表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄金が降る  作者: 毎路
29/95

28 適任者

 携帯を耳に教えてないと、聞こえないくらいの小声だ。親の目を盗んで、口早に話してくれる。きっとこれは褒められたことではないのだろうが、親のことは身に染みて知っているので、同情と慈しみの心が湧く。パトリックは、慌てた声に優しく相槌を打った。


「そう……冬至祭に戻るんじゃだめそうなんだね?」


 声変わり前の子どもの声が携帯越しに、だめそう、と告げてくる。

 まだ携帯も持てない甥は家の電話から隙を見計らってこうして先に教えてくれる。


「……わかった。プレゼントは何がいいかい、ダリル」


 回避は困難と理解して、ため息を堪える。

 尋ねると、甥の嬉しそうな声がリクエストする。


 最新のゲームに夢中らしく、それは甥の父母が買ってくれないものだ。

 型番まで細かく言われるので、苦笑しながらメモして携帯を切った。


「来月か……」


 憂鬱なため息がこぼれる。

 カレンダーを見ると、赤い数字が四つ並んでいる。

 秋の四連休だ。


「難題を押し付けておいて、休みには欠かさず呼び戻すなんてどうかしてる」


 エルムの実家に帰ると思うといつも胸が塞ぐ。

 古い仕来りの家に生まれてきてしまったがゆえに、時代錯誤な役割を強制される。期待といえば聞こえはいいが、コールデン家に後継ぎとなる男児の誕生までには長い時間がかかった。


「今から胃が痛いな」


 慕ってくれる甥たち会えることが楽しみといえるくらいだ。

 ぼやいていると、どすんどすんと足音が聞こえた。


「胃が痛いのかい? そりゃあ大変だね僕が胃に優しい食べ物でも分けてあげようかあっその姿これからカレッジなら帰りにドーナツを買ってくれないかなシェイクも欲しいな」


 同居人が珍しく姿を現したかと思えば、早口に頼みごとをされる。

 腕には大量の菓子袋の口が開いていて、常にどこかに片手が入っている。


「いいけど――自分の役割を忘れてないだろうね?」


 目をすがめてその巨体を見上げる。

 油で口の周りを汚した顔は顎が埋もれて首とつながっている。


「わかってるわかってるよちゃあんと()も作ってあるよその報酬にちょっと頼み事してるだけじゃないかそれにせっかく僕が作っても標的に取り付けないといけないんじゃ意味がない僕の存在意義をたやんと伝えてくれなきゃいけないのは君のほうだからね!」


 痛いところを突く。


「――わかってる。頼むから僕が不在の間、廊下とソファは汚さないでくれよ」

「ドーナツは1ダースで」


 出ようとすると後ろから注文が加わる。


「………はいはい」


 同居しながら監視下に置くよう指示された相手との生活は慣れてきた。しかし肝心の標的には近づけないでいる。同じクラスになるようねじ込んでもらい、お膳立てされているのも関わらず、はや半年。


「絶対適任者僕じゃないだろう……」


 標的の生態を見るに、性別を変えない限りは近づくことすら不自然に映る。








 パトリックは十八の時にエルムからアクイレギアへ単身留学生活を始めた。保守的で頭の固い、半世紀以上も年の離れた両親や家族、ひいては一族の伝統やら意味の分からない儀式やら謎に結束力の強い組織への加入と義務から逃げ出したかった。ではなぜこの国を選んだかというと、一族の中で異端児扱いされていた親戚が研究者として名を挙げたと耳にしたから。しかし、生半可な大学では許しは得られない。母国の最高水準と同レベルの名門へ入学し、大学生までは休みに呼び戻されつつ自由を謳歌できた。そんな姿を憎々しく思う肉親がいるのも承知していた。憎まれるのはパトリックが生まれた時からだが、そんな家に好んで帰りたいとも思えない。


 完全に、旧態依然とした家の柵から抜け出すことができたと勘違いしていた。

 音沙汰のなかった機関から、任務を言い渡されるまでは。


「やあ、おはよ……」


 ほとんど突進してくる女学生たちを前に、体の前に手を挙げて壁を作ろうとする。そんな抵抗もむなしく、あっという間に鼻息の荒い女学生たちに取り囲まれてしまう。横目で見ると、あとちょっとで講義室の中に入れたのだが。そんなパトリックの注意を引こうとずん、と女学生の一人が近づいた。


