第33話 木暮雅人の願い
静かな波打ち際で由華里は真横に座る本物の木暮雅人を見つめて言う。
『Mr木暮は、ウィルバートンの呪いの本質や原因について、何かご存じなのですか?』
木暮雅人は由華里の質問に被りを振る。そして、波打ち際に置かれている白いビーチチェアーに座り、隣の椅子をぽんぽん叩く。由華里は素直に座った。
ブーゲンビリアとプルメリアの木陰が丁度良く気持ちいい。
『あれが何かは知らん。が、現実的にあるのは理解している。アーサー…アーネストの父親と知り合い、ウィルバートン家の呪いを知ってから、私も随分と調べたからな。
統計的にも不可思議な程にウィルバートン夫人は少子出産で短命だ。
だがそれは単なる数値だ。
死亡原因は様々で、病死、事故死、殺害…同じではない。死亡年齢もまちまちで、単に35歳以前で死ぬ女性が多かっただけの35歳縛りの呪いと思っていた。
そう…我々は若さゆえの傲慢で、それは単なる偶然と一笑に付した。だが、アーサーはくだらない呪いを理由に、セレスティンを奪われないように、かなり慎重に生きていたと思うよ。
だが…、アーサーとセレステインもそれで命を落とした。
呪いは現実的にあった。
だから日本で2度ヘマしたアーネスト達が、それから貴女を守ろうと躍起になっているのはここにきてよくわかったよ。こんな小さな島の小さなホテルに貴女を閉じ込めてまでしてな。
だがな…
どんなにあいつらが策を張り巡らそうと、隔離しようが、貴女は今後も必ずウィルバートンの呪いで命の危険に遭う。
脅しじゃない。事実だ。
それはどんなにアーネストが退けようとしても退けられない物なんだ。人の妬み嫉みはどんな努力を払おうとも退けることはできない。
神々ですら退けることはできなかった。多くの神ですら…
人の心に沸く悪意に…命を落とした。
わかるね?』
由華里は頷く。
『貴女はアーネストの根本たる血の中に渦巻く呪いを感じで逃げた。
当然だ。非難はしない。
アーネストは貴方を呪いで失う恐怖より、貴女を手放す苦しみを選んだ。全てを思い通りに手中にしたあいつが…自分より他人の幸せを選べるとは…驚いたよ。
そして、貴女は呪いに立ち向かう覚悟を決めて、アーネストの元に戻り、アーネストも覚悟を決めて受け入れた。その覚悟の凄さは…同じ黄金の瞳を持つ私にしか本質的な所はわかるまい…。
だから…
私も覚悟を決めてここに来た。貴女に…聞いてほしい話と願いがある」
ザーン!と足元まで大きな波が透き通った水を打ち寄せ、小さく砕かれた貝やサンゴのかけらの砂と共に海に戻る。
由華里は静かに微笑みうなづいた。木暮雅人は感謝に頷く。
『これは私の中の美談と憎しみの物語だ。だからあいつには内緒だ』
『美談?』
『妻の柾子との出会いだ。』
『まあ。』
くすくすと笑う由華里を見て、彼は海を見た。青い様々な色合いに変わる海。その空は今にも一雨きそうな雲行きで黒々とした雲が沖から迫る。ゆっくりと。あの雲の下では激しい雨が降っているのだろう。彼は静かに話しだした。由華里は何かを感じまっすぐに彼を見た。
『私と妻の柾子はハーバードの校内で出会った。同期でな。最初に柾子を見た時から私はハートを射ぬかれ、なんとしても知り合おうと策を練り…で!校内で派手に出会いがしら的にぶつかり彼女の書物を落として拾い上げた。
それが最初のコンタクトだ。
だが、そーいう姑息な考えは柾子にはバレバレでなあ…書物を拾い上げ気どって喋った後にこう言われた。
「次回からは普通に声を掛けてください。いちいち本を落とされたら本が痛みます」』
木暮雅人は豪快に笑い、由華里もおかしそうに笑う。2人の賑やかな笑い声が風にのり、海の方に爽やかに流れて行く。
『この目の事を知っても征子はあっけらかんと
「外人みたいですね。先祖がえりというんですよね?こういうの」
と、言うだけだった。
豪胆な女だった。よき妻女だった。紆余曲折はあったが、征子との生活は幸せであったと思う』
だが、と木暮雅人はサングラスを外して金茶の瞳を向けた。
『征子はウィルバートンの呪いで死んだ』
『え!?でも木暮姓ですよね?』
木暮雅人は薄く笑う。
『忘れていないか?貴方も、まだ、平野姓だ』
由華里はその言葉にはっ!とした。
『愛が深ければ深い程…呪いは苛烈を極める…』
