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黄金が降る  作者: 毎路
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36 生物兵器

 医学研究科の教授であるレフェルト教授の課すテーマというのは医学分野になるのは当然といえる。グループワーク二回目に課されたテーマは『感染症』だ。ちなみに、一回目は『遺伝子』だった。


 秋休みの前に第二回目のグループ発表があるという日程はかなり不評だったが、みな要領を得たのか、前回よりもまとまりのいい内容が多かったように思う。最後から二番目の発表となった、ルヴィのグループは他とは違うテーマに人目を引けた。もともと資料を送っているレフェルト教授もいつもの鉄面皮に興味の色を乗せてこちらを向くのだから、早くも手ごたえを感じている。


「ウイルスは空気感染と飛沫感染とがありまぁす」


 空気感染は、直径5μm以下、1m以上飛び、水痘、結核、麻しんなどがこれに該当する。飛沫感染は、直径5μm以上、飛距離は1mまでで、インフルエンザ、風疹、マイコプラズマなどだ。


「空気感染は病原体がそのままの状態ですがぁ、飛沫感染は鼻水や唾液などに病原体が包まれた状態でぇす」


 多くの死者を出した黒死病や、今から六十六年前に流行したウイルスによる世界的な大災禍について、特定の人種に発症した病気などさまざまある中、ルヴィたちのグループが取り上げるのは――


「天然痘はぁ、空気感染により広範囲に広がります」


 ルヴィの作ったフレームに肉付けをした内容を、メンバー全員で担当個所を決めて発表する。マイクを譲って続きをほかのメンバーが代わる。その間、スライド操作を並行して行うのはネムだ。


「七日から十六日の潜伏期間を経て発症に至ります。天然痘ウイルスはエンベロープがあり、GroupⅠで、ボックスウイルス科になります」


 GroupⅠは二本鎖DANだ。

 側体はウイルスの増殖に必要な酵素を持っている。


「天然痘は、全身に発疹ができ、致死率は約30%と高く、助かっても発疹のあとがアバタとなって残る伝染病です。紀元前12世紀のラムセス5世のミイラの顔には天然痘によるアバタが残っており、世界で最も古い天然痘の痕跡とされています」


 ミイラの状態でも確認されるほどだ。

 どれだけ恐ろしいウイルスだったのかがわかる。


「天然痘と似ている症状に、水痘があります」


 こうした感染症は、発症者への迫害の問題とセットになっている。

 危険性が高いものであれば、その度合いは苛烈になってくる。


「天然痘と水痘の症状の違いをまとめたものでは、致死率、発熱の症状、皮疹の部位、手掌足底の皮疹有無、皮疹の大きさで比較します」


 適切な対処をするためには、正確な知識が必要だ。

 まずは致死率について。


「水痘で死ぬことは稀です。天然痘は30から40%となっています」


 この時点で圧倒的に違う。

 症状についても、発熱の段階で差異がある。


「天然痘の皮疹が発熱から二日から四日前であるのに対し、水痘は発熱と皮疹が同時です」


 皮疹の部位についても異なっている。


「天然痘は主に四肢に、水痘は主に体幹に皮疹ができます」


 その皮疹の大きさも異なる。

 5mmから10mmと大きい天然痘に対し、水痘は1mmから5mmと小さい。


「ふたつを見分けるのには、手掌足底の皮疹の有無です。天然痘には見られますが、水痘には見られません」


 最初から今にいたるまでずっと順調だ。ルヴィは考察部分だけを担当するので、それまで他の三人が順序良く変わって説明するのを眺め、内心で頷く、これはA確定だなと。最後に、ルヴィが考察の部分を発表し、ざわめいたところで質疑応答の時間となった。


 はじめは発表全体の評価を挙げられ、それについて礼を言う。

 そして本題はここからとばかりに口火を切った。


「気になったのは、何故、天然痘ウイルスが生物兵器として理想的なのかという点です」


 生物兵器として歴史的に挙げられるのは、天然痘以外にあるからだ。

 この考察を入れれば、必ず質問されると踏んだ。

 質疑応答できちんとしたものが返せないのは減点となる。


 ならば質問される内容をこちらで誘導すればよいというのは常套手段だ。

 これはネムがよく用いるやり方で、要領の良さを感じる。


 本国では専門外だったことを、最高学府である大学院でほかの学生と同じレベルで話すことができているように見えるのはこうしたテクニックを用いているからだとネムが暴露していた。それ以外はまったくわからないので毎回の講義でひやひやしているようだ。


