17 バックドア
欧州でエルムを紳士の国というと失笑されるらしい。
海賊や奴隷商、三枚舌外交など、悪行をあげればキリがない、と。
ただ、エルムが一時代に凄まじい権勢を誇っていたは間違いない。
アクイレギアはエルム国の植民地だった。その植民地化と密接にかかわるのがゲフェン教で、世界三大宗教の一つだ。つまり、アクイレギアは、ゲフェン教を土台として独立した国であるため、ほとんど国教に近い扱いを受け、国民の多くもこの信徒だ。かくいう、アパートの管理人であるマリエもゲフェン教徒だ。
そんなアクイレギアで、かつての宗主国たるエルムの若者が歴史を語るというのは不思議な趣があると、遠く離れた対岸の国の民であるルヴィは思うのだ。
「修道院は、ゲフェン教の信仰のほかに、貴族社会における需要と供給を満たす役割もあります。僕はエルム出身なので、エルムの貴族について紹介します。貴族が婚姻を図る時、女性側が持参金を用意しなければなりませんでした。財政状態が悪い女性の親は、娘を修道院に行かせるというのが選択肢としてありました」
立ち上がったパトリックが歴史を専攻する学生張りに説明する。
横目で見上げて感心していると、反対側からこそりと話しかけられる。
「……リックって貴族なのかしら?」
そのくらい詳細に語っている。
さらにいうと、本人に隠し切れない育ちの良さがみられた。
「そう思う気持ちもわかるぜ」
やけに詳しいのだ。
エルム紳士は絶滅したなどと聞いたが、ここに生存を報告したい。
……そもそも紳士ではないという根強い意見もあるらしいが。
「ただ優秀な学生って線もあるけどな」
「………名門カレッジにふさわしい学生ね」
ふさわしくない学生を思い浮かべているのだろうネムの口ぶりはなかなか皮肉が効いている。グループワークでのストレスが日ごろの会話にも垣間見えるようになってきた。しかし、このくらいの棘は、ここでは軽いジョークにしかならない。
「貴族の男性側にも、必要な理由がありました。爵位を継がせられない次男以下の子どもたちの行き先にも修道院がありました。結局、このような階級の出の差が存在ました。貴族出の修道士とその世話も熟す平民出身の修道士とが存在しました。修道院の中も、社会構造が適用されたのです。そして、実家で跡取りが急死などした場合は、還俗することもあり、貴族と修道院とでは、切っても切れない関係があったのです」
言葉を切ると、壇上のジェンキンス教授がにこやかに頷いた。
「エルム国からの植民地にやって来ていた人について、初ねの船団とその後の船団とでは目的もルーツも階級も異なっていることを取り上げることは多い。ここまでを一般論として、その階級に焦点を当てた発言から貴族社会の修道院の話まで広げたのは君の知識量と考察によるものだろう。ありがとう、パトリック」
歴史を専門とする教授から知識量を褒められた。
歴史学専攻らしき学生たちが慌てたようにメモを取ったり、パトリックを見て首を傾げたりしている。同じ専攻ならば、講義が被るはずだが、見たことない顔だからだろう。
「こちらこそ、ご清聴ありがとうございました」
卒なく微笑み、発言を終えたパトリックが席についた。
目線がルヴィと同じになる。
他の学生が発言のために立ち上がる一方で、肩を寄せてきた。
「――僕が発言してる間に、ふたりして聞いてないのはひどいじゃないか」
「聞いてたさ。な、ネム」
「ええ。とても詳しいから当事者かと思ったほどよ」
講義中であるため、小声でやり取りをする。
「パットってさ。ホントは貴族だったりしねえ?」
冗談半分に聞いてみた。
「どうかな………古い家であることは事実だけどね」
なんとも歯切れが悪い。
「古い家って聞くと、気になるのがイクシオリリオン人の性なんだけど……」
腕を抓られ、そちらに目を向けないまま頷く。
こちらから聞くのは野暮というものだ、相手から打ち明けられるならまだしも。
「さっきまでおしゃべり回だったのに……」
「パットの発表で、歴史学の人らに、火が付いたみたいだな」
一部の学生の質疑応答が活発になっている。
「僕は彼らが下げていたレベルを元に戻しただけさ」
質疑応答は議論に発展したが、唐突になったベルにより中断される。
