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第10話 深夜の二人だけの話し

 甘い花の香りが柔らかく腕の中に広がる。愛おしいほど抱きしめたくなるほどに。

 その感情を押しこんで彼は苦笑した。


「由華里さん…。驚きました…」


 まだ驚き醒めやらぬ顔で、由華里はすまなそうな顔をした。


「ごめんなさい。なんか具合が悪そうに見えたので。熱でもあるかと思って」


 具合が悪い?熱がある?私は子供か?


 アーネストは可笑しそうに笑うと、自然に自分の隣の席を叩いた。そこをまじまじと見た後、ガウンの前をもう一度ちゃんと整えて、由華里は素直に座った。

 長い黒髪がさらりと床に流れ落ちていく。アーネストは優しく微笑んだ。


「目が覚めたのですか?」


 由華里は今日一日の大喧嘩もケロリと忘れたかのように無邪気に笑って頷く。そうだ、彼女だけが自分にまっすぐに感情をぶつけてきて意見を言ってくる。


 曇りのない目と心と言葉で。


 だから自分も同じように返してしまう。まるで子供同士のように。だがそれは禍根を残さない。言い合えばすぐに忘れる、まるで…


 信頼と愛情のある家族の間の喧嘩のような…


 アーネストは一瞬胸に鈍い痛みを感じた。だが由華里の笑顔に優しく微笑み返した。


「はい。木暮さんは?」


「ああ…私はいつもこんな感じですよ」


「眠らないの?」


 傾げる小首が小鳥の様だと彼は思った。もう少しこの声を聞いていたい。


 彼はさりげなく誘導するように彼女のプライベートを引きだそうと質問をしていった。それに彼女は無防備に自分のプライベートを話す。大概こう言う時は、相手は自分の理解して!とばかりに、押しつけがましくはなすものだが、2人の間の会話は自然な流れで進んで行く。


 とても心地いい。


 他愛ない話しを大真面目にしたり、くるくると表情を変えて生き生きと楽しそうに話す。その声を聞いているだけで、表情の変化に体の動きを見ているだけで、何故か不思議なほどに安堵した気持ちになる。


 先程までの陰鬱な気分がウソのように。


 家族の事、自分の事を楽しげに話しながら、父親の事は少し影を落として話す。

(余程苦手なようだな?そう刷り込まれているのか?)


 祖母の話しに聞きこんでいると、祖母の死で悲しそうに目を伏せる。思わず彼女の体から染みでる悲しみに心を傷め、彼女の手を握り締めると、以外にも彼女はその手を振り払わなかった。


 その柔らかい指を一つ一つ確認するように動く彼の指の動きに、由華里はくすぐったそうにクスクス笑う。


 暖かい手だ。

 そして優しい手。

 それに…やはり手入れの行き届いた手。

 それなりの階級の女性で有ることは明白だ。


 そして

 誰かの者になる手…。

 何も知らないままに。


 アーネストは途端に酷く不愉快になるが、ふと…昼間の喧嘩の事、言いすぎたと事を思いだす。別にあれは自分は悪くはない。だけど何故か彼女を怒らせておくのは不愉快な気分になり、気付けば驚くほどすらすらと謝罪をしていた自分に驚いた。


 由華里はそれに尊大に振る舞うのかと思えば、にこりと微笑んで優しく言う。


「まだそれを言うんだ…。木暮さんってしつこいわね。優しい目をしているのに」


 優しい?自分には不似合いな言葉に、アーネストは虚を突かれて不覚にもぽかんとした。


「優しい?私が?」


 ええ!と由華里はにっこり笑い、胸を張って自慢げに言う。


「私、最初に貴方を見たとき、優しい瞳だな~と思ったの」


 驚いた。それが計算されての言葉なら不快感を感じるが、彼女の言葉は素直に聞ける。

 そう感じる自分にも


 驚いた。


 だから思わず聞いてしまった。彼女の口から確認をしたかったから。


「ところで、貴女は?由華里さんこそ、恋人や婚約者等はいないのですか?こうして未婚男性と二人きりでいいのですか?」


 由華里は怪訝な顔をした。彼も怪訝な顔をする。この反応はなんなんだろうかと。


「あら、だって向こうの部屋にはアニカさん達も寝ているし、ボディーガードの人達もいるし大勢のメイドさん達も…いるのよね?それに、私は結婚予定も恋人もいません!」


「いない?」

「ええ。あら!いるように見えた?」


 ではあの調書はなんなのだ?


