縁斬り
準備が済み、菱沼が孵り直しに入ることになった。
梅雨に入って菱沼の異界も雨が降りしきっている。
水嵩が増した異界をあたし達は蛇の船頭と水の汲み出し役が世話をする上げ底の小屋付きの舟で移動し、祭壇のある島まで来た。
逆巻く渦の中の卵の妖しい光が強くなっていた。
あたし達は勧められるまま、祭壇の御神酒を杯で一杯ずつ飲んだ。苔餅みたいな物かと構えていたが、普通の白酒だった。美味い。
腹の奥でカッと氣が燃えるのがわかった。
「これでお前達の命は一つ増えた。余計に一度死ねるが、命の使い所は見誤るな。私が眠る間この市は強く閉ざされるが、市内の塚より15日ごとに現れる強壮な魔物『縁斬り』『紫雲城』『藤老仙』は、万全ならば私に匹敵する土地神足り得る者どもだ」
「どうってことない。それより報酬は用意してあるんだろうな? あたしは今のお前の血が欲しいんだぞ?」
「ふふ」
菱沼が笑って片手を差し向けると湖の水面に陶器の酒瓶が浮き上がった。
「死に体の血でよければ取っておいてやる。全て済めば好きにしろ。なんなら抱いて飲ませてやろうか?」
「うるさいっ。話はもう無い! 早く卵に入れっ!」
「ふふふ。・・シカオ、ワコ、コウタ。お前達も頼んだ」
「任せて」
「まぁそういう仕事なんで」
「どんとこーいっ!」
「藤老仙のヤツには借りがあるでござる!」
菱沼は満足気にあたし達を見回すと、背を向けた。
「マキコ、お前を拾って面白かったよ」
「犬や猫じゃない」
「ふふふ・・」
菱沼は降りしきる雨に中、妖しい光に包まれて卵の中に入っていった。
あたしはシカオが差す蛇達から借りた和傘の中、ワコは鼬柄の傘の中、コウタは『情熱烈火』と背にプリントした赤いレインコートを着て、アゲハ丸は笠と簑を身に付け、それを見送った。
・・15日後の朝、やや緊張して雨降りのバス停にゆき、傘を差した田島香南の後ろ姿を見て、
「田島」
と呼び掛けると、田島は怪訝な顔をして振り返った。
「はい? ・・田島、ですけど?」
来たか。
「あ、悪い。人違い」
「そう、ですか・・??」
あたしは他人の顔で乗客の列の最後尾に並んだ。シカオ、コウタ、ワコ、蛇の上役達にスマホで連絡するが繋がらない。
あたしは溜め息をついて、無駄だろうが村坂代々喜にも電話を掛けてみる。
「んはぁい? どちら様ぁ? 選挙のヤツですかぁ??」
「草ヶ部万亀子だけど、同じクラスの」
「ええ~? あ、ごめ~ん。オレ、・・あ、ウチ、人間関係狭くて、クラスの人、全員把握できてないんだぁ。な、なな、何かなぁ? なんか、罰ゲームでウチに電話掛けたとか」
「違う」
そんなこと言うなよ、村坂。
「クラスの女子の連絡網的なヤツで、土曜日、屋内フットサル場の予約取れそうだから、北高の男子達とフットサル合コンしないか、ってなってさ」
前に部活やってないかほぼやってないのに目立ってる女子グループの会話を耳コピした内容だ。
土曜に暇な女子で集まってフットサルの時点で仰け反るが、そこに他校の男子を混ぜて合コンとして消化する! という荒業っ。『陽』の側の人間達のバイタリティーに驚愕した物だった。
「フットサル合コンんんっ?? ひぃ~っ、ちょっと、オレ、ウチ! ハードル高いなぁ。ごめん、草ヶ部さん、パスでお願いしますぅ~」
「あ、わかった。それだけだから、いきなり連絡してごめんね」
「はひ~っ」
通話を切った。胸の奥がチクチクする。副産物に過ぎないとはいえ、鬱陶しい力を使いヤツだっ。
「縁斬りめっ!」
小声で毒づき、リストバンドにした黒のケープの密かに指を入れたがアゲハ丸が無い。あたしは舌打ちした。
縁斬り。打ち棄てられた縁切りの神社の鋏の神器が魔物の転じたモノ。万事の縁を斬る為、数を持って挑み難い。
人ごみは避けるべきだな。あたしはバスの列を離れ、あたしのことは気にはなるらしい田島がチラチラ見てくる視線は感じながらバス亭を去り、人気の無い路地に入ると黒のケープを展開してアゲハ丸以外の装備を身に付け、増血剤を1錠飲んだ。
ドクンっ、血が脈打つ。
ケープに力を込め、常人から隠れると、あたしは近くの建物の屋根の上に跳び乗った。
「持って回ったことしてないで、とっとと攻撃してこいっ」
雨の中、周囲を見回していると、氷を斬るような音がして景色の1角が斬られ、景色がズレた。
「っ!」
景色が次々と斬られ、ズレ、それは徐々に縮まってくる!
