第三話 神
脅威を問う。
確かにそう言われた。
深度が深い、ただそれだけなのに、なぜ脅威とまで言われないといけないのか。
『アルメリア・スコターディ。我の驚異よ。余計なことは考えるな。思考は全て透けていると思え』
びくっと体が跳ねる。
この、神様と言うものは、思考が読める?
『違う。神とは総じて思考が見える。読もうとせずとも、見えるのだ。今は良い。しかし、脅威と成れば断罪を行う。存在をこの世界から滅させる。誰の記憶にも残らない、完全な消滅。無に帰す』
なんで。
なんで。
それだけが頭の中でずっと繰り返される。
僕は、あなた達の都合で生まれたのではないのか。
世界に必要とされたから、生まれてくることを許されたのではないのか
それなのに、ただ一つだけ、あなた達に都合が悪いという要素があるだけで、消されなければいけないのか。
なんで。
なんで。
『違う。違うのだよ。アルメリア・スコターディ。お前たち人は、人の都合で生まれる。そして、裕福で幸せに育てられる若人がいれば、貧しく苦しい環境で育つ若人もいる。今まで疑問に思ったことは無いのか。アルメリア・スコターディ。お前はなぜ、孤児院に居るのか。他の若人は親元で育つのに、お前たち孤児院の子は、親がいない環境で育てられたか。考えてみろ』
僕は、今までずっと考えようとしなかったことを言われて、俯くしかできなかった。
孤児院の外の子たちは、ずっと僕らに優しく接してくれた。
でも、目の奥には、憐憫と、見下したような、重く苦しい感情がずっとあったように思える。
僕たち、孤児院の子は親がいない。
色々と理由はあるんだろうけど、考えようとはしなかった。
いや、考えたくなかった。
貧しくて、子を育てられないから預けられた。
それならまだ救いはあるだろう。
でももし、生まれてほしくないのに生まれてしまったら。
親の身勝手な理由でただ捨てられたのなら。
僕は、考えたくなかった。
『この際だ。アルメリア。スコターディ。お前の生を教えてやろう』
やめてくれ。
『お前の親は、母と父は、自由な人間だった。金に、性に、欲に、とても自由な人間だ。裕福な家庭に生まれ、何も不自由はしない生活を送っていたのだ。そして、その自由を満喫していた時に、お前という存在が出来上がった。それは親にとっては不自由な事だったのだろう。この世界では、子供ができてしまったら、産まなければならない。産まないという選択肢が無い世界なのだ。産むと、自由が下がる。子持ちと言うだけで、育てなければいけないという枷ができる。それを嫌ったのだろう。お前の親は、お前が生まれてすぐ、あの孤児院の前に、なんの手紙も残さず、ただ放置した。布にも包まなかったようだな』
嫌だ。
それ以上聞きたくない。
『お前は親にとって不必要だ。親だけではない。院長もそうだと感じていた。あの者は、神託、という加護を創った。我ら神の会話をただ聞けるだけの、とんでもなく下らないものをな。そして、我らの会話が聞こえたのだろう。アルメリア・スコターディの危険度を。そんな危険な者を、ここにおいていいのかと、どこかに捨ててきたほうが、孤児院にとっては良いのではないかと、な』
あんなに良くしてくれた、院長まで。
僕を邪魔だと思っていたのか。
腹の内に、どす黒い何かが溜まっていく感じがする。
でも、なぜかそれが溢れて、爆発するようなことは無かった。
僕の中の、深い、とてつもなく深い穴にすべてが飲み込まれていく。
『そう、それがお前。アルメリア・スコターディの脅威。人は皆、底がある。底があるからこそ、感情の制御ができる。自分の限界を知ることができるから。しかし、お前にはそれが無い。どこまでも落ちることができる。悪にも、善にも、限界が無い。やるからには徹底的に、という言葉を知っているだろう? お前は、それをやり過ぎる。それこそ、相手の命が尽きるまで、加減知らずで、やり過ぎる』
罪悪感もなく。
と、続けていった。
わからない。
何かをしたこと、やりたいと思ったこと、そういったものが、今までの僕にはなかった。
話を聞いていると、多分、僕は無意識に踏みとどまっていたのだろう。
やり過ぎないように。
関わり過ぎないように。
他人から一歩下がって、傍観者でいるように。
『そこまでにしておきましょう。この者に話し過ぎです。主よ』
突然、神の横に人間とは思えない外観の者が現れた。
三対六枚の赤い翼を持っていて、その内の一対は頭を、一対は体を、残る一対は背中に背負ったまま、神に跪いていた。
