35 アリバイ
マグワートの八番通りにあるリグナムバイタ市警察署の捜査室だ。とある学生を被疑者として刑事裁判まで行った記録を見せた。現在は、新たな証言が出たため、その学生のアリバイを確認すべく奔走している――が、どうにも敷かれた道を走らされている気がするのだ。
「腑に落ちていない顔だな。多数の目撃情報があって物的証拠もある。それでも?」
その通りだ。
資料に目を落とす。
『Name Wei-Won
Age 26
DOB 14 Heshvan 2060
Chromosome XY
Hair BLK
Eyes BRN
HGT 5’9’’
WGT 178Ib
Nationality PAEONIA』
被疑者はビジネススクールの大学院生だ。
被害者とは同じカレッジに通うが、所属はまったく違う。
「事件当日、被害者をパーティーに誘ったのは被疑者も認めているそうだな」
指摘に頷く。
パーティーの最中、被害者の姿が見えなくなった。
勝手に帰ったのだろうと思い、気にも留めなかったという。
それどころか、勝手に帰ったといって気分を害している様子は多数の目撃証言がある。
同じコミュニティ仲間からの、という点が気にかかるが。
「犯行の目撃情報は匿名による。……物的証拠も、後に見つかったものだ」
当初、現場になかった場所から新たに見つかったのは、被害者の衣服だ。
そこに被疑者の毛髪が付着していた。
「事件発生当時には見つからなかった。つまり」
「つまり?」
犯人は、事件現場に、戻ってきている。
自分の罪を、他者に擦り付けるための証拠を残すために。
意見が一致し、金髪の男は片方の口角を上げる。
「いい度胸だ。手慣れているとは思わないか?」
手慣れている、というより、愉快犯だ。
「誰だと思う? 勘でいい。聞かせてくれ」
「――被害者と被疑者にあげられた学生と、共通の知り合いだろう」
わざわざ罪を背負わせることができるくらい、相手のことを知っている。
しかし、アリバイでその試みがとん挫するほどには、相手を知らない。
「被疑者にアリバイがあったということは、匿名の証言が間違っているということだ」
「通報自体、罠であったと」
ビルの経験上、匿名の証言者は常に疑いの対象だ。
通報時の逆探知により、人物たちの特定も済んでいる。
証言は複数の電話番号から発信されている。
そして口をそろえて、被疑者の名、あるいは特徴を挙げた。
目撃者を疑うのは一種の定石だ。
これはしばしば犯人自ら通報することがあるためだ。
今回は、犯人の息のかかった通報者、という線が考えられる。
「よし、そちらの線で探ろう。匿名の通報者の特定は?」
「終わっている」
名前と住所、電話番号と所属などをまとめたリストを渡す。
携帯会社に問い合わせて、生年月日と就職先、年収を更新したばかりだ。
少し目を落としただけでその秀麗な顔が歪む。
「――学生ではないんだな?」
そんな単純な話ではない。
だからこそ難航している。
「外国人ばかりだな。住所はばらばらだが、このリグナムバイタ市在住」
文字と数字の羅列から、判別できる内容を口にする。
匿名の証言は四名。
「接触はしたのか?」
「三名は」
残り一名は最近退職していた。
住所の引っ越したようで足取りを掴めていない。
「その三名に、共通点は?」
「いずれも勤務先が被害者の通うカレッジ付近で……薬物常用の疑いがある」
他に気になる点を聞かれ、ペンを入れる。
「三名中二名が勤続年数が一年未満で、その前も転々としている。一名は十五年間続いているが」
「連絡の取れない残りの一名も最近退職か」
「二か月で辞めたらしい」
顎を引いて資料を見下ろす横顔に金髪がかかる。
思案気に口にする。
「四名中三名は数か月で転職を繰り返している。……例外の一人は?」
「勤務態度は真面目だが、落ち着きがなく、感情の起伏が激しいという」
「常用している弊害か?」
「十中八九」
一介の刑事の意見を、エリートであるFBIの特別捜査官が聞き入れる。
本来なら有り得ないことだ。
「ここまででどう見る? 先達の意見を聞きたい」
