51 内部告発
病院の前まで送ってもらったネムは、出てこようとする彼を押しとどめ、開いた車窓から礼を言って別れを告げた。すると、彼は最後に一言、尋ねてきた。
「――担当医に不便はないか」
「お医者様?」
思いもかけない言葉でネムは戸惑った。
「そうね……」
ルヴィの担当は今朝、別の医者に代わっていた。
担当医が代わったタイミングで、対応は一変した。
「新しく変わった担当医は、急なお願いにも融通を聞かせてくれたわ。通常は予約が必要な精密検査を、すぐに受け付けてくれたの。……わたしは迷惑な客ね」
無理を言った自覚のあるネムは自嘲した。
「客の要望に応えるのがビジネスだ」
「……あなたがいうと、病院も形無しね」
当然といった口調だが、ネムは慰められたように感じた。
「ありがとう。今度のお医者様は、話すとその通りに対応してくれるから、きっといい方だと思うわ」
前の担当医は、問題ないの一点張りだった。
ルヴィが起きない間、何度か様子を見に来てくれたのは心強かったが……。
逆に言えばそれだけだったのだ。
「ならいい」
ネムは、その言葉に瞬いた。
不思議に思いながら、「ええ」と頷いた。
先に、と手で示されるので、ネムは迷ったが先に病院の中に入る。
振り返ると、高級車はまだ止まっているので、手を振ってみた。
マジックミラー越しなので外からは、中の様子が分からない。
ただ、なんとなく……手を振り返してくれた気がした。
「ルヴ、戻ったわ」
ネムが病室に入ると、そこにはルヴィだけではなかった。
油断していたネムは紙袋片手に、一瞬身構えた。
「お帰りー、ネム。野郎ふたりでくさくさしてたところだぜ」
ネムはとりあえず、来訪者であるヒーカンに挨拶をした。
「こんばんは、ヒーカン」
「邪魔している」
部屋には既にネムがルヴィに送ったメニューが届いているようだった。それに加え、外から持ってきただろう、ピザとフライドチキンとチョコブラウニーがあった。いまだかつて見たことがないほどボリューミーだった。
「これとか、持ってきてくれたんだぜ」
「……まあ。どうもありがとう」
「いや、こんな時間に済まない」
ルヴィはチーズがなみなみ入っている分厚いピザを見せるように紙皿を傾けた。
その形状はウィンディシティ特有のものだった。
「でも、スタッフト・ピザを届けるために来たわけではないのでしょう?」
「フライドチキンが6ピースとブラウニーが3ピースもあるぞー。これがアクイレギアン成人男性の食事量って感じ?」
「いや、流石に一人では食べきれないんだが……」
宝物を広げるようにして紹介するルヴィに、ネムは諦めた。
購入した服とコートをクローゼットに入れ、ルヴィが用意した椅子に座った。
「こっち来る時間がオレたちの夕食時と被ってるから、気を遣ってピザを持ってきてくれたわけ。ヒーカンも夕飯はまだだって言ってたからなー。あ、コーラも用意してあるぞ」
ネムは、今晩のメニューよりも、この時間帯にわざわざ出向いてくるほどの事態だったということの方が気になるのだが……ルヴィはなんとのんびりしたことか。
にこにことご機嫌のルヴィを見て、呆れたような顔をするヒーカン。
金髪はくすみ、顔色が良くなく、疲労が見え隠れする。
ただ、ルヴィを見遣る横顔は、どことなく気が抜けているようだ。
パン、とルヴィは両手を叩いた。
「お腹もすいたろ? 食事しながら話をしようぜ」
ルヴィの言葉で、ピザは切り分けられ、コーラにストローが刺された。
テーブルには所狭しと料理が並んでいる。
何とも箸の進まない食卓だった。……このテーブルに箸はないが。
ネムはサラダに手を付けたが、待ちきれずに口火を切った。
「それで、何があったのかしら?」
ピザの1ピースをルヴィに手渡しながら、ヒーカンが答えた。
ジャケットは背もたれに掛け、腕をまくって取り分けていく。
意外にも甲斐甲斐しい一面があるようだ。
「うちのエージェント宛に、匿名で通報があった。ここの医師テレンス・マードックが入院患者の一人に睡眠薬を盛っている、と」
「マードック先生? それは……ルヴィの前の担当医だわ」
