第7話 未来の義父と対峙
会場に向かうロールスロイスの中でも、華やかにドレスアップした男女や、高級な着物を着込んだ世界各国の男女でひしめく脂粉に満ち溢れるparty会場でも、彼はとても機嫌をよくしていた。
だが、それを勘違いした者達が、彼の周囲を取り巻き始めると同時にまた酷く退屈で不愉快な気分になってきた。彼は何時ものクリーンな企業家の顔をしてにこやかに周囲と挨拶を交わした。
だが考えているのは彼女のことばかりだった。
あの時警護の者達に彼女を逃がすなと言い残したが、彼等は勘違いをしていないだろうか?
何を?
彼女を何時もの女性達の様にそのば限りの関係の女性だと。
それは違う!彼女はそういう類の女性で無い!見れば解るはずだ!
だが、この展開は何時も通りであり、大体はそういう関係になり終わりを告げるビジネスライクな流れだ。
いやいや!
彼女のあの態度は今までにない態度だ。
だから彼等も勘違いはしまい。
彼女を丁重に扱うはずだ。
だがアーネストは不意に不安になる。彼等が彼女を今までの一時的な「恋人」達のように扱いはしないかと。それに彼女が激怒しないかと。
そしてはて?と考える。
何故、一面識しかない彼女の名誉をこんなに気に病むのだろうかと思いながら。
不可思議に思いながらも、早くここから解放されたいとイライラし始めていた。
どれくらい時間がたったのだろうか。
そろそろこの場から退場してもいいころ合いだと判断し掛った時、不意に甘い花の香りに気付いた。
同時に柔らかい指先が彼の背中をつつき、彼は心底ぎょっとして振り向いた。
由華里が立っていた。
スレンダーな黒いカクテルドレスに身を包み、パーティー用に少し華やかに結い上げた髪と首元と耳元にシンプルな大粒のダイヤを輝かせた由華里が、目を見張るほどに燦然と輝くように微笑んで見上げていた。
大勢の着飾った人々の中でも一際目を引くオーラを発して輝いて立っている。実際、彼の周りの独身男性達がニコニコと途端に相好を崩したくらいだ。
驚愕した。
そして思わず彼等に対する威嚇も込めて両手を広げ彼女を抱きしめようとしたが、途端に彼女は警戒した顔をして身を翻した。彼はその素早さに苦笑した。
「由華里さん!驚きました!こんな場所で一体何をなさっているのですか?」
「アニカさんに御届け物を頼まれたの」
輝く様な笑顔で由華里は少し誇らしげに笑い、そして脇に挟んでいた書類の封書を彼に渡した。彼は眉根を寄せて怪訝な顔をした。
「アニカからですか?」
「ええ。大事な書類を」
由華里は少し不安そうな顔で古典的な書類の包みを指差す。更に彼は怪訝な顔をする。
「書類?」
「はい。今日中に今直ぐにどうしても渡さないといけないとお願いされました」
何か頼んでおいたか?
そんな覚えはないが?
大体、ここにはアニカが後から来るはずではなかったのか?
何故彼女がここにいるのだろうか?
「で?そのアニカはどうしたのですか?」
「アニカさん?アニカさんは私を送り届けてくださった後、お仕事に行かれましたけど」
「仕事?」
仕事に行った?アニカが?
一体どこへ仕事に行ったというのだ?
吹き出しそうになるのを堪え、アーネストは書類を袋から少し出して目を通した。
驚いた!
確かにアニカは優秀なブレーンの一人だ。
だが、名前と勤務していた先くらいしか解らない状態であったのに、そこには「平野由華里」に関する詳細な身上調査が入っていたのだった。
ちらりと心配そうな顔の由華里を見る。
平野由華里。23歳。S県U市在住。
父親:平野泰蔵。M商社幹部。
母親・平野華代、主婦。
長女。
兄弟は弟一人。平野泰男、20歳。現在K大学経済学部所属。
経歴:
有名上流家庭の子女の多いF女子学園の幼稚舎から大学部。大学部卒業後、
スイスの有名上流階級子女大学W学園に入学。卒業。
帰国後、M商事本社社長室付秘書課に勤務。
先ごろ退職。現在は自宅で家事見習い中(所謂花嫁修業中)。
婚約者有り。M商、海外戦略企画部勤務、田口崇史氏、27歳。京都府出身、W大卒業。
婚約者有り…。
不快な思いで彼はその書類を封筒に仕舞うと警護の者にぞんざいに渡した。それを勘違いして不安そうな目をする由華里。
「あの…大丈夫ですか?」
心配そうに言う由華里に、彼はにこやかに笑う。
「ええ。大丈夫です。ありがとうございます」
それでもなんだか心配げな目を向けた由華里だが、ニコリと微笑んで軽くとウィンクすると、またねと言うように会場の出口に向かいだした。
驚愕した!
