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第32話 本物の木暮雅人


 けだるい暑さの中、水際のカウチで、鮮やかなバティックのドレスに着替えた由華里が何時の間に寝込んでいる。

 

 一昨日は熱を出し少し焦ったが、医師の話しでは軽い過労だろうと言う事だった。 確かに色々とハードな1週間だったから無理も無いか。彼女にしてみれば人生が180度変わる様な1週間だったのだから。

 なので数日はホテルでのんびりすることになっている。元々、NYのウィルバートン邸等が由華里を受け入れる体制が整うまでの間、ここでのんびりする予定だったので予定通りと言うことだが。


 由華里の手からずり落ちそうな本を受け取り、しおりを挟んでテーブルに置く。横に座りその結い上げた髪を優しく撫で、黒檀にルビーを散りばめたかんざしを外すと、するりとその髪が彼の手の中に流れて落ちる。優しい花の香りで。


 まるで眠れる森の美女だなとアーネストは微笑み、そっとその唇にキスをする。

 

 それで目覚めないで欲しい。

 眠れる姫は目覚め、そして童話の夢の世界から…醜い現実の世界に引き戻された。

 華やかな結婚式の後に。


 アーネストは苦渋に満ちた目を一瞬した。そう。そこからが勝負だ。既に動き出している者もいる…。


 アンナ。アンナ・マーグリット。

 キャスーン・マーグリット叔母の一人娘。


 親族の中で唯一彼の味方であったマーグリット夫妻と共に、常に味方であった優しい従妹。だが彼女の本質は自分とほぼ同じであり、それは共に喰いあう運命であることの意味している。


 故に、マーグリット夫妻は二人の婚姻等は望んでいない。


 例え彼女が周囲に次期ウィルバートン夫人として相応しいのは貴女だと吹き込まれ、彼女自身もそう思い込んでいるとしてもだ。


 それは恋でも愛でもない。

 単なる刷り込まれた義務だ。

 そんな感情の上の婚姻をマーグリット夫妻は愛娘には望んでいない。

 故に彼もアンナとの結婚などは1%の確率でもありえない。


 だがアンナは…自分こそがウィルバートン夫人たり得るものだと確信している。


 優しい従妹は由華里の最大の敵となりうることは自分を鑑みれば容易に理解できる。彼女も自身にとって敵対する者も邪魔となる者の排除には眉根一つ動かさずに冷徹に行うだろう。


 自分と同じく。


 マーグリット夫妻との関係だけは良好に保ち続けたいと願うからこそ…アンナには「自分には敵対」して欲しくはない。


 だが彼女は動いた。


 何気なく掛けてきた電話で近況を話しながら、アンナは一言も婚約祝いの言葉は言わなかった。


 だからわかる。

 アンナは由華里を排除に掛かるだろう。


 キャスーンも同様の見解であり、アニカ達に至ってはマーグリット家での花嫁修業には異を唱えてきている。


 だが由華里は熱のある弱った体と心に中でも、マーグリット家での花嫁修業をすると笑って言う。それに誰も異を唱えることもできない程の強い意志の笑みで。


 彼女は既にウィルバートンの呪いに立ち向かう覚悟ができている。その本質を早急に知る為に、その中に飛び込んでいこうとしている。


 由華里はアンナの妨害を乗り切る事ができるだろう。

 彼女の一見大人しい雰囲気と風貌をアンナは見誤る。


 今現在でアンナが由華里に成り代わりウィルバートン夫人になるのは100%ありえないとわかりきっている現状を認識できないのが…既にアンナの敗北なのだが。

 

 アンナはそれすら認めないだろう。

 優しい従妹が醜く変貌する様も見たくはない。

 由華里にひいては自分に敵対して欲しくはない。

 マーグリット夫妻を悲しまないで欲しい。


 そのすべてはもはや望むべくことではなくなっているのだとわかっていても…。

 できればアンナには気づき思いとどまって欲しいと…儚い望みを抱いている。


 由華里は薄く目を開ける。アーネストに気付くと静かに微笑んで、また吸い込まれるように眠りにつく。


 そのままに眠りについていて欲しい…なんの苦しみも知らずに。

 それは幻想で適わぬ夢なのだと解っている。アーネストは立ちあがり、少しでも由華里との時間を作れるように仕事を片づけに部屋に入った。


 由華里が目を覚ましたのはそれから30分ほど後の事だった。


 プールの向こうのコテージの中のアーネストは、巨大なテラス窓越しに複数のモニターを前に何か忙しそうにしているのが解った。身体の上に掛けられていたシルクと麻を粗く編んだバティック柄のひざかけを畳んでカウチから降りると、一人で海岸の方に足を向けた。


