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第2話 木暮雅人(本物)の招待

 早朝の指定された時刻に木暮雅人氏から差し向けられたリムジンに乗り、彼は一路東京郊外に向かった。


 まるで迷路の様な高速道路を抜け、やがて広い視野が開ける高速道路に入り、暫く牧歌的な風景を楽しんでいると、車はこんもりとした森の奥に広がる日本家屋の前に停車した。

 森と思われた場所は既に木暮雅人氏の所有地であり、その境が解らなかった事に、なんだか日本の忍者みたいだなと彼は苦笑した。


 清廉なたたずまいの広い軒のある和風のエントランスに大勢の和服の使用人達が頭を下げて出迎える。横付けされた車から降り立つと、ピリリとした清涼な凛とした空気に彼は少し笑みを浮かべた。


 木暮雅人氏の住む場所すら木暮雅人氏を髣髴とさせる。


 揃いの淡いピンク色の着物を着た女性使用人と、同じく濃紺の着物を着込んだ男性使用人達が畏まり彼等を案内する。


 別の白いBMWで同行していたアニカ・オーウエンは観光気分で簡素ながらも贅をつくされた邸内を楽しげに見まわし、


「素晴らしいですね」

 と、囁いた。


 彼は彼女達が楽しければ多少でも気が晴れる気がした。


 齢90になろうとしている筈の木暮雅人氏は、清涼な畳みの香りのする広い和室の茶卓前に坐り、彼等を出迎えた。


 その立ち居振る舞いはとても一線を退いた好々爺二は見えない。木暮雅人は彼との再会を喜び(本心で)、対面の席を勧めた。


「お久しぶりです。実際にこうして面とお向かいしますのは10年程になりますか?」


「そうだな。君も相変わらず精力的に元気そうでなによりだ」


「ハハハハハ。そのお言葉はそのままMr木暮にお返し致しますよ。それで?私を空港で待ち伏せしていた用件は何なのですか?」


 木暮雅人は柔らかい香りの梅酒を勧めながら、いたずらっぽい笑顔を見せた。彼がこう言う笑顔を見せるときはリラックスしている時であり、仕事の話はしないと言う暗黙ルールが既に決まっていた。


 彼は肩を竦めた。


「てっきりビジネス関連の話と思いましたよ」


「私は前線を退いている」


「知っていますよ。ですがこうして早朝に呼びつけられるほど、私達はプライベートでも昵懇では無かった筈ですが?」


「おやおや?私は君を小さい頃から知っておるので、君のおじか何かの気分でいるがな?」


「伯父叔母等の不要な親族関係はNYにいる魑魅魍魎達だけで十分ですよ」


「ああ…そう言えば君にも一応はいたな?血縁関係者が」


「生物学的な親族ですがね」


「彼等からウィルバートンを奪い戻してから随分になるな」


「その節は大変お世話になりました」


「何もしとらんよ。私は私の仕事がやりやすいようにしたまでの事。気にいらん相手とは取引すらしたくないのでな。その件に関しては、君は私にも、他の者にも、恩義を感じることは無い。

 あれは全て君達だけで成し遂げた事なのだ。しかもクリーンなイメージでね。

 見ていて清々しく面白かったよ」


「私も楽しかったですよ」


「うん、それが大事だな」


 二人は笑いあい次々と出される豪華な朝餉を堪能しだした。


「で?御用件はなんなのですか?」


「君は私がただ単に君と静かなひと時を過ごしたいと望む事が無いとでも考えておるのかな?」


「ええ」


「どいつもこいつも私が仕事の亡者と決め込んでおるようだな。私が何かアクションを起こせば、それは仕事のことだと。

 これでも私は余生を楽しむ一老人を楽しんでおるのだがな?」


「御冗談を」


 ハハハハハと2人は清々しいほど楽しげに笑い声を挙げた。


「用向きは特にない。君が突然日本に来たと聞いてな。しかもノ―スケジュールで」

「スケジュールはありますよ?」


 彼は隣で贅を尽くした和食の朝食に舌づつみを打つアニカに視線を向けた。

 アニカは箸を優雅に置いて頷いた。その動作の美しさに木暮雅人は讃辞の言葉を向けた。


「恐れ入ります。Mr木暮。アーネスト様には日本でのスケジュールは分刻みで決まっております」

「ほお」

「表向きは。公用で来日しておりますので」


「アニカ…」


 アニカのストレートな物言いに彼は苦笑した。ほら見たことかと木暮雅人はニヤリと笑う。


「アーネスト様は少しお疲れの御様子なので」

「アニカ」


「構わん。続けたまえMissオーウエン。そんな事だろうと思っとった。でなれば、君がこんな時期に日本に等来ないだろうが?もしくはお目当ての日本美女が居るのなら話は早いが、君の好みの日本人女性は主に京都方面に在住しておるからなー」