 咳払いして答えるのはその考察を書き足したルヴィだ。

 理由は三つある。


 一つ目は、高い発症率だ。

 ばらまいて発症しないのであれば害は低い。


「免疫のない人が天然痘患者に近距離で接すると80%以上が天然痘を発症します」


 二つ目に、発症した場合の恐ろしさだ。

 発症して軽度の風邪などだったら何の脅しにもならない。


「根本的な治療法がなく、死亡率が30から40%と高いことは脅威です」


 三つ目に、自分の身の安全の確保だ。

 こうして考えると、自分が犯罪者思考になっているような気がする。

 嫌な感じだ。


「テロリストは種痘を受けることで、危険を免れることができます」


 この三つが揃っているのは、生物兵器として理想的だとされる。

 すると、別の学生が質問を重ねてきた。


「根本的な治療法がないと言いますが、天然痘にはワクチンがあったと思うのですが」


 よし来たと、ほかのメンバーにマイクを渡し回答を代わる。


「ワクチンと天然痘は切っても切り離せない関係です。天然痘からワクチン療法が始まったのですから」


 ネムが用意していたスライドを出す。

 すると講義室でどよめく声がした。


 どうだと胸を張りたくなる。


「牛痘という牛の軽い伝染病を患った乳しぼりの女性が、天然痘にかからないことが知られていました」


 1798年のことだ。エルムの医師であるエドワード・ジェンナーは、牛の天然痘である『牛痘』を発症した女性の皮膚の膿を、健康な少年の皮膚に付けると天然痘にかからないことを証明した。


「この方法は種痘と呼ばれ、世界初のワクチン療法となりました」


 その後は子牛の腹に種痘を行い、そこにできる膿を容器に詰めて保存する方法が開発された。


「しかしこれは、そもそも天然痘に罹らないようにするためのものです」


 罹患(りかん)してしまったあとの治療薬として期待されるものではない。

 質問した学生は納得して座った。また別の学生が質問した。


「天然痘は、今の世には存在していないと思っていたのですが」

「その認識は正しくもあり、間違っているとも言えます」


 再びマイクがルヴィの元に戻ってくる。

 メモをチラ見しながら答える。


「1966年に、天然痘根絶計画がスタートしました。1977年10月に発症した青年が地球上で最後の天然痘患者で、1980年に当時の世界保健機関により、天然痘が地球上から根絶されたことを宣言されました。――しかし各国の研究機関では天然痘ウイルスは保管され研究されています」


 ほかの学生が手を挙げて質問する。


「根絶が実現できた理由は何だと?」


 マイクを持つ手を広げて見せたが、メンバーは誰も目を合わせない。

 ネムも両手を揃えて指先を見つめている。


 ――仕方ないのでそのまま続ける。


「根絶に成功した理由は三つありました」


 一つは、対策する対象が限定されていたことだ。


「天然痘は人の間だけで広がっていました。そのため、人の対策で十分でした」


 例えばマラリアの場合は蚊が媒介するため、蚊の対策も必要だ。

 もう一つは、無症状の感染者はいなかったことだ。


「天然痘の感染者は必ず発病し、症状がでましました」


 つまり、感染者を回復させればよく、隔離することができた。

 最後に、ワクチンだ。


「耐熱性天然ワクチンが開発されたことです」


 うまいように、発表時に説明の穴を作っていたので、みんながあらかじめその穴を埋める部分を答えるだけでよい。質疑応答にもきちんともれなく答えることができ、大変スムーズだ。


 これで質問にもすべて答え終わったかというとき、最後にレフェルト教授が尋ねた。


「想像していなかった発表内容だったから驚いたよ。時折ヒヤッとさせられた部分もあった。そのお返しがしたい。生物兵器として天然痘ウイルスが理想的だというのは理解した。では、好奇心なのだが、他に理想的なウイルスを挙げるとしたらどんなものがある?」


 ネムが大目に瞬きつつこちらを見てくるのが視界の端に移っていた。

 顎を引き、それに答える。


「生物兵器になりうる病原体の中でとりわけ恐ろしいのは『炭疽菌』『ペスト菌』が他に挙げられます。ただし、六十年前の大災禍のように、致死率が高くなくとも、経済活動をかき乱すことはできます」


