目覚めの時⑥
ペキは流れる街並みをずっと見ている。
「何を考えているんだい?」
ジンジャーはペキの様子を気にして尋ねた。
「この町のどこかで、俺は生まれたのかな。」
見たことの無い家や店しか無かったが、そうであれば良いのにと、ぽつりと返事をした。
「あ!じゃあさ、もしかしたら案外ご近所だったりして!私たち、どこかですれ違ったことあるかも!」
すかさずオモチが嬉しそうに言った。
「ね、パパ?」
「ああ、オモチの言う通りだ。近くの学校に通っていたかも知れないなあ。」
「そっか…。そうだよな、それも有りだよな!」
ペキの顔が少し明るくなった。
「じゃあその辺を一回りしてからお昼にしよう。」
一時間ほど車を走らせ町の中を見て回ったが、さすがにオモチが退屈さを隠せなくなってきた。
「ねえ、私アイスが食べたい。」
「アイスもいいけど、ご飯が先だよ。食後のデザートに…。」
「アイスね!」
「君もお腹空いただろ?ここの近くのピザが結構美味くてね、よく食べてるんだ。公園で一休みしながら腹ごしらえだ。」
ジンジャーがバックミラー越しにペキに話し掛ける。
「そう言えば…。確かに腹減ったな。」
初めての外出で何か手がかりが掴めるかもと緊張したせいで、朝食が余り食べられなかった事を思い出す。
「オモチはいつものパイナップルが載ったやつがいいだろ?君は…、そうだな、ベーコンやらソーセージがたっぷり載ったやつにしよう!」
ジンジャーは車を停めると、オモチとペキを残してピザ屋に走った。
車の中に、少しの沈黙が流れる。気まずいと思う前に、ペキが独り言のように呟いた。
「俺、ピザって食ったことない。」
「え!?」
オモチが驚いてペキの方を振り向く。座席にしがみついて、ペキの顔をじっと見つめた。
「あなた、ピザも食べたことないの!?」
「あ、ああ。でも、ハンバーグとかオムライスなら食ったことあるぞ。」
「どっちも美味しいけど、ピザも美味しいんだから!あのね、ピザっていうのは…。」
オモチが身振り手振りでピザの魅力を語ってくれた。まるくて、ひらたくて、いろいろのってて…。想像できない色や味に、ペキの瞳は少しばかり輝いた。
「パパ、忙しいでしょ。それにうち、ママがいないから…。よくレトルトとか出来合いのもの食べるの。でね、その中でもここのピザが一番!」
オモチは一瞬寂しそうに俯いたが、すぐに顔を上げて満面の笑顔を見せた。
「…そっか。オモチの話を聞いたら、俺も早く食いたくなったぜ。」
「お待たせ〜。いやぁ、つい買いすぎちゃったよ。」
二人で笑っている所に、ジンジャーが大きなピザの箱を五つも抱えて戻ってきた。
「あ!パパってば、買いすぎでしょ!」
口調は怒っているが、オモチの表情からは嬉しさが溢れ出ていた。ペキは、自分の横に積まれた箱から漂う良い香りと、そのオモチの顔を見て、知らぬ内に微笑んでいた。
「これがピザか!」
オモチが箱を開けると、ペキは思わず声を上げた。想像していたよりも大きな丸い生地の上に、見た事のない色とりどりの野菜や色んな形の肉が、たっぷりかかった馨しい香りのチーズの下で見え隠れしている。
「こっちの箱はあなたが開けてみて!」
「おお…!」
焼き立てのふわっとした蒸気と共に、チーズとカリカリに焼けたベーコンの香ばしい香りがペキの顔を撫でて行った。
「さ、好きなだけ食べてくれ!」
「じゃ、みんなで…。いただきます!」
オモチの声と同時に、ペキはピザを切り取る。熱いチーズが垂れるのも構わず頬張ると、濃厚なベーコンの油が、とろけたチーズの旨味が、ペキの口いっぱいに広がる。
「ろぉ?ほいひぃれひょ?」
ペキと同じく頬を膨らませたオモチがペキに訊いた。ペキは大きく頷きながら、早くも次のピザを切り取ろうとしている。オモチはそんなペキの姿を見て、得意気に笑った。
食事は心を和ませる力があるらしい。オモチが楽しそうにクスクスと笑うと、続いて二人も笑った。三人が座っている公園の芝が、穏やかな風に揺れている。
「ねえ、何か思い出した?」
箱に取り残されたパイナップルの欠片をつまみながら、オモチが尋ねた。
「全く!なんにも思い出せない。笑うしか無いよな。」
早くも食べ終わり満足気に芝生に仰向けになっていたペキは、遂に潔く言った。
「大丈夫!本当に何にも思い出せない時は、私があなたの名前を考えてあげるからね!」
思わず芝生から上体を起こす。
「オモチが俺の名前を!?さすがにそれは遠慮するぜ…。」
「心配しないで、名前を考えるのは得意だから!飼ってる金魚の名前も私がつけたのよ!」
そう言いながらオモチはペキの肩をポンと叩いた。
「金魚って…。」
ペキは呆れてジンジャーの顔を見たが、ジンジャーはニヤニヤ笑って首を振るだけだ。
「何なんだ、このお節介父娘は…。」
しかし、無邪気なオモチの笑顔を見ると、仕方ない奴だなと自分も笑ってしまうのだった。