ネムはぎょっとして口にしかけたイングリッシュマフィンを皿に落とした。
ルヴィが肩をすくめてティッシュを手渡してくれる。
「盛られてたのが、オレってことらしいぜ」
……何故、ルヴィはこんなにトラブルに巻き込まれるのだろう。
思わず歯噛みする。
「先ほど一通り確認したが、覚醒しかけた際に、必ずプラスチックと金属がこすれあう音が聞こえたという」
「夢かなー、勘違いかなーって思ってたんだけど、新しく担当になった医者がさ。オレの問診をしてから、点滴を調べてみたら、チューブに小さな穴を見つけたらしい。それはチューブを棒から外して調べてみてわかったらしいんだけど、留め具のところにちょうど隠れてた。穴は二か所だな。後遺症はないやつで、負荷もかからないやつだから、何度か投薬が必要だったみたいだ」
ネムは言葉も出なかった。あの、待ち遠しい時間に、往診に来てくれた医師は、実はルヴィの眠りを不当に引き延ばしていたのだ。睡眠薬でなかったら、今頃どうなっていたか。
しかし、マードック医師の措置は、ルヴィに対する悪意というより、労わりのようなものを感じた。強い睡眠薬を一度投与すれば、何度も投薬するリスクは減らせたはずだからだ。私怨ではない。勿論、これまで関りがあったわけでもない。
では……一体何が起こっているのだろう。
「……ルヴは夢を見ても、覚えてないじゃない。覚えてるってことは、夢じゃなかったのよ」
「あ、やっぱり? 現実かー」
財布から紙幣を盗られたり、患者に意図的に睡眠薬を盛ったり。命を救うはずの病院で何が行われているのか、ネムは想像もしたことがなかった不安に襲われた。
「待って。通報と担当医の変更は、どっちが先なの?」
病院側が先だと思っていたのだが、それにしては、担当医が代わってから調べて注入痕を見つけるというのがおかしい。新しい担当医は、ルヴィの問診から調べてそれを発見したというのだ。つまり、証拠があって、担当医が変更になったというわけではない。
「ややこしい話だが、表向きは『病院側が在籍している医者の不正に気付き、担当医を変更した』ということになる」
「……なるって……」
つまり、実際はそうではないということだ。
ヒーカンが険しい顔をしてコーラを睨みつけた。
「実際は、担当医が変更されたのは、偶然だ」
「……何でもないのに、ルヴの担当が突然変わったというの?」
ネムには全く話が掴めない。
「この病院の院長からの指示で、担当医を古参の医師ウォルト・ドリスコルと交代になった。変更の指示というのだが、これが急なものだったそうだ。金曜の夜、夜勤中のテレンス・マードックへ院長が直接電話をかけ、ルヴィアス「いい加減ルヴィって呼んでくれよな」……ルヴィの担当を外れるように指示したのは間違いないらしい。代わりにベテランをつけると。理由は不明だが、少なくとも本件とは全く違う事情があってそうなったとだけ、開示された」
「この病院の院長が、わざわざルヴの担当医の変更を?」
思いもかけない言葉の数々を受け止めかねて、ネムは首を振った。
落ち着くように息を吸い、ヒーカンを見返した。
「その理由もわからないの?」
「実際には、分からないのではない。上層部はそれを把握しているが、関係ないと判断した」
ネムは疑問を抑え込んだ。
何故なのかはもういい。今の担当医が安全なのかだけが知りたい。
「新しい、担当医は、問題ない人なの?」
「オレの見立てじゃ、今回の件について、ウォルト先生はこの上なく優秀に調べ上げるだろうぜ?」
口いっぱいにチキンを頬張ったルヴィが咀嚼して飲み込んだ。
「それをヒーカンに話したところ。自分で調べるよりよっぽど早いってな」
「捏造するかもしれない」
「その可能性は低いって話したろ」
ルヴィとヒーカンは言い合いをしている。
上層部の件で、開示しない理由を想像することはできるとルヴィは言った。
ヒーカンは理解はしているのか黙ってコーラを口にした。
「話を聞いて思ったんだが、たぶん、ここの院長、来年で任期が切れるんだ」
「……院長?」