 レフェルト教授は頷き、発表はこうしてうまく幕引きを迎えることができた。

 来週は秋休みなので、次の講義は再来週になるが特に課題はでなかった。


 それに一番驚いた。

 しかし、秋休みで地元に帰る学生もいるようなので、配慮したのかもしれない。

 選択必修の講義が終わり、しばらく講義室にいて評価の作業をしているようだったレフェルト教授は携帯を確認するなり、顔をしかめて早々に講義室を去っていった。


「あれぇ? 今日はさっさと帰っちゃうんだ、レフェルト教授」

「絶対、Aの文字を描くのを見逃さないつもりでいたのに!」

「そりゃ無理だろ」

「馬鹿だな」


 口々に言われるメンバーは、胸を張った。


「視力両目6だからな」


 すると軽く手の平を返してほかのメンバーは態度を変える。


「そりゃすごい」

「ほかのとこに生かせよ」


 そのうち、まとめ役をしてくれていたメンバーが時計を確認して立ち上がる。


「次のスケジュール詰まってっから、おっ先ぃ」


 いつも忙しないメンバーが一抜けする。


「あいつ、学生新聞部に入ってるから昼から配布するんだと」

「そうなの? すごいわね」


 そのメンバーを皮切りにほかもあれよあれよという間に席を立ち、ルヴィたちのグループはあっという間にルヴィとネムだけになった。


「ノリが軽すぎんか……」

「ふ、ふふふ。でも、見習うべきところはあるわ。時間は有限ということよ」

「ふむふむ。それで?」


 ネムが立ち上がった。 


「わたしたちも行きましょう。旅行の準備で、足りないものがあったでしょう?」


 マップを横にスライドさせて、とある物を見せてくる。


「おお! そうだったな!」




 



 肩で風を切るように、急いで廊下に出たラファエロは、消音にしていた携帯の着信に出る。


「講義中の連絡は控えてもらいたいと伝えたはずだが?」

『講義は終了していたと思うが?』


 思わず黙り込む。今日はグループワークの発表で、プレゼンテーションが終わり次第、終了としている。多くが正規の講義時間よりも早く終わるものだが、それを部外者が知るすべはない。――通常であれば。


「……盗聴器を仕込んだな」

『目に見える形にはないとだけ言っておこう。それと、あなたは我々の保護観察下にある。そのことを思い出してもらいたい』


 ああ言えばこう言う。まったく厚かましい物言いだ、しかし声は若い。

 おそらく、ラファエロの取り持つ、学生と同じくらいのものだろう。


「いったい何の用だ。先日、学生のリストは渡しただろう」


 それで義務は果たした筈だ。


『あなたのカリキュラムを確認させてもらった。共同で課題をするようだが、その班割りについても送ってもらいたい。例の女学生が所属していたものだけでいい。口頭で構わない。リストは手元にあるからな』


 思わず舌打ちが漏れそうになる。そのリストには、持ち出し禁止の情報も含まれている。通常、教員は学生の学生番号と名前と顔しか情報を渡されない。しかし、スパイまがいな行為で手に入れた生年月日、性別、出身地、住所、学生IDなどといった内容も、情報提供として送ったのだ。この違反行為がばれたら厄介なことになるに違いない。なのにまだ、危ない橋を渡らせるつもりらしい。


「いいか? 私の受け持つ講義で、学生が一人休学したのだぞ。学務課で何を言われているか聞かせてやりたいものだな。目立つなと散々釘をさして来たのはそちらだろう」

『正確には、俺ではない。だが、我々組織なのは認めよう。先にひとつ謝っておく』


 嫌な予感だ。

 聞きたくないが、聞かなければならない。

 彼らは一方的だ、しかしその後ろ盾は必要だった。


 面白くないのを堪えて、続きを待っていると、想像した以上に嫌な内容を耳元で受けた。


『これから、あなたの講義の学生の中で、姿を消すか、休学か、あるいは退学するものが出てくるかもしれない。そうなった場合は、カレッジ側にこちらから手回しをすることを約束する』


 思わず、風の吹き荒ぶ回廊で空を仰いだ。

 目元を片手で覆い、絞り出す。


「………何が起きている?」

『それはあなたが知る必要のないことだ。保護下にあるあなたには』


 重ねて言われ、奥歯をかみしめる。


『それで?』


 ラファエロは答えた。講義を受ける学生リストから削除したひとりの女学生が所属していた前のワークのグループメンバーを。諳んじるのは訳はない。たった五人しかいないグループの、残り四人の名前なのだから。


『ビンゴだな』


 紙の束を叩くような音が聞こえ、『協力に感謝する』という一言の後に一方的に切られた。携帯を耳から降ろす。すると、バッテリーがいつの間にか半分以下まで減っていた。


「バッテリーの劣化か?」


 ままならないものだ。上着のポケットに携帯を突っ込み、廊下を渡り切った。

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