『そうだ。征子の死で私は少し理解した気がした。
ウィルバートン家の呪いは…ウィルバートン夫人に降りかかる物ではない。事実、征子は35年縛りで死んでいない。齢65だ。木暮家の口伝でも35年縛りはない。
だが…共通していることがただ一つある。
当主への苛烈な苦しみを与えることだ』
『苦しみ?』
『征子の死は交通事故で処理されている。病院へ検診に向かう途中で多重事故に巻き込まれた。征子の乗る車は対テロ仕様のベンツだ。それが…何台もの大型トラックに突っ込まれ…滅茶苦茶に潰され、最後は炎上爆発した』
由華里は驚愕に息を呑んだ。
『そうだ。貴女ならもうわかるだろう。単なる事故ではない。征子は殺害された。無能な警察は単なる多重事故で処理したが、私は徹底的に調べ上げさえた。
犯人は…正征子の唯一の甥だったよ。
目的は遺産だ。
そう…この呪いの黄金の目で築き上げた物だよ』
彼は体から吹き上げる怒りを抑え込み、サングラスを嵌めた。
『当家は特殊でね。戸籍上の子供達はいるが、もはや家族ではない。骨肉相食む争いの末、生前贈与で資産を分配し現在は絶縁している。私の死後の資産は全てグループに配分されると公言されている。
私の遺産は狙えない。だから征子を狙ったという。
バカバカしい!!そんな事の為に!あの優しい征子を殺したんだ!!!
だから私は…全ての関係者に苛烈な報復を与えた』
木暮雅人は悲しい目で由華里を見た。
『私はね…アーネストを見ているとたまらなく不安になるんだ。あの子は…私によく似ている。生き方も人の愛し方も。
彼の両親の死の真相は知っているね?』
『はい』
『犯人の予測も』
『はい』
『いずれはアーネストは血族と過去と対峙しなくてはならない。故に彼の孤独は計り知れない深い闇の奥底の絶望的な孤独だ。
アーネストを見ていると…私は切なくなるんだ。
柾子の死後、怒りと復讐に我を失った自分を…その甥を狂気と死に追い込み、一族全員を不幸のどん底に落としこんだ自分と重なり…
苦しくなる…』
彼は苦痛の顔に手を当てた。
『自分と同じ彼が…。彼もいずれは同じことをするかもしれない…いやするだろう。冷徹で冷静に見えて人間は結局は愚かで感情に左右されやすい。それが近しい愛する者が絡めば絡むほどに…冷静ではいられなくなる。
彼もいずれは愚かな復讐劇をするだろう。
必ず。
そのきっかけは…恐らく貴女だろう』
由華里の目が驚愕に大きく見開かれた。木暮雅人は静かな笑みを湛えていた。悲しい笑みを。
『それは…私が彼のアキレス腱になったからですね?』
『そうだ』
『木暮はいずれ…私がウィルバートンかのどちらかを選ばない時が来るかもしれない』
『そうだ。そして奴は貴女を必ず選ぶ。貴女を手に入れた瞬間から。奴は今まで純粋な愛を知らなかった。守り方も何も知らない。だから…その守り方は苛烈を極める。
盲目の愛だ。危険な愛だ。
わかるな?』
由華里は頷いた。
『脅すつもりではない。
貴女はその狂気に近い愛を受け入れる覚悟を決めてここにいる。だから…私も率直に言う。
愛はもろ刃の刃だ。奴の愛は貴女を傷つけ…そして自身も傷つける。
二度と立ち上がれないほどに。
それほど深い激しい愛だ。奴はそんなのおくびにも出さないが。だが…貴女はそれを感じた。
だから一度は逃げた』
由華里は目を見張る。
『当たり前だ。誰でもそんな重い愛は御免だ。だが…貴女は戻ってきてくれた。あのバカの元に。その狂気な愛を認めて。受け入れる覚悟を決めて。
だから…私は貴女にお願いをするんだ』
木暮雅人は心地よく笑うと、頭を下げた。由華里に。
『Mr木暮!?ど…どうされたんですか?』
『アーネストを救えるのは、彼を支え幸せにできるのは…貴女しかいない。
貴女に会いそう確信した。
貴女にはアーネスト達にはない何か強い「幸運」がある。誰もがそう確信している。
そう確信できるのは、アーネストの幸せを本心願う者だけが解る直感だ。
だから誰もが貴女に…イバラの道を歩いてくれとは直接は言えない筈だ。
だが!!
私はアーネストを唯一の息子のように愛しているあの子の為に貴女に懇願する。
あの子は…私に似ているんだ。
私はあの子が好きなんだよ。
だから、私は貴女に過酷な願いをしに来た。
貴女にあいつと共に…救いのない茨の道を裸足で歩いて行ってほしい!』




