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黄金が降る  作者: 毎路
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20 履修科目

 土曜の朝だった。ランニングから戻り、シャワーを浴びて最近の気分転換の読書の本を持って階段を降りると、裏庭が見渡せる窓から、同じアパートの住人を見かけた。唯一の知り合いだった。


「リグナムバイタでの生活はどう? 慣れた?」

「ぼちぼちです」


 履修登録を確定させてから三週目に突入する。初回概要の時間も合わせると、どの講義も4回通りは受けたことになるが、日々はいまだめまぐるしい。ルヴィとネムははじめ、リグナムバイタで様々な講義を見るために、まず8つの講義を仮で履修登録していた。そして最終的に、教養教育科目2つ、選択科目1つ、そして専門科目3つという合計6つに絞った。


 スケジュールとしては一週間に6つの講義に出席するだけでよい。そこへ大学独自のシステムなのか、真ん中の水曜は検索してヒットする講義の開催が皆無だった。つまり学生は、土日で二日間休んだのち、月火の二日間講義を受け、水曜で一日休み、木金の二日間講義を受けるといった具合だ。ネムはルヴィと全く同じ履修登録をしているので、ルヴィたちのスケジュールは次の通りだ。


日…休

月…午前【専門】ザイガー教授/午後なし

火…午前【教養】ジェンキンス教授/午後なし

水…休

木…午前【選択必修】レフェルト教授/午後【専門】ジェンキンス教授

金…午前【教養】ザイガー教授/午後【専門】メールリ教授

土…休


 教養科目は、どの専攻の学生でも受講することができ、担当教授の研究内容をわかり易く説明するものだ。選択必修科目は、基本的な大学院での研究の仕方、学び方、発表の仕方など、どの専攻でも必要なスキルを学ぶ。専門科目は、その分野を専攻する学科の学生しか受けることができず、しばしば受講条件がより厳しくなる、専門的な講義となる。


 ちなみにルヴィたちの履修する各講義内容は次の通りだ。月曜はザイガー教授による地質学の専門講義で午後は予定がなし。火曜はジェンキンス教授による人文地理学の教養教育科目が午前中にあり、パトリックが一緒に受けていて、午後は予定がなし。水曜は休みで、木曜はレフェルト教授による選択科目で、大学院での基礎的な知識やスキルの学びで、論文の書き方、グループワークの進め方、スライドでのプレゼンテーション、質疑応答などの発表の仕方を学ぶ。ネムがグループワークに苦しんだ科目だ。午後からはジェンキンス教授によるの政治地理学の専門講義がある。金曜はザイガー教授による地理学入門の教養科目が午前中にあり、午後はメールリ教授による植生の専門講義がある。

 そこまで説明して、カレッジでの時間割を尋ねてきた相手は一言漏らした。


「詰めすぎじゃない?」

「らしいですね……」


 これらの登録は、スムーズにいった。何故ならネムが履修登録をする前に、登録の仕方と取り消し方をメンターであるキャメロンに予め確認を取っていたからだ。無事に取り消し期間内に登録ができて、その報告をネムがしたのだが、合計で残った科目数を再度確認して、後からキャメロンが慌てて連絡してきた。


「そっちは水曜日休みなんだ。うちは金曜日が学部の休みになってる」


 話が変わって、ルヴィは顔を上げた。するとエミの赤茶けた傷んだ髪が頭頂部で跳ねているのが目に入った。それが風に揺れるのをみながら少し訂正する。


「休みっていうか開講してる講義が見つからないってだけなんですが」

「必然的な休みでしょ? うちは週に一回決まった曜日に教授たちの会議があるらしくて、それで開講できないから、毎週その曜日だけ講義がないんだって。この会議がまた大変らしい」


 エミは当然の口調で話すが、その間もタイピングの速度は全く衰えない。ものすごく忙しそうだ、と思いながら、カレッジが違うのでルヴィのところも会議のための休日かはわからず、曖昧に頷いた。一つことわっておくと、ルヴィたちのカレッジのシラバスでは、大学院一年目は、目安として12から15単位を推奨されていた。1コマ3単位になるため、ルヴィたちは6コマを全て落とさなければ18単位になる予定だった。が、通常は4から5コマ取ればよい。メンターのキャメロンが慌てて連絡を入れてくるまでは、想像もしていなかったことだが。


「あれは本国で言う、目安って意味とはまた違うんだ。紛らわしいね」

「そういったニュアンスには疎くて……」


 キャメロンは、ジェフから大学院の履修事情を聞いて慌てて連絡してきてくれたのだ。しかしキャメロンに非があるわけではない。キャメロンは大学生であるし、目安が4コマであるのに、勝手に6コマで登録を完了してしまったのはルヴィたちなのだ。


