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ペキ!ー翼の無い戦士ー  作者: 七尾の狐
目覚めの時
1/88

地上に落とされた戦士

死に際の天使が、悪魔に向かって渾身の力で矢を放つ。笑いながらそれを避けた悪魔の背中に、後ろにいた天使が槍を突き立てた。悪魔は塵となり、矢を放った天使は煌めく光となって、地上に雷雨となり落ちていった。

天使のラッパが遠くで聞こえる。

「ミリング!下だ!」

天使が叫んだ。ミリングは白く大きな翼を翻し、飛んできた斧の持ち手を掴み取り投げ返すと、それは悪魔の胸に突き刺さった。悪魔は悲鳴を上げながら塵に変わる。

「危ないところだ!ありが…」

ミリングが礼を言おうとした相手は、既に煌めく光の粒と化していた。

見上げれば、どこまでも行けそうな美しい青が広がっているが、地上は荒れ果て、そしてこの天空では、天使と悪魔の熾烈な戦いが続いていた。


悪魔の軍勢が、漆黒の羽を広げ怒濤の勢いで襲いかかって来る。悪魔達は優勢を誇っていた。

「ウリエル!後ろ!」

一人の天使が叫んだ。ウリエルは振り向き様に

「きたねぇ顔を見せつけるな!」

そう言うや否や悪魔の顔を殴り飛ばした。

「誰か助けてー!」

戦場に似つかわしくない叫び声がミカエルの耳に飛び込んできた。この野太い声はカミュールだろう。ミカエルは、翼を翻すと彼の所へ駆け飛んだ。赤銅色の槍を構えた先には、ミカエルの胴体ほどもある腕を持った悪魔が、カミュールの腕をねじり虹色のアームレットを押し返さんとするところだった。悪魔はカミュールの腕をベロリと舐めると、

「旨そうじゃないか。」

と舌なめずりをした。

「う、うっわ~!止めて!腕が腐る~!ミカエル早く助けて!」

「カミュール!足を使え!」

「ヤダ!だってこの体制からだと脚を思いっきり上げないといけないじゃないのよ!スカートがめくれちゃうわよ!」

ミカエルは、カミュールの逞しい脚をチラリと見やると小さなため息を漏らし、赤銅色の槍を悪魔めがけて放った。一瞬にして塵になった悪魔を見てカミュールは、

「ありがとう、私、スンゴク怖かった。絶対ミカエルが助けてくれるって信じてたの。」

ミカエルにもたれ掛かりながら瞳を潤ませた。

「いいか!お前は強い天使なんだ!男でも女でもどちらでもいいからしっかり戦え!」

ミカエルはその太い腕を掴んで引き離すが、カミュールは無理やりにじり寄り耳元で囁いた。

「アタシ、ミカエルの前では女なの。」

「全く、もう!」

ミカエルがカミュールの側を離れようとしたその時、頭上をとてつもない速さで通り過ぎる者がいた。

「ルシファー!」

「ルシファー様!」

どこからともなく声が聞こえる。

ルシファー、闇の帝王。

強大な力を持つ魔王は、最強の悪魔を従え天地の支配者である神を倒すべく突き進んで行く。ガブリエルが叫んだ。

「ミカエル!何やっているんだ!ルシファーが神の所へ向かったぞ!」

ミカエルは、過ぎ行くルシファーを悲しげな目で追った。

「何故だ、何故なんだ!教えてくれ、貴方はそんな方ではないはずだ…。」

ルシファーの姿を見送ると、ミカエルは項垂れた。カミュールが心配してミカエルの顔を覗きこむ。

「ねぇ、大丈夫?」

ミカエルは大きく深呼吸しながら瞼を閉じると、

「大丈夫だ。」

と、ゆっくりと瞼を開け、大きな翼を翻しルシファーの元へ急いだ。

ガブリエルはルシファーの行く手を阻止しようと短刀を構え放ったが、それはルシファーの手の平に刺さるとジジッ、と音を立てながら跡形もなく溶け消えた。

「な、なんと!神から授かった光の短刀を溶かすとは…不届き者にもほどがある!」

「ガブリエル、お前ごときにこの私が倒せる訳ないだろう。」

近くにいた天使の弓矢がルシファーの耳をかすめていった。ルシファーがそちらに目をやる前に、隣にいた悪魔ガザーザが自分の黒い羽根を一本抜き取り、青黒く死人のような口元を軽く巣簿目てフッ、とその天使に向かって飛ばした。それは飛びながら矢尻に姿を変え、天使の額を貫通するとまた羽根の姿に戻り、ブーメランのようにガザーザの羽の中に戻った。ガザーザは天使が落ちていくのを見た後振り返り、