 この時間はアーネストと同じくみんな銘々に仕事をしているのだ、邪魔をしてはいけないのだと理解してはいたが、なんだか疎外感のような寂しさを感じていた。


 ホテル専有のビーチには誰もいない。


 少し曇りが掛った空はなんだかいつもの青さを欠いて不安な気持ちにさせる。スコールが来るのか、少し天気が荒れるのか?なんだか今の自分に似ていて不安定で…先が見えない気がする。

 由華里は遠くの不穏な色合いの空から目を反らし、足元の波に洗われる桃色の貝の欠片を拾った。


「貝が好きかな?」


 誰もいないと思ったのにと驚いて振り返ると、亜熱帯の林の間から一人の老人が現れた。青や虹色に変わるサングラスを掛けた彼は物腰が穏やかで上品だが記憶にない。由華里はきょとんと小首をかしげた。


『それとも英語の方がいいかな?』


 アニカとの言語のキャッチボールの会話を思いだして由華里はクスッと笑いフランス語で言う。


『どれでも。』


 彼は笑い中国語で言う。


『ハハハハ。流石未来のウィルバートン夫人。』


 由華里はきょとんとしまた小首を傾げる。


『私、中国語は解らないの。あとはドイツ語とイタリア語が少しだけ喋れるだけなの?解ります?』

 ドイツ語で言う由華里に彼は頷く。

『ではドイツ語で話そう』


 2人はドイツ語で話し始めながら、ゆっくりと歩き始めた。海の彼方に少し陽が射してきらきらと海面を輝かせている。その景色に目を細めて微笑む由華里に、「彼」は楽し気に言いう。


『一人で散歩かね?』

『ええ。みんな仕事をしているから。ところであなたはどなたですか?ここはホテルのプライベートビーチだから部外者は入らないと聞いていましたけど?』

『私か?私アーネスト・ウィルバートンの友人だ。…多分な?』


 そしておかしそうに笑い由華里を見る。由華里もおかしそうに微笑んでいた。彼は驚いた顔で手を差し出した。


『大した令嬢だなあ?私が貴女に敵意を抱く者だとか警戒しないのかな?

 まあ、貴女には美しいガーディアンがいるようだが?』


 彼は着かづ離れずの距離で、威圧感を出しながら立つリリをちらりと見た。リリはお久しぶりですと言うように会釈をするが警戒心をほどこうとはしない。

 やれやれと彼は笑い、由華里もおかしそうに笑った。


『そういえばそうですね。警戒しないといけないんだわ、私。でも、貴方はなんだか木暮に似ている気がして。だから警戒心を解いているのかもしれません』


『コグレ?』


 あー…と由華里は口に手を当ててくすくす笑った。


『木暮とは…えっと…』


 説明に苦慮している由華里に彼は苦笑して手を差し出した。


『失礼。私の方が無礼でしたな。私は木暮雅人と申します。聞き覚えがありますな?』


 まあ!と由華里は目を見開き、そしておかしそうにコロコロ笑いだし、2人は握手を交わした。


『貴方が本物のMr木暮なんですね?私は平野由華里です。木暮のフィアンセです』

『そう、私が本物だ。コグレと言うのはアーネストのことかね?』

『そうですわ。彼は私の前に木暮で現れ、ずっと木暮と名乗ったので、これからもずっと木暮です。木暮は少し嫌がっているみたいだけど。』


『ハハハハ。それはいいペナルティだ。だがまあ…少しは許してやりなさい。私が私の名前でナンパしてもいいと言ったんでね。だが、まさか本当に花嫁を捕まえるとは思わなかったよ。』