燃えるような、というか、実際に炎を纏っている羽は、今にも僕を焼き尽くそうと熱波を送り付けていた。
『セラフ、待て。まだ断罪の時ではない』
神がそう言う。
もう様なんてつけるものか。
『はっ。では、深度計を用意いたします』
セラフと呼ばれた異形がパチンと指を鳴らすと、何もないところに、急に台座が現れた。
その上には、透明過ぎて、そこには何もないように見えるけど、なぜかあるって感じる球体が置かれていた。
妙な圧力を感じるそれは、きっとミーナが言っていた水晶なんだと思う。
『人間、それは我ら上位天使が地上に設置したものではない。別物だ。地上に設置したのは、人間の深度を測るもの。それはセリノフォスと言われる月の石。神々の深度を見極めるものだ。お前の深度は危険すぎる。それに触れ、どれほどのものか、判断させてもらう』
触りたくない。
それが僕の意志だった。
あれに触れてしまうと、多分、いや、確実に、僕はこの世から抹消される。
そういう確信があった。
しかし、異形が手招きをすると、僕の手は勝手にその石に向かってしまう。
徐々に石へと向かっていく手に、僕は泣きそうになりながら抵抗する。
でも、やっぱり僕は人間だ。
神やその眷属の様な者の力には逆らえない。
ゆっくりと、その石に僕の手が触れる。
『……!?』
神たちが息をのんだのがわかる。
それもそうだと思う。
僕の手は、その石に触れなかった。
いや、《すり抜けて》しまっていた。
そして、セリノフォスと呼ばれた月の石は、光さえ通らない、黒を通り越した黒になっていた。
『……神さえも超えるか、人間』
異形が怒りを含んだ口調で僕に言う。
『創造の力を与えるまでもない。アルメリア・スコターディ。お前は深度は底無しだ。それこそ、創造どころではない。そんな話では生ぬるい。創世の力、深度を持つ人間よ。お前は、ここで、消えねばならん』
何の感情も抱いていないかのような、無機質な声で神が言う。
そう言ったとたんに、僕に強い力が加えられるのを感じた。
そうか、僕はここで終わりなんだな。
と、諦めを……。
いや、終わってたまるか。
こんな勝手に呼んで、身勝手に判断して、僕を消そうだなんて、身勝手にもほどがある。
僕は、生まれて初めて、強く、強く想像をした。
それは深く、真っ暗で、まったく光の射さない穴の中の様に。
この不条理を、勝手な意思を、全てを切り裂けるような、鋭利な物を。
『……! こいつっ!』
異形が僕にその背に纏っている炎を向ける。
もう、遅いよ。
だって、僕の手には、《ミヅハ》がいるから。
「後はお願い、ミヅハ」
『りょーかい。ミヅハさんにおまかせあれ!』
手に持った、今までに見たことが無い曲刀を、入れ物から抜くと、僕は、ミヅハと《入れ替わる》。
精神とか、人格とか、そう言うものではない。
変身、と言って間違えは無い。
僕は、『私』は、女の体になっている。
「さあ、アル君の危機だ。何とかしてあげるとしますか!」
私は、手に持った日本刀で、私に降り注いでいる力を撫で切る。
今まで重くのしかかるように降り注いでいたモノは、小雨がはらりと舞うように霧散した。
『……初めから、脅威を問うなどと言っている場合では無かったな。アルメリア・スコターディ。お前は、この世界に、いや、【私たち神々】にとって、危険すぎる』
「いーや、今はアルメリアはいないよ。私の意識の底で眠ってる。私のいた世界では、解離性人格障害とか言ってたかな。それの体まで変わる感じ? 入れ替わりとかじゃない。私たちは、2人で1つ。アルメリアだけど、アルメリアじゃない、ミヅハって呼んでねっとぉ!!!」
私に天使が熱波を放ってきた。
それを瞬間的に躱しながら、その熱波さえも切る。
多分、魔法の様なものだったのだろう。
この世界では、私がいた世界と違う概念で、魔法のようなものを使っているみたい。
魔素とか、マナとか、そう言ったファンタジーじみた概念。
それを切ったのだ。
普通であれば、物理の近距離武器で魔法が切れるはずがない。
そのはずなのに、私は切った。
なぜか切れると確信していた。
想像通り、切れる。
この体は、アルメリアの体は、深度、つまり深さ、想像力の豊富さ、その想像力を現実に創造してしまうほどの深さ。
感謝しなくちゃなあ、アル君に。
んで、あれは確か、熾天使、だったかな? 主と仰ぐ神への愛と情熱で翼が燃えている、だっけ。
セラフィムだったけ。
焦って、怒って、忙しそうだ。
上位天使ってくらいだから、そうとうな深度をしていると思ってたけど、案外浅いのかな?