また院長だ。だが……そういえば、ネムも、ナースステーションの裏を通る際に、当直の看護師たちが次の院長は誰になるのか話していたのを聞いたことがある。
「ベイステイツ総合病院、通称BGH。世界最高峰の病院第3位の院長とくれば、医学界でも最高峰の位置に上り詰めるってことだからな。この権威は絶大だ。各方面からの支持を得ないと、実績や貢献だけじゃなまず無理だろうな。んで、そんな椅子は一度得たら、最後まで座っておくもんだろ?」
「任期が切れて、席が空くのが、今の時期なのね」
ならば、何があってもおかしくはない。
相手のスキャンダルを過去まで遡って晒したり、ここで賄賂や貢献によって恩を売り支持を乞うたりする動きがあるはずだ。ネムは考え込む。
「そこで次期院長として名前が挙がってたのが、今のウォルト・ドリスコルともう一人。ただ、このもう一人の医師の派閥に、テレンス・マードックがいた」
敵対する派閥の医師が担当していた患者の担当に、わざわざ成り代わった。
ということは……。
「今回の担当医の変更で、何の偶然か、相手の弱みに付け入る機会を得た。つまり、次期院長の座を狙う、ドリスコル先生は、最有力と目される相手を蹴落とすために、その相手の陣営にいるマードック先生の粗を嬉々として探し出してくれるってわけ」
「それは……期待できそうね」
医療のエキスパートが、目を皿にして証拠集めをしてくれるわけだ。
誰よりも熱心に、だ。
「だろ? ドリスコル先生にとっては天の采配とでも思ってるだろな。対抗馬の不祥事を探すチャンスなんだから。これでマードック先生が薬剤をオレに盛った証拠が出れば、それを以て自分が次期院長の座に躍り出るってわけだな。ただ、問題がな」
ルヴィはヒーカンの方へ目を向けた。
「……テレンス・マードックは、長期の休暇を申し出たきり、行方をくらましている。今は有力視されるマードックの地元を捜索すべきだが、人手が足りていない」
「マードック先生は、別の州の出身なんだってよ」
「じゃあ、FBIの管轄になるのね……」
傷害を加えられたわけでもない。FBIが今総力を挙げて追っているという事件ほど、優先される出来事でもないのだろう。
「担当医の変更という偶然が起きなかったとしても、先に内部告発があったことから、いずれ今回の投薬は発覚したことだろうし。……最悪、通報した相手から調べてけばいいと思うって、アドバイスしたところ」
ネムも思った。点滴に投薬した疑いのある前の担当医の地元を調べたところで、全く別の場所に行ったのならば無駄足だ。もちろん調べるのがベストだが、そこに労力を割くよりいいだろう。
「現時点では、オレは、ドリスコル先生に、捜査の協力をお願いしたらいんじゃね?って提案してんの。捜査に誰より意欲的だろうし、その不祥事をFBIだったら協力した見返りに、表沙汰にしないようにとりなすことで、今の院長に恩が売れるしな。一歩どころか二歩も三歩もリード、相手は後退」
「今の院長に恩が?」
ネムが不思議そうな顔をすると、ルヴィが肩をすくめた。
「誰だって、自分が院長の時に不祥事なんて起こされたくないだろ?」
「ということは、ヒーカンの上司とこの病院の院長とで何かやり取りがあったのかもしれないのね」
担当医の変更はこの病院の院長の指示だ。
その理由について、ヒーカンの上司は把握しているが開示していない。
「あっ そこまではいっちゃいかんね、ネムさんよ……」
ネムは眉をしかめ、口を押えた。
するとヒーカンの携帯が鳴った。断りを入れて電話に出る。
一言二言話して電話を切った。
ナチョスを口に入れかけていたルヴィはヒーカンの顔を見たのか、顔を顰める。
「……どした? なんか進展あったん?」
「俺は、一旦本部に戻る」
ヒーカンがため息をつき、教えてくれた。
「通報……いや、内部告発だが、テレンス・マードックの携帯からだと判明した」
それ以降は、口を閉ざし、おもむろにジャケットを着る。
ネムはチキンとその他もろもろを包んで持たせながら押し黙った。
ヒーカンが去っていくのを見送り、ぽつりとルヴィが零す。
「ヤな予感……」




