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第3話 時期はずれのソメイヨシノ

 木暮雅人の指さす方向には巨大な木が鈍い銀色のなんともいえぬ光沢を発しながら立っていた。


 四方に限りなく自由に伸ばす枝先の一つが、真っ白な花々に覆われていた。そして彼等が見ると同時に、ひらひらと美しく花びらを地に落とした。


「寒桜ではない。普通のソメイヨシノだ。時期外れに蕾をつけ、君が日本に来た朝に花を開かせた。

 何かの縁を感じてな。それで君を呼んだんだ。花の命は短い。ましてや時期外れの花はな」


 真っ白かと思われたその桜の花々は、薄いピンクに縁を染めて優しい光を周囲に放っている。

 暖かな春の陽だまりの様な柔らかな色で。そして微かに甘い花の香りがする。


「…他にも花が咲いているのですか?花の香りが…」


「咲いているさ。この時期は春の訪れを告げる濃い香りの花が咲く。だがここの庭にはあの桜しかないんだよ。

 春が重なるのは無粋かと思ってね。ここに咲く花は桜以外は夏と秋の花だけだ。   

 冬は無い。

 春の訪れまで静かに眠る庭なんだ。本来はね」


「では、春の訪れに目覚めたのですね。この秘密の花園は」


「はははは、上手い事を言うな。そうだな。何かに誘われ一時的に目覚めたのだろう。何かの訪れを感じてな。

 私は

 君だと思ったんだが…」


 木暮雅人は彼をしげしげと眺め、そして肩を竦めた。


「君じゃないな」

「断言ですね。また」

「君にはあの花は似会わん」


 そしてジャリジャリと玉砂利を踏んで濡れ縁に戻ると、豪快に下駄を脱ぎ捨て廊下にあがった。使用人の女性が彼の足袋を手慣れた様子で替える。


 同時に彼等の靴下も替えを用意してあり変えようとしたが、アニカはストッキングだった為にそれを断り隣の部屋に入り、直ぐに履き替え出て来た。


「日本の家屋はめんどくさいですね。外に出るたびにいちいち履き替えるのですか?」


 不満そうに言うアニカに、木暮雅人は豪快に笑った。


「そんなことはないさ。ただこの正木の廊下は昨年末に貼り替えたばかりでな、それで汚れるのを嫌いこうしてしち面倒くさいこととしておるようじゃ。まあ、彼等の気が済めばそのうちに普通に出入りできるじゃろうさ」


「次回はそうなっているといいですね」


「次回を楽しみにしておるよ。さあて、食後のデザートと行こうか?

 ところでMissオーウエン、昼の膳は何がいいかな?肉でも魚でもなんでも言うがいい」


 その言葉に彼は怪訝な顔を向けた。


「Mr木暮?まさか…私を今日一日拘束するきですか?ランチまでいろと?」


「そんな無粋な事はいわんさ。アフタヌーンティーまでのんびりここに滞在するといい」


 彼は呆れた顔をし、そして諦めたように肩を竦めてニコリと微笑んだ。


「では、お言葉に甘えまして、Mr木暮のお気の済むまでお相手をさせていただきますよ。貴方にこんなに時間を裂いていただけるのはもう二度とないでしょうからね」


 木暮雅人は愉快そうに笑い、また別の部屋の方へと長い廊下を足音高く歩いて行った。


 彼等が木暮雅人から解放されたのは、まさしくアフタヌーンティーが終わるころだった。

 すっかりくつろぎ機嫌をよくしていた彼等がエントランスに向かうと、そうだと木暮雅人は秘書に「あれを」と顎をしゃくった。


 和式のエントランスホールに大型の黒いベンツが横付けされた。木暮雅人はキーをちゃらりと鳴らして彼に渡した。


「やるよ。まだこの国で自身の車の手配などしておらんだろう。運転はできるな?」

「宜しいのですか?」


「構わんさ。これは私が自身で運転する車の一つでな。君に合いそうな気がしたんだ。君も自国では運転手付きでなかなか自由に運転などできんだろ?私もそうだ。

 裏の敷地になっておる専用の山道を、登って、降りる、くらいしか許されておらん。まあもう90になる爺だから、色々と公道を運転するには身体的に支障があるので無理なんだがな。ハハハハ。