「聞いてよパトリック!」


 朝からヒステリックな声が耳に刺さる。


「どうしたのかい、レディたち」


 どうすれば女性の機嫌を損ねないかは物心つく前から必死に考えてきた。

 口の利き方、扱い方はそれとは別に叩き込まれた。


 だから余所行きの顔を作るのは、昔取った杵柄で苦手ではない。


「あのバカ女たちがまた――」


 ちら、と苛立たし気に視線をやる。

 彼女たちの狙いは、同級の学生であるとある資産家の御曹司だ。

 それもそこらへんに転がっているような資産家ではない。


 億万長者たちも垂涎もの。

 富豪たちの中で知る人ぞ知るマホニアの一人息子だ。


 彼と同じ年代に生まれただけでも幸運だろう。

 同じクラスに捻じ込めたらその代償はかなりのものだ。


 事実、ほかのクラスは均等に三十名に対し、このクラスだけ四十余名いた。

 このうち半数以上が女学生であり、揃いもそろって、豊かな財力と優れた容色を持っている。大した猛者たちで、意図は明らかだ。


「彼女たちのせいで私たちまで眼中外よ!」


 喚き散らす声は、狙いの人物にも聞こえているだろうに、無反応だ。


 本意ではないが、パトリックは現在講義室の入り口を占拠している。

 そこから、窓際の席で無表情に本を繰っている、見るも妖しい麗人をうかがい知ることができる。


 艶やかな絹のような長い黒髪に、青種のような血の気のない白皙の肌は首まで黒い服で隠れていて露出が少なく禁欲めいた姿だが、その実、彼がこのカレッジにやってきてから浮名が絶えたことは今まで一度もなかった(・・・・)


「――そうなんだね。デメトリアとエヴェリンがとうとう……」


 女学生たちの訴えは、虚偽を含みながらも情報が多い。


 デメトリアは陸軍中将の継父を持つ。彼の人物への好意を露わにアピールしているが、今年春学期の途中から姿が見えなくなり、レシュノルティアに留学へ行ったと聞いた。いつの間に戻ってきたのか、再び姿を現したときからは、しばしば常軌を逸した行動に出てて、カレッジ内で警備員が呼ばれる事件をいくつか引き起こしたという。


 エヴェリンはデメトリアの親友という位置づけだった。今は原告と被告人という味気ない関係になり果ててしまった。デメトリアの母が現在の継父と再婚する前から続いてきた長い付き合いだというが、壊れるのは一瞬、しかもそれが同じ男を取り合ってのことだというのだから、男女の縺れは恐ろしい。


「メリアがエヴェリンの顔をひっかいて傷物にしたっていうけど、その訴訟、エヴェリンが負けたって聞いた!?」

「知ってるそれ。パパに頼んで勝てる弁護士を呼んだんだって」

「軍人お抱えの弁護士団じゃ、まるきり被害者のエヴェリンも負けるわけだわ」


 苦々しげに言うのは、彼女たちがエヴェリンという女学生に味方してというわけではない。


「あのデメトリア、またカレッジにやってくるってことよ!」

「しばらく顔を出さなかったから、終わったと思ったのに」


 出てくるのはエヴェリンが気の毒だという言葉ではない。


「まったく悪運だけは強いんだから」


 彼女たちの話を聞くと、意識を彼方に放り捨てたくなってくる。

 何事もなければ、二年間は一緒に過ごす同級生たちから逃げたくてたまらない。


 別の空気を吸うには、教養科目を再び選択するか、違う専門科目を受けるぐらいしかないのだ。この、明らかに能力の足りない、しかし金ばかりはある裏口入学者らしき学生の見本市のようなこのクラスに振り分けられたことは必然だが、事あるごとにつけ恨めしくてならない。


「でもどうしてぱったりと止まってしまったわけ?」


 一人の女学生の疑問が意識を引き戻す。

 誰もが視線を向けかけてそらす。


 夜は消耗品のように一度きりで女を使い捨てる男が、昼も夜も修道士のような生活をしている。お相手となった女のほとんどがそれを吹聴する中で、ここのところその手の話を聞いた覚えがない。


「本命ができたとか?」


 ぽつりと言った声に、一瞬で静かになる。

 しばらくワンナイトの相手の名前を聞かなかった前例がある。


「……マーシャルのことがあるからなくはないかもしれないけど」


 マーシャルとは、今回のように一月ほど浮名が流れなかった間に交際していたと目される相手だ。彼女とは何時ごろか関係がうやむやに消えてしまったらしい。とはいえ、同じ期間、同じ講義室にいて、逐一頭を悩ませていた相手には、パトリックからすると、特に浮かれた気配をみじんも感じなかったので、彼女たちの視点は重宝する。


「ないわね。彼の恋人(ステディ)になったのなら自慢するわよ」

「黙ってられないわよね」


 女を急に止めてしまった遊び人。

 眉をしかめそうになる。


 彼を表する単語でこれほどイコールで違和感があるものはない。


 毎晩異性と過ごすようだが、相手は毎回違う。カレッジでもそれ以外でも相手には困らないだろうに、好き好んでそうしているとパトリックが感じられないのは、日中の、このすべてにおいて無関心な態度が変わらないからだろうか。ただ日ごとに変わる相手を考えれば、異性愛者だということは明らかだ。