おいおい!この状況でさっさか帰るつもりか?本気で「おつかい」に来ただけのつもりか?!
反射的にアーネストは由華里の腕を掴んでいた。
また「何するのよ!」とか、拒否反応を示されると思いきや、振り返った由華里は以外にも苦笑して笑っている。
彼は安堵して微笑んだ。
安堵する自分に驚きながらも、そして無言でテラスの方を目線で示す。
仕方ないかと言うように笑う由華里の腕を取り、彼は先程の書類の不愉快な文言も忘れて至極上機嫌な顔で笑いながら優しく言う。
「ドレス、よくお似合いですよ」
ふふっと由華里は嬉しそうに笑う。誂えたかのように彼女のイメージにも体にもフィットしている。いつの間に?
エレベーターを飛び出した由華里を抱きとめたアニカを思いだし、彼は苦笑した。
―成程あの時か…
あの時に採寸したな。流石と心の中でアニカを賞賛し、カクテルを運ぶボーイを呼ぶと、シャンパングラスを二つ取り一つを自分の横で微笑む由華里に渡し満足げに彼女を見つめた。
軽くグラスを交わし、シャンパンを口にして、由華里はにっこりと微笑んだ。その笑顔がとてもいいとアーネストは微笑む。
由華里にドレスとアクセサリーが似合う事を褒め、そのままプレゼントをすることを言うが、固辞された。
おおお!新鮮な反応だ。
そして彼女を救い出した事の謝礼、今回の書類を持参してくれたことへの互いの謝礼返しに対して、変わった提案をしてきた。
割り勘でディナーを奢りあえば相殺だと言うのだ。
割り勘?
この私に??
はははははは!
笑う私に彼女は可愛くむくれて、反論するが反論しかえす。この会話のキャッチーボールもとても楽しい。
吹き出しそうになるのを押えてアーネストはちらりと、目的の一団が彼の指示に従い、こちらに気どられずに誘導され、追い込まれているのを確認した。
彼女の父親の平野泰蔵と、その周辺の者達だ。
恰幅のいい如何にも日本男児たる風貌の男性が、数人の若手社員達を従えて、別の企業の者達と談笑をしている。
そして後ろで狼狽えている由華里を見て、静かな笑みを口元に浮かべ、彼は軽く指を上げるとボーイを呼び寄せ素早く何か耳打ちした。
ボーイは一礼し、直ぐに泰蔵の所に向かった。
そして彼は堂々と由華里を傍らに立たせて、彼女の父親と対峙した。
彼には見覚えある。NY等のpartyやレセプションで何回か会った事もある。彼にこんな娘がいたとは全然知らなかったと言うか、まあ興味も無かったのだが…。
さて?と彼は思案した。
この面白いゲームをこのまま続ける為にはどうしたらいいのかと。彼のような手合いは絡め取ってしまい、こちらが主導を握った方が話しが早いだろう。
恐らく彼は娘と違い私には反論も反抗もしない筈。
ならば簡単な話だ。
彼はニコリと笑い、先導権を握り一気にその場の者達を納得(無理矢理でも)させる持論を展開し、周囲に強引にその持論を納得させた。とにかく自分の傍から由華里を引きはされたくはない。
彼女がいなくなってはここでの滞在がつまらなくなる。
雄弁に語るアーネストの茶番に、次第に彼等は上流階級流のお遊びを感じて納得し出した。
彼が木暮雅人と名乗ることに。
それは木暮雅人氏自身も承諾していることの上なのだと、彼等は瞬時に悟り面白そうに目を輝かせた。
とどのつまり、彼等も日々の生活に退屈していたのだ。
そしてアーネストの茶番的な遊びに乗ることにしたのだ。
彼等はM商社幹部平野泰蔵の娘の平野由華里を臨時秘書として、日本滞在中側に置くと言う事なのだ。彼女が彼の退屈を紛らわせるコンパニオンになったと言う事なのだと彼等は納得した。
が。
それでも納得しない人物が一人いた。父親の平野泰蔵だ。
彼は頑なにアーネストが木暮雅人と名乗るお遊びは承諾したが、それに自分の娘が関わる事を異常に反発した。
似た者親子か?
