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黄金が降る  作者: 毎路
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00 代替品

 800万をゆうに超える人口を抱えた巨大都市――リグナムバイタ。


 リグナムバイタの早朝は多くの人間が想像するような煩雑な喧騒とは打って変わり、異次元のような静けさを保っている。ここの住人は寝汚さは世界に知られるところで、住人が寝静まっている早朝であれば、人類が滅びたかのような静寂に包まれる。対して日中のリグナムバイタの喧騒はすさまじく、聴覚から頭脳を破壊せしめんとするかのようだ。実に、ここへ住むに堪えられるのは狂人だけだといっていい。どれほど正常に見える者ですら、何処かしらおかしく、その多少はあれど狂っているに違いない。外国ではなく、ここの大学を選んだ時から、耐え難い騒音の中で暮らす生活には嫌気を通り越して既に諦観の域に至っていたが、その考えは変わらない。


 レギナンドの習慣(ルーティーン) は、住人が寝静まる早朝にひとりカレッジへと徒歩で向かうことだった。


 ………昨晩は失敗した。目覚めた瞬間に始まる疲労と混乱、倦怠感で、周囲への注意が疎かになっていた。通行を阻む、底の擦り切れた赤いヒールの安い音。


「ねえ、お兄さん」


 足を止めてしまった。


「ライター貸してくれない?」


 体型よりもツーサイズは下げているだろう衣服から伸びた蒼褪めた脚は、思ったよりも長く、進行方向を完全に塞いでいた。履き潰した赤いヒールには擦れた跡がついていて、手入れされたようにも見えない。血色の悪い腕を重たげに持ち上げて、握るライターからは乾いた音が鳴る。


「――タバコ、吸えなくて困ってるの。もちろんタダでとは言わないわ」


 俯いていた顔を気怠くもたげて壁に張り付いた背中を引きはがして眼前に躍り出る。女からは腐乱した果実のような独特な香りが漂ってきた。……この路地には似つかわしくない臭気だった。顔を覗き込んできた途端、目を見開き、そのまま硬直する――それを見返し、値踏みした。厳寒な早朝に場違いな薄着の女は流行に則った痩せぎすの女優並みと言えたが、その程度はこの街にはありふれていた――全く食指が伸びないラインではなかったが。


「持ち合わせていない」


 信号が青になっていた。

 汚物を避けるよう、迂回して歩き出す。


「あ、ま、待って! ライターはいいわ! ちょっとだけ時間をくれない? 絶対にいい思いさせると約束するわ。これでもすごく評判はいいのよ? うんとサービスする。ねえ、どう?」


「……また今度」


 その気になったときに。言い捨てて歩道を渡ったが、ハイヒールの騒がしい足音がしつこく追いかけてきた。レギナンドの隣にまで追いつくと、何が入るのか疑問な小さなバックを漁ったかと思えば、ちぎったばかりのメモ紙に――ペンを持っていなかったのだろう――口紅で表面に番号を、裏面に名前らしき文字を走り書きしたものを突き付けてくる。


「あたしの連絡先! そ、その気になったらいつでも連絡ちょうだい」


「………ああ」


 押し付けられた紙を受け取ると、やっと路地の境界を蹴った。

 途端に娼婦は追ってくるのをぴたりとやめた。


「待ってるから!」


 声ばかりが執拗に追ってくる。吹きつける風が押し流していくのに任せ、角を曲がった。ゆく道すがら、押し付けられた紙切れを手のひらの中で握りつぶし、適当なトラッシュボックスへと放り、息を吐く。


 ――娼婦がうろつく通りというのは昔から決まっている。


 巨大な都市であるリグナムバイタには、公然の事実として娼婦通り(ハイヒール)がある。見えない区画を隔てて、その線は明確にある。奥まった路地にあり、天気が良くても悪くても視界は暗い。特に霧が立ち込めているなかで浮かび上がる、むき出しの足が履くハイヒールが等間隔で路地に並んでいるさまは、この都市がいくつも持っている顔の一つだが――その通りは、ここではない。


 黄色い花が根元に咲いた、赤煉瓦とアイアンアーチのゲートまで辿りついたところで、板を割ったような声が鼓膜を割く。


「はあ? ふざけやがって!」


 門衛に止められているのは旅行鞄を引きずる子どもだ。

 こんな早朝に、保護者もいない状態で――


「こっちはれっきとした成人男性!」


 流暢なエルム語だ。ほとんど完璧だったが、僅かに独特の訛りがあったことから察するに、十中八九、極東の島国イクシオリリオン人だろう。身長はレギナンドよりも頭一つ高いが、幼い顔立ちをしている。東洋人とはいえ、背の高い子どもが大人を詐称しているようにしか思えない。