「続きは来週に持ち越しにしようか。では、レポートの課題を最後に提示する。指定した文献五冊を踏まえて、新たに自分の意見を論述しメールで送りなさい。来週の火曜日を締め切りとする」
学生たちが携帯で写真を撮り、わらわらと席を立つ。
教授の周りに、質問をしに行った学生たちが輪を作っていた。
「文献は今回、五冊か……少な目でよかったぜ」
「前は十五冊だったからね。まあ、普通だね。今回が楽なくらいだ」
アクイレギアの大学院は秋入学が主流だが、春入学も存在する。
ルヴィたちは秋入学者だが、パトリックは春入学だったらしい。
つまり半年分、進んでいるのだ。
ちなみに、今年の春入学者は異例の多さだったそうだ。
理由は知らない。
「パットは、次は専攻の専門講義だったよな? オレたちはこの後、図書館にいくんだけど、探してるのあったら借りとくぞ」
ルヴィのなんて事のない申し出に、顔を輝かせる。
「本当かい?」
「もちろん」
「助かるよ。題名は……これ。もう十三年も前に絶版になってるんだ」
パトリックはノートの切れ端に題名をすらすらと書いた。
……達筆だ。達筆すぎる。
受け取りながら、ルヴィは図書館の司書の先生でも見せて探してもらおうと決めた。
「見つかったら、お願いするよ」
「任されたぜ」
「お気遣いありがとう……」
相当疲れているようなため息をつく。
先ほどの講義中はそうでもなかったのだが、これはいかに。
ネムと視線を見交わし、パトリックを囲う。
目の前に人ふたり立たれたパトリックは目を白黒させている。
「来てくれてありがとうな。毎週パットと会えるこの時間だけが心の癒しだぜ」
「週に二度会えるようにしてくれたこと、とてもうれしく思っているの。伝わっているかしら?」
誘ったら、専門外にもかかわらず、机を並べてくれたこと。
能力の高さもさることながら、人柄も素晴らしい。
友達甲斐のあるやつとはパトリックのことだろう。
「あ……ええと、ありがとう?」
口々に感謝とねぎらいの言葉を掛けると、珍しい動揺を見せた。
「パット、顔赤いぞ」
「耳まで真っ赤………あ、ルヴ、そういうこと言っちゃだめよ」
「ネムも口に出てる」
碧眼が恨めしげだ。
「……からかわないでほしいな。こんな時ばかり直接的に言うからだよ、君たち」
皮肉屋にはストレートな言葉が効くらしい。
勉強になった。
「僕は次の講義に行かないと……」
そういいつつ、再び重々しい溜息をつく。経営学科の外せない専門の講義があると聞いてはいた。空き時間だからと、快く付き合ってくれるところ、そして聴講生としてではなく、出席して単位も取るという有能さに頭が下がる。しかもかの有名なビジネススクール生だ。
「パットのところ、専門講義ってどんな感じだ?」
経済のことならなんでもござれ。
そんな専門家になるには、経営学研究科を修了することだ。
「データ解析が主だよ」
ビジネススクール生というと、内訳がある程度決まっているのだという。
大学生からそのまま大学院生になる人。
社会経験を五年以上詰んで学び直しに来た人。
既に社会的な成功者だが、箔付けのために来た人。
「ビジネススクールは特に、社会人を経験してから学びに来る人が多いんだ」
改めて言われると……。
「そんなイメージ」
「僕は大学生上がりの大学院生だけどね」
「わたしたちも同じだわ」
「オレたちの母国でも社会人からわざわざ勉強し直す人は少ないかも」
しかし確かに社会を経験したほうが、経営について頭に入るだろう。
「留学生が急増して、入学枠を圧迫しているからね……僕がいうことじゃないけど」
「それを言ったらオレらもそう……」
とにかく、とパトリックは顔を上げる。
「うちの研究科は最初にクラスが決まるんだ。二年間、そのクラスごとにカリキュラムを受けるようになっててね……」
高等部までの授業形態に似ている。
クラス分けがその後の一年間を左右するといってもいい。
「重要だな」
「いい人たちだといいわね」
とはいえ、大学院に秋入学一回生のルヴィたちと春入学一回生のパトリックとは条件が違う。既に半年は過ごした後なのだ。クラス分けは成されたあとで、それがどういうものかは身をもって実感しているだろう。
「…………………聞いてくれるかい?」
黄褐色と薄青色の瞳が交錯する。