アーネストは以外にも反発する平野泰蔵に不快感を覚えた。
何故彼は自分の楽しみを奪おうとするのだ?何も彼の娘を慰み物にして遊び捨てる訳ではないと言うのに。
いや…
もしや彼はそれを危惧しているのか?
婚約中の娘に悪い噂が立つことを。
まあ結婚前の娘を持つ父親としては、当然の反応なのかもしれないが…酷く不愉快だとアーネストは思った。
一介の商社勤務の一社員との結婚との方が、私の相手をさせることよりも重大であり優先であるとでもいいたいのか?
不快だ!!
アーネストは苦々しく思ったが、自分のそばでハラハラしている由華里を見て、考えなおすことにした。
確かに彼女の名誉に傷をつける訳にはいかない。つけるつもりもないが、確かに世間と言う者は醜悪であり要らぬ方へと悪い噂を扇動しがちだ。
彼はそれに楔を打つ言葉を放った。
「御心配には及びませんよ。今回はMisアニカ・オーウエンも同行しておりますし」
泰蔵ははっとした。引っかかったなとアーネストは心中ニヤリとした。
「Misオーウエンがですか?」
最初は何か穿った目で伺っていた周りの者達ですら、急に態度を変える。
そうだ
私は彼女を私の忠実なるブレーン達と同等に扱うと言っているのだ。
そしてその目付役的にあのアニカを据えると。
あのアニカが彼女の側にいると言うのだ、何の不服不満がある?
あの清廉潔白を絵にかいたようなウィルも直ぐに来ると言う。
ならば彼女の、大袈裟に言えば純潔は護られている事になる。
下らない下世話な想像の為に彼女を自分の側に置く訳ではないのだ。そしてそれには他のブレーン達も同意賛同しているのだ。
アニカ達のすることに余計な詮索も意見も無駄だと言う事は、この社会で生きる彼らならば重々承知おきの筈だった。
渋る泰蔵には断る言われは無いだろうと言うように、彼は屈みこんで耳元に囁きかける。
「お嬢様は当方が責任を持ってお預かりいたします。彼女が婚約中であることは重々承知おきですので」
泰蔵は苦渋の顔で渋々承諾し、
頷いた。
頭を垂れる泰蔵に木暮は晴れやかな笑顔を見せ、そして大袈裟に泰蔵の手を両手で握りしめました。
「もちろんです!!お義父様!大事な御嬢さんを、私が責任を持ってお預かりいたします」
アーネストはおかしくてたまらなかった。
このセリフはまるで父親から娘を奪う男のセリフではないのか?と。
それを感じてか顔を白黒させている泰蔵の態度が小気味よかった。
「また後日に必ずきちんと正式な形で御挨拶にお伺いさせていただきます。では。これで失礼を致しましょう、由華里さん?」
「え!?ええっ!?」
泰蔵達を後にし、木暮はとても楽しげに会場のど真ん中を通って出口へと堂々と向かった。茫然としている由華里を、彼が乗ってきたロールスロイスを呼び、その中に何がなんやら狐に包まれた様な顔の由華里を強引に押し込んだ。
「いいですね?由華里さん。約束ですので大人しくホテルに戻る様に。後の事はアニカに指示を出しておきますのでアニカの指示に従ってください」
「あの…でも木暮さん」
「でもも、あのも今は不必要です。とにかくホテルに戻りなさい。そして約束を必ず護ってください。私は貴女にお礼のディナーをまだおごっていませんから。ディナーを御一緒する。忘れてはなりませんよ。ああ、今夜の食事はアニカ達と共に取られるといいでしょう。あの部屋でです。アニカに用意させておきますので楽しみにしていてください」
「でも!木暮さん!!」
問答無用とボーイにドアを閉めさせると、車を見送り、そして彼は上機嫌に高らかに笑ってparty会場に戻った。
あの頑固者の父親に念押しをするのと、彼女の立ち位置を自分の臨時秘書と言う立ち位置を周囲に徹底周知させる為に。