第13話 確信
平野家での写真騒動~花火の間のアーネストの心の動きです。初めての恋心に、愛に有頂天になっているアーネストですが…ウィルバートンの呪いは牙をむきます。
「あれ?」
と、ドアを開けた由華里は、由華里を見て驚き立ち上がったアーネストを見て驚いた。
艶やかな朱の生地に満開の花々が咲き乱れ流れ、花びらを散らす袖を翻し、美しく結い上げられた帯の輝きと少し飾った髪型に挿されたかんざしの輝きに…
アーネストはその美しさに言葉を失った。
違う!美しいのは着物では無い!間違えるな!
アーネストはまるで大輪の薔薇の様に輝く由華里を見降ろし幸せに満ちて微笑んだ。
何を思い悩んでいた?何をこの私が躊躇していたのだ?
そうだ解っていた。
あのローターリーで彼女を見た瞬間から解っていた。
見つけた。
彼女なんだ。
長い事探し求めていた失われた遠い過去に置き去りにされた…愛。
優しい人の心の通う…
暖かな愛を自分におしみなく訳与えてくれる女性…。
自分の永遠の女神がここにいたのだ。
「木暮さん?まあ!どうしたんですか?この時間はN企業の方と…」
その由華里の言葉等を彼は聞いてはいなかった。きょとんと無防備に見上げる由華里を見降ろし、瞬時に強く抱き寄せ抱きしめた。
腕いっぱいに抱いた花束の様に甘い香りを出す由華里を抱きしめ彼は確信した。
離さない!絶対に!!
ぎゃっ!と叫んで、由華里はアーネストの腕の中でもがいた。その腕の力の思いもかけない強さにたじろきもがき、やっとアーネストは腕を緩めた。
「す…済みません…あまりの美しさに驚いて…」
「知ってる!!外国の人ってよくコレするもの!でも!木暮さん力強すぎ!!」
そうじゃないんだけどなと、アーネストはくすりと笑う。
「着物の事じゃなないですよ?」
「えっ?」
「貴女がとても綺麗だといているのです。着物…とても似合っている…素敵です」
耳まで赤くなりながら、由華里は照れ隠しの様に襟等をシュッと直した。
「あ…ありがとう…あの…えーと、こういう柄、お好きでしょう?」
「ええ好きです。とても貴女に似合っている。私の為にこの着物を選んでくださったのですか?」
「はあああっ!?え!?なっ!!なんで!?」
「なんで狼狽えるんですか?手まで真っ赤ですよ?」
握りしめている由華里の手を見ながら、アーネストが不思議そうに言う。半分図星を指された気がして、由華里は面食らっていた。
「違います!後でアニカと記念写真撮るんだから!それで…この着物にしたんです!そうです!それより、なんで木暮さんがここにいるの?確か、今はN企業の方と、」
「キャンセルしました」
「は!?」
「アニカから、由華里さんが美しい着物姿になるとメッセージを貰いましてね。それで…」
「ばっ!!!バカじゃないの!!?そんな事で仕事をすっぽかしたの!?」
アーネストはその剣幕に眉根を寄せてむっとした。
「何が馬鹿なのですか?」
「バカはバカでしょう!?私が着物を着るからってだけで、仕事をキャンセルするだなんて!聞いたことない!」
いきなり言い合いを始めたアーネストと由華里にブレーン達は度肝を抜かれた。
あのアーネストが一般人のように口喧嘩をしているのだ!!
その見た事もない光景にただただぽかんとしていたが、ハッ!としたようにデニスがウィルを肘着いた。慌てて彼はビジネスの顔になった。
―Miss Hirano?
