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黄金が降る  作者: 毎路
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46 ウェーピング・ウィロー

 戸口に寄りかかっているのは長身のジャミラだ。差し込んでくる光で、空中を漂う埃がキラキラと輝いていた。管理室の中よりも外の廊下の方が明るいのだ。戸口に立つとその逆光を背負っているために、表情がよく見えなかった。


「お帰り。その様子じゃ、マリエから話を聞いたんだね」


 ネムはジャミラがいると思って管理室に入った。

 でも不在でもこうして入っている。

 正午を告げる時計が鳴った。


「マリエは、元気だったかい」

「いえ……ただ、別れ際は、顔色が良かったです」


 玄関まで見送りに出てくれたマリエの微笑が忘れられない。


「そう。ため込む性格だから。息抜きに話をしたのが良かったんだろう。あのFBI捜査官の取り調べで、気が滅入っていたんだ。私はあの捜査官は好かないな。君を助けてくれたのはお手柄だったけれど」


 組んだ腕をとんとんと指で叩いた。

 FBI捜査官のヒーカンは、少し強引だったと思う。

 無関係な人をまるで犯罪の片棒を担いでいるかのように尋問した。


「マリエには……誰かに話をして落ち着かせたかったんだ。君を選んだのは私だ。気まずい話を聞かせてしまったね」

「わたしが聞いてしまってよかったのかと、申し訳ないです」


 すると、ジャミラは苦笑した。


「イクシオリリオン人は、いつも相手が悪いのに、自分が悪いというんだな。君のことも心配だよ。こういう時は、私を詰っていいんだ。……どこまで聞かされたかな?」


「娘さんが亡くなったことを……それと」


 ネムは本を閉じ、胸の前で抱えた。

 古い書物の香りがした。少し埃っぽい。


「私が、マリエの夫だったアダムの子だということを、だね」


 ジャミラは豊かに波打つ灰色の髪を背中に放った。

 そして管理室の窓口にある椅子を眺めて、ため息を吐く。


「そういうことなんだ。マリエと別れさせられたアダム・ウィローは、親族の強い要望……いや、これは特に関係ないかな……最愛の女性きっての願いから、仕方なく再婚をしたんだ。子どもが生まれる目があると知られたからね」


 でもそううまく事が運べば、マリエとの15年だってなかったと呟く。

 ネムは抱える本に目を落とした。

 たったひと月で亡くなってしまった娘のために、マリエは探し続けていた。

 離婚した元夫には次の人を探せと言って。


 どうして自分が、娘とそんなにも早い別れをしなくてはならなかったのかを。

 ずっと長い間。もしかしたら、今でも。


 そして元夫のところは――。


「なかなか……生まれなかったのですね」


「ああ。それで1年で生まれなければ離婚というふうに、ね。考えられない話だよ。でもアダムも相手に執着がなかったからあっさりね。それで、再婚して三人目か四人目だったかの相手との間で私が生まれた。後半あたりは、親族たちがやけになってたんだろうね」


 ジャミラはため息をついた。


「最初は、家柄や品格とかいろいろ注文を付けてたくせに、最後は路地裏の女と引き合わせたんだ。その甲斐あってか生まれたけど、でも、どんなに相手を変えても、こうして私が生まれたから、アダムに原因があったと思うんだけどね。マリエの時とは違い、私を産んだ女は別に高齢出産でもなかったし」


 ジャミラは、自分をトリプルX症候群だといった。

 Xが一つ過剰であるXXXの女性。


 書かれている事項は多いが、長身であること以外には、あまり差はない。

 ジャミラは眼鏡の奥の緑の瞳をネムに向けてきて、肩をすくめる。


「……マザーは、ジャミラさんの瞳が好きだと言ってました」


 眼鏡のレンズで隔ててしまうのがもったいない、と。


「そう……アダムと同じだとよく言われるよ。私の知ってるアダムは、いつも雑貨店の窓からこのレジデンスの管理をしているマリエを見つめる横顔だけだから。私を産んだ女は、出産前からそんなアダムに愛想をつかしていたから、私を産んですぐ出ていて行った」


 長身の女性は呆れたような顔だったが、負の感情は見えなかった。

 強かなところは私が受け継いだかな、とさばさばした口調で言う。


「実際のところは、妊娠中から、資産家だったアダムの家から手切れ金をもらう話をつけていて、病院にまで来させていた若い男と出て行ったって話だ。……まあ、娼婦ハイヒール通りから出てきたにしてはいい方の人生じゃないかな」


 ハイヒール通りが分からなかったのが顔に出ていたのだろう。

 自分の言葉に感慨深そうにしていたジャミラは、額を押さえて謝った。


「このリグナムバイタじゃ有名なところなんだけどね。娼婦が客待ちをしている通りだよ、昔からそういう通りがいくつかある。あまり口には出さないけれどね。その中でもメジャーというか。まるでエルムのような濃霧が溜まる路地だから、朝方まで街燈が灯っているんだ。霧が濃くて、ちょうど霧が途切れた足元にハイヒールが立ち並んでいるのが見えたことから、ハイヒール通りと揶揄されてるんだけど……下品だったね」