「Mr木暮…朝から私を肴にして楽しまないで下さいよ。何時、京都に私好みの女性が在住していると言うのですか?」


「君は常に側にMissオーウエンの様な絶世の美女でありながらそれに劣らぬ才女を配しておるからな。そういうクールな美女がすきなんじゃろうが?」


 ハハハハハと楽しげに笑う木暮雅人に、彼はウンザリとした顔をした。


「ははあ、貴方も私にそろそろパートナーを決めろと言う口なのですか?」


「ああ?他人の家庭環境などには興味はないよ。君がどんなパートナーを決めようが、それは君の自由であり君の人生ではないか?他人が口を挟む事では無い。

 ましてや君ほどの人物が、他人から妻を決められ押しつけらるような朴念仁ではないと思っているがね?私を退屈させないでくれよ?」


「…私の結婚話しも貴方の人生の余興の一つですか?」


「つまらんパートナーを妻にするなと言っている。確かに君の年齢的にはそろそろウィルバートンの後継者を望む声と共に妻女を望み画策する動きが出てもおかしくは無いだろう?それとも既にいるのか?いないだろう?」


「断定ですか?ハハハハハ」


「君はな…冷酷非道な男と言われておるが…その実は愛情に満ちた優しい男なのだよ。それをちゃんと見極められるような妻女を見つけろと言っているのだ」


「…Mrs木暮の様な?」


 殆どタブーと化して10数年にもなる言葉を口にした彼に、アニカ達はぎょっとした顔をしたが、木暮雅人は涼しい顔でいる彼を真っ直ぐに見た。そして静かに笑みを浮かべた。


「そうだ。柾子の様な妻女を見つけるんだな」

「至難の業ですね」


「柾子と同じような女はもうこの世にはいない。だから同じ妻女を探せと言っているのではない。君にとって私の柾子の様な女性を探せと言うのだよ。

 まあ…君の立場では難しいとは思うがな。君は既に全てが完成されたステージに立つ男だ。

 その全てが揃う世界でありながらも、1から辛酷を舐めながらも基礎から君と家庭を築こうとする物好きなどあり得んからな…

 贅沢を言わんでも、君の愚痴くらいは聞ける許容のある女性を見つけることだ。どこかでガス抜きができんと人生は辛いからな」


「柾子夫人には私も大層お世話になりました。柾子夫人のような芯の強い大和撫子が確かに私の好みの女性ですね」


「ハハハハハ。世事を言っても柾子は墓の中だ。何も出んよ?」

「承知しておりますよ」


「…柾子は確かに君を気に入っておったな。だからこそ…私も小憎いたらしいガキの君に目を向けた」


「そう思います」

「自分をよく知る男は私は好きだよ」

「恐れ入ります」


「そう卑屈になるな、君らしくも無い?気持ち悪いぞ?やはり彼は疲れているようだな?Missオーウエン?この調子では大方、嫁候補が大勢押しかけて来た口か?」


 アニカはくすくす笑いながら同意した。


「Mr木暮の仰る通りに、確かに最近、上流階級の御令嬢達からのアーネスト様へのアプローチが多かった様な気がいたします。さりげないご紹介等もね」


「いいじゃないか!あるうちが華だ。で?君から観て可能性のある候補者はいたかね?」


「はい。何人かはいらっしゃいました。未来のウィルバートン夫人として申し分のない方は」


「成程な。Missオーウエンのお眼鏡に適うのならばその中から選んでも構わんのではないか?」


「Mr木暮…先ほど仰った事と随分と趣旨と違いますが?」


「ハハハハハハハ!ウィルバートン夫人足り得る女性なら構わんのではないか?彼女達は申し分のない出自なのだろう?」


 アニカはモバイルパットを取り出し幾つかデーターを広げると、木暮雅人に手渡した。そこに並ぶ女性達のプロフィールにざっと目を通し、成程と頷き彼は興味なさげにモバイルを部屋の隅に放り投げた。

