第41話 花嫁はウィルバートン邸へ降り立つ
昼食会が終わるとロス達と別れ、アーネスト達他はホテルのヘリポートからヘリに乗り、ウィルバートン邸へと向かった。機内で眼下のマンハッタンを見下ろしながら、不安そうにしている由華里はアーネストにぴたりと寄り添う。
都市の街並みが段々と住宅地に変わり、そして広大な森の様な庭園を所有するまるで水溜りの様なプールを配する高級住宅地が連なる公園の様に広がり始めた。その中で一際大きな森をアーネストが指さす。
「由華里さん、あれがウィルバートン邸ですよ」
巨大な森の中に青い屋根の白い城の様な巨大な建物が現れた。
屋敷を中心に、少し離れた位置に建つ数棟の低層アパートメントはスタッフ専用住居だ。それだけ多くの人員がここで働いていることになる。
その横にはちょっとしたスーパーマーケット並みの専用駐車場。南の巨大な門から伸びるメインストリートのような道からは、毛細血管のように森中に散らばる各セクションの建物へとつながっている。
池の様に見える青いプールは大小二つあり、一つは完全全天候型だ。
テニスコートが二面。確か馬場もあったはずだが、久しく使っていないのでどの空間がそうなのか判別がつかない。
上から見ても大きなガラス張りの温室が東西に二つ。
広いフィールドのような庭園には一筋の小川が流れ、東屋や小橋が点在している。
森の中にの管理小屋も見える。
こうして改めてみると、上空から見てもまるで一つの小さな街の様な形成だとアーネストは思う。
他にも色々と敷地内の建物や施設の説明をするが、由華里はピンとこない顔をしている。事もなげにあんな巨大な物を「自宅」と言う感覚がまだなじめないと言う。
胃の辺りに手を当てる由華里に気付き、アーネストが反対の由華里の手を握り締め、由華里はやっと少しだけ笑った。
緊張しているのか?不安になっているのだろうか?
無理も無い。
つい数週間前までは穏やかな普通の暮らしをしていたのに、いきなりこんな世界に連れてこられたのだ。由華里の不安を少しでも和らげるように、彼はインコム越しでは無く由華里の耳に手を当て言った。
「あのヘリポートに降り立ちます!」
彼が指し示したヘリポートが、ピンクと赤のゼラニウムで綺麗に飾り付けされているのを確認した瞬間、由華里は「まあ!可愛い!」と歓声を挙げ大喜びに目を輝かせた。
由華里の為にスタッフが独断で急いで植えたらしい。アーネストはその心遣いに使用人達に初めて感謝の気持ちを持ち、不思議な気分になった。
そうか…もうすでに自分はもう以前の自分ではないのだと、由華里に出会い変化したのだと改めて痛感した。その変化に屋敷の者達は驚愕するのだろうと楽しみに思う自分にも驚きながら。
ヘリはゆっくりと旋回し、そして緩やかに着陸をした。
着陸と同時に開けられたドアから、アニカ達が降り立ち直ぐさまアーネスト、そして彼は由華里に手を差し伸べ大事そうに由華里をウィルバートンの地に降ろす。
なんだか感慨的だなと彼は満足的に思いながら、ヘリポートのそばに居並ぶスタッフ達の方に向かった。
ヘリポートの直ぐ側に、執事のオーソンを始めとするウィルバートン家の主だったスタッフが勢揃いをしていた。その数に由華里は驚いているがその暇もなく、彼等は一斉に一礼し、代表的にオーソンが前に進み出た。
「お帰りなさいませ、アーネスト様。ようこそいらっしゃいました。由華里様。執事を任せられております、エドワード・オーソンと申します」
威厳ある態度で一礼する彼に、由華里はにっこり笑うといきなり首に抱きついて笑って言う。春風の様な声で。
「宜しくね!オーソン!」
オーソンが固まるのは想像できたが、他のスタッフも仰天し固まったのはおかしかった。思わず吹き出すアーネストに、更にスタッフは仰天し余計固まってしまった。
慌ててアーネストは由華里をオーソンから引き離した。
「由華里さん、子供では無いのですから」
きょとんとする由華里は小首を傾げる。
「まあ。ごめんなさい。でもなんとなく木ぐ…アーネストからオーソンの事は毎日聞いていたから…つい…」
オーソンはハッとし、笑うアーネストを驚愕の目で一瞬見上げると、直ぐに一礼してその表情を隠した。
「いえ…失礼いたしました…。こちらにどうぞ…サロンの方にお茶をご用意させていただいております」
後ろに下がるオーソンは顔を挙げアーネストをもう一度見上げる。
そしてまた驚愕した。
アーネスト様が笑っている!