 ジャミラは、掛けていた銀縁の眼鏡を外して、しげしげとみていた。


「……そうか。マリエは私のこの瞳が嫌いなのだと思っていた」


 とても濃くて鮮やかな緑の瞳が露わになる。

 マリエがチョコレート色と称した褐色の肌、艶やかな灰色の髪、白目に映える緑の瞳。


「度が入ってないのですね」

「伊達だよ。おしゃれだろう……っていってももう遅いかな」


 銀縁眼鏡を手で玩びながら、ジャミラは戸口の壁に頭をつけた。


「アダムの気持ちもわかるんだよ。マリエみたいなのと一度でも結婚してしまうと、他の女なんて目に入らなくなるんだろう」


「マザーは昔から素敵な人だったんですね」


 ジャミラは肩を震わせ、喉の奥でくつくつと笑った。

 口角が上がった口許を隠すように拳を当てる。


「同性である私の目から見てもね。……それはそれとして、当時20歳だった、私を産んだ女の気持ちもわかるよ。20歳も年上の女に負けたんだ。どう見ても、自分より品があって教養もある相手だし。そんな女を想い続ける40歳の爺さんであるアダムの子を産まなきゃならなかったんだ。まあ、ビジネスと割り切ってたから、アダムと即離婚した後は自分と同じくらいの年で金がない男と一緒によろしくやっているだろうけど」


 こざっぱりとした様子で肩をすくめる。

 そしてまじめな顔を背中を戸口から離した。


「私からは以上だ。事情も説明せず、一方的に君にマリエの見舞いに行ってもらった。この古いしだれ柳ウェーピング・ウィローにまつわる話をすることで、逆に要らぬ重荷になったかもしれないが、説明するのが筋だと思ってね。聞いてくれてありがとう。マリエも……もう前を向いてくれたらいいんだが」

「……一つだけ、お話しても?」


 ジャミラは顔を上げた。

 マザーが言っていたことです、と前置いた。


「『娘が生まれて何のために生きているのか分かった』と」


 暗がりで、一つ光を見つけたようにマリエは涙を拭った。

 嬉しかった、と。


『それまで私は、このまま子どもを持てない人生を終えるのだと思っていたわ。それが……一時でも、我が子を腕に抱けた。私はこのために、今まで生きていたんだって思ったの。だから』


 両手を震わせて、それでもマリエはほほ笑んだ。


「あまりに早く別れてしまったから、それからの人生はその理由を探して生きていたいんだそうです。なれなかった母親の練習をしながら」


 毎週の教会にも、レジデンスで健やかに育つ学生を見るのも、いつか娘に再会した時に、相応しい母であるためにしているのだと。


「わたし、ここの住人がマザーと呼ぶ理由がわかる気がします。理想の母だと感じるから。付かず離れず、見守っていてくれて」


 ジャミラもほほ笑んだ。


「……そうだ。私も――雑貨屋から見えるマリエを実の母のように思っていた。マリエが他の男に取られやしないかと見張るために、雑貨屋のフロントガラスをわざわざ大きく設置したアダムには呆れるがね。……再婚すれば、と思った時はあったけれど、今はしなくてよかったと思うよ」


 レジデンスに住まう、すべての住人の母のように生きるためには。


「あの……わたし、マザーと日曜に教会へ行く予定なんです」

「それはすごい……マリエが、誰かと行くのは初めてだ」


 緑の瞳が瞬いた。

 ふと、褐色の頬が緩む。


「君に見舞いに行ってもらったおかげだな」

「……一緒に教会へ行きませんか?」


 ネムはこの国の宗教観をよくわかっていなかった。

 そのため、ネムがゲフェン教ではなかったけれども、行こうと思ったし、他の人を気兼ねなく誘っていた。


「実は、私はゲフェン教じゃないんだ。敬虔ってわけじゃないが、アシュバッター教徒だから、控えてる。君が一緒について行ってもらえると安心だよ」


 褐色の手のひらを上にして、笑う。


「まあ、マリエだってもともと仏教徒なんだけどね。別れた元夫の信仰を続けているマリエと、実の父親の信仰を受け継いでいない私。まったくおかしな関係さ」


「マザーの信仰を継いだのですか?」


 ネムが尋ねると、面白そうな顔をした。


「そう思う流れだろう。実のところ、私を産んだ女がプルメリアの出身でね。そこでは原始仏教があったんだ。私はそれを一応信仰してる。他の宗教は耳に入ってすら来なくてね。頭にまで入ってきたのがそれだったんだ。姿かたちも知らない母親だけれど、確かに血は繋がっているらしい」

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