4.お祖母様のように、素敵な旦那様が見つかるでしょうか?
『婚約は只の婚姻の約束です。破棄され、不幸に突き落とされる可能性の方が高い。婚約者に心を許してはいけません。わかりましたね?ルルーシャ』
幼い頃から祖母に言い聞かされていた言葉が脳裏に蘇る。そうだ、あれ程心に誓ってきたのに──
「クソったれ…ですわ……」
いつの間にか絆されていたのだろうか。心の何処かではジークフリードはこのまま自分を好きで居てくれるのではないかと思っていた。
こんなに簡単に違う女性に気持ちが傾くのだ。きっと婚約破棄され不幸に突き落とされるのも時間の問題だ。
「良かった、ちゃんと、切り替えられますわ……」
だってルルーシャはずっと、その為に心を許さず、ずっと信用せずに、ジークフリードから伸ばされた手を取らずに生きてきたのだから。だから大丈夫……。
そう思うのに、何故か涙が溢れてくる。
『大好きだよ…ルルーシャ』
その言葉が、本当は嬉しかったなんて、きっと錯覚だ。仲睦まじく裏庭の方へ消えていった二人を、ルルーシャは追いかけることはしなかった。
そのまま踵を返し、自分の心にしっかりと蓋をした。それからルルーシャは学園に行くのも、王妃教育も全て止めた。ジークフリードの前から忽然と姿を消したのであった。
◆◆◆
「ルルーシャ、このお菓子も美味しいわよ。沢山食べなさい」
「ふふ、やっぱり公爵領のお菓子は王都とはまた違う美味しさですわ!!」
ルルーシャはハイゼット公爵領で過ごす祖父母の元へ身を寄せていた。突然現れた孫の悲しそうな表情に、全てを悟った祖母マーマリアは何も聞かずに愛しい孫を只々甘やかしていた。
「ルルーシャ、私の昔話に付き合ってくれるかしら?」
「お祖母様の…?」
「ええ。私の祖国のアゼストン王国ではね、あるお芝居が流行っていたの。王子様と平民の娘との物語でね、王子様の婚約者が二人の仲を邪魔して『悪役令嬢』と呼ばれていたの」
突如語られる話に、ルルーシャは今も美しさを保っている祖母の瞳に哀しい色が灯るのをじっと見つめていた。
「丁度そのお芝居と同じように、私の婚約者だった王太子殿下も位の低い娘と恋仲になってね。お芝居人気に便乗して、私に冤罪を着せて断罪し、婚約破棄した末に国外追放したのよ。誰もが二人の恋を応援した。私は『悪役令嬢』にされたの。失意の底で誰も信じられなくなった私を救ってくださったのが旦那様よ」
祖母の言っていた『悪役令嬢』の真実を聞かされて、胸が圧し潰されそうになった。いつも凛として気高い祖母だけれども、どれ程辛かったのだろう、悔しかったのだろう。
「旦那様が心から愛して下さって、私は今の私を取り戻せたの。それでね、思ったのよ。あんな愚かな婚約者に振り回されるのは勿体ないって。幸せになる為の踏み台にしてやろうって、いつか再び会ったとしても、後悔させるくらいいい女になってやろうって、そう決意したの」
凛としたマーマリアの声には自信が漲り、その表情は息を呑むほど美しかった。そして、鬱々としていたルルーシャの心の霧を晴らすように、その力強い瞳が向けられる。
「私を陥れた王太子殿下はね、その後あんまり治世が上手くいかなくて、失墜したんですって。アゼストン王国で今流行っているお芝居はね、『悪役令嬢』が主役になって、新たな幸せを掴むお話みたいよ。ねえ、人生どうなるかなんて分からないでしょう?」
「はい……、そうですわね。婚約者など信用いたしませんわ。わたくしも、お祖母様のように、素敵な旦那様が見つかるでしょうか?」
ジークフリードのように、毎日毎日愛を囁き、重たいほどの愛情表現をして、いつの間にか心に棲みつき、呆気なく出て行ってしまうような人では無く……永遠の愛を誓えるような…そんな素敵な旦那様が欲しい…そうルルーシャが願った瞬間に、何故か後ろからゾッとするような気配を感じた。
「そうだね、ルルーシャは私の妻になり、マーマリア様のように素敵な家庭を築くのだろう?」
「っ!!!?!?!?!?」
慌てて振り返ると、何故か其処には絶対零度の冷たい微笑みを浮かべるジークフリードが立っていたのだった。
「で、殿下!?な、何でここにっ!?」
「愛する婚約者が居なくなってしまったのならば、迎えに来るのは当然だろう?」
当たり前とばかりにルルーシャの手を取り、口付けするジークフリードにルルーシャは何故か鼻の奥がツンとして泣きそうになった。
「だ、だって……、殿下は、モモさんと……」
「何を可愛い勘違いをしたのかは知らないけれども、彼女は退学、貴族を魅了したとして刑に処されたよ。もう一生牢からは出て来られないだろうね」
「ふぇっ!!!?」
信じられない言葉が沢山ありすぎて、ルルーシャは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「魅了……?退学……?殿下はモモさんと恋仲になったのではないのですか!?だって、あの時腕を組んで仲睦まじくされていましたわ!わたくし見ましたもの!!」
ルルーシャが捲し立てると、ジークフリードは目を丸くして、そのまま宝石のように青い瞳を細めた。
「ああ、可愛いルルーシャ。大好きだよ」
「っ──!?」
「嫉妬してくれたのだろう?」