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第43話 婚約祝いは巨大クロカッンブッシュ


 不意にキャスーンが涙ぐんだ。


「やだわ…なんでしょう…酷く懐かしい感じがするわ…」

 まあ!と由華里が笑う。

「キャスーン叔母様はここでお育ちになったのでしょう?当たり前じゃないですか」


 その言葉に一番驚愕したのはキャスーンだった。


 そう、そうなのだ。ここは自分の生まれ育った家であり実家だった。なのに…いつからここは遠い世界のような場所になったのだろうか?

 キャスーンは不意に胸が詰まされて言葉を失った。その様子に由華里が戸惑い側に寄ると、キャスーンは何でもないのと涙ぐんだ。


「由華里に言われるまで…ここが産まれ育ったと言う実感が今まで無かったのだと気付いたのよ。おかしな話ね」


「内装とか調度品が違うからじゃないですか?木暮が変えちゃったんでしょ?きっと」


 まあ!とキャスーンはおかしそうに笑いながら、ソファーに由華里と共に座った。


「そうね、確かにアーサーお兄様の代から、アーネストの代でのかなり趣は異なりましたね。けど…そうではないのよ。なんて言うのかしらね?ここは「生活の場」と言う感じでは無かった気がしますよ。今まではね」


 由華里はきょとんとした。


「木暮はここで生活していなかったの?」


 怪訝な顔で振り返る由華里に苦笑しながら、アーネストも由華里の側に坐る。アニカ達も銘々椅子に座り、その場に和やか空気が満ち溢れだした。少し戸惑い気味でありながらも、マキーソン夫人達が銘々に好きな飲み物を聞きそれを差し出して行く。


 アーネストは由華里の為に好きそうな紅茶を指示した。綺麗な琥珀色のお茶の香りを楽しんで、由華里は美味しいわとにっこり笑う。

 さらに一気にその場に和やかな空気が広がった。


「先ほどの質問ですが、yesでありNoでもありますね」

「また木暮はそんな謎かけみたいな変な言い方をする!」


「ハハハ。理由は私は仕事の関係ではマンハッタンの本社に近い別宅に泊まることが多いのです。また半年近く海外に赴くことも多いのです。なのでこの屋敷ではあまり、由華里さんが想像している「生活」と言うのをしていませんでした」


 由華里は途端に驚いた顔をした。

「うそっ!じゃあ!滅多にここには戻らないの?」


 由華里の言わんとしている事を察知し彼は由華里を抱き寄せ頬にキスをして言う。

「これからはここに必ず戻ります。由華里さんがいますからね」

 まあと赤くなる由華里に、そうそうとブレーン達も頷く。

「アーネスト様には早々に御帰宅していただくように我々もがんばりますので」


「アーネスト様が夕食はこちらで召し上がるが明日からの目標です!」


「あ!それは私も御相伴したいわ!Mrメイルのお料理はなかなか口にするチャンスはないですものね!」

「Mrメイル?」


 アニカの言葉に由華里は小首を傾げる。デニスが得々として説明する。


「ウィルバートン家の専属コックですよ由華里様。パリの5つ星restaurantのチーフシェフをアーネスト様が引き抜いたんです」


「少し違うわよデニス。アーネスト様の提案に彼が乗ったのでしょ?」


「そりゃあ!世界中の食材を好きなだけ好きなように使え、しかも世界中の食通を相手に腕を奮えると言う環境であれば野心がある者なら誰でもOKじゃないか」


「確かに。だが常にではない。アーネスト様は1年の半分近くはこちらにはお戻りにならないし、パーティーも晩餐も早々あるわけではない」


「甘いなニック」

 コーヒーを飲み干したウィルがにこりと笑う。


「これからパーティーも晩餐も増える」

 そして一同はケーキをどれにしようかと迷っている由華里を見た。由華里はきょとんと一同を見回す。

「何?」


 一同はにっこりと笑う。


「由華里様、そのスイーツも全部メイル達の手作りです」

 銀のトレーに並ぶ色取り取りの宝石の様なスイーツに由華里は目を見張った。

「これ全部?てっきりNYで人気のスイーツ店かホテルのかと思っていたわ!」


 アハハハと全員がおかしそうに笑う。


「ウィルバートン家の食材の全てはウィルバートン関連で生産された物を主にメイルが厳選し使用しています。このスイーツのフルーツも全てそうです」

 由華里の好きなフルーツの沢山乗ったタルトを切り分けるようにアニカが指示すると、マキーソン夫人自ら切り分け優雅な仕草でその皿を由華里の前に並べる。

 オーソンが少しそわそわとしているので、アーネストが構わないと言うように頷く。オーソンは一礼し、少し前に出て恭しく由華里に説明する。


「こちらはアニカ様より由華里様がお好きとお聞きしましたフルーツ系の菓子で御座います。特別にメイル達が日本のスイーツを参考にしまして腕を振りましてございます」


 まあ!と、由華里は目を輝かせてにっこりと嬉しそうに笑った。


「嬉しいわ!私、こういう可愛いケーキとか大好きなの。今日はホントにくたくたに疲れたから、美味しい紅茶とケーキをいただけて幸せだわ」


 喜ぶ由華里の様子に満足げなアーネストを見て、オーソン達は胸を撫でおろす様に笑みを交わし合った。ドアの方から何やら大袈裟な咳ばらいが聞こえ一同が振り返る。

 少しだけ開いたドアから誰かが覗きこむような姿がちらりと見える。ブッ!!と、アニカ達はそのドアの向こうの者を確認して思わず紅茶やコーヒーを吹き出しそうになり、口を押えて笑いを堪え出した。