 迂回できればよかったのだが、生憎とここを通らなければ中へは入れない。


「――騒ぐな」

「な、なんだよ」


 少年が振り返り、改めてその幼い顔立ちに眉を顰めざるを得ない。

 家出かと思われたのだろう。


「何をしてる」


 しどろもどろに言うかと思いきや、意外にも主張は簡潔だった。


 このカレッジの中へ入りたいということ。

 この秋に入学するカレッジの新入生だということ。

 年齢を疑われて、警備員が通してくれないということ。


 しかし提示する何物も出していないようだ。

 念のため目を向けると、門衛はあきれ顔で首を横に振っている。


「本当にこのカレッジの学生ならIDを出せばいいだろう」

「あ、そっか」


 少年の物言いに半信半疑だったが、実際に顔写真付きの許可証を出した――門衛はすぐに態度を改めた。当然だ。


「な、なんだよ、急に改まって……こええよ」

「身元を証明するものも出さずに部外者を入らせる施設があるとでも?」


 ひと昔ならばいざ知らず。


「う………と、とにかく助かった、ありがとな」

「……どういたしまして」


 期待のこもった視線から目をそらして言い捨て、IDを翳して認証を行い、常駐している門衛の建物を抜ける。よく刈られた青い芝の庭に、植えられている木立の傍にはベンチやテーブルが置かれている。うっすらと霧が掛かる芝の敷地の奥に、この国最古を受け継ぐ、現在でも名門と謳われるカレッジスクールが聳えている。


 人通りが疎らな時は静寂が流れている。


 喧騒に塗れた日常から切り離されたこの時間に、ひそかに息をつくのは、レギナンドが東洋の血を引いているからかもしれない。欧州の古典音楽が絶え間なく流れる昼間のカレッジの空間ですら快適ではなく、あらゆるものが揃い、満たさない欲望はないとまで言わしめるこのリグナムバイタにおいて、何をしても満たされた気がしない。すべての物質がここにあり、といわれるこのリグナムバイタで満たすものが見つからなければ、自分でもわからない何かを埋めるものなど、もはやこの世に存在しないのかもしれない。


 ここの住人は、代替品で生きることに慣れている。

 馴らされているといっても過言ではないかもしれない。


 雑多で多様なあらゆるものが犇めいている。

 その間隙のような、束の間の静寂がある。


 この何もないような静寂が、いつも何か満たされないレギナンドの何かを埋めるものに最も近い気がしていた。早朝のこの時間から動き出すのは、敢えて言えばその為といえるだろう。


「オレはルヴィアスっていう…って、おいどこ行くんだって! 案内してくんないの!? そういう流れじゃん!?」


 思わず表情が動きかける。早朝から騒々しい。

 早朝から日課は崩れ、カレッジの学生たちが続々とやって来る。

 雑多な人間達が生み出す気配。


 舌打ちが漏れ、方向転換しようと歩を進めた先に、カレッジの象徴にもなっている巨大な古代樹があり、その下のベンチで本を開く、ロングヘアの女学生が顔を上げた。


「おはよう、レギー(・・・)

「――ああ」


 喚きながら追いかけて来た少年は同じく足を止ると、怪訝そうに回り込んだ。

 すると自然な動きで押しのけた女学生がやって来る。


「昨日はいなかったから、ここで待っていたの」


 厄介ごとを察知する能力でもあるのか。

 あれほど鬱陶しく着いてきた少年は、押しのけられた体制のまま後ろへ退く。

 女学生は背中を覆う髪を揺らしながら、腕に触れてきた。


「――今日はきっと、来てくれるのよね?」


 徐々に通学してくる学生の目が向くのを感じながら、適当な文言を考え、口にしようとしたとき、騒々しいヒール音と共に、甲高い女の声が割って入って来た。 


「レギン! こんなところにいたのね!」


 甲高い声と共に割って入って来たのは、赤髪の女。


「あら、セレナじゃない。やぼったい顔を見て思い出したわ」

「……久しぶり、メリア。帰って来たのね」


 何に競り合っているのか、女学生もまた腕に爪を立てる勢いで掴んできた。


「ええ、この通りね。そうしたら、あなたのおかしな噂を耳にしたのよ」

 

 噂、とは。暇な人間が多いらしい。


「ちょっと寝たぐらいで恋人面しているという噂は本当だったようね!」

「………どうして事実ではないと思うの?」


「昨晩、レギンと一緒にいたのはあたしだから」


 人工染色をした赤髪は記憶に新しい。昨晩のことだからだ。

 そして、レギナンドは赤の他人の家で朝を迎えるほどお目出度い頭をしていない。

 一夜過ごしただけの他人に何故縋られなければならないのか。


「思い上がりも甚だしいっていうのよ。何にも知らずにのこのことレギーに話しかけて、この泥棒猫!」


 レギナンドの空いている方の腕を自分のものであるかのように抱えて引っ張る。


 今日に限って煩わしいことが立て続けに起きる。

 周囲はそのまま足を止めずに避けて通るか、遠巻きにしているか……いい見世物だ。そしてレギナンドはこの女たちの確執だかなんだかからくる争論にわざわざ足を止め、周囲に格好の娯楽を提供してやる義理があるのか。心底――下らない。



