したのとは別にルームメイトが摂取したと思われる新薬の成分を分析してもらったんだけど、それがロムドゥオルに固有種の花を原料としていることが分かったんだ」
植物と聞いて、ルヴィの頭にはすぐにメールリ教授が思い浮かんだ。