 オーソンが怒りの目で彼等に下がれと合図するが、また大袈裟な咳ばらいが聞こえる。流石に由華里も気付いて不思議そうにドアの方を見て小首を傾げる。


「なあに?誰か居るの?」


 アーネストは苦笑し、構わないとオーソンに頷く。オーソンはちらりとドアの方を見て諦めたように嘆息して不承不承の感じで言う。


「その…厨房の者達より…アーネスト様と由華里様の御婚約のお祝いにと御用意した物をお目に掛けたく存じますが…」


「お祝い?」

「はい。その…まだ早いとは申しましたのですが…」

「構わない。彼等を入れたまえ」


 アーネストの言葉にオーソンは渋々ドアを開けるように頷いた。そしてスタッフが開きかけていたドアを開けるとほぼ同時に、真新しいコックユニフォームに着替えた者達が、ドアの大きさギリギリの巨大なクロカッンブッシュの乗ったカートを押して入って来た。

 天井までの高さに積み上げられたシュークリームはピンクのハートのマカロンや花で等で飾り立てられ凄まじい程の甘いオーラを発している。

 

 その迫力に、由華里達はあっけにとられ、アニカ達は爆笑し、オーソンは眉根を顰めて顔に手を当て、スタッフ達は真っ青になってソファーに泰然と座るアーネストを窺うように見た。


 ぽかんと驚く由華里の横に座るアーネストは由華里を見つめている。くるりと由華里が満面の笑みで振り向くと、アーネストは瞬時に笑顔を向ける。


 オーソンとスタッフ一同はアーネストの見た事もない反応に驚愕し、判断しかねて目配せし合う。

 アーネスト様はこのウィルバートン家始まって以来(アーネストの代になってから)のメイルの暴挙を良しとしたのか?と。

 そんなスタッフの心中を全く推し量ること無く、メイル達が部屋に入ると仰々しくアーネストと由華里に一礼した。


「アーネスト様、お帰りなさいませ。由華里様、お初にお目に掛ります。御婚約おめでとうございます」


 アーネストは由華里を抱き寄せにこりと微笑む。


「やあ、久しぶりメイル。今日の菓子は由華里さんが大変気にいった様だよ。ありがとう」


 メイル達はやった!とばかりにガッツポーズをする。アニカ達は体を引くつかせて笑いを堪え、オーソンは一瞬苦み潰した顔をした。


「それで?この…巨大な物体はなんなのだね?」

 見上げるアーネストにおかしそうに由華里が言う。

「やぁねえ木暮、クロカンブッシュじゃない。フランスでは定番のウエディングケーキよね?」


 ウイ!ウイ!とメイルが目を輝かせる。


「それは知っていますが、今日は結婚式はありませんが?」

「だから!お祝いにでしょ?私達の婚約の」

「ああ…成程…」


 感慨無く言うアーネストの向う脛を蹴り飛ばして(オーソンを始め全員が真っ青に仰天した)由華里は立ちあがり、仰天しているメイルの側に行くとにっこり微笑んで彼ををぎゅうっと抱きしめた。


「ありがとう!メイル!ええと?メイル?で、いいのよね?」

「ウィ!マダム!メイルです」


 メイルもぎゅうっと抱きしめ返し、アニカ達があ!と叫んでアーネストを見る。彼は苦みつぶした顔で肩を竦めた。


「ありがとう!メイル!それと厨房の皆さんもね。

 こんなに綺麗で大きなケーキをありがとう!とても嬉しいわ!木グ…アーネストはあんな言い方しているけど、ホントはねとーっても喜んでいるのよ。ホントよ!

