7 瞬一&夏実
「…夏実?」
僕は恐る恐る、確認する。間違いないと思いつつ、理性はそんなはずはないと言っていた。夏実が今日この日に電話をかけてくるはずがなかった。
「うん」
「どうした?」
「誕生日、祝ってもらおうと思って」
「ああ…おめでとう」
「さては、忘れてた?」
「え?いや…そんなはずはないだろ」
僕はおどけた声を作って返す。
そうさ、忘れてたさ。今日の朝までは、忘れているつもりだったさ。
今夜は聖夜だろう。恋人たちの邪魔をしないようにと僕なりに考えていたさ。
それなのに、どうして声が震えてるんだよ。
「まあ、プレゼントも何もないけど」
「プレゼントか。…何もらおうかな」
「…誰もあげるなんて」
「え?」
「いやなんでもねえよ」
ふふ、と電話の向こう側で笑う声がした。ひゅっと喉が鳴ったようなノイズは気のせいだ。あるいは窓の外の風の音だ。
「初詣、一緒に行ってくれないかな」
そんなことでいいのかよ、という言葉を飲み込んで、僕は明るい声を出す。
「夏実、正月帰ってくるんだ?」
「うん。今決めた」
「…今?」
「うん。今」
「分かった。せっかくだから二年参りにしようか」
「うん。約束」
約束。
電話を切ってから、少し泣いた。
昔から、泣くときはいつだって一人だった。
両親があまり家にいなかったから。人に甘えるのが下手だから。
そんな風に理路整然と説明しないでほしいけれど、どちらも事実だった。
瞬一は、震える声に、気づかないふりをしてくれたのかな。
後から後から、頬を伝う涙を必死で拭いながら、私はなんで、と思う。
こんなに泣くなんて。
おかしい。おかしいよ。
人は、辛い時に泣くものだと思っていた。悲しい時に泣くものだと思っていた。
そういう涙は、よく知っていた。我慢することに慣れていた。
でも、こういうのは、堪えられない。
人は、辛い時、悲しい時、誰かの優しさが身に沁みて、泣くのだと思った。
そういう優しい涙もあるのだと、初めて知った。
駅に着くと、瞬一が待ってくれていた。黒いジャケットのポケットに両手を突っ込んで、寒そうに首をすくめている。
視線が合い、私はスーツケースを押しながら軽く手を振った。
瞬一はポケットから手を出さず、代わりに肩をゆすっている。相変わらず寒がりな奴だ。
「そんなに寒いならマフラーとか手袋すればいいのに」
「…あー…。忘れた」
「面倒だししばらくの間だからいいやってなったんじゃなくて?」
「…ばれた?」
「…やっぱり」
得意げに笑う。毎日のように顔を合わせていた頃みたいに。変わらないことに安心した。
「そういうお前も寒そうじゃん。手袋は?」
見れば、知らず知らずのうちに手を合わせていた。その指先に、瞬一がポケットから手を出して触れる。
思いがけず温かかった。
「ぬくいだろ」
「うん。なんで?寒がりのくせに」
「心があったかいから」
瞬一がにやりと笑って手を離す。その手にはカイロが乗っていた。
「あ、なんだカイロじゃん」
「欲しい?」
「欲しい!」
「あげません」
「えー…」
「ほら早く行こうぜ」
「あ、待って靴紐だけ結ばせて」
しゃがみ込む私を尻目に瞬一はさっさとスーツケースを引き取って歩き出してしまう。
「ちょっと待ってよ」
立ち上がり、追いつこうと駆け出すと、瞬一は立ち止まった。
こちらを振り返り、ほい、と白いものを投げてよこす。
反射的に手を伸ばして受け取ると、それはカイロだった。
「…いいの?」
「あげねえよ、貸すだけ」
「…ありがと」
素直じゃない。本当に素直じゃない。だがどこまでも優しかった。