第9話 木暮雅人の警告
―実に威勢のいいのをナンパしたらしいな。
モニター越しに愉快に言う木暮雅人は、南国の海岸のレストランでカクテルを飲みながら楽しげに言う。そのモニターの前で、アーネスト・ウィルバートンはむっつりしていた。
―ハハハハ!苦戦しているかんじだなあ?
「何が仰りたいのですか?他人のプライベートにはご興味ない筈」
―いやいや!ウィルやデニスからも私の所に連絡が来てな。彼女の事に付いて調べ尽くしたいので、こちらの情報機関を貸してほしいというんで、貸してやった。
ハハハハハ!と木暮雅人は楽しげに笑う。その声が彼の後ろに広がる夕闇の海に吸い込まれていく。
アーネストは忌々し気に返す。このジジイは!!
「ですから?何が言いたくて?わざわざバカンス先から電話をしてきたのです?」
うんざりとしたように顔を背けるアーネストを、小気味いい気分で木暮雅人は感心したように言う。
―君がそういう顔をするとはなあ。その平野由華里と言う令嬢は大したもんなようだなあ。
「Mr木暮は彼女の事を御存じですか?」
―知っているさ!M商事の平野泰蔵の娘だろう?あれは父親が溺愛して籠の中の更に籠の中で育てた手中の珠みたいな娘だ。殆ど外部には晒しもしない。M商事に強引に勤務させたかと思えば、娘に色目を使う社員や他の男共に危機感を抱いてとっとと回収したんだよ。
「その様ですね。過保護と言うか、親馬鹿と言うか。いい歳した女性を。しかもあんな輩と婚約させるなど」
―まあな。君の眼から見れば彼は小物も小物。歯牙にもかけ存在だ。
が、
平野泰蔵にとっては理想的な人物なんだ。田口崇史はな!
その名前にアーネストは苦味潰した顔を一瞬した。木暮雅人はニヤリと笑う。
―ああいうやつは上司である泰蔵に従順だ。道を間違っても外さない実直。だから日本では安泰で将来は有望だ。日本ではな?
そして以外にも家庭を大事にしそうなタイプだ。
つまり、娘過保護のあの平野泰蔵にとっては願ったりかなったりの男と言う訳だ!
「趣味が悪い」
―おいおい、それは平野家の話であり、他人の家庭の事だ。君には関係ない話だ。そうだろうが?
その言葉に酷くアーネストは不愉快になった。
「もちろんそうです。彼女は…日本に滞在している間の退屈しのぎと言うか…まあ新しい価値観の勉強みたいな物ですね。アニカ達も大層気に入っているようですし。仕事も申し分ない。私に逆らってばかりの所を覗けばね」
―なんで自分の名前を出さない?
「は?貴方の名前を使ったのは不味かったですか?」
―いや。使っていいと言ったのは私だ。構わないさ。ただ、私の名前を出してカモフラージュするよりも、君の名前を直接出せば話しが早いのではないか?そうすれば、彼女も君に逆らう事もなくなるだろうさ。M商事に勤務していたのなら、
アーネスト・ウィルバートンがどういう人物かは直ぐに理解する筈だ。
「それではつまらないのですよ」
―違うよ。君は恐れているんだ。
「私が何を恐れるのです」
―呪いだよ。ウィルバートン家の呪いだ。
鋭い木暮雅人の指摘に、彼は息を飲み、そして不快そうに言う。
「違います。彼女を…私の私事の厄介事には巻き込みたくないのです」
―君の厄介事?
「先に話しました結婚話しの件ですよ」
―他人に結婚を決めて貰うとかいうアレか?
「違います。ただ、私の妻、時期ウィルバートン夫人になりたがっている女性も、娘をそうさせたいと願う親もごまんといると言う事です」
―その輩が彼女を狙うと?嫉妬してか?