綺麗なキングスイングリッシュに由華里は怒声を止めて振り返った。
優雅な物腰で畏まったウィルがにこにこ愛想のいい笑顔で会釈する。
こう言う時の場を浚うのはウィルは得意だ。
―我々が、キモノを見たいと申したのです。それに仕事は別の者が担当しておりますので、アー
ごほん!!と、デニスが咳払いをする。彼は、ああ…と苦笑した。
―こ…木暮様が(言いにくいな)いらっしゃらなくても大丈夫なのです。ご心配をいただきまして痛み入ります。
ソファーから我先に立ちあがり由華里に手を差し出し自己紹介し、苛立たしそうに見ているアーネストを尻目に由華里の手を握り締めた。
優しい手だ。暖かい。柔らかい…小さな手。
だがこの甘い花の香りはなんと心地よい空間を造り出すのだろうか?
彼女の一見なんでもない物腰が、まなざしが言葉が
辺りに一気に広がり誰もが感じる暖かいオーラをまき散らしている。
虜になる…
無条件で彼女の前に膝を突く。
彼女に無理強いされたのではなく…自然に彼女を護りたくなる。
当たり前の様に…大切な自分の何かを彼女が体現している。
そしてあの無慈悲で残酷と言われているアーネストを一喜一憂させている。
これは…。
3人はまだ半信半疑であった疑念を瞬時に捨て去り確信した。
間違いない。
彼女がアーネスト様のパートナーとなる方だ!
永遠に彼の側に立ち、微笑み彼を支え続ける。
彼の弱さも強さも全て受け止めるだけの器のある女性なのだと彼等は確信した。
だがその前に片づけなければならない事がどうも多々あるようだ。
アニカが実に良く似合う鮮やかなコバルトブルー地に金糸銀糸に極彩色の蝶が舞う着物を着て華やかに現れた。だが彼女の目的は着物姿を見せる事では無かった。
手にした戦利品を高々と掲げて得意満面で微笑んだ。
それはまるで勝利のワルキューレの様だった。
ブレーン達はアニカの仕事の速さと的確さに心中で拍手喝采を送った。
あの忌々しい婚約者とされている田口崇史との見合いの席で由華里が着ていた着物だ!!
ウィル達が不快な目を交わし即座に動いた。ウィルの妻への土産にこの着物が欲しいと申し出る。外国人には良くある話だ。そういう光景を良く見る。そして大概日本人は快くOKをするものだと言う事もリサーチ済みだ。
母親の華代はアーネストと由華里の間の微妙な空気の流れを変える話題に乗り、快く承諾した。
以外にも意見を言ったのは由華里だが、華代が外人の客相手に慣れている故の間違った判断で由華里を説得し、その忌々しい着物はウィルの手に渡った。
即刻処分するとウィルの目は満足げに言っている。
どう処分するのやらとアーネストは彼らに処分を一任した。4人はなんだか嬉しそうに悪だくみを交わしている。
そしてもう一つの問題が目の前に立ちはだかった。
母親の華代だ。
後から現れた彼女は、一目で愛娘といきなり押しかけて来た臨時の上司と言うスタンスを取る若き実業家の間に、切っても切れない絆が産まれてしまった事に気付き苦悶している。
彼女は手強わそうだ…と4人は顔を見合わせる。
それはアーネストも同様のようで、華代に対する態度がかなり一線を引き敬い礼儀を尽くしている。
由華里がシーラカンスなのは、父親の泰蔵の影響では無く…この母親なのかもしれない。
母親の眼は断固としてこの芽生えてしまった恋(娘が全然気付いていないのも理解し)を阻止するらしく、ちくちくと露骨な牽制の言葉で攻撃し、能天気な娘との間に立ちはだかった。
だが構わないとアーネストは薄く笑う。
それは何か獲物を追う狡猾で冷酷非道な実業家の顔であった。立ちはだかる物は大きければ大きいほど闘志が湧く。
そうだ…彼女はもう自分の者だ。
彼女も誰も気づいてはいが、彼女はもう既に自分の手中にある。
離さない。
絶対に。
華代は由華里は結婚前の娘であり婚約に近い者もいる立場なのだと、案にあの不愉快な名前を出して牽制する。
だがその婚約自体がまだ不成立である事も調べがついている。
それはアーネストにとってはなんの牽制にもなりはしない。
由華里ははっきりと言った。自分の結婚は自分の意思で決めると。
だから彼は自信を持って言う。遠回しな日本的な言い回しを使い。
きっぱりと。
貴女の大切な娘を責任を持って大切に預かると。
その言葉に意味に気付いて母親の華代は驚愕の目で彼を見る。既に彼が一歩も引かない気でいるのに気付き、一瞬悲しげな目を伏せる。
やり過ぎたのだろうか?