「………被疑者にアリバイがある以上、匿名の通報者が怪しい可能性がでてきた。所在の知れない通報者に話を聞く必要がある」
今ある情報から推測するには材料が足りない。
「それも必要だろう。――本音は?」
「匿名の通報についての信憑性が問われる段階だ」
刑事裁判まで起こしておいて、発覚した。
証言と証拠が揃っていて、被疑者にも疑われる素地があった。
「なるほど。そこでどんでん返しか」
皮肉気にわらう、その額に青筋が浮く。
「詰めが甘いな」
「あとから出て来た物的証拠に加え、匿名の通報と、状況証拠があった。自信のある刑事訴訟だった」
しかし証拠を洗いなおすと、不備ばかり出てくる。
「物的証拠は、後出しで被疑者に罪を擦り付けるために偽造したものを掴まされたとして………状況証拠とは?」
単純な時系列だ。
「被害者学生が事件に遭ったのが、被疑者のパーティーに参加した帰りだ」
「ところが、被疑者学生は、被害者学生がパーティーの途中で勝手に帰ったとして周囲に不満を漏らしている姿が見られた、か」
今回の敗訴で新たに証言されたものだ。
「調べが雑過ぎる。この事件、もともとの担当は、あなたではないな?」
「――薬物の取り締まりに奔走し、手が足りていないのが現状だそうだ」
そしてビルにお鉢が回って来た。
簡単に勝てると思い込んでいた同僚の顔が思い浮かぶ。
「それで、この件も薬物使用者の影がちらついてはどう申し開きをするつもりなんだろうな」
「個人の責任ではない。これは被害者と被害者家族に対する警察の責務だ」
皮肉気な色が失せ、神妙に顔になる。
「道理だ――それで、俺たちはどこを狙う?」
残りの通報者の行方を探るのは勿論だが。
「被害者も被疑者も同じカレッジの学生だ」
ただ所属が違うことがネックとなっている。
広大なカレッジの学生はそれだけで数万人規模になる。
同じ専攻でも互いに顔を知らないことはある。
ところが、両者は顔見知りだった。
接点はたった一点。
同じ講義に参加したこと、さらに同じグループになったこと。
「ここを当たらない手はない」
その講義に参加した学生。
ひいては同じグループになったその他のメンバーを。
「パーティー、サークル、住居などの近接性を洗い出したところ、被害者と槍玉に挙がった被疑者をつなぐのは、この講義しかない」
ビルは一枚の書類を出す。
「同一の講義に参加していた学生リストを問い合わせた。それがこれだ」
大まかな情報の提供だ。
詳細や顔写真は追って収集する。
「手に入り次第、うちのエージェントにプロファイリングさせよう」
「FBIお抱えのプロファイラーなら信頼できる」
ビルはぬるくなった朝に買ったコーヒーで喉を潤した。
匿名の通報者、最後の一人の足取りも追わなくてはならない。
じっと書類を見ていたFBIが、ふと顔を上げる。
「いや、こちらで収集したほうが話が早そうだ」
怪訝に思い、指さす箇所を見ると、そこには一介の教授の名前があった。
「FBIの保護観察下にある者だ」
柳の古木が、アパートの一室からの明かりで闇夜に浮かび上がっている。三階には左端の部屋だけ明かりがついている。レースのカーテンに透けて、二人の人影が見えた。
「――ここをちょっと変えて」
パソコンで何度目かのスライドを確認し、原稿と照らし合わせる。
昼から休憩をはさみつつ、完成度を高める。
管理人からの応援の差し入れであるドーナツを主なエネルギー源として。
夜十時前だ。
欠伸をかみ殺して画面を見比べ、頷く。
完璧だと思う、少なくとも今は。
「ありがとう、ルヴ」
付き合ってくれて、と目を伏せる。
これは全体での練習をしてこなかったネムの不安を取り除くリハーサルの側面もあった。
「同じグループなんだし当然だろ?」
それを言うと、ルヴィの方こそ付き合ってくれてありがとう、だ。
自分の夢のためにここまで来てくれた。
ネムの未来は多くの選択肢があったのに、その中からわざわざついてきてくれたのだ。
「お礼をいうのはオレの方だって」
試練のレフェルト教授、二回目のグループ発表は明日本番となる。




