23 暗号資産
酔いが回ってテラスへ出る。
火照った体に、秋の夜風が丁度よかった。
「はーい、ほしい人はグラス寄越してー、入れてったげる!」
空を見上げていたが、バカ騒ぎに呆れて視線を明るいパーティー会場に戻す。
「今日はあたしのお・ご・りー」
パーティ狂いがもう何十回目かもわからない乾杯の音頭に加わり、次々に差し出されるグラスに白い粉末を入れて回る。炭酸で割ったアルコールとそれをマドラーで混ぜて、一息に煽る姿があちこちに見られた。
「景気いいじゃん!」
「何いいことあったのアマ?」
欲しがりの同胞の女たちが、機嫌の良さを尋ねるふりをして、粉を入れてもらっていた。
「まーあね!」
すり寄って来るのがそれ目当てだと分かっているからか、あっさりと笑って、破った包を少しだけ傾けた。そしてすぐに、いつも群れている、経営学科の女子の輪に逃げていった。同じ専攻であるため、その面子は顔見知りだ。
「グループ課題が終わって気が軽くなったね、アンドリュー」
「気が軽く、か?」
他人の情緒を図ることが出来ないのもほどがある。
今日の発表は、予想外が立て続けに起こった。
女に足を取られ、女に主導されるなど面子に関わる。
不愉快なことばかりだ。
だが――
「あの顔を見て、胸が透いたのは間違いない」
「あはは。ずっと俯いて震えて――可哀想だったよねえ」
「白々しい」
何れの受講生からも居ないかのように扱われていた。
打ちのめされた姿を見ると、苛立ちが紛れ、愛らしさを感じる。
「呼んでくれてありがと。場違いな気がしちゃうけどさ」
その薄い色の瞳は盛り上がりを見せる室内を向いた。
赤い垂れ幕で飾られたそこは、赤いライトで妖しく魅せる。
「東洋人の内輪パーティーに参加するのははじめてか?」
気泡の浮いたグラスを持つのは、あちこち飛び跳ねる髪をニット帽で押さえつけたなよなよとした風貌の男だ。なんとなく気に入らない。ただ、ちゃんと踏みつけた靴裏の下で大人しくしているので、改めて攻撃する理由が見つからないだけだ。
この国で、格下に見られるのは承知している。
逆にこちらからタブーに触れてやった。
「見ての通りだよ。縁もゆかりもなさそうだろ?」
典型的な白種の特徴の範囲にある容姿は、改めて見るまでもない。
全く動じない。つまらないことだ。
鼻を鳴らして側向いた。
「ねえ。アンドリューは、彼女から新薬もらわないんだ?」
「新薬? なんだそれ」
バカみたいな名前の薬だ。
新しい薬だなんて、バカが考えたとしか思えない。
すると、その緑の視線を会場の中心で蝶のように飛び回るアマンダへと向けてみせてくる。西岸部のカレッジから転入してきたアマンダは、独特の眠たくなるような喋り方をする。間が抜けているところがあるが、それを愛嬌として、経営学科の中でも、うまく可愛がられている。
「副作用もなく簡単にトリップ出来るんだって。ジャカランダで流行ってるらしいよ? アマンダ、浮かれてるね。いくら安いと言っても、あれはかなりの額になると思うけど」
流行ってるという割に、マイクのグラスの底には解け残りの粉末の塊もない。
「カンナビス以外にも興味があるらしいな。自制心がないバカが手を付けると両親の財産も使い込むらしい。お前、相当儲かってるんじゃないか?」
薬の売人が、最初は低価格で提供し、依存させたあとに価格を吊り上げるというのは有名な話だ。その点、アマンダは気前よく同胞に振る舞う。マイクの言葉を借りるのは胸糞が悪いが、依存性が低く安全だからだろう。
そして、カンナビスパーティーで配られるカンナビスの出所は誰かというのは、ピオニー界隈の情報網で既に数人が特定できていた。
「悪かったよ。君たちって互いのことをすぐ庇うんだから。別に非難したわけじゃないって。純粋に心配しただけだって」
上目で見て来るが、その目がこちらを観察しているのが分かった。
機嫌を損ねないラインを探っているのが透けて見える。
しかし、覗うのならまだいい。アンドリューを敬う気があるからだ。
「それで? 話し相手が居なくて泣きついてきたのか?」
「誘っておいて放置しないでよ。――本当はネムを連れてきたかったっていうのは分かるけどさ」
マイクを睨みつける。
下民がこちらの胸の内を理解しようなどおこがましい。
「ごめんごめんって」
「課題を労うのに、パーティーに誘ってやった相手にその言い草か? 言っておくが、俺はお前だけじゃなく、ジェシカも先週連れて来た」
口にした途端、嫌なことを思い出し、苦々しくなる。
ジェシカは自分で原稿パートの期限を提示しておいて、そのまま何の音沙汰もなく、今日の発表当日を迎えた。この男の誇りもないような腰の低いマイクとは違い、パーティー中のエスコートすらしてやったというのに。