気配は感じる。だが、姿が見えない。いや、一つ『上の世界』に隠れているな。
「上等だよ」
今なら命は一つ余分にある、って話だ。あたしは迷わず銀のスローイングナイフで左の掌を切った。
自分の血で、血の渦を造り出し、切断された四方の景色の断面に血を飛ばし、探る。
何も無い・・血が、減ってゆく・・景色を斬る攻撃が迫る・・増血剤を足すか? いやまだだ。もう1錠飲んだら後が無い。・・・いたっ!
「そこだっ!!」
血の渦で巻き取るっ!!!
「ギェヒィイイーーーッッッッ!!!!」
景色の壁をガラスのように突き破って、耳障りな絶叫と共に『下の世界』に引き摺り出してやった! 鋏その物のような軟体動物とも鬼ともつかない奇妙で醜悪な巨体を持つ魔物だった。
あたしは血で強化してサイレンサーを付けない拳銃で銀の弾丸をブチ込んでやろうとしたが、銃を振り上げた途端、酷い目眩がした。貧血だっ。クソっ! 日渡りの身体が弱過ぎるっ!!
「ギェヒッ!」
縁斬りは嗤って鋏の身体でフラ付いて血の渦も解けたあたしにとどめを刺しに掛かった。だが、景色の壁を突き破って飛び出したシカオが身代わりになって突き刺された。
「シカオ!」
「命の使い所、ってね」
笑ったシカオは周囲の景色ごと八つ裂きにされた。
「ギェゲェゲェヒィッッ!!!」
縁斬りは嘲笑ったが、あたしは既に増血剤を口に入れ、噛み砕いていた。血液強化の弾丸をフルパワーでブッ放すっ!
「ギェッ??」
鋏を砕いてやった。
「遅れたぁっキィーーッック!!!」
「同じくごめんねっ☆」
ワコと共に景色の壁を突き破ってきたコウタが燃える足で縁斬りを近くの無人よ公園に吹き飛ばし、ワケは爆炎を上げて遊具に直撃した縁斬りに竜巻を放った。
「ギェヒィイイーーーッッ!!!!」
雨の中、大量の水蒸気を噴出させながら炎の竜巻に包まれる縁斬り。なんの隠しの術もできてないが、後で蛇達に記憶や記録を改竄してもらうしかない。と、
縁斬りは炎の竜巻を折れた鋏で両断して解き、さらに景色を斬る斬撃をあたし達に飛ばしてきた。
「ぐっっ」
「痛ぇっ」
「ちょっ、もうっ! 斬るのは好きだけど斬られるの嫌ーいっ!!」
なんとか景色ごと斬られるのは耐えたが、纏めてズタボロにされた。どうする? もう血管がヤバいが、もう1錠飲むか? いや、1度死んだらどれくらいのインターバルがあるんだ? 短いならわざと突っ込んで・・
あたしは荒い息で思案していたら、
「よいしょっ!!」
透明化していた大きな毛玉のようになって公園の中空に浮いていた縁斬りの背後に現れたシカオが、毛玉を解き、キュウソの蛮刀で縁斬りを真っ二つに叩き割った。
「ギェヒィイイーーーッッエエエーーーッッ??!!!!」
凄まじい咆哮を上げて周囲の景色をデタラメに切断し始める縁斬り! シカオは慌てて宙を蹴って飛び退いたが一太刀受けていた。
切断は縁斬りの周囲に止まらず、街その物を斬り始めたっ!