 直ぐに使用人が立ちあがりそれを拾い上げ、丁寧にアニカに戻す。アニカは楽しげに笑った。


「あらあら。どうも彼女達はMr木暮のお眼鏡にかないませんでした様ですね?」


「そうじゃないさ。この子達は全員おしめの頃からしってはおるし、確かにウィルバートン夫人には足り得る女性ばかりだ。誰がなっても過不足ないじゃろうが、それまでの事だ。つまらん」


「Mr木暮。私の結婚は今後のウィルバートン家の未来にも関わる問題ですので。つまらないかどうかで妻選びはできないんですよ?」


「わかっておるさ。君も面倒臭い家系に産まれたから仕方はないがな。だがつまらんな。ありきたりで」

「ありきたりでいいのです」


「ウィルバートン家の嫡子たる子供を産めればいいということか?」

「そこまではいいません」


「だがそれが現実だ。ならば早いうちに結婚し子供を設けることだ。子供は早いうちにつくるに限る。子供のできなかった私からの忠告だ」


 木暮雅人はそう言うと、朝の膳を下げさせ別室へと移動しようと言い立ちあがった。


「子供ができなかった訳ではないじゃないですか。立派な御子息が3人もおられる」


「いるさ。だがあいつらは私達の子供では無い。言っている意味が解るか?」


「解ります。3人の御子息は確かに柾子夫人と雅人氏の間のお子様ではありますが、確かに「子供」ではありませんな」


「あいつらは既に私のライバルだ」

「頼もしい事ではありませんか」


 すっと木暮雅人は立ち止り、染みも皺ひとつないまっさらな障子に手を掛けながら彼を見た。


「本心そう思うか?」

 その静かな威圧感に動ぜず、彼も静かに笑みを向けた。


「私も他人の家庭事情には興味はありませんので、建前的な木暮家の情報から鑑みますと…頼もしい御子息としか判断しかねます。

 確かに父の貴方に弓引くような行為が多い気がしますが、それは眼の前にある山が大きすぎるからではありませんか?山が大きく聳え立ちはだかるのならば、それに果敢に向かいそれを乗り越えようとするのが理かと」


「そうだな。だがあの阿呆共はその山を超えようとはせず、崩そうとしておる」

「確かに」

「無駄な努力は私は嫌いでね」

「崩される気はないのですね?」


「何故あの阿呆共の為に崩されねばならない。馬鹿馬鹿しい。山津波でも起こして一掃してしまいたい気分じゃがな、この山は私一人で築き上げた山でもなく、維持をしているわけでもない。裾野には大勢の市民がおるのだからそうそう山津波も起こせんしな」


「お互い大きくなり過ぎて自由に身を動かせないのが難儀ですね」


「そうだな。だが、私は君よりはかなり自由に生きて生きた。君にも同じように生きろとは言わんが…だが、君は私以上に身動きができなくなっているようだ。だからこそ閉塞感が出てきて病に陥ったのではないか?」


「…Mr木暮は私のカウンセラーと言うことでしょうか?まさかその為に呼びつけたのですか?」


 ハハハハハと木暮雅人は愉快そうに笑った。


「そうじゃないさ。約束の花の梢を見せようと思ってな」

「ああ…あの謎かけの短冊ですね」

「人生は常に謎かけの様なものだ。昨日、君が日本に来ると聞いた時に見ていたんだがな。君に持見せたい気がしてな」


「何の花でしょうか?今の時期ですと梅ですか?」


 ハハハハハと彼は笑い廊下を歩いて行くと、大きな庭に面した窓をカラリと開けた。


 そこは手入れの行き届いた広大な日本庭園で、計算つくされた配置に形の木々が美しく冬の空の下に広がっていた。


 その一角を指さしながら、彼は踏み石の上に揃えられていた下駄に足を通して玉砂利の敷かれた庭に降り立った。


「あれだ」


 木暮雅人に続いて彼とアニカ達も庭に降り、冷涼な空気に一瞬身を引き締め背筋を伸ばした。

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