「ここは俺とアンチョに任せて下さい。」

「ああ、頼んだぞ。」

ルシファーの青く澄んだ瞳は、彼方に在る神秘に満ちた深い霧を見つめていた。

「行くぞ!」

そう言うと十枚は有ろうか漆黒の翼を翻し飛び立った。まだ幼さが残るサルマンダはルシファーの側を片時も離れず、小さな羽を必死に羽ばたかせ付いていく。暫く飛び続けるといよいよ霧は目の前に迫った。

「この辺で良いだろう。」

そう言うとルシファーは羽ばたくのを止めた。

「ルシファー様。俺が一つ波動砲をお見舞いして神をビックリさせてやりましょうか。」

そう言いながら、サルマンダは額から生えた小さな丸い角を撫で愛想笑いをして見せた。

「解らないのか?神は全てお見通しなんだ。我らが此処に立って居ることさえもだ。」

ルシファーは冷ややかにそう言った。

「私が炎龍を作り出してる間に、お前はその羽でこの霧を吹き飛ばせ、分かるな?」

「はい。その後俺が気砲を乱れ撃ち、ですね?」

サルマンダはルシファーの考えに心から感心すると大きく頷いてみせた。

その時、何やら後ろの方で声がした。

「ルシファーー!何を考えてるんだ!止めろー!」

「ちっ。ミカエルが追い付きやがった!俺がちょっと応援に行きましょうか?」

「ガザーザに任せておけ、ミカエルが此処に来るまでに決着を付けるぞ!」

そう言うとルシファーは両腕を真っ直ぐに伸ばして手の平を怪しげに回し始めた。バチッ、バチッと火花が散り始める。それを確認するとサルマンダはルシファーの側を素早く離れ、少し高く舞い上がると小さな羽をゆっくり羽ばたかせ始めた。1回羽ばたかせる毎に羽は大きくなっていく。やがて羽はサルマンダの何倍もの大きさになり、ゆっくりと力強く、深い霧を扇ぎ始めた。

火花は激しく、大きく音を立てる。サルマンダが扇ぐ。ゴオオッと不気味な音を立て霧が流れる。ルシファーの長い金色の巻き毛が強い風に煽られ、涼やかだった目は吊り上がる。眉間に皺を寄せ渾身の力を指先に込めると、白く透けるような肌が赤く変わっていった。薄れゆく霧の奥で、神はルシファーを見つめていた。

「美しい顔が台無しじゃないか。」

ルシファーの手の動きが大きくなるにつれて、燃え盛る竜が形造られていく。

「出でよ!我が化身、炎龍よ!その体で全てを焼き尽くせ!!」

遂に、雲ひとつの塊程もある炎の龍がルシファーの前に現れた。炎龍は、ルシファーの腕の動きと共に火を吹きながら旋回する。

「龍だ…!龍だぞッ!!」

天使がラッパを吹く。

ミカエルは、炎龍が形を成していくのを、ガザーザに阻まれながら見ていた。全てを焼き尽くさんと炎を吐き続ける炎龍の側で、神を見据えるルシファーに、悲しみよりも怒りが湧き上がる。

「ルシファー…!あの龍で神を倒そうと言うのか!駄目だッ!そんな事はさせない…!絶対にそんな事はさせないぞ!ルシファァァァア!」

カミュールは、茫然と立ち尽くすウリエルの腕にしがみつき、

「ミカエルを止めて!お願いだから止めてちょうだい!ミカエルが…死んじゃうわ…!」

と言いながら泣き崩れた。

ミカエルはガザーザの羽を掴むと思い切り引きちぎり塵になる間も与えず地上へ叩き落とした。ガザーザの悲鳴が遠くなっていくと、更に悪魔はミカエルの行く手を阻止しようと戦いを挑む。

霧が晴れるまでにそれほど時間はかからなかった。サルマンダは腰を曲げ腕を膝で支え荒い息をしている。

「良く頑張ったな。」

ルシファーが声を掛けると、サルマンダは嬉しそうに笑った。体制を立て直し羽をまた背中に収まるように小さくすると、両の拳を耳元迄持っていき、ゆっくり目を閉じた。次の瞬間、血走った目を見開き腕を伸ばすと、奇声と共に手の平から溜めたばかりの気が縦横無尽に飛び出して行った。

