5 夏実
7月。付き合って2ヶ月も経っただろうか。彼を坂下君と呼ぶのにようやく慣れてきた頃だった。
彼の話に、菜々子ちゃんの名前がたびたび出てくるようになった。小柄で、髪はロング。くるくるしてると言っていたから、きっといつも綺麗に巻いているのだろう。コーヒーは飲めないが、キャラメルマキアートは好きなんだそうだ。
菜々子ちゃんの名前が出るたび、きりりと胸が痛んだ。あの時、彼女に会いに行くように言ったのは私なのに。なぜこんなに顔も知らない女の子についての情報が増えていくの。ひょっとして、いや多分、彼は、私といるよりも彼女といるほうが楽しいんだ。不安が黒雲のように膨らみ、ざらざらと心に波が立つようだった。
けれどこれは私の問題で、二人は何も悪くなかった。普段よりも饒舌に話す彼に、笑って、そうなんだ、と答えるしかなかった。
それからずるずると、特に何も進展しないまま時が過ぎていった。
夏休みに入ってすぐ、図書館帰りにアイスコーヒーを飲みたくなってカフェに立ち寄った。彼と2,3度入った店だった。
冷房の効いた店内に入ると、窓際の席に見覚えのある後ろ姿が見えた。隣には、見せつけるように白くて細い脚を出したおしゃれな女の子。彼女はぷるんとした唇にストローをくわえ、キャラメルマキアートを飲んでいた。
別に、何をしていたわけでもない。彼にも女の子の友達くらいいるだろう。
けれどそのままアイスコーヒーを頼む気分にはなれなかった。黙って会釈をし、逃げるように店内を出た。
その晩、私は携帯を手に長い間迷っていた。無性に瞬一の声が聞きたくなっていた。
瞬一と連絡先の交換はしなかったが、彼の電話番号は一方的に知っていた。私の東京行きを聞いた瞬一の母親が、気を利かせてくれたのだった。
さあ、どうする。
私の中で、私でない誰かが問いかけてくる。
連絡先に登録されていない番号は、名前が表示されないはずだ。私からの着信だとばれることはないだろう。かと言って知らない番号の電話に瞬一が出るかは分からない。五分五分の賭けなら、賽を振ってみてもいいんじゃないか。
震える手で画面をタップする。ぴ、ぽ、ぱ、と懐かしい電子音を、4桁まで聞いて、やっぱりやめた。
瞬一が出ても出なくても、どうしようもない気がした。
今の私は、耳元に届く声にうまく笑える自信も、虚しく遠ざかる呼び出し音をただ聞いている自信も持ち合わせていなかった。