「勘違いして…でしょう。彼女は日本での私の臨時秘書です」
―違うだろうが。
「違いませんよ」
―違うよ。
「違いません」
―相変わらず顔色を変えない男だなあ…。まあいいさ。だが、私からの忠告をしておこう。君のその配慮は時すでに遅しだ。君が彼女を拉致監禁した時点で、
「Mr木暮…」
木暮雅人はアーネストの冷ややかな声と態度に肩を竦めた。
―ホテルに連れ込んだ時点で、
「Mr木暮」
木暮雅人は困ったように肩を竦める。
―変だなあ?!私はアニカ達から君が彼女をUのロータリーで見つけて、強引に車に押し込んで問答無用でそのホテルに連れ込んで、しかも自分の部屋との続きドアを隠してまで強引に滞在させ、更に身動きとれないように監視をつけていると聞いているが?違うのかあ?
はあ…とアーネストは嘆息した。
「天下のウィルバートン財閥CEOの?私が?ですか?」
―その天下の財閥CEOが、だよ。ハハハハハハハ!
「こちらはもう深夜なので就寝したいので話しを切りあげて下さい」
―済まん済まん。まあ、私も君に名前を貸しているのでその対価を支払って貰いたいと言うことだ。
「車のお礼ではなく?」
―それも含まれている。君はまだ約束を果たしていない。
「ナンパはできませんでしたので」
―だから、隣の部屋で寝ているのは何なんだ?
「彼女の名誉の為にも何度も言いますが、彼女は臨時秘書です」
―臨時秘書はTOKYOで一番のスカイバーには連れて行かん。
チッ!と忌々しくアーネストは舌打ちした。木暮雅人は彼の総裁らしからぬ態度ににやにやと嬉しそうに笑う。それがさらに彼のカンに触る。
「アニカですか?」
―いや?アニカに、ウィルにデニスにニックか?そうそう、君の屋敷から連れてきたメイド達は、すっかり彼女が手名付けたようで彼女から離れんらしいな~~~。ハハハハハハ!!!!
「だから?対価をおっしゃってください!名義使用料は支払いますよ」
ハハハハッハと木暮正人は愉快そうに笑うと身を乗り出した
―いいだろう!対価だ!1週間後、私はインドネシアに行く。そこで落ち合おう。彼女も連れて来い。
「何度も言いますが、彼女は日本にいる間の臨時秘書です」
ふんと木暮雅人は鼻を鳴らした。
―世界屈指の大財閥。ウィルバートン・グループを統べるCEOアーネスト・ウィルバートン。冷酷非情で魔王と呼ばれる男が?小さな島国の小さな街で見つけた女性を強引に車に押し込んで拉致当然にホテルに連れ込んで、しかもその父親にも納得させて自分の側に居させて、周囲にもそれを公然と公表していて、今更何を言っているんだ。
「何度も言いますが誤解です」
―アーネスト、これは私が君にナンパを勧めた結果だ。そして平野泰蔵の娘も知っているからこそ、既に君だけの問題でも他人事でもないんだよ。私にも責任が生じている。だから君に忠告をしなくてはならない。
警告だ。
アーネスト。
気をつけろ。
既に日本に君の国から無粋な客が紛れ込んだらしい。言っている意味が分かるな?