「ルヴ、探したわ」



 払いのけようとした腕を止め、振り返る――そこには、レギナンドらがいる巨木を迂回していこうとする背ばかりが高い、さきほどの少年を引き留める、少女の後姿があった。


「ネムぅ~!! 助かったぜー」


 顔を明るくしたかと思えば、甘えた声を出す。

 この少年に関わらなければ、こんな騒ぎに巻き込まれることはなかった。

 その少年はこうして騒ぎの外へと早々に逃げた。


「オレ、これからどうしようかと」

「勝手に行くからだわ。待っててって言ったのに」


 少女の少年に対する、素気無い返答に溜飲が下がる。

 少女は薄青色の短い髪で、折れそうな首が寒々しい。


 じっと見守るが、見えるのは、鬱陶しい少年の顔ばかりだ。


「だってさ、だってさ、やっと来られたんだ、早く見たいじゃんか」

「パスポートも持たずに、そんな子どものような物言いでよく通れたものね」


 目で追っているとその視界を、姦しく囀る女たちが塞ぐ。

 そこでようやく、その光景を食い入るように見ていたことに気づいた。


 言い合いは激しくなりいよいよ周囲の好奇や顰蹙の視線を恣にする。


「一度だってレギーがあなたのものだったことがあるかしら! そもそもそれを言うなら、去年マーシャルが現れて傷心した末にレシュノルティアへ留学して逃げたあなたの言葉とは思えないほどの思い上がりっぷりね、メリア」


「あら、国外に行っても聞こえてきたわよ? あのガリ勉マーシャルは最後粋がってレギーに愛想つかされて無様に振られたってね、だからあたしは負けてなんていないわ! あんたみたいな地味女なんか話にもならないわよ」


 覚えのない名前が飛び交う中、レギナンドは再びあの東洋の少年少女へと視線を巡らせた。

 巨木の裏には、遠巻きにこちらを見る野次馬しかいなかった。

 大きなため息が下から聞こえた。


「……たった二回寝たくらいで勘違いしているのはあなたでしょ。あなた以外にミアもベティもレギーと寝ているわ。あなたのお友達のエヴェリンだってレギーとワンナイトしてたわよ」


「ウソ……なんですって!?」


 目を離したほんの一瞬の間に、少年少女は姿を消した。残されたのは無遠慮な視線と、リグナムバイタの渋滞のクラクションと変わらないほど耳障りな女の罵倒の掛け合い。


 柔らかな肢体と、肩下までの髪に控え目な微笑。どれもがどこか決定的に足りない。これよりもそう悪くもない筈のものは他にもある。そも、迷惑極まりない張り合いに付き合うほどに、飢えているわけでもない。


「可哀想なデメトリア。お金持ちのあなたの耳には入れないようにしてたみたいだけどね。寄ってたかって私には突っかかって来るんだから勘弁してほしいわ」


 レギナンドは、掴まれている腕を両方とも振り払う。

 女たちの目も、周囲の好奇の目も受けたが、無視して進む。


「ちょっとレギン!!」


 覆いかぶせるように多少親しんだ女が吠える。


レギナルド(・・・・・)!!」


 呪いのような呼び声。

 耳障りでもある。


「最悪! あのマホニアの御曹司と上手くいけたはずなのに!!よくも台無しにしてくれたわね!?」


「あ、あんたやっぱりレギンのお金目当てじゃ……!」


「うるさい! ジャッジなんて求めてないのよ、この場違い女!! もう一遍、レシュノルティアにでも引っ込んでろ!」


 メッキが剥がれれば出来た贋作も価値を偽ることはできない。面影を感じて眺めていたものが、やはりただの生臭い塵だと悟ったとして、面影は本物ではない。


 道を空ける人の生垣を抜けながら、携帯で門衛に対処を依頼する。

 通報を終えると、気づけば随分と敷地の奥に進んでいた。


 木枯らしが吹き、地面の死んだ落ち葉を浮かした。

 まるで死人を起き上がらせるように。


 欲望が、この身を離れることはなかった。


 どんな欲望にも対応できるようなあらゆる物質がこの世界には転がっている。そこに手を付けるだけで、代替にはなる。だが、何の代替なのか、そもそも本当に満たせる何かはこの世に存在しているのか。存在していなければ、この先も代替で誤魔化した錯覚で過ごすのか――それはいつも身を覆う感覚で、その確かめようもない問いだ。


 その答えをレギナンドへ提示した人間は、奇しくもこのほんのわずかな邂逅で存在を知った、子どものような少年だった。

リグナムバイタ・・・アクイレギアの最大都市

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