18 リーダーシップ
週明けからしばらくして、レフェルト教授の選択必修の講義がやって来る。ワークの時間がとられると、講義室の中で各々グループごとに集まった。活発な意見が飛び交うとまではいかないのがルヴィのグループだ。選択必修の単位取得のためと割り切っている冷めたメンバーばかり。
「分担したパートをつなぎ合わせて……はい完成」
「やったな」
「あとは発表者に任せるね」
「空いた時間に練習しておくわ」
各パートを切り貼りしただけでそんなことを言うくらいだ。
「……誤字脱字の確認くらいしようぜ」
講義室の教壇からワークの進捗を観察する目があるのだ。
評価者の目を気にしてそう提案した。
特に反対意見も出ないのが、あっさりしたところだ。
ざっと目を通したところ、変なパートを出しているメンバーもいない。
これで終わりだな、と思っていると、一角から通る声が届いた。
「それはだめだな。その結論だと、被験者の種類の差を考慮してないって指摘されるのがオチだぞ」
この講義のワークの時間では、よくあることだ。
他の学生は呆れて目も向けない。関わるのを自分に良しとしないのだ。
しかしルヴィはたまらず目を向けた。
「そう……なら、どうまとめるのがいいかしら」
意見を真っ向から、全否定されたのだろうが、ネムは微笑を浮かべている。
ほんの少しの沈黙だけが、その心情を僅かに覗かせる。
アパートではぼろぼろになった姿をそのまま見せるネム。
しかし、ひとたび外に出れば、そんな弱みを一切見せない。
神の傑作のような横顔に柔和な微笑を刷き、楽しげな声で言葉を紡ぐ。
怒りと苛立ちを忘れた慈母か菩薩のようだ。
「だから、被験者の種類の差を考慮した考察をするんだ」
「…………素敵ね。あなたの考えたその考察を聞かせてほしいわ」
こんな会話がよく聞こえて来るのがネムのグループなのだ。
グループメンバーでないのに、その内情が分かってしまうのは単にアンドリューの声のデカさにある。
「これはグループワークだろ? 全員でそれを考えるべきだ」
その全員の中に自分は入ってないのかよ!?
ネムに代わってこいつの顔面をぶん殴りたい。
否定ならば、否定と代替案はセットにしてしかるべき。
否定するだけならサルにだってできるんだよ!
神聖さすら感じさせる凪いだ微笑で、椅子にふんぞり返る男から目を逸らした。
「なら、みんなの考察を聞きたいわ。わたしはさっき話した通りよ」
ネムの細めた目が、隣の席に向く。
もしゃもしゃした亜麻色の髪が揺れ、きょとんとした顔がネムを見返した。
見るからに人畜無害そうな見た目だ。
しかし、なんとなくとらえどころがないのだ。
グループで何が起ころうとにこにこしている。それが、グループ内を俯瞰しているようにも、ただ芯のない軟弱野郎にも見える。
「マイク、あなたはどうかしら?」
「僕はネムのやつでいいと思うよ」
この、○○のやつでいいと思う、とは何度もその口から聞いたセリフだ。
一番信用ならない輩だが、それでも賛同者一人得たわけだ。
さてここからどうするのか。
妙に目が離せない展開に釘付けになる。
ふんわりとネムが顔を横にずらした。
頬杖をついていて口を半分開けているアマンダだ。
「アマンダはどう?」
面倒そうにネムを見遣る。
「えー? 別に……ドリューの意見を無視しないやつだったらいいと思うけど」
「なら、わたしの考察に付け足す感じでいいのね?」
ネムがほほ笑みながら突っ込むとアマンダは黙り込んだが、笑った。
「お返事を知りたいわ」
するとアマンダが小声だったが、イエスと確かに言った。
……前回のワークでは、自分の意見を無視したと言って、まとまりかけていたところへネムに食って掛かっていた。それを加味して、ネムは言質を取ったのだ。………それにしても今回のネムは切れ味が鋭い。ばっさばっさと切っていく。
「ジェシカ、あなたはどうかしら」
「………今回のデータから、被験者の属性について考慮した結果は出ていないわ。だから、今後の課題として、次回の調査を被験者の属性を揃えた状態でデータを出すと持って行くのが適当かしら」
妥当なところだ。
アンドリューの意見は間違ってはいないが、既に出ている研究結果ではどうしようもないところだ。次回からの展望とするのが落としどころ。これは一種の定型の持ち越しの仕方だ。