 それと、今日のお茶のケーキも全部美味しかったわ。少し残したけど、お夕飯の後にまたいただくわね」


 その言葉にマキーソン夫人がずいっと前に出て異を唱えた。


「お言葉ですがMiss平野。晩餐の時には晩餐のアントルメが御座います。こちらはお茶の時間の菓子で御座いますので」


「まあ!また違うスイーツをいただけるの?それは嬉しいけど…でも…こんなに残って勿体ないけど?」


「そのような事はMiss平野は御心配頂かなくても大丈夫でございます」

「捨てたりしない?」


 は?とマキーソン夫人は怪訝な顔をした。


「ですが…一度お手をつけた物ですので」

「折角メイル達が作ったケーキを捨てるのはダメよ。ね?木暮?」


 は?と、アーネストはおかしそうに笑いながら顔を向ける。


「由華里さんはどうされたいのですか?」

「木暮は何時もどうしているの?」

「私は…余り甘い物は不必要以上には摂取しませんので」

「ケーキは薬じゃないけど?」


「ああ済みません。(アーネストはおかしそうに笑う)そう言う意味では無く、女性方の様にお茶の時間に菓子をいただくことなどは日常的にしませんので」

「まあ!勿体ない!こんなに美味しいのに」

「由華里さんが気にいられて良かったです」

「そうじゃなくて!」


 怒る由華里にはてな?とアーネストは怪訝な顔をした。何を怒っているのかがさっぱりわからない。


「何を怒っているのですか?」


「木暮は人生を無駄にしていると言っているよ!こんな素敵なお屋敷で、こんな美味しいスイーツやお茶を出されて幸せだと感じないの?」


「はあ?」

「感じ無いの?まさか?」

「お菓子とお茶では…生憎」


 アハハハハハハ!とニックが耐えかねて笑いだし部屋を飛び出して行った。何事?と振り返る由華里に、アーネストが困惑顔で言う。


「由華里さんがメイルのスイーツで幸せだと言って下さるのなら、私も幸せです」

「何それ!」


「まあ人の幸せの感じ方はそれぞれです。ですから由華里さんが幸せだと言うのなら…ええと?何の話しでしたっけ?」

「残ったケーキはどうしていたのか聞いていたの!」


 ああ!とアーネストは頷き、マキーソン夫人を見た。彼女は困惑顔で言う。


「全て破棄いたしますが?」

「まあ!勿体ない!これも?」

「…もしもこのままでしたら」


 まあ!大変!と由華里は座りなおし、これとこれとこれを頂戴とメイルに言う。メイル達は嬉々としてスイーツの説明をしながら、あっと言う間に10個以上のケーキをとりわけ、美しくデコレートしていく。途端にマキーソン夫人が目くじらを立てた。


「Miss平野!幾らなんでも食べすぎです!」

「ケーキバイキングならこれくらいは頂かない?」

 

 ケーキバイキングと聞いてアニカが目を輝かせた。


「確かにそうですね由華里様。ケーキバイキングと考えますと急に食欲が湧きますわ。メイル、私はこれとこれとこれで」


「ウィ!マドモアゼル!このカシスとショコラも美味しいデスガ!」


「じゃあ、それもね。デニス?ウィル貴方達は?」


 2人も立ちあがりそれぞれ選び出し、マキーソン夫人はあっけにとられた顔をする。


「ケーキバイキングだなんて…ウィルバートン家で…」


 蒼白になりアーネストを見るが、アーネストはにこにこしながらその賑やかな様をみているだけだった。マキーソン夫人の視線に気づいて彼はおだやかに微笑む。


「本人がいいというのだからいいのではないか?由華里さんも子どもでは無いのだから大丈夫だよ」

「ですが、Miss平野にはあの量は」


 くるりとウィルが振り返り、山もりのケーキの皿を持ちながらにっこりとマキーソン夫人に言う。


「マキーソン夫人、Miss平野ではなく、由華里様ですよ」


 マキーソン夫人はその言葉に戸惑った顔をした。ハハハハとアーネストは笑い、横にすとんと座った由華里の前に並べられたケーキ皿の数にやれやれと肩を竦めた。


「マキーソン夫人がお腹を壊さないかと心配していますよ?」


 あらまあと由華里は笑い、大丈夫よとにっこり笑った。


「ケーキは別腹とか言うアレですか?」

「そうアレよ。木暮はいただかないの?」

「…そうですね。ではどれかを…どれがお勧めですか?」


 由華里はにやりと笑うとメイルに言った。


「メイル!木暮がクロカンブッシュがいいって!」


 メイル達は狂喜乱舞の状態で巨大なクロカンブッシュを切り分け、ハートのマカロンを山盛りにしてアーネストの前に置いた。オーソン達全員が、この前代未聞の出来事に蒼白になり固まった。

 山のようなシューとマカロンを見、にやにや笑う由華里を見、アーネストは肩を竦めて1個ずつ由華里の手にしていた洋ナシのタルトの上に重ねていった。


 まあ!と由華里が目を剥いてむくれる。彼はにっこり笑って言う。


「お祝いごとのケーキですから2人でいただきませんと。ですよね?」


 まあ!と由華里は破顔一笑し、そうねとシューを口に放り込んで、美味しい!と親指を立ててメイル達に笑いかけた。メイル達は嬉しそうに恭しく頭を下げる。


 サロンには自然に笑い声と笑顔が広がり、暖かな冬の午後の和やかなお茶の時間が流れ出した。


 オーソンはその穏やかな光景にこみ上げる物を感じながら、舞い上がるメイル達をサロンから追い出した。

 部屋の隅に待機しながら無表情でありながらも、険しい表情をしているマキーソン夫人達に一抹の不安を感じながら、給仕をするスタッフに指示を出していった。

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