木暮雅人の言葉にアーネストは眉間に皺を寄せた。
「ええ…既に情報は入っています」
―結構。いいか?私は君に珍しい時期外れの美しい花を見せてあげた。その礼と名前を貸しているかたに…君が見つけた珍しい花を連れて来たまえ。
無傷でだ。
優しい笑顔で木暮雅人は微笑みと、またな!と言うように手をあげモニターは切れた。その画面を見つめたまま、アーネストは険しい顔で空を睨みつけるように顔を挙げた。
既に無粋な客が日本に紛れこんでいる…。
「くそっ!」と叫んで彼は立ちあがり部屋を出た。
既に他の部屋の者達は就寝しているらしく気配がない。
FホテルのVIP専用フロアでは、エレベーターホールの中央に巨大なリビングルーム的設備が置かれている。その両翼に伸びるように廊下が走り、両側併せて10のスイート並みの広さの客室が設えてある。
彼は由華里が寝ている筈の部屋の方を見て、悲しげに目を伏せた。
エレベーターホールを降りて直ぐに広がるホールは、様々な家具や柱等で巧みに区分けされながら、広大な共有リビングルームとなっている。
正面の壁一面は巨大な窓となり、眼科に広がる東京の光りの洪水の街並みを美しい一枚の絵画の様に見せつける。
彼は窓の前のリクライニングソファーに座り身を預けると、その光りの洪水に目を向けた。
無関心に。
この光りの彼方の更に彼方にある自分の巨大な帝国。冷酷無慈悲な世界に君臨する巨大な力の坩堝の牙城。その頂点に立ちながらも…この運命だけは如何ともしがたい。
ウィルバートン家の呪い。
ウィルバートン家はイギリスの伯爵家から連なる由緒正しい家系だ。ウィルバートン伯爵家の末子にあたる先祖がアメリカ大陸に新しい夢を抱き大陸に渡ってきた。そして財を築き上げ、祖父の代には世界に名を馳せる巨大コングロマリオット、世界屈指の大財閥にまで発展し栄耀栄華を極めている。
だが、その輝かしくも華々しい光の表向きの影には…陰鬱とした呪いのような伝説がはびこり、そして彼の両親もその犠牲になった。
特に母が。
ウィルバートン家の妻は総じて短命で少子出産である。
再婚者を覗き、全員が35歳まで生きた試しがない。
母のセレスティン・ウィルバートンも27歳の若さでカリブ海のクルーザー爆破事件に巻き込まれて死亡している。
そう。他家に嫁ぐ娘は例外として、他家から嫁いできた最初の妻は総じて短命が宿命づけらている。
不可思議な死が、夫人達の上に覆いかぶさっている。
そんな伝説等は下らないと彼は一蹴してきた。
だがどうだ…実際に目の当たりにするとその呪いは彼の心を再悩ませる。
今までにない脅威となり立ちはだかる。
彼は酷く自嘲じみた笑みを浮かべ、先ほど前のテーブルに放り投げた調査書類を一瞥した。
由華里・平野に関する調査書。
由緒正しい日本の家系の産まれ。
厳格な父。
大和撫子の代名詞のような母親に大切に守られ育てられてきた、典型的な箱入り娘。
木暮正人氏の言い方を変えれば、ウィルバートン家とは国籍は違えども釣り合わない家柄ではない。ただ財力的には雲泥の差がある。
ただそれだけのことだ。
違う。
そんなんではない。
そうだ。
秘書なんだ。
日本での臨時の…。
だのに何故こんなに酷く不愉快で居たたまれない悲しい思いになるのだ。それがおかしい。不可思議だ。あり得ない。
あり得ないんだ。そうなってはならない。
何故?
アーネストは苦笑し、虚空を見つめた。そこには母を、歴代のウィルバートン夫人達を殺してきた呪いが影のように揺らめき、そして彼をあざ笑っていた。
私は怖いのか?
今までくだらないと一蹴してきた自分の家に纏わる忌まわしい伝説を、呪いが怖いのか?
その呪いの作用が…彼女に及ぶのが怖いのか?
だから…こんなにも子供だましのような言い訳を並びたてて彼女をここに縛り付けるのか?
違うのだと、周囲にも自分をも騙しながら…
呪いから逃れようと姑息に考えているのか?
―そうだろう?
木暮正人の声が響く。嘲笑でもなくただ端的に事実を述べる。
そうだろう?と。
認めろと。
いや違う。そうではない。違うんだ…彼女は…
不意に、彼の額に柔らかな手が当てられ、彼はギクリと身を強張らせ反射的に体が防衛の為に動いた。
瞬間的にその手を勢いよく掴むと同時に、前に引きづり出すかのように強く引き倒した。
甘い花の香りとともに、まるで花びらのように由華里がびっくりした顔で、ふわりと彼の前に崩れるように現れ、慌てて彼は由華里の体が床に倒れ込む前に支えるように抱きしめた。