「どうも、ネムと同じくストレスフルな環境に身を置いているらしいぞ」
「……話を聞きましょう」
「聞こえているよ、ルヴィ。ネム嬢も大変なんだね。ルヴィは平気なのか……」
しんみりしたかと思いきや、妙な顔になる。
平気だぞ、と胸を張りたいが、ネムの心配でルヴィの胸も潰れそうだ。
できることなら、こんな思いをさせる原因を潰してやりたい。
「僕のクラスには有名人がいるんだけど」
アクイレギアで有名人というと、それは映画俳優だろう。
このカレッジに新進気鋭の女優がいるというニュースは本国で見たことがある。
しかし次の言葉にその推測は打ち砕かれた。
「彼を中心に取り巻く……愛憎劇というか」
彼、と来た。
愛憎劇、ということは惚れた腫れたのすったもんだだろうか。
「ミーハーなファン?」
「熱烈な追っかけとか?」
ハンサムな若手俳優が女性たちに囲まれる図が思い浮かぶ。
学園でハーレムでも形成しているのだろうか。
となると、パパラッチたちが放ってはおかないと思うのだが。
「ごめん、何を誤解させてるか分かった。イレックススターじゃないよ?」
「完全に芸能ネタだと思ってた」
「ほかに有名人というと……親が政治家とかかしら?」
思案気にネムが挙げていく。
身近なところをついたなと思ったが黙っておいた。
「似たようなものかも。いずれ君たちも耳にすると思うけれど、このカレッジには今、指折りの資産家の御曹司が通っているんだ」
なんと、指折りの金持ちときたか。
指って片手のでいいのだろうか?
「へえーすごいな」
指をぐーぱーさせる。
どのあたりの指だろうか?
「アクイレギアで指折りは、世界有数ということ?」
人口の多い、タマリンドとピオニーも桁違いの富豪がいるというが。
「たぶんそうだと思うぜ」
「その認識であっているけれど……」
奥歯にものが挟まった言い方だがパトリックも頷く。
さすが経済大国、規模感が違う。
「彼と同じ研究科に入ろうと、無理やり入学を捻じ込んできた輩が多いんだ」
無理を通したのは、学生たちの親だろう。
思い浮かぶのは裏口入学だ。
「でも入ってどうすんだ?」
「それは……もちろん、その人との縁故をつなごうとしたんじゃないかしら?」
「えー? どんな縁になるわけなん?」
「かけがえのない親友になるの」
「ど、どうだろな」
両手を組むネムは親友に夢を見すぎている。
大学院生同士の交友なんて学業がベースにある、あっさりしたものだろう。
「………だいたいあっているようで、根本的にずれているね?」
いちいち話の腰を折るルヴィの発言にもネムの返しにも、丁寧に反応してくれる。こうしたところでも、パトリックという人物の、人の良さが出ているのが面白い。
「彼と親しくなることを目的として、無理に入ってきている人が多いんだろうね。ちなみに、例年に比べて、彼がこのカレッジに在籍してからの入学者の質は急落していると報告が。……カレッジへの寄付金額は過去最高額に達している。それと引き換えかな。このカレッジでの傷害事件と訴訟は過去最多となっている」
………い、いかん。
「因果関係安直に結んじゃいそう」
「僕の説明ではもうつなげているようなものだと思うけど」
本人がそういうなら間違いない。
「裏口入学者の増加により、カレッジは潤っているけれど、事件も増えていて、でもそれらの要因は、たったひとりの人ということ?」
付け加えるなら、それは『彼』だという。
「話だけ聞くと魔性の男……」
「周囲でトラブルが起きると気が滅入ると思うのだけれど」
「どうだろう………彼が堪えている様子はないんだけど」
思い返すように遠くを見る。
そしてふっとため息をつく。
「当事者ではないのに僕はもう疲れているよ」
この善良な友人に何の罪があってこんな目に?
「なんか、とばっちりだな」
「あまり関わらない方がいいわ」
「そう……なんだけどね……」
乾いた笑いだ。
同じクラスにいるとそうもいかないのかもしれない。
「ああ、そうだ。ないとは思うけれど、万が一にも巻き込まれないように気を付けて」
ネムは重々しく頷く。
「気を付けるわ」
「相手の顔も知らんて」
思わず突っ込む。
時間が迫って管を巻くこともできなくなった友人が席を立った。
重たい足取りの後ろ姿を心配げにネムと見送った。