とても優しい目で…。
由華里様を見下ろして!!!
その初めて見たアーネストの姿に、オーソンは不覚にも落涙しそうになり慌てて目がしらを押えた。震える手を押え、彼は顔を挙げると2人の前を堂々と歩き導くように屋敷へと向かった。
由華里はひらひらとヘリポートのスタッフ達にありがとうと手を振る。彼等も今までにない事に驚き戸惑ったが、直ぐににっこり笑い嬉しそうに手を振り返す。
ゼラニウムの件は勢いでやってしまったが、どうも成功したらしい。
彼等はガッツポーズを交わし合い、仲よく寄り添いながら屋敷に向かうアーネスト達を感慨深げに見送った。
由華里は回りを囲むように歩くスタッフ達の数にも驚いたが、どんどん目の前に迫ってくる巨大な屋敷を驚きの目で見上げながら言う。
「凄いお屋敷…。これが全部ウィルバートン邸?まるでホテルみたい」
アーネストと並んで歩く由華里はアニカ達が説明する話しを聞きながら驚きを隠さずに驚愕して言う。アーネストはおかしそうに笑いだした。とても上機嫌で。
「ハハハハ、ホテルねえ?まあ似た様な物ですね。由華里さんの考える自宅とすると当てはまりにくいですが、ホテルだと思えばそれが近いでしょう。なにせあそこには大勢のスタッフが働いていますので」
「40人の?」
おかしそうに言う由華里にアーネストは笑うと、オーソンがすっと横に並び軽く斜めに一礼し歩きながら言う。
「現在21名で御座います」
あら?と由華里が驚きの声を挙げた。
「減ったのね?」
「現在、人員のある程度刷新をしています。その過程です」
「ああ…そう言えば聞いたわ。でも…40人が21人で大丈夫なの?」
心配そうに言う由華里に、オーソンが一礼して言う。
「問題は御座いません」
「そうですよ由華里様。これからウィルバートン邸は由華里様を迎えてどんどん変化をしていくのです。人員刷新は当たり前です」
「どう言う事?ニック?」
「新しい事を始めるには古い概念は取り払わないと」
「でも伝統も大切よ?ね?木暮?」
アーネストはそうですねと笑った。
「もちろんです。ですから古参のオーソン達がその采配を取っているのですから心配はいりません」
「そうですよ由華里様、オーソンは先代のアーサー様の時代からの執事ですからね」
そう言いながらデニスはオーソンににこやかに手を挙げるが、オーソンは慇懃に一礼しただけだった。少しがっかりするデニスに由華里は吹き出した。ちっともがっかりぽくないと思いながら。
「みんなは、ここには良く来るの?」
デニスはうーん?と唸った。
「どうでしょうか?ここはアーネスト様のプライベートゾーンですからねえ」
「意味ありげに言って由華里様を不安にさせないでよデニス。由華里様、デニスの言う事なんか聞かなくていいですから。我々も仕事等でこちらに来る事もあります。こちらで主催されますパーティーなども御座いますからね」
由華里は少しほっとした顔をした。
「良かった。今までずっとみんなと一緒だったけれど、ここに来たらいきなり一人になるのかと不安になったの」
「私がいますが?」
少しむっとして言うアーネストに、由華里がおかしそうに笑い寄り添いいう。
「まあ!違うわよ?そういう意味じゃなくて、楽しいバカンスが終わってしまう様な感じで…寂しくなったの」
おやおやとアーネストはおかしそうに笑いながら由華里を抱き寄せた。
「では寂しくならないように毎日早く帰るように心がけますよ」
明るく冗談めいてアーネストは言い、アニカ達はどっと笑った。
「そうです!アーネスト様は定時に帰宅をしていただかないとな!由華里様がここでお待ちなのだから」
「アーネスト様の定時ってあったか?ウィル」
「夕食はこちらで由華里様と取るが定時ということでしょ?」
「好きにしたまえ」
一同はどっと笑い、その笑う様に更にオーソン達が驚きの顔を微かに見交わし合う。そしてその中心にいる由華里を驚嘆の目で見ながら。
だが、屋敷に近づくにつれ由華里は少し心配そうな目をしだした。