「……そのジェシカ、いったいどうしたんだろうね? 選択必修に出ないなんて」
「知るか。気分の悪くなる話をするな」
ふつふつと怒りが再熱する。
面目を潰されるのが一番嫌いだ。
その言葉はいくつもの嫌なことを連想させる。
今年の春学期で選択必修の単位を落としたこと。
同じ経営学科で自分よりも注目を浴びる圧倒的な男の存在。
どれもアンドリューの沽券に関わる。
そして気を遣って持て成した恩を仇で返したジェシカ。
アンドリューの同意を得ず勝手に取り仕切ったネム。
このふたりは男をバカにしているとしか思えない。
「話しちゃいけない話題が多すぎない?」
ため息を吐かれて気分が悪い。
しかし誘った手前、追い返すこともできない。
「でもネムを落とすのは無謀じゃない? いつもルヴィアスとくっついてるし……」
ゲーム感覚のような口ぶりだ。
鼻を鳴らす。
あれが男女の仲に見えているのなら眼球を新しいものに取り換えた方がいい。
呆れて言い返そうとしたとき、乱入者があった。
「ドリュー、グラスが空いてんじゃん! これ飲んで!」
アマンダが粉末の沈んだグラスの一つを押し付けて来た。
「マイクも……って、全然飲んでないじゃん!」
無理やり受け取らせて来るので、仕方なくもらう。
アマンダはマイクに絡んでいった。
丁度いい。マイクの話し相手にすれば、酔っ払いの面倒な相手もせずに解決だ。
「そいつは今日、このパーティーで一口も飲んでないぞ」
「わ、困ったな……告げ口するなんて」
言葉と表情が一致していない。
まったく困って居るそぶりを見せないのに、酔っ払いは気づかないらしい。
「こっち来て! あたしがピオニーのパーティーってもんを教えてやるわ!」
アマンダに手を引かれ、マイクはパーティーの人混みに紛れていった。
これで誘った側の役目は果たしたということだ。
ポケットから煙草を取り出すと、横から火が付いた。
「珍しいな、こういう場に姿を見せるなんて」
煙草をふかして、息を吐く。
「――んで、ただ煙草に火を点けに来るような殊勝な女じゃないだろ? 何の用だ」
「意地悪言わないで。久しぶりに元恋人に会って、その言い方はないんじゃない?」
よく回る口だ。恋人なんて決まった関係ではない。
常に何人かいるうちの一人だと互いに承知している。
「カレッジでは講義が終わった途端、別の男の取り巻きの一人と化している癖してよく言うもんだ」
白いミニドレスを着ている。
女が白い服を身にまとうとき、それは自分が無実だと主張したいのが大概だ。
飛び跳ねるように眉が吊り上がったのも一瞬だ。
するすると眉は下がり、猫なで声を出す。
「相手にされていないの、知ってるでしょ?」
見るからに女に不自由して無さそうな男だ。
実際その通りで、入れ食い状態だが、同じ女とは一回しか寝ないという。
一晩でもという女は腐るほどいるが、男の体は一つだ。
あぶれる女は取り巻きとなっているが、その効果があるのかは定かではない。
とはいえ、何もしないではいられないらしい。
「それよりドリュー」
声音が変わる。
「前回は地味な白種の女連れて来てたわね? 今回は別の女を狙って失敗したようだけど、次々に女を替えてる口でそんなこと吐くわけ?」
顎に手を添えて来られる。
その赤く長い爪を嫌って顔を逸らしたかったが、子どもと嗤われるのが目に見えている。
「……アマンダだな」
陽気なのはいいが、あまりにも口が軽い。
そして事実と妄想を混同して口走るのが難点だ。
ゴシップ好きには受けがいいのが、それに拍車をかける。
煙草の煙を吐き出してやると、激しく咳き込む。
「くっ……この!」
手が引いたので、再び煙草を吸う。
肺にニコチンが広がるのを感じ、ゆっくりと吐き出す。
「その見え透いた嫉妬の振りを辞めたら、話を聞いてやってもいい」
「上から目線ね? ……あんたのとこより私の実家の方が強いってことすぐ忘れるんだから」
そういえば、そうだった。
程度の低い行動ばかりとるので、ピオニー経済の重鎮の娘ということを忘れる。
「もういいわ。あんたがイクシオリリオンの女の尻を追いかけて失敗してようと、私にはどうでもいいことだし」
「……失敗してない」
行動すらしていないから、失敗のしようがない。
それは胸に秘めておく。
「そうなの? まあ、あんた私ほどじゃないけど家が金持ちだし、それなりにハンサムだし、体もいいし、ジム通いでシックスパックでしょ? 遊び慣れてるから上手いし……夫にするのは不安になるだろうけど」
指折り数え出す。
片手の指を全て下り終えると背中に隠す。
