私と牛頭
深く、深く想像する。
対峙する巨大な牛頭の亜人から繰り出される拳、鋭利な蹴り、生み出されるであろう衝撃、すべてを想像する。
その想像した通り、相手からの攻撃は私に向かって飛んでくる。
未来予知にも近い想像力で仮定した攻撃を避けた私は、そこに飛んできた拳に向かって、刀を滑らせる。
刀はこの世界では一般的ではないらしく、扱い方も何もわかってはいない。
刀は、撫で切るもの。
食用の肉に包丁を通すように、刃を滑らせ、太い筋肉や骨、繊維を断ち切らなければならない。
私の持つ、このクラオカミと言う打刀は、一般的な打刀と同じく、刃の長さは約70センチメートル。
その70センチメートルで、一刀で、先に並べた全てを断ち切らなければならない。
大きく息を吐き、飛んできた相手の拳の付け根、手首部分を切る。
根元から刃を通し、先端に向けて滑らせ、引きながら、手首を落とした。
始めは滲む程度だった血も、つかの間の間に勢いよく零れ落ちる。
呻くだけの牛頭も、自分の腕から零れ落ちる血を見て痛みを感じたのか、大きく悲鳴を上げる。
探索者の先輩方が言うには、どうやらこの迷宮の階層主のこいつには、誰も傷をつけたことがないらしい。
生まれて初めて感じたのであろう痛みに動揺を隠せないようだ。
切り落とされた手首と私から、大きくバックステップをして距離を取り、荒い息でこちらを警戒している。
やれる。
私なら、この深度の体なら、クラオカミなら。
誰にも成し遂げられなかった特級の迷宮を突破できる。
そして、きっと、あの憎たらしいあいつにも-----。
体を前に倒し、体軸の重心を移し、滑るように足を運ぶ歩行法である、縮地という古武術における歩法を利用し、初速を最大限にまで高め、牛頭に接近する。
何もかもが初めてなのだろう。
牛頭は異常な初速に警戒をさらに深め、また私から逃れようとする。
しかし、もう遅い。
深く、深く想像した動きに沿って、動こうとしている牛頭の首筋に、そこにもう刃は置いてある。
あとは、刀を引くだけ。
想像通り、そこに牛頭が飛び込んできて、私は想像に沿って、刀を引いた。
手首と違い、大きな血管が走っているからだろうか。
すぐに噴水のように噴き出る血が、私を含む空間いっぱいに飛び散った。
次第に、こわばっていた牛頭の体から力が抜けていき、大きな音を立て、崩れ落ちた。
私は不思議なことに、達成感よりもめんどくささのほうが勝っていた。
いや、不思議でも何でもない。
私は、あの牛頭から飛び散った血を体中で受けてしまったのだ。
当然、服にべっしょりと血がついている。
ああ、また‘あいつ‘に怒られるのは面倒だなあという感想が、今の私の頭の中に響いている。
とりあえず、ポケットにいつも入れている羊皮紙の束の隅っこに、
「また汚しちゃった。ごめんねー」
とだけ書き残し、クラオカミを鞘に納めた。
手に持っている羊皮紙に気づき、内容を確認した‘僕‘は、大きなため息を吐いて、
「また汚して……いつも洗うのは僕なのに……」
と、愚痴をこぼすのであった。