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黄金が降る  作者: 毎路
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10 先住者

 早朝ランニングから戻ってシャワーを浴び、それでも顔を見せない幼馴染に代わって作ったモーニングセットのお披露目。バターを塗ってトーストしたパン、足の早いトマトとレタスとたまごのサラダ、買い置きのコーンスープ、コーヒーメーカーでドリップしたコーヒーだ。見栄えの良さを頑張った力作だ。


 食器はもともと部屋にある物で、白い無地のシンプルなデザインだ。ひと昔前に流行したスタイルで、飽きにくいし、なんてことないルヴィの料理も、食材の色彩が映えた。


「そろそろモーニングコールでもするか……」


 部屋のドアノックしてから待つが、返事はない。

 試しにノブを回す……開きそう。

 不用心な。


「……まあ、家の中だし」


 ルヴィだって開けっ放しだ。


「入るぞー」


 とっとこ眠り姫を起こして、リビングに追い立てる。同居人用の朝食はサーブ済み。椅子を引いて座らせると、マグカップに淹れたてのコーヒーを注ぐ。セントラルヒーティングが効いているので、立ち上る湯気はすぐに消えてしまう。


 幼馴染がフォークを握ってサラダをつつくのを見届けてから、タブレットを開いて文献を漁る。新しい論文が上がっていないかのチェックだ。ゆったりとした空気が流れる、そんな穏やかな時間は突如、大きな物音で途切れた。


 ――ガタガタ、ガタン!


 何かが重たいものが、外の階段を転がり落ちる音がした。


『……っ ……たー』


 ついで、微かに人の声も。


「……ちょっと様子を見てくんな」


 朝にめっぽう弱い幼馴染は、物音に驚いてフォークからサラダを落としていた。フォークの穴が開いたレタスが、盛られた器に逆戻り。ぼんやりとそれを見下ろすネムの頭をぐしゃぐしゃとかき回して、テーブルの横を回る。





 玄関を開けて顔を出す。ごそごそと何かと格闘するような女性の声が聞こえた。後ろを振り返り、扉を確認する。生態認証のパネルの位置を確認して手を離すと、自然にしまった扉から施錠音が聞こえた。このようにこのアパートではオートロック式なのだ。つまりこの大きな物音を建てた人物も、このアパートの住人と考えられる。さて――と、手すりに手をかけ下をのぞき込む。


 一瞬、太いロープかと思った。


「あの――大丈夫ですか?」


 赤みの強いブラウンの髪を三つ編みにした、つなぎ姿の女性が、今にもずり落ちそうなスーツケースを両手で持って踏ん張っている。ルヴィの呼び声に、振り仰いでこちらを見た。鼻からずり落ちそうな眼鏡を通して、見上げようとしているが、ずれているせいでよく見えないのだろう。顔をしかめている。


「あ、うん、ちょっと荷物を落っことしかけちゃって」


 流暢なエルム語だ。

 しかも聞きなじみのあるイントネーション。

 つまり、イクシオリリオナイズされたエルム語。


「手伝います」


 降りながら、ふとネムの言葉を思い出す。

 ここに入る条件は、イクシオリリオン人であること。

 であれば、ここの住人だろうこの女性も同郷人に違いなかった。


 赤茶色の髪と小麦色の肌に目が曇ってしまったようだ。


「面目ない、でも助かる、てかちょっと急ぎ目で頼むよ!」


 今まで控えめな人が多かったので、この女性の厚顔とも思える発言にルヴィは苦笑いしながら急いだ。よく見ると、伸びきった腕はプルプルと震えている。


 ただ、ちょっと距離があった。一階と二階をつなぐ階段の中間に踊り場があるが、その踊り場に片脚を掛けた状態で踏ん張っている。つまり三階にいるルヴィはほとんど一階まで降りるようなものだった。


 横を迂回して荷物を支える。


「手! アタシもう、手、放していいかな?」

「あ、いいですよ」


 初対面だが、清々しいほど当てにされている。

 面食らいながらも、頷くと、重みが増した。

 斜めに傾いたスーツケースを縦にして、下の段に直立させた。


 すると上の踊り場から声が振って来た。


「あー乳酸が溜まったな……明日は筋肉痛になるかもこれ」


 両腕を下ろしてプラプラと揺らしている。

 軟体生物の踊りのようだ。


 何とも言えない顔で目を逸らしていると、女性が気づいたようでずれた眼鏡の位置を直しつつ、両手を合わせた。


「助かったよ、朝から騒々しくしてごめんね」

「……びっくりはしましたけど」


 それより、この女性の身なりに対する困惑の方が強い。つなぎを着ているといったが、その上半分は脱いで腰のあたりで袖を結んでおり、下に来ているインナーが露わだ。先ほどまで取っ手をつかんで引き留めていた手は軍手をはめていて、むき出しの両腕は土に汚れているような感じだった。どこぞの工事現場から戻って来たかのような。