その証拠に、ネムの顔に張り付いたようだった笑顔が、ふと和らぎを見せる。
そこで気づいた。この持っていきかたはネムが描いたものだ。
「そうね。それだと、アンドリュー、あなたの意見を取り入れたものになるわ。それにアマンダのも」
とうとう全員の意見を取り入れた考察に持っていった。
他のグループでは、原稿が仮で出来上がっているのに対し、遅れながらもここまで。
「それじゃあ、分担ね。原稿のパートは4つに分かれているわ。序論、方法、結果、考察。そしてグループワークの発表者だわ」
5人グループだと、このパートごとに担当者を振り分け、残った一人は発表者にするとちょうどいい。余ったところだと、全体の編集をするのに、もう一人振り分けたらしい。
普通のメンバーであれば、特に心配はいらないが、このグループではだれがどこを担当するかで評価の明暗が分かれる可能性がある。不確定要素は五人中三人だ。高すぎる確率だ、悪い方に。
ひやひやと見守っていると、ネムが物憂げな様子で目を伏せた。
「一番重要で、大変な考察を書くのは責任重大だわ……。序論は先行研究をたくさん集めなければならないし、簡単なのは方法と結果ね」
それを聞いた途端に、素早く動いたのはアマンダだった。
「あたし方法にするー、いいでしょドリュー?」
「仕方ねえな」
急に、ぐだぐだと進行が止まっていたのが動き始める。
目が離せない展開に、思わず前のめりになると、同じように横目で伺っているメンバーの一人と目が合った。真顔になる。おかしいことに気づいて、周囲を見渡すと、なんと話し合いはネムのところしかしていなかった。白熱した攻防戦を展開するので、自分たちのグループそっちのけで気になるのだ。
誰が口にしたわけでもないのに、リーダー格に居座るアンドリュー。
本来そこは、医学生であるジェシカ一択だろうが……。
そこは複雑な事情から、ナシの線だ。
進める能力に欠けるリーダーに期待はできない。
ならば、違うところから状況を動かさなければならない。
果たして事態はどう動くのか。
「じゃあ、僕が結果でいいかな? 他は僕にはちょっと荷が重いし」
傍観していたマイクがへらへらと手を挙げた。
しかしそれは、アマンダとアンドリューのやり取りを見た後で、だ。
決して先頭を切らない男。
そういうところがどうにも食えない印象になってしまう。
「いいぞ、お似合いだしな」
対して、こちらは清々しいまでの嫌な奴振り。
しっかり励めよとでも言いたげだ。
何様なのだ。全く分からない。ただ、妙にそうした振る舞いが堂に入っているので、奴が馬鹿なのか、それ相応のカリスマの持ち主なのか、見極めが難しいところだ。
判断の参考になるか分からないが、ジェシカなどは目を潤ませてため息でもついてしまいそうなくらいになっている。これが正常な反応か、それとも惚れた欲目なのか。
なんにせよ、この個人の思惑と感情が渦巻くグループの中で、虎視眈々と、そして感情を含めず淡々と狡猾に進めようとしているのは、誰よりも柔らかく微笑むネムに違いない。
「残りは、序論、考察ね」
肝となる部分だ。
ここさえ押さえておけば、なんとかなる。
「……ところでどうかしら? 発表者はアンドリューしかいないと思っていたのだけれど」
白々しい演技だが、この幼馴染のことをあまり知らない相手からすると、十分に不安げにみえるだろう。
「緊張せずに立派にできそうだもの、そうでしょう?」
白魚のような両手を合わせアンドリューを見上げる。
それは眼鏡の奥で控え目に見つめるジェシカよりも、分かりやすく目に映る行動だった。
悪手だ。
…………………目を覆いたくなった。
「改めて言うほどでもないが、その役はこのグループで俺しかいないな!」
ネムの言動に、アンドリューは鼻の下を伸ばした。
限りなくアウトに近い不確定要素を、重要な原稿作成から追い出すという目論見通りに運んだネムの笑顔は綻ぶように華やいだ。………その陰で、想い人の様子にショックを受けたジェシカがいた。目も当てられない。
アマンダもネムにやりこめられて面白くない顔だ。