「ま――財力に物言わせた高級レストランを貸し切って、おっきなダイアの付いた指輪とか高価な贈り物を用意して、身も心も溶けちゃうような情熱的でロマンチックな言葉を掛けてやれば、大抵の女は口説き落とせるんじゃない? だからねえ………ちょっと私のこと手伝ってよ?」
なんとも浅ましい姿だ。
位階の高い子女なら、それらしくお高く留まっていればいいものを。
鼻に皺が寄るのが分かった。
「――あのワンナイトに定評がある男に、全く相手にされていない同胞を、俺が助けられるとは思えないが?」
取り巻きには、あの男のために全身整形した女もいるくらいだ。
あまりに強烈な性格のため、遠巻きにされているが、そのくらいの覚悟があるとも思えない。
「うっさい! 羽虫のように群がる他の女を追い落とせば、私のことも目に入るはずなの! あの中で私が一番、全部揃ってるんだから! 私と一緒になったら、ピオニー経済の一角を牛耳れるのよ!?」
条件を見れば、そこらのアクイレギアの富豪たちよりよほど力が強い。
しかし、それとは一線を画すのがあの男の家だ。
力を持つ、面倒な外戚がついて来るとなれば、真っ先に除外する可能性も十二分にある。あの男を射止められる可能性があるのならばいいが、あの無感情な目にはどんな美女も富豪の娘も大差なく映るように思える。
「大した自信だな」
「……あんたには負けるわよ?」
白目を向いて来るが、たとえ馴染みの相手だったとしてもその顔を向けるのは止した方がいいだろう。黙っていれば、重鎮の一人娘として担ぎ上げられても見劣りしない、金のかかった容姿を持つ。美を追求すれば、特徴のない顔になるのは有名で、本土の富裕層では誰も彼もが美しいが印象に残らない顔をしている。
天然物の美貌とは違うのはこの点にあるだろう。
脳裏に――氷肌玉骨のような少女がアンドリューを見て甘やかに微笑むのが思い出された。
「…………まあ、一度の失態くらい寛容に許してやるか」
「なに? 手伝う気になった?」
煙草を握りつぶし、受け取ったグラスを呷った。
喉に粉がくっつく。
何度か試したが、これは効いて来るのに時間がかかる。
「同胞のよしみだ。見返りは?」
すると毒々しいほどに赤い唇を横に引いた。
眩しさを感じ、目を開けた。白いシーツの波の中に、覚えのない女が転がっていた。目覚めはすっきりとしていて、不思議と頭は冴えていた。服を身に着け、階下に降りると、酒瓶と食べ残しが散乱し、途中で帰らず夜通し飲み食いして明かした同胞たちがそのままの状態で雑魚寝している。
「ドリュー! やっと降りてきた!」
耳から鐘が叩かれたような衝撃と痛みが走る。
「うるせえ、ちょっと黙ってろ」
「飲み過ぎー! はい、お粥!」
アマンダが他の女子たちと作ったらしく、鍋を掻き混ぜているところからもらって来たらしい。水を一口飲み、ひと匙掬って食べる。
「――あとあたし! マイクと付き合うことになった~」
思わず咳き込む。
酒が絡むと思いもよらぬ結果になることは往々にしてある。
しかし、相手はあの男らしさのかけらもない奴だ。
「はあ? あの軟弱男と? どういう風の吹きまわしだ?」
手の甲で口を拭う。
気の強いピオニーの女をどうこうできるような奴には思えない。
「ええー? まあ、あたしも、ぜんぜんそんな気じゃなかったんどお、ふふっ」
「昨晩だな?」
確認すると、顔を隠す。
「昨日初めて知ったんだけど、マイクってえ、けっこう頭いんだよ? いい投資とかも教えてもらっちゃったし」
すっきりとした目覚めが幻だったかのようだ。
起きたと思ったのは気のせいでこれは悪夢を見ているのか。
頭が痛い。……痛みを感じるということは夢ではないらしい。
「……お前、経営学科に通ってるだろ。何、専攻外の奴に資産運用を教わってる」
「でもドリュー、これすごくいいらしいんだよ? 姐さんたちにも聞いて、調べてもらったらさ、還元率がすごくよくって。やってる人も有名な人ばっかり! この人も、ほらこの富豪も!」
同胞を悪く言うわけではないが、なかには金を積んで入った者も少なくない。
研究科に在籍しているのだ。
その精査がまともであることを願うが。
「……ちゃんと裏は取れてるのか?」
あのマイクから聞いたというのが、疑わしい。
大丈夫、とアマンダは笑み崩れて携帯画面をのぞき込む。
肌色が見えてたので、予想がついてため息が漏れた。
「それで、なんだっていうんだ」
「ああ、そうだった。証券とか、形があるものじゃないらしいんだけど、仮想通貨の一つだよ」
「――暗号資産か」
通貨の発行権を持つ者が経済を牛耳る。
その枠を飛び越えることができる手段の一つとされる。
「そう!―――ホールコインっていうんだって!」
弾けるような笑顔で、アマンダは振り向いた。