名が泣くぞー?
『貴様っ……! どこの世界の神の加護を受けた! この世界の存在ではないなっ!』
「貴様じゃなくて、ミヅハだっていってんでしょー? それに、加護じゃなくて烙印。追放されたの。【地球】から」
そう、私は、地球に見捨てられた。
神とかではなく、世界の理から、拒絶された。
それを哀れに思って、手助けしてくれたのが、向こうの神。
存在だけは消させないようにしてくれたんだ。
『管理しているのは……ゼウスか? アンシャルか? いや……その顔立ち、日本人か』
「せいかーい! はなまるあげちゃう!」
『天之御中主神か?』
「それは違うなー。減点。なんで最高神ばっかなの? 日本はね、八百万の神がいるって話だよ? そこに上も下も関係ない。誰が誰に使えてるとか関係ない。そこにいるセラフィムみたいに、この世界の管理だけしてる器のちっちゃい神に仕えてる君にもね、きっと信仰が強くなれば、神を超えるよ」
セラフィムが怒髪天を突かれたかの様に顔を真っ赤にする。
煽ったつもりはないんだけどなあ。
『お前は、お前だけは、許さん。ケルビム、ソロネ、手を貸せ』
おお、上位天使大集合。
ちょっと見たい気もするけど、分が悪いかな。
「ごめんねー、逃げるよ、私。まだこっちに来たばっかりだから、色々馴染めて無いんだよね。だから、バイバイ!」
天上から降りてくる、やっぱり旧約聖書で書かれている通りの人間離れした姿の上位天使を見ながら、私は手に持つ日本刀で、空間を切る。
やっぱりすごいな、アル君の深度。
想像で何でもできる。
『……そうか、弥都波能売神か』
「おぉ、あたり。この世界の主神やってるだけあるね。でも押し問答はそろそろおしまい。行くね」
『まあ待て、その刀、銘が無いと不便であろう。付けてやる』
「あらまあ、違う世界から来たのに随分と日本のことに詳しいね」
『その代わりと言ってはなんだが、この世界に手出しはするな。決して壊すな。乱すな。それを盟約してくれ』
「んー、まあ好きに生きさせてくれたらそれでいいよ。で、銘は?」
『クラオカミ。谷に振る雨の名を冠する神の名だ』
……わぁお、なんだこの神。
日本の神について詳しすぎじゃない?
「……おーけい。盟約は結ばれた。私、ミヅハが責任をもってそれを守ろう」
『まあ、世界創世はやめておけ。他の神がうるさいぞ。ギリシャの方とかな。我もそれで苦労した』
そんな世間話みたいなことをしてると、セラフィム達から様々な攻撃が飛んできた。
それをさっき付けてもらったクラオカミで切る。
……なんだか切れ味がさっきより増してるようなんだけど……?
『その深度に、想像力。それに我の名付けも加わったのだ。どこの神が手を出してきても、切ることができるだろうよ』
うわあ、ありがとうなんだけど、面倒臭いことになってきましたね?
「まあいいや、ありがと! そろそろ戻るよ。アル君に体返さなきゃだし、あいつら鬱陶しいしね」
未だに訳が分からない魔法を連発してきている上位天使どもめ、いつか切ってやる。
そう思って、さっき切った空間に身を預けると同時に、鞘にクラオカミをしまっていく。
そういえば、記憶、残らないなあ……。
次は羊皮紙でも束で買ってきて、メモでも残しておこう。
そして完全に刀を鞘にしまった瞬間、『僕』はミッシェルに耳打ちされている状態に戻った。
変な曲刀を、手に持ったまま。