その方向にはテラスにずらりと並ぶ女性スタッフ達が一斉に頭を垂れた。その威圧的な雰囲気に由華里は少し気おくれした感じでアーネストの腕を掴んだ。彼は大丈夫と由華里の肩をぎゅっと抱き寄せた。
すっと一番威厳のある老齢の女性が進み出て、無表情な青い目を由華里に向けて一礼した。オーソンが儀礼的に言う。
「由華里様、家政婦長のマーガレット・マキーソンでございます。由華里様付きの者が決まりますまで、彼女が由華里様付きとして主にお世話をさせていただきます。」
マキーソン夫人は軽く一礼した。
「マーガレット・マキ―ソンでございます。先代のセレスティーン・ウィルバートン夫人の時から、ウィルバートン夫人の身のまわりから屋敷内の事を任されております」
その美しい完璧な所作に戸惑う由華里にアニカが耳打ちする。
「アーネンスト様のお母様、前ウィルバートン夫人でいらしたセレスティーン様専属侍女として、アーデレイド家より一緒に参りました者です。セレスティーン様死去後もこちらに残り、アーネスト様のお世話をしてきた古参の女性スタッフです」
その話しは既に聞いていた。
そうか…彼女がそうなのかと思いながら、由華里はにこりと微笑んで手を差し出した。
「宜しくね、マキーソン夫人」
マキーソン夫人は軽く膝を折り会釈し、由華里の手を軽く握り締め下がった。少し冷たい象牙のような手だと由華里は思った。
するといきなりアーネストが由華里を抱き上げ、笑い声を挙げた為、周囲の者達は仰天しにじり下がると唖然と2人を見た。
「堅苦しい挨拶は終わりにしましょう!さあ!由華里さん!貴女の家ですよ!」
悲鳴を挙げて由華里はアーネストの首に抱きついた。
「木暮!?待って!待って!私は自分で歩けるわ!!」
気恥しく叫ぶがアーネストは上機嫌に笑い声を挙げる。
周囲のスタッフ達が驚愕に目を見開き、慌てて視線を落とす。
何か見てはいけないものを見てしまったかのように。
恐れをなして。
だがブレーン達は一見はしゃぐようなアーネスト達の動向を目を細めて見守りながら、周囲の者達に鋭い視線をめぐらせていた。
その様子に気付いているのはオーソンと、マキーソン夫人だけだった。
マキーソン夫人は眉根を一瞬寄せ不快な目をブレーン達に投げかけ、そして平静な顔でアーネスト達に続いた。
ブレーン達はアーネスト達の様子を目の当たりにして、二人に対して、もしくは由華里に対して不快を思わせる者を選別しているのだ。
マキ―ソン夫人はその行為に憤りながらも平静を装いオーソンと共に部屋に入った。
恥ずかしがる由華里を愛おしいと思いながら、アーネストは周囲の思惑を一瞥しそしてそれを気取られないように笑い声をあげた。
「ハハハハ!花嫁はこうして新居に入らないといけませんからね!」
まあ!と由華里は真っ赤になり幸せそうに笑う。
嬉しそうに彼の首に手を巻き付けて笑う。優しい歌声の様に。
「私、まだ花嫁じゃないわよ?」
「構いません!」
そして亜然と口を開け驚愕の目で2人を見る彼らの前を、堂々と由華里を抱き上げ屋敷の中に足を踏み入れる。
そう。
誰にも邪魔はさせない。
誰もここでは彼女を悲しませ苦しませることは許さない。
今日からここは彼女の城。
彼女の家。
彼女が今と変わらない笑顔を湛え続けるために形成される永遠の楽園となるのだから。
だから何人も彼女に逆らうのはこの私が許さない。
彼女は既に私の妻であり、この家の女主人なのだから。
だがそれはこの家に働く者達にですら口外することは出来ない。それほどウィルバートンを覆う闇は深く…まだこの家は彼女の為に楽園に足り得ていない。
まだ足りない。
由華里を護るために…全てが揃い万全になるまでは、
由華里が由華里・ウィルバートンであることをまだ知らしめることはできないのだ。
その闇と…私は戦わないければいかない。
アーネストは固い決意を込めて由華里を抱き上げて屋敷の中に入った。
そうすることで彼女をこの屋敷を覆う闇から護るかのように。
少しでも触れるのを避けるかのように…。
自分の生まれ育った家なのに…。