「ええ…既に婚約でもしているのかと思いました」 


 途端に由華里は眉根を寄せた。


「…していないわ」


 婚約をしていない?アーネストはちらりとテーブルの上の書類に目を向けた。

 そして急に楽しい気分になり少し浮かれた感じでさらりと思わず口をついて言ってしまった。


「…そうですか。じゃあ、私にも貴女にアプローチする権限はあるのですね?」

「はあ!?」


 言った自分にも驚いたが、それ以上に由華里の方が彼の言葉に驚いたようだった。まああ!と由華里は途端にむくれだした。


「呆っきれた!アメリカ人ってみんなこんな感じで、社交辞令的に女性なら誰にでも言うの?」

「社交辞令ではありません。私はこういう事はふざけません」


 慌てて真剣に言う自分が滑稽だと彼は吹き出したくなった。何を自分は必死になって言い訳しているのだと。


「どうだか!」


 ぷいっ!と横を向く由華里をアーネストはおかしそうに笑いながら、顔を自分の方に向けさせた。


「そんなに怒る事ですか?それとも、日本では由華里さんくらいの女性に対して、御両親を介してでないとこういうアプローチもできないとか?」


 由華里は呆れて彼の不思議な金茶の瞳をまじまじと見た。

 アーネストはかなり意地悪い気持ちで言った。何かを確認したくて。


「ええ。貴女は…親の意思で結婚をなさるのですか?それとも、自分の意思で?」


「私のパートナーは自分で決めます!そこまで親の言いなりにはなりたくないです!!」


 つい声を大きく叫んでしまった由華里は慌てて辺りを見回し口を押さえた。途端に彼は大きな声で笑いだす。


「木暮さん!!みんな寝ているんだし!!静かに笑ってよ!!」


 焦る由華里の手を、アーネストは強く握り締めた。

 不意に2人の目があう。

 とても懐かしい、とても優しい…愛おしい目。


 何かが心に互いに触れそうになった瞬間、由華里は慌てて目を逸らした。何かに気付くのを恐れるかのように。


「こんな時間までお仕事を?」


 そうですと、彼は少し寂しげに笑った。


「由華里さんが届けてくれた調書の続きが届きましてね。大事な…調書です。とても大事な…」


「そう。じゃあ、お仕事の邪魔をしちゃだめね。行くわ。木暮さんも寝なさいね」


 ハイハイと彼は笑い、スルリと手に触れて行く由華里の長い髪を掴んだ。驚いて振り返る由華里に、彼は笑う。


「綺麗に巻き上げているから気づかなかった。随分と長いのですね」


 ああ、と由華里は髪をなでつけた。


「いつもは三つ編みで頭にまきつけていますからね」

「長い髪も素敵ですよ」


 由華里は耳まで真っ赤になった。


「お上手なんだから、木暮さんは」


 おやすみなさいと、由華里は部屋に戻ろうとして、少し足を止め、くるりと戻ると、木暮の額にキスをした。

 驚いたように額に手を当てる彼を、照れたように笑って見おろし言う。


「元気なさそうだから、特別ね!」


そう照れくさそうにいい、由華里は部屋にパタパタと軽い足音を残して戻った。


 深く椅子に凭れ、彼は声を出さず、額に手を当てたまま笑った。

 静かな闇の包まれるリビングに、ほのかに由華里の香りが残っていた。


 花の香り。

 甘い…春咲の薔薇の香りだ…。


 額の手を口元に当てると、その手からもほのかに香りがする。彼は苦笑した。


「参ったな…」


 そして、静かなリビングで、彼は調書を取り上げた。

 数枚の写真がテーブルを滑る。今と同じ結い上げた髪型で笑う数枚の由華里の写真。

 父親の泰蔵、母親の華代と弟の写真。


 そして、見知らぬ男性と立つ振袖姿の由華里。

 その男性の大きな右手は、由華里の肩をしっかりと抱いていた。


「田口…田口崇史」


 酷く苛立たしい写真だと、アーネストは無言でそれを切り裂いて、田口の部分だけダスターに放り込んだ。


「どうも情報が錯綜しているようだ…きちんと調べ直さないといけないようだな」


 アーネストは立ちあがると寝室に戻った。

 由華里の言うとおりにちゃんと睡眠を取る為に。

2人だけの深夜の会話のアーネスト視点はこんな感じでした。

由華里が婚約していないときっぱり言ったので、アーネストは木暮雅人の忠告の気分が浮上します。

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