 この車も公道を豪快に走ってもらった方が嬉しいだろうさ。

 なので貰ってくれ。名義変更はこちらでしておく」


「ありがとうございます。ではこのお礼は…」

「いらん」


「しかし、朝食にランチにアフタヌーンティーに温泉、さらに車までいただいてはこちらとしても面子がありますので」


「面倒くさいが…まあ気持ちは解る。(ちらりとアニカを見て)部下の手前そうも言っておられんだろうしな。いいだろ…そうだなあ…」


 木暮雅人は暫し腕を組んで考え込んだ。


「じゃあ、この車で最初にナンパして成功した女性を連れて来い」


「はあ?何を唐突にいいだすのですか?」

「なんだナンパもできんのか?」

「私はナンパをしに日本に来たのではないのですが?」

「いいじゃないか。たまにはしたらどうだ?」

「してどうするのですか?」

「そりゃ紹介しにこい」

「ここにですか?」


「いや。私は明日から暫く国外に行くのでな。そこでいい。えーと、スケジュールはMissオーウエン?」


 アニカは頷いた。


「後で秘書のMr高中田にお聞きしておきます」

「それでいい」


「Mr木暮、その提案は構いませんが、私がこの車でナンパをするのが前提で、そして成功するのが断定なのですか?」


「なんだ?なんだ?天下のウィルバートン財閥の総裁であるアーネスト・ウィルバートンが、日本でナンパの一つもできないと言うのかね?そんな度量の狭い男か?」


「度量云々の問題では無いとは思いますが?天下のウィルバートン財閥総裁のアーネスト・ウィルバートンが日本でナンパをしまくっていたなど世間にしれる方が問題かと思いますがね?」


 途端に火がついたようにアニカがお腹を抱えて笑いだし、木暮雅人は満足げに頷いた。


「だろ?だろ?いいアイデアだ。いい余興だ。アーネスト、君は少し砕けた方がいい。山津波を起こす程柔らかくしろとは言わないが、君の山は少し地盤が固くなり過ぎている。それでは何も新しいものは生まれず育たない。少し君も気を抜くといい。とはいえ、うちの馬鹿息子達の餌食になられては困るがな」


「ハハハハ。それは有りえませんでしょう」

「言うな」

「ご子息達を悪し様にはいいたくはありませんが、私の視野にはいません」

「じゃあ、少し地ならししておけ。新しい命を生むようにな」

「余興ですか?」

「そういっただろう?老い先短い私の楽しみを奪うのか?」

「はあ…まあ…トライはしてみましょう。期待はしないでください」


 そして笑いながら車に乗り込むと、木暮雅人は覗きこんであちこちの改造してある部分等を教えた。ダッシュボードを開けると、いつものように大量の彼の名刺が現れた。


「相変わらず名刺をばらまくのが御趣味のようですね?」


「ああ、そうさ。私くらいの人間になるとな、ちまちま相手を選んで配るほど時間は余っていない。出会いは限られている。チャンスは多く拾うに限るんだ」


「それでこの名刺は…かなり車中に散乱していますが?先程山道しか走らないと聞きましたが?誰に配るのですか?」


「山の中にも人がいるかもしれないからね。名刺はそのままでいいさ。集めなくても言い。なんなら私の名前でナンパをしても構わないぞ?色んな肩書きの名刺があるんでな」




 やれやれとアーネスト・ウィルバートンは苦笑し、ダッシュボードを閉じた。


「アニカ、君はどうするかね?私と共にホテルに戻るかね?着替えに戻らないと今夜のレセプションに間に合わないだろう」


「ありがとうございます、アーネスト様。ですが、私が同乗してはナンパの妨げになりますので御遠慮申し上げます」


 木暮雅人は弾けた様に笑い、アーネストは苦笑した。


「私は私のBMWで後から参りますわ。それと護衛の車も前後に邪魔にならない程度に走行させますので御承知置きくださいませ」


「わかった。では、Mr木暮、楽しいひと時をありがとうございました。NYにお越しの時はこちらから朝食に御招待しますので安心してください」


「ハハハハ。楽しみにしているよ。それより、ナンパを忘れるなよ?」


 ハイハイとアーネストは苦笑し、エンジンのスタートさせると巧みなドライビングでエントランスから門のある森の方へと車を走らせた。

 アニカが美しく一礼し、回された白いBMWに乗り込むと同じく瞬く間にエントランスから門へと姿を消した。


 走り去る一行を満足げに見送り、木暮雅人は大勢の使用人を従えて家の中に入った。


 確かにいい気分転換になったと、アーネストは車を快調に走らせながら鼻歌でも歌いたい気分でいた。


 木暮雅人氏が世界中のVIP達から人望があるのは、彼のああしたきめ細やかな日本人的直観力のある心遣いにあるのだろう。自分には真似のできないことだと感服しながら、アーネストはナビゲーションに従い高速道路に乗った。


 後ろからはぴったりと白いBMWが追随し、周囲には適度な間隔で護衛者達の車が並走していた。

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