「海外の大学院のしんどさってどういう類のものなのかがわかりました」


 アクイレギアでの大学院へ行くととてもハードだという話はもともと聞いていた。ただでさえ母国語ではない言語での講義の上、毎回出される課題の量が半端ではない。各講義からリーディングが最低150から250ページ、ライティングも500から1500語を、ほぼ毎週課せられる。講義によっては、グループワークやディスカッションに重きを置いているものもあるので一概には言えないが、ひと月で集計すると、1000ページを読み、2万語を書く課題がひとつの講義で教授が出してくる。そのほか、ミニテストとして300ページぐらいを範囲として出たりもする。確かに、毎回出される課題は膨大で、ルヴィが本国の大学で半年かけて、参考文献を15本以上で3万語程度の卒業論文を書いたのを考えると明らかだった。


「あたしはダブらないようにするので必死。フォールセメスターとスプリングセメスターの二学期で連続Cがあったときは退学だから」

「オレのところは、Cが3つあったら退学です」


 手元をみずに画面を食い入るようにしながら数値を入力していた、エミは手を止めて真顔になった。手垢がたくさんついた黒縁眼鏡越しにルヴィを何とも言えない目で見てきた。


「たくさん講義受けてるのは不利じゃん……」

「そうなんですけどね……」


 ならばもう少し履修科目を落とせばいいという話だが、修士論文の執筆に絶対に必要な専門科目はこの秋学期と翌年の春学期の連続受講生が条件となるものがほとんどだ。ルヴィのようにテーマを絞り切れていない場合は、関心が持てそうな分野の専門科目はすべて受講し、春学期で不要なものを切り捨てていくスタイルでなければ、来年の秋学期と再来年の春学期の連続受講をこなさなければならなくなり、結果二年を棒に振ることになってしまう。


 では教養教育科目を減らせばと思うかもしれないが、これも必須単位があるので必ず取る必要がある。そして、先に述べた、大学院生として研究をするうえで重要な専門科目はボリューム的にもかなり比重があり、フィールドワークの課外活動が今後出てくるため、今のように単純に講義棟の移動ですぐに受けるということができなくなってしまう。今のうちに単位を稼がなければならないのだ。


 では選択必修はというと、内容からわかる通り、大学院での基礎的なスキルを学ぶための必要単位で、初期に受けなけらばならない。選択必修の講義自体は、担当教員を変えて他の時間にも開催されているが、ルヴィたちの時間割の都合上、そこが最も都合がよかった。同じ事情で、様々な学科の学生も駆け込んでくる、この落とすに落とせないこの空き時間に当てた講義は、つい昨日までネムを苦しめたグループワークを課していた。


「落とせるものがなくて」


 教養科目のうち、外国語という必須項目については、もう無理だと思い、翌年に回しているくらいだ。ため息を吐くと、裏庭で光を遮ってくれるパラソルが風にきしむ音がした。


「本国の大学とこことじゃ難易度が段違いだよ、分かってると思うけど」


 冷えた風を肌で感じていたルヴィは、彼女の言葉にちくりとした棘を感じた。何が彼女を苛立たせたのか分からなかったが、ルヴィは肩をすくめて言い訳をした。


「兄貴の知り合いがアクイレギアの大学院を出てて、その人からは最低でも5コマ取るのが普通って聞いてたもんで……6コマも特に多いとは思ってなかったんです」

「その人、あたしと同じ理系なんじゃない?」


 ルヴィはしばらく黙り込み、察した。

 ここに来て、その差を思い出した。


「…………あーなるですね」

「あたしが所属してるゼミの大学院生がいるんだけど」


 エミは指をずっと慌ただしく動かしながらため息を吐く。それが何のデータかはわからないが、紙媒体の記録を数値化しているようだった。手元の紙束を入力が済んだものは後ろへ回していた。


「もともとその子がこういうTAの仕事をするはずだった。でも学務課から、教養の単位取得を忘れてる連絡が来て、急きょプラスで1コマ教養科目増やしてた。合計で6コマね。それで慌ただしくって、とてもTAなんてできないっていうんで、こうして代わりにやってる」


 なるほど、大学院での6コマの大変さを、大学生であるエミがわかるわけだった。ゼミに所属するその大学院生の穴を埋めているのだ。


「教授もあたしが一年社会人経験してるからって、頼んでくるんだよね……時給くれるからいんだけど」


 大学院生も教養科目が必要だとは思わなかったとエミは苦笑いする。実は教養科目のほかに外国語の単位も必要で、意外と面倒だ。ちなみにルヴィたちは春学期に外国語の単位を取る予定だ。