彼女は敵には回したくはないのだが…。
彼は話し変えるようにウィルに譲ってもらった着物の代わりを誂えさせたいと申し出る。
華代は承諾した。
畳の上に敷かれた布の上には色取り取りの反物が並べられ、デニス達はその日本的美しさに感嘆の声を挙げる。
その中から彼は真っ直ぐに一つの反物を取る。
単にそれが由華里似に会うと思ったからだ。
他にも似合いそうな物はあるがそれが一番似合う。
彼は自信を持って由華里の肩に掛ける。
美しい桜の反物を羽織る由華里は、まさしくあの木暮雅人の静かな世界で凛と咲き誇る一枝の桜の様だ。
彼女がその着物を着て自分の横に立つ様が素直に浮かび、彼は自然に由華里を抱きしめた。
何か腕の中で可愛らしく文句をさえずる由華里に彼は苦笑し腕から離す。
そして2人は笑う。
幸せそうに見つめ合い笑う。
アニカとの写真を撮ると言う事で、満開の梅の花が咲き誇る美しい庭をアニカ達が目ざとく見つけそこに由華里を招く。
苦笑しながら花びらの舞い散るに降り立つ由華里は、まるで春の女神の様だ。
この凍てついた冬の寒い空気を優しく温めていく春の光りの様に、生彩を欠いている冬の庭に灯りをともす。
そう。
あの木暮雅人の庭に凛と咲く桜の一枝の様に、優しく揺れて微笑んでいる。
観光客のようにはしゃぎながらデーターの写真を撮りまくるデニス達は無視して、写真を撮り終え縁側に戻ろうとする由華里の手を掴んだ。
おいおい、まさか自分との写真を撮らずに戻る気かと苦笑しながら。
由華里は振り返り笑う。
少し苦笑しにっこり微笑んで彼の横に立つ。
2人の目が重なり暖かな空気を間に作る。
その目は間違いなく自分を愛している。
私も彼女を愛している。
でもこの能天気な女神はその自分の気持ちにまだ気付いていない。
私達の間には既に切れない絆が産まれて結ばれてしまった事を気付いていない。
この絆は誰にもきることなどは出来ない。
例え…
神でも…
ウィルバートン家の呪いだろうとも…私達を引き離すことなどできない。
離さない。絶対に。
離れることなど許さない。
貴女は私だけの者…私だけの
永遠の女神なのだから。
だが…彼女は自分の本質を知ったらどうするのだろうか?
今の彼女の前にいるのは木暮雅人と言う紛い物の幻影。
彼が造り出した幻。
不確かな…彼女が望む男性像。
もしも
もしも彼女が私を「アーネスト・ウィルバートン」と知ったのなら彼女は私をどう見るのだろうか?
この優しい黒曜石の瞳が…畏怖し恐怖におびえるのだろうか?