『ナンパ?』

『なんだ聞いていないのか?』


 由華里は小首を傾げて少し考えて言う。


『O市に在住の…ベンツの持ち主の木暮…アーネストのご友人の方?』

『そう!それだ。アーネストは少し硬いからな。ナンパでもできるくらいの度量を見せろと言ったんだ。まさかあの後に貴女と出会い、本当にナンパしたとはな』

『まあ!ではあなたが私達の出会いのキューピットだったんですね?』


『キューピット?』


 途端に二人はゲラゲラ笑いだした。涙が出るほどに。


『あの時はこんな事になるとは思っていなかったよ』

『私もこんな事になるなんて思いませんでした。』


 そして小首を傾げて窺うような茶目っけのある眼で笑いながら言う。


 木暮雅人は会得した。

 はああ、この仕草にあいつはやられたなと楽しげに思いながら。彼は由華里の一挙手一投足を楽しげに観察することにした。


『私達は…偶然木暮が迷い込んだ駅前ロータリーで出会いました。ご存知?』


 木暮雅人は何度も頷く。楽しげに。


『ああ聞いた!アニカが、まるで自分が引き合わせたかのような武勇伝として報告してくれた!』

『報告?』


『貴女の事について色々相談の受けたその謝礼に、その後の事を報告させていたんだよ。悪かったかな?』

『いいえ。私の事で相談って?』


『アーネストが貴女をナンパし、強引に車に押し込み宿泊先のホテルに連れ込んで軟禁したが、貴方の事が解らない。なのでうちの情報網を貸した』

『まあ!私の身上書は貴方だったんですね?』

『不公平になるので、あいつのも作ったが?』

『みました』

『結構』


 二人はまたおかしそうに笑う。


『それに怪我の具合はどうなんだね?あれは災難だったな』

『それも御存じなのですね』

『ああ知ってるさ』


 木暮雅人は足元に心配そうに目を向け、由華里は苦笑して足を見せた。

 数日前まではれ上がっていた踝も、今は綺麗に腫れが引き低いヒールも履けるまでに回復していた。

 うんうんと木暮雅人は何度も嬉しそうに頷いた。


『木暮…アーネストが手配してくれた医師やケアの方達のお陰で治りがとても早かったの』

『当たり前だ。奴にはそれだけの事をする責任がある。あれに関しては貴女はもっと怒っていい』

『でもあれは木暮…アーネスト達のせいではありませんわ』


『あいつのせいだ。あれらは全てアーネスト・ウィルバートンであるならば予測できるトラブルだった。奴にはそれを予測し阻止できる力があった。なのに怠り、結果、貴女が怪我をすることになった。

 それはアーネスト・ウィルバートンとしては許されざれるミスだ。

 貴女はもっと非難し糾弾すべきだ。なんならあいつの弁護士団に勝てる弁護士団を貸すぞ?』


『楽しそうですね』

 由華里はおかしそうに笑う。


『楽しいなあ!あの魔王が美しい女神の出現に舞い上がり有頂天になり危機感が薄れたってのがな!まあ同じ男としてはそれは非難できないが。

 だが…何度も言うがアーネスト・ウィルバートンとしては許されないミスだ。

 だから、彼はその責任をとり、貴女を自由にしようと一度は貴女を諦め貴女の手を離した。わかるだろう?』


 由華里は頷く。少し悲しげな顔で。足元を洗う白い波を見ながら。


『ええ、わかります。私を生かすために。殺されないようにするために。私の幸せの為に…木暮は私の手を離した…。

 Mr木暮、貴方は…私にアドバイスをしにきてくださったのですか?わざわざ日本から。それと貴方はどこまでご存じなのですか?』


 真っ直ぐに自分を見て言う由華里に、彼も真っすぐに見て静かに笑った。そして、サングラスを外した。彼の瞳はアーネストと同じ、不思議な光彩の金茶のい瞳だった。


 由華里は驚愕の顔をした。


『内緒だよ?私はアーネストの遠い親戚になるんだ。内緒のね?この瞳を見たのは気心の知れた医師と…貴女と…私の妻の柾子だけだ。

 その意味がわかるね?』


 由華里は真剣な顔で頷いた。彼は満足げに笑い、サングラスをまた嵌めた。


『私の家系にウィルバートンの家系の者が嫁いできたのは明治の頃だと言われている。正式には記録に残っていない。

 恐らく、曾祖父がイギリス留学中をしているので、その時に恋に落ち、そして子供が生まれた。子供は曾祖父が引き取り別れたか、それとも日本に来たのかは不明だ。

 だが、長子にのみ伝えられる口伝が残った。


 ひとつ、ウィルバートン家に嫁いだ女性は少子短命でありその運命に逃れることはない。


 ひとつ、黄金の瞳の子供は「災厄を呼ぶ目」と呼ばれるが、理由は抜きんでた立身出世に長け、財を造り出す才能に長けた者故による。


 確かに私は巨万の財をなした。だから貴女も今後もその生活が必ず保障されていると安心してもいいよ』


 木暮雅人はハハハハと豪快に笑い、そして真面目な顔をして由華里を見た。真っ直ぐに。


『だが…過ぎる財と才能は人の妬み嫉みを呼び、結果的に災厄を呼ぶことになる。その最たる物が…

 ウィルバートンの呪いだ。

 貴女が受けた二度の災厄がそれだ」

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