目覚めの時⑧
ペキ達が帰路に着いたのは、とっぷりと日が暮れてからだった。
ペキは病院の前で車を降りると、
「今日はその…ありがとう。オモチにもそう伝えておいてくれ。」
いつの間にか眠ってしまったオモチの寝顔を見ながら、照れくさそうにそう言った。
「こちらこそありがとう。オモチのやつ、嬉しそうな顔して寝てるよ。…じゃあ、また明日な。ちゃんと寝るんだぞ。」
「ああ、分かってるよ。」
ペキは、ジンジャー達を見送ると少し伸びをし、病院の扉を開けた。
「あ!やっと帰ってきた!みんなお待ちかねよ!」
「んもう!夕食、無理言って残してもらってたんだからね!」
自室へ向かう途中、何人もの看護師にちょっかいを出される。
「悪い、疲れてるから…。」
その度にかわそうとするが、看護師の波はなかなか終わらない。
「ハイハイハイ!ハンバーグはアタシが食べるわ!あんた達、仕事仕事!散りなさい!」
パンパンパン!と手を叩きながら、清潔な制服を大胸筋に張り付かせ声を上げる。カミュールだ。
「あっ!肛門科の!」
「あなた、新人…じゃないわよね?」
訝しむ目で見られる前に、カミュールは威圧を掛けた。
「あんた達!患者さんが疲れてるのが分からないの!?……他にもする事あるだろうが!!」
「すっ、すみませぇん!」
「声…低くない…!?」
圧倒された看護師達は散り散りに逃げて行った。
「ふんっ、色目使っちゃって!ほんとイヤんなっちゃう!…さ、アナタ。部屋でゆっくり休みなさいな。」
さっきの剣幕は何処へやら、カミュールはペキの肩を優しく叩くと、部屋へ促した。
「お、おう…。ありがとう…?」
ペキは怪しみつつも、部屋へと続く道が開けた事に一応感謝した。
「…ペキ…。何か思い出せたならいいけど…。」
カミュールは、ペキの背中を見送りながら呟いた。
外とは違い、色も無く消毒液の匂いのする部屋の中で、ペキは今日の事を思い返した。町の喧騒、オモチの笑顔、芝生の香り、ピザの美味さ、そして、天使の…。ちゃんと寝るんだぞ、と言われたものの、ペキは中々寝付けないでいた。
「真っ白な羽…。」
ペキはゆっくり目を閉じて、もう一度その感触を思い出してみる。どこまでも柔らかく、優しい肌触り。透き通るような純白に、目が眩みそうになる。しかし、同時に暗く深い迷路の中に入って行くようだった。何故こうも鮮明に覚えいるのか、ペキには全く思い当たらないのだから。
「俺は…。俺は一体何者なんだ…。」
誰も俺を知らない。分からない。そして、助けてくれない。誰も…。誰か…。
孤独な闇が、ペキの心を覆い尽くそうとする。しかし、真っ暗な闇の先にふと、あの教会のステンドグラスの透明な影が伸びた。
―ママ、天使様たちと一緒で幸せなのね!―
教会で見たオモチの優しい笑顔を思い出した。
「オモチのヤツ、俺の名前考えてもいいって言ってたな…。」
大きくなりすぎたという金魚の話を思い出し、ふっと笑みが溢れた。
「二人とも、もう寝たかな…。」
ペキはベッドに潜り込むと、そっと目を閉じた。