ひとりほくほく顔のアンドリューは赤面でネムをチラ見するが、ネムの心は既にそこにはなかった。咳払いし、アンドリューの隣へを覗う。瞬きの多さがその緊張感の表れだ。今最もネムが触れてはいけない存在へと触れてしまう。
「残ったのはジェシカとわたしだけれど」
少し照れたようにジェシカに話しかける。
「序論と考察、どっちがいいかしら?」
恥ずかし気に見遣ったネムの目に映るのは、俯くジェシカの姿だろう。
両手を握り締め、わなわなと震えている。
やっと顔を上げたジェシカは、冷ややかに言い放つ。
「どちらでもいいわ」
頬を張るような激しさがあり、ネムの細い肩がびくりと跳ねた。
あっちを立てれば、こっちが立たず。
「………え……」
可哀想だが、ネムがその理不尽に辛辣な仕打ちを受ける訳を理解するためには、複雑な感情の絡み合いと関係性を理解しなくてはならない。
それはともかくとして、流れとしては、先に考察でケチが付いたネムは序論に行くのが安牌だろう。このグループでやっていくには、だが。
「ええ……その……みんなの意見をくみ取ったのはジェシカだわ。だから考察はあなたに任せて、」
「理由付けなんてどうでもいいわ。私は自分の担当分をするだけよ」
「……その、あ、りがとう?」
ネムが慌てて、付け足す。
「あ、あと、担当のパートは、いつものチャットラインに送るのでいいかしら。期限は……」
よくない流れだったが、それでも必要なことに触れた。
それに対し、ジェシカが細かく指を震わせながら、短く言い放った。
「今日中で」
無表情のジェシカは凄味を感じた。
いつもは大人しいジェシカの強めの口調に、反論は起きなかった。
「ジェシーがいうなら……いいけどおー」
「いいよ? 僕らはほとんど原文写すだけだし」
まあいいかとアマンダとマイクは肩を竦めて応じる。
原稿を担当しないアンドリューは白けた顔で椅子の後ろ脚に体重を掛ける。
唯一ネムが返答に詰まった。
先行研究は孫引きを避けるため、原文を読まなければならない。
用いられている引用文献は複数あった。
「いいでしょ、ネム?」
ジェシカは眼鏡の奥で冷ややかに目を細めた。
有無を言わさぬ口調だ。しかしネムは頷いた。
「………ええ。発表の練習をする時間も必要だものね」
ネムが発表者を気遣うと、アンドリューが腕組みした状態でにやけた。
歯を食いしばる音が聞こえたかと思えば、ジェシカが口早に捲し立てる。
………意外なリーダーシップだった。
「それじゃ、今夜そろいしだい私がまとめるから」
ブラウンのおさげを肩から背中へ払い、ジェシカが締めくくると、誰からも否やは出なかった。厳しい期日を迫られたネムが唯一の懸念だろうが、そこから了承を得たのである種、当然の帰結だ。
「ジェシーがやってくれるなら安心だね!」
「……原稿は当日までによこしとけ」
「当日って、それで大丈夫なのかい?」
「当然だ」
そこのメンバーで俯くのは、言い出しっぺのジェシカとネムだけ。
他は気楽なものだった。
微妙な空気に割って入るようにチャイムが鳴ると、レフェルト教授が来週のグループ発表の開催場所を告げる。いつものこの講義室ではなく、周年記念館を貸し切っての発表になる。間違えないようにしないと。
「――そだ、今夜さ」
アマンダが何事か話し始める前に、ルヴィは席を立ち、ネムを回収する。
ここにネムを置いといたっていいことない。
講義棟を出て空を見上げた。
追い立てるように出て来たので、ネムのカーディガンの肩が落ちていた。
「よかったな、ネム。なんとか形になりそうで」
「……そうだといいのだけれど」
肩を直し、片手で腹部をさすっている。
おそらく無意識。
「だいじょうぶだって」
なぜなら、締めたのがジェシカだったから――
最後までネムの独壇場だったなら、まだ怪しかったが。
「帰ろうぜ。ネムの課題も、家の方が集中できるだろ? 夕食も、今日はオレが作るからさ」
「……ありがとう」
息をついて、ネムは前を向いた。
机の裏にくっついたガムのように離れない。講義室を出ていくのを追い、ふてくされた顔をしているはずの人物へと、顔を向けてにんまりする。
「ざんねーん。誘う前に、保護者に連れていかれちゃった?」
「……放っておけ。おい、今夜パーティーを開く。招待してやるから遅刻するなよ」
傲慢な王子様は舌打ちしながらおまけたちに声をかけたのだった。