 ――ここの入居者ではなく、アパートに出入りする業者だろうか。

 ジョーンズが厨房を出入りしていたのを思い出す。


「もしかして、新しく越してきた子?」


 思わず顔を上げると、そうかあとと呟かれる。

 表情だけで汲み取られたらしい。


「挨拶が遅れました、301号室のルヴィアスです。ルヴィアス・キングサリ」


 苦笑いして自己紹介した。


「はじめまして。アタシは204号室に住んでる、エミ・チョウノ。よろしく……って言っても、ここ一か月くらい戻ってなかったんだけどね」


 管理人であるマリエの話では、二階が一人暮らし用の部屋で、三階が二人暮らし用の部屋だということだ。三階よりはましとはいえ、中間の踊り場にも到達していない。この荷物、見かけに勝る重量をしていた。

 

「上まで運びます」

「その申し出を断れないんだよね……助かる!」


 大口を開けて笑顔になるので、なかなか迫力がある。

 はきはきとした快活さが前面に出ていた。


「それじゃ」


 自動歩行機能が付いていないタイプなので、完全に持ち上げなくてはならない。その分、軽いはずだが、中身が重いのだ。かろうじて片手で持ち上げられないことはないレベル。安全のため、もう片手は手すりに置く。踊り場にいるつなぎ姿の先住者エミの隣に並び立って一旦下す。そこから二階までの角度を確かめてから上がって行った。後ろから自分以外の足音が続く。


「さすが男の子、力持ちだ。ルヴィアスがこっちで行ってんの、大学かな?」

「この秋、大学院に入学を。……あと、ルヴィでいいです。長いですし」


 あと、年上だし。

 心の中で呟く。


「――え!? 待って、何歳?」

「二十三です」

「ウソでしょ、アタシと三つしか違わないの!?」


 ということはエミは二十六歳らしい。


「童顔じゃん! アタシらイクシオリリオン人は若く見られる方だけどさ。あ、ちなみにアタシはここで大学生を二周目やってんの」


 互いのカレッジの話になり、情報を交換する。


「この国で一番の都会にあるカレッジじゃん!? しかも名門だし!」

「チョウノさんのところも」

「エミでいいよ」


 間髪入れずに言われ、言い直した。


「……エミさんのところも、名門ですよね?」


 そうだけど、とエミは肩を竦めた。

 その動作でパラパラと土塊が階段に落ちるのが分かった。


「うちは郊外で、そっちはLVの中でしょ? それもマグワート島の、しかもど真ん中じゃん」


 そうは言うが、エミの通うカレッジは学術都市を形成しており、田舎というわけでもないはずだ。学生向けに発展した都市形態なので、リグナムバイタの中心地と比べると物価が低めで暮らしやすいはずだ。二階の床にスーツケースを下しながら、振り返る。


「あれ……エミさんとこのカレッジ、隣の州ですよね?」

「そうだよ」


 リグナムバイタ州とはディコトマ川を隔てて隣にあるソロリア州だ。


「ここからだと、大学には電車で四十分だね。ソロリアは良くも悪くも田舎と都会のどっちの要素もあるからさ、純粋な都会にもアクセスがいい場所を探してて、ここを紹介してもらったんだ」


 ラティフォリア州のローレルには五十分で、ルヴィたちも通う、リグナムバイタ州の中心地には二十分で行くことができる。遠いようで近いのか、よくわからない。


「荷物、ありがとね」


 考え込んでいると、エミも二階に上がって来た。

 持ち手を差し出すと、軍手に包まれた手がしっかりと握る。

 手に埃っぽいものが触れるのが分かった。

 背後の階段を見ると、苦笑いしか出ない。


「あとで、掃除しとくからそんな顔しないでよ」


 時間があるなら、掃除も手伝うというところだが。

 今日は大事な用事があるのだ。

 正直、安心した。


「久しぶりに帰ってきたら、早朝にはマザーマリエがいないの忘れてたんだよね。いやー貨物用の昇降機使えないのに気付いたときは焦ったね! 行けるかと思ったんだけど。ルヴィが来てくれて助かったよ」


 運んでおいてなんだが、結構な重さだった。


「何が入ってるんですか?」

「パソコンとか、機材とか入ってる。撮影用のカメラに、計測器とかね。――重かったでしょ、ありがとう」


 どういたしまして、と答えながらも首をかしげる。


「旅行、とかじゃ?」

「ないない! そんな時間とてもないって! 今回のこれは、授業の……いわゆる救済措置ってやつ?」


 持ち物からして違いそうだと思ったが、授業とは。


「単位位落としかけてたんだけど、プロフェッサーのフィールド調査のアシスタントしたら、単位くれるっていうから、そりゃ行くしかないよね? 一か月かかるのは誤算だったけど、まあいいサプライズだったかな」


 現地調査をしていたなら、この汚れっぷりも納得だ。

 一か月間はかなり大変だろう。


「へえ……好きなんですね」

「……まあ、ね」


 照れたように頬を掻く。

 ……恥ずかしがるようなことを言っただろうか?