彼女は既にそれを薄薄感じている。
どんなに取り造ろうとも、身に染みているこのどす黒い物は消すことができない。
今までこんなに恐れることがあったことは無い。
「怖い」という気持ち。
そうだ私は怖い。
彼女が自分の畏怖の目で見上げ逃げることが…
怖いのだ。
「ほら、花火ですよ?」
平野家で由華里の為に、あの母親の華代の手前押えこんでいた自分が、ホテルに戻り由華里と二人きりになった途端に我儘な子供の様な顔だして由華里に絡む。
だが、由華里はそれを物ともせず軽くかわし笑い声に変える。
だから御褒美だ。
今日は機嫌がいい。
アニカ達がこの時刻にホテルからこの方向を見てくださいと言っていたが
…これか。
さっきまでギャースカ喚いていた由華里はアーネストの腕の中で大人しく目を見張り、冬の花火に目を輝かせている。
そして幸せそうに笑う。
「冬の花火も綺麗ね」
「そうですね」
そう笑う貴女も綺麗だ。
「凄いわ…木暮さんの側に居ると、本当に魔法の様に色んな事が起きるのね。この数日は、本当にまるでドラマか映画みたいな毎日だったわ」
私もそうだ。貴女といたこの数日は今までの何十倍も速く楽しく過ぎた。
「そうですか?」
「そうよ。私の日常は本当に平凡だから…こんなに色んな事が起きたのは初めて」
そういう由華里の眼に、何か怯える光りが灯るのをアーネストは見逃さなかった。
それに胸を突かれ、彼は少し寂しげに言う。
やはりそうなのかと思いながら。
「怖いですか?」
「何が?」
「私の側に居る事が」
由華里はきょとんとした。
「なぜ?」
「なぜ?」
驚く自分をまっ直ぐに見上げて由華里は笑う。彼の心に届く響きで言う。
「怖くないわよ。木暮さんの側なら大丈夫」
え?
「うん、大丈夫…きっと大丈夫」
由華里は驚愕するアーネストににこりと微笑み、そしてふうっと安堵した顔を胸に押しつけて来た。
「由華里さん?」
最後の大きな花火が連続で打ち上げられ、静かになった室内で、急に腕の中の由華里が重くなった気がして、アーネストは由華里の顔を覗きこんだ。
唖然とした。
由華里はアーネストの腕の中でスヤスヤと心地いい顔をして眠っている。
「由華里さん!!?」
慌てて身体を揺らして起こすがそれでも起きない。彼は顔に手を当て、フロア中に響く声で大笑いしだした。これはどう取っていいのかが分からないと。信頼されているのか、それとも単なる無防備なのか…
それとも…
単に警戒する範疇にないと判断され対象であり得ないと言う事なのか…。
「大丈夫…か…」
その言葉に何か救われたような気がした。
何かに許された気がした。
その優しい言葉は彼の心に沁み入り何か黒く凍えていた物を解きほどいた。
優しく。ま
るで神の許しの様に…。
アーネストは由華里を軽々と抱き上げた。由華里の部屋のベットに降ろしても、彼女は起きない。やれやれとため息を着いて軽く頬を叩いた。
「由華里さん、起きないと、本当に着物が皺だらけになり洗い張りに出さないといけなくなりますよ?」
ピクリと由華里が目を開け、むすっとした顔で起き上がった。これは余程、母親の華代に口を酸っぱくして言われているなとおかしそうに笑った。
「由華里さん?一人で着替えられますか?」
うんと頷く由華里だが、また目を閉じる。どうやらブランデーが効いてしまったようだ。
「由華里さんはブランデーには弱いのですか?」
うんと由華里は頷く。彼はおかしそうに笑い、由華里にキスをすると立ち上がった。すっと数人のメイド達が由華里を支えた。
―彼女の着替えを。それと、着物は明日にでも京都の呉服屋に送っておいてくれ。きっとこの惨状を見たら明日の朝からけたたましい悲鳴を聞かないといけなくなりそうだ。
それは勘弁してもらいたいと、アーネストはとても楽しい幸せな気分で笑った。後の事はメイド達に任せて部屋をでると、壁一面の巨大窓の向こうに広がる東京の光の波の果ての暗い闇を見つめた。
―大丈夫
その言葉が、遠い海の彼方に置いてきた闇を払拭する。
―大丈夫
その言葉がこのまま自分自身に覆いかぶさる大きな闇と呪いにも似た宿命を吹き払ってくれる力がある事を確信している。
その力が彼女にある事を確信している。そうだ。
見つけた。
とうとう見つけた。
長い暗闇を吹き払ってくれる者を…。
私は見つけたのだ。遠い異国の地で。
それは確かな確信となり、彼の心に暖かな光を灯した。