「これはマズいでござるな」
あたしの近くの景色を小さくサクっと斬って、今頃小太刀の姿に目玉を1つ出したアゲハ丸が姿を現しやがった。
「遅いっ!」
「いや拙者、同じ刃物故か警戒されて『ぶらじる』とかいう国に飛ばされてたでござる。それより、このままでは市ごとヤツの世界に斬り離され、こちら側に復帰するのに難儀することになるでござる。とっとと始末するでござる」
「だが、もう血が・・」
「そこにちょうどいいのが『2つ』あるでござる」
アゲハ丸に促され、あたしはボロボロで血塗れのコウタとワコを見た。
「おっ?」
「ちょ? 待って。私達はマキコみたいに増血剤ですぐ回復とかそんなデタラメにできてな」
「逆巻けっ!!」
あたしはアゲハ丸を手に、黒のケープではたいて支配権を強奪したコウタの燃える血とワコの烈風を起こす血を巻き込んで血の渦を造り出した!
「おほぉーっ???」
「ちょおっ、もうーーーっっ!!!」
魔物だし、命のストックもあるし、いけるだろ? あたしは構わず血の渦を纏って、崩れかけた屋根から飛び出した。
「ギェヒィーーーっ!!!!????」
錯乱したまま連打してくる景色を斬る斬撃を躱し、接近すると、燃える血の渦で右半身を焼き払い、烈風の血の渦で左半身を切り刻んでやるっ。
「ギェイイッッ??!!!」
「ギィギィうるさいんだよっ!!!」
あたしは交錯様に縁斬りの縦に斬られた左右の半身をアゲハ丸で横にも両断してやった。斬り口から錆びた金属のような血の蝶が溢れ出すっ!!
「ギェェイイゥウウウーーー・・・ッッ」
萎れてゆく縁斬り。勝ったな、と思っていると、
「間に合ったぁああっっ!!!」
景色の壁を破って手勢を率いた蛇の上役達が現れて、術で陣を張って死にゆく縁斬りを捕らえた。
「なんだ? もう縁斬りは死ぬぞ?」
「いえっ、姐さん! 身体が残ってる内に対価にして街を元に戻します。被害者もただの人程度ならある程度なら戻りますのでっ!!」
「ああ」
縁斬りは砕け散り、術の陣に組み込まれ、止まぬ雨の中斬り裂かれた街の復元が始まった・・・
その日の昼休み、あたし、シキオ、一応白衣を着たワコ、自分の町まで戻る気力が無かったコウタは高校の保健室でグッタリとしていた。平気そうなのは人間体のアゲハ丸だけだ。
「・・あと2回もこのレベルで来るんだ。ワリに合わなーい」
「苔餅1個じゃ足りないぜ・・」
「アレは希少だからね」
「取り敢えず次は人家からもっと離れてやろう。攻撃の規模が馬鹿みたいなヤツだ」
「藤老仙には借りがあるでござる」
「お前、それしか言わないな」
「ふん?」
あたし達がダラダラしていると、人の気配! 知ってる2人っ。しまった! 油断していた。アゲハ丸以外は慌てて『それらしい感じ』に体勢を改めた。
「草ヶ部ぇ、貧血大丈夫かぁ?」
「購買にプルーンジュース無いからトマトジュース買ってきたよ?」
村坂と田島が入ってきた。
「あれ? 北森ぃと揚羽ぁ、居たんだぁ」
「うん、草ヶ部さんが心配でね」
「草ヶ部のある所に揚羽有り! でござるっ」
「なんか凄いね・・あれ、君は??」
コウタに気付いてしまう田島。
「気にするな! 俺様は通りすがりの中学番長だっ」
「?? そう、なんだ・・えーと?」
「ま、いいじゃんいいじゃん! それよりなんか色々買ってきてんじゃないのー? この東風谷先生の保健室にもお菓子のストックが結構あるよー?」
「なんと! 豪気なっ」
「いいんですか?」
「人気取りだから、素直に買収されとこうぜ?」
正直、具合悪いのでトマトジュースでもキツいくらいだが、これも縁。田島と村坂と話せるのも改めて有難い。
あたし達は軽く保健室で菓子パーを開くことにあいなった。