「エミさんは環境科学を専門としている教授のゼミにいるって言われてましたけど、教授って何て名前ですか?」

「エルズワース・フリーマンっていうけど」

「エルズワース……?」


 あまりありふれた名前ではない。

 少なくとも、ルヴィは教科書や文献でしか見かけたことがない。


「彼を知ってる?」

「いえ……ただ、その名前、オレたちが通ってるカレッジの卒業生でもあるエルズワース・ハンティントンと同じだと思って。オレたちが通ってるカレッジと、エミさんの通うカレッジが出身校で、最終的にエミさんの方のカレッジで教鞭をとっていたんですよ。今から百四十年ほど前に、地質学と経済地理学を専門としていた人なんです。滅多にない名前だから、ちょっとロマンを感じて」


 ルヴィの言葉を聞くなり、エミはため息をついて仰向いた。

 どうしたのかと思って見ていると、がっくりと肩を落とした。


「採取した土壌の成分分析の結果が出るのを楽しみにしてたのは浪漫を感じてたってことだと思って」

「どこの土ですか?」


 ルヴィは食いついた。環境化学(environmental chemistry)とは、自然界で発生する、化学的または生化学的な現象を研究分野とする化学だ。水圏化学(aquatic chemistry)、土壌化学(soil chemistry)などはその一分野にあり、最初にルヴィが見た限り、このどちらかを専門としているのではないかと思っていた。本国でよくいわれる、文系、理系の括りで言うと、ルヴィは文系だが、エミは理系にあたる。しかし関心事は非常に近いのだ。……ちなみに、似て非なるもので、環境科学(environmental science)がある。こちらは環境に関する科学であり、物理学、化学、生物学、地球科学の諸々の分野を横断する学際的な学術領域だ。似たものに、社会学に焦点を当てた、環境学(environmental studies)、光学的鷹揚に焦点を当てた環境工学(environmental engineering)もある。

 ルヴィの前のめりの問いかけに、エミは曖昧な表情で首を振る。


「研究は公表前だから、詳しくは言えない。誰にも知られずに進めたいんだって。だから人手に困っても、あたしみたいに絶対に口外しないような、都合のいい人間にさせるってわけなんだけど」


 エミは秋空にため息を吐く。

 ルヴィも見上げると、パラソルの空気穴の隙間から空が見えた。


「あたしも暇じゃないんだけどね」

「厳しいなら断った方がいいんじゃ……?」


 エミはそれが言えないような人物に見えなかったが、一応そう提案する。


「楽しいからやってるよ、これでも。舗装されてない道路を車で五時間ずつ交代で運転したり、砂埃が入って来るようなテントに何日も寝袋で寝起きしたりって普通じゃできない体験だからね。シャワーすら一週間も入れないのもざらだったし、過酷な部分もあったけど」

「それは大変ですね……」


 ルヴィだって耐えられるだろうか。

 そして女性であるエミにとってはもっと耐え難い状況だろう。


「彼、新発見だって、大はしゃぎするから」


 エミは複雑な顔をしていたが、口許には微笑が浮かんでいた。ルヴィはそれ以上かける言葉が見つからず、黙ってエミが淹れてくれたカモミールティーを飲んだ。

 エミはその後もTAの準備があるというので、ひとり裏庭に残して、ルヴィは階段を上がって部屋へ戻る。エミからは先日荷物を運んでくれたお礼とのことで、ケーキを受け取っていたので、それを冷蔵庫に入れるためだ。エミはこのお礼をもっと早い段階で考えていたけれども、ルヴィたちとはアパート内ですれ違うこともなく自然には機会に恵まれなかった。気がかりだったエミは、いつもはカレッジでTAの準備の作業をするところを、ルヴィが土曜の午前中を裏庭で過ごすことをマリエから聞き、その時間に合わせて裏庭でTAの準備をしながら待っていたらしい。


「そんな、気を遣わなくてもいいのに。……ってか、やっぱこの科目数異常なんだな」


 そして、このアパートの住人は顔を合わせることも稀だということを実感した。マリエの言っていた、入居者の歓迎会がないというのは頷ける話だった。何しろ互いに忙しすぎて、時間を合わせることすら難しいのだ。ルヴィたちも、どこか出かけたりということは今まで一切していない。そんな暇がなかった。カレッジとアパートとの往復のみだ。


「来週の水曜日の自然博物館が初じゃないか?」


 といっても、カレッジ内にある施設なので、厳密にはそこすら出かけた内に入らないかもしれないが。ルヴィは遅寝遅起きのネムの為に、受け取ったケーキを冷蔵庫にしまった。ただ、受け取っておいてなんだが、あまり気持ちのいい返礼ではないなと感じた。

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