「あー、リーリン姐さん! ドリュー先行っといてぇ」


 甘ったるく伸びた声が女学生の一人に腕を絡めてやってきた。

 独特のアクセントは、ジャカランダ訛りだ。


「アマ、ちょっと離れて」

「やぁだ、ねえ、リーリン姐さん、聞いてくれない?」

「何よ、まったく」


 輪から離れていく。

 一人でも減ると圧迫感が減少する。


「でぇ、グループワークでドリューのことが好きなあたしの友だちとドリューが好きな子がいるんだけど、どっちを応援しようかなって」

「面白そうじゃない。友だちを応援しないの?」

「んー、分が悪いかな? ドリューが好きな子って、性悪なんだよね。――あ、ドリューのことは、リーリン姐さん通したほうがいいってほかの姐さんがたに聞いたから、断っとこうと思って」


「構いやしないけどね、あんな自意識過剰男」


 女性が集まると色恋の話に花が咲くらしい。

 カレッジにくるたびにこうして異性の同級生に捕まってこの手の話は耳タコで食傷気味だ。


「リーリン、アンドリューって相手がいるんならそっちとくっつけばいいのに……」


 一人いなくなったと思ったら、その相手への陰口が始まる。

 うんざりだ。

 しかし、話している相手はずいぶんと砕けた物言いだ。

 リーリンという女学生は、アクイレギアでもかなり際立ってプライドが高いのだが。


「リーリンと話している子は最近見かけるけど、どういう知り合いなのかわかる?」


 するとすぐに情報が集まる。


「今年の秋に入学してきた子」「学年下じゃん」「ジャカランダから来たって。ま、喋ってんの聞いたら分かるか」「親がピオニーなんだって、それつながり」「あー、だからリーリンたちとつるんでんだ」「わざわざこのクラスまで? あの子もマホニア狙い?」「あの見てくれと頭でそれはないでしょ」「頭悪そ。賄賂でここに入ったんじゃない、あの国ありがちだし」「しっ リーリンに聞こえるわ」


 ………集まるが、精神衛生が悪くなるような空気だ。

 それとなく胃の辺りを撫でおろし、そうなんだねと頷く。


 ここより、あちらの方がまだましだろう。

 意識をそちらへ向けると、自然と会話も耳に入って来る。


「ドリューには幸せになってほしいしぃ」

「それで? キューピットにでもなるつもり? 勝算はあるの?」


 そろそろ講義が始まることを言い訳に入ってもいいだろう。

 そう切り出そうとしたとき、言葉が止まる。


「あたしが見る限り、その子、思わせぶりなことしてるから気があるのは確かなんだよね」


 怪訝そうな声がぼやく。


「あいつ、奥手だったかしら?」


 なんとはなしに耳を傾けていた。

 同時に二つの話を聞くことくらい簡単だ。

 アンドリューは、クラスでも数少ない同性の学生だ。

 その素行は外にはまず聞こえてこないが、ピオニーたちによると遊んでいるらしい。


「本命ってやつぅ? だから恋の後押し、みんなでしちゃおうよ」


 そろそろ講義室行かなきゃと入っていく二人の姿に遅れて、笑顔を張り付けて女学生たちと別れて講義室の定位置につく。後ろの席で、標的の人物と、その前の列に座るピオニーの学生を視野に入れる。どちらも黒髪で、方や短く刈り込み、方や腰までの長さだ。この講義室の中において、どちらもほとんど発言をしない。


 扉が閉ざされているわけでもないので、会話は聞こえるはずだがそれぞれの会話にあがえる当事者たちの反応はない。


 それを確認していると、ふいに聞こえた単語に反応してしまう。

 思いがけず友人となった二人にも関係するからだ。


「イクシオリリオン人って」


 ところがその言葉に反応したのはパトリック以外にもいた。

 それも先ほど無関心を確認した二人。


 アンドリューはいつも黙って窓の外を眺めている。

 例の人物は、書籍に目を落としている。


 ――それに変化が起きた。


 書物から視線を上げて、戸口を見る。

 その動作に、驚いて、二度見する。


 ジャカランダ訛りの女学生は、同級でもなければ、編入生だという。

 廊下で話すその内容は、回数を重ねるほどに、悪夢めいたものになっていった。


「シャイっていうでしょぉ? でもドリューのこと絶対好きだって。だからさあ、ドリューが勇気出して押し倒しちゃいなよぉ」


 甘える声音から吐き出されるのは、無責任な犯罪へのそそのかし。

 まるで砂糖と悪意を煮詰めたもののように、べっとりと耳にこびりつく……。


 アマと呼ばれるその女学生の言葉を起点として、醜悪な会話が加速する。

 これが彼女らがいつも話すピオニー語であれば、知ることもなかった内容だ。


「女のほうに告白させるなんて野暮なんだから」

「遊んでやれば?」


 理解できる言語になったところで気分が悪くなるだけだ。廊下を挟んだ外では、悪趣味な話が蔓延していた。……この時はまだ分からなかったのだ。彼らの話の中の登場人物にパトリックの知り合いがいることなど、想像もつかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