 別に、ルヴィは女性が実地調査に出かけることをお転婆なんて思いはしないのだが。


「一か月付き合って一つの授業の単位がもらえるってことですか?」


 割に合わないような。

 いや、単位を三つ落としたら退学になるカレッジもある。


「目的の現象がなかなか観測できなかったんだ。おかげで期間が予想より延びてさ。……その間の宿泊費と食費は、プロフェッサー持ちだからそこはいいけど、秋学期に間に合わないかと冷や冷やしたよ」


 なぜか暑くもないのに顔を赤くしたエミは手で顔をあおいで、せき込んだ。あの土塊に汚れた軍手では仕方ない。舞った砂埃を思い切り吸い込んでしまったのだろう。


「えっと、大丈夫ですか?」


 大丈夫、大丈夫と手を立てて呼吸を整えた。

 折った背骨を伸ばして、深呼吸する。

 そしてもう一度自分の足元を見て目を閉じた。


「自分のこともシャワーに放り込んどかなきゃね……」

「……掃除、手伝いますよ」


 高齢なマリエがこの汚れを見たら、どんな気持ちになるだろう。

 悲しい顔をさせないよう、マリエの出勤前に掃除してなかったことにするくらい、ルヴィにとっては何でもないことだ。ただ……でしゃばって人の尻ぬぐいをすることがその人のためになるかというと、違うだろうが。


 先ほどと同じように、ルヴィの申し出にすぐ頷くと思ったのだが、予想に反しエミはきっぱりと首を横に振った。


「それは大丈夫。自分でやったことの片は自分でつけなきゃね。あと――手伝ってくれたお礼も。今はさっさとシャワー浴びて、みんなが起きる前に綺麗にしておかなきゃいけないから、すぐにはできないけど、よかったら一緒にランチでもどう? 三階ってことはルームメイトもいるんだよね? その子も一緒に」


 ルームメイト。ネムのことだ。人見知りの激しいネムと、このフットワークの軽い快活なエミとは、考えただけでも取り合わせがきつそうだ。


「いえ、困ったときはお互い様なんでお気になさらず」


 定型文を告げてその場を去ろうとした。

 いつまでもここにいるとエミも部屋に戻れないだろう。


 慌てて断る。人見知りの激しいネムにとり、このフットワークの軽そうな、明るい性格のエミと初対面でランチはきついのは目に見えている。


「困ったときはお互い様なんでお気になさらず」


 定型文を告げ、その場を去ろうとしたが、エミが声を立てて笑うので振り返った。


「いや笑ってごめん………名前がさ、外つ国の人名に聞こえてさ」


 ルヴィも疑ったが、エミの方も、イクシオリリオン人ではないかもと思っていたらしい。もうそんな典型的な容姿の人も少ないというのに、黒髪黒目の特徴を探してしまう。ルヴィすら、その特徴を有していないというのに、だ。


「『出名』でもないんだよね?」

「これが本名なもんで……」


 肩を竦める。


「へえ? 一昔前は、外つ国でも通じる名前をはじめからつけることもあったっていうもんね。実はちょっとお堅い家だったりする?」


 どういうのを堅いというかは分からないが。


「そんなこともないと思いますけど……じゃあ、オレはここで」


 あんまり長居するとネムが心配して出てくるかもしれない。寝ぼけているときは、床に躓いたらそのまま転んで伸びていることもある。早朝と寝起きは弱いのだ。


「うん、助かったよ。でもお礼はさせて。恩は必ず返すのが家訓だから」

「武士みたいですね……」


 乾いた笑みが出てしまう。

 三階への階段を上る最中に、ガチャリと扉が閉まるのが聞こえた。


「にしても……なんの学部なんだろ」


 秋学期が始まるのはカレッジごとによって異なるけれども……。


「そう変わりはないはずだけどな」


 となると、ギリギリもギリギリだ。 


 浮かんだ疑問も、扉が閉まれば忘れてしまう。

 もっと大変な問題があるからだ。


「ネムー、そろそろ出る準備してくれよー」


 今日からカレッジの講義がはじまる。

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