「何と愚かな事を考えたものだ。だが知っておろう?私はちと意地悪でな。」

杖を頼りに神は立ち上がった。ボサボサの白く長い髭と髪の隙間からルシファーを見据えた。サルマンダの気の塊が神の肩を掠める。

「小賢しいのお。」

神は、サルマンダが飛ばした気の一つをひょいと杖で払いのけた。その時、ほんの一瞬放った光をルシファーは見逃さなかった。

「其所だ!」

ルシファーが腕を素早く動かすと、龍は一層大きく燃え上がった。龍は全てを飲み込むかのように口を開け、神目掛けて猛烈な勢いで迫って行く。

「来おったか!ならば此れを受け止めよ!」

神は杖を高く振りかざし、

「出でよ!強き男ッッ!!」

そう叫んだ。

次の瞬間、短く整った黒髪に、鋭い目、褐色の肌にはたっぷりと筋肉の付いた大きな若い男が龍の前に立っていた。

「な、何だ!?あの大きな男は!」

辺りがざわつく。強き男は腰に携えた剣をおもむろに抜いて龍の横腹を切りつけた。

「ギャアアアッ!」

龍は、辺りに火花を撒き散らしながら声を挙げ、怒りを露にして強き男目掛けて炎を口から吹き出した。すかさず強き男は龍の背中に回り剣を突き立てる。龍は堪らず反り返りまた奇声を挙げた。

と、その時。ルシファーの腕が大きく左から右へと動いたその瞬間、龍の尾が赤黒い炎の塊となり強き男の背中を叩きつけた。それはあっという間の出来事だった。強き男は炎と共に地上へと落ちて行った。

「強き男?今のが強き男だと?…ふふっ…。はっはははは!」

ルシファーの笑い声は神の所まで響き渡った。それはまるで自分の勝利を確信するかのような笑いだった。

「流石、なかなかやりおるなあ。…それでは、此れはどうだ?」

神はほんの少しだけ口角を上げると、

「出でよッ!!〝完璧〟ーーッ!!」

そう叫んだ。

神の声が空にこだます。一瞬、周りは静寂に包まれるが、すかさず彼方此方からざわめきが起こった。

「ペキ?」

「神は今、何と…?ペキ?」

カミュールが、

「ペキ、って…何なの?」

と辺りに聞いた。

ルシファーの笑う声が響き渡っていたので、恐らく皆、〝カンペキ〟の〝ペキ〟の部分しか聞き取れなかったのだろう。

ペキと呼ばれた男は、高笑いしているルシファーの目の前に霞と共に現れた。短い栗色の髪が風に揺れる。白く透き通った肌に印象的な切れ長の目、すっと通った鼻筋。少しにやけた唇の隙間からは、整った真っ白な歯が覗いている。細く引き締まった体まで、美しい。

ペキは拳を握りいきなりルシファーを殴ろうとしたが、ルシファーの手のひらがそれを阻止した。

「此れが私への挨拶か?」

ペキは更ににやけて、

「ああ、どうもあんたは俺の敵のようだからな。律儀に挨拶なんかしてたら後ろの龍に殺られるだろ?」

そう言うと左手を高く挙げて、

「来い、銀の雫。」

と、いかにも当たり前のように言った。すると、掲げた手の平から突風が巻き起こり、そこに呼ばれるようにして銀色に光る剣が現れた。それは何の飾り気も無い、しかし気高く真っ直ぐに剣身を伸ばす剣だった。白銀の光は眩しく、見た者の目すら切り裂きそうな鋭さであるが、目の離せない美しさがあった。

「それは!?…銀の…雫…!」

ペキの手に吸い付くように握られた銀の雫に、ルシファーは目を見開き狼狽えた。

「どうした?お前も…」

ペキは、言いながら後ろを振り返り、おもむろに龍の眉間目掛けて銀の雫を放った。

「このバカでかい蛇も。焦ってるじゃねぇか。」

銀の雫はペキの狙い通りに直線の軌道を描き、蛇と呼ばれた炎龍の硬く赤い鱗を突き破った。そして銀の雫は、ペキが手を掲げるとまたその手に戻った。

「くっ…!」

眉間に深く剣を刺された龍は、たまらず空をのたうち周り、尾を大きく跳ねらせる。ペキが、暴れる尾の先をひょいと避けようとしたその隙に、ルシファーは距離を取り空中に大きな円を描いた。ペキが再度向き直ったその時、切り抜かれた円の塊が空砲となってペキを飛ばした。その先には、辛うじて体勢を立て直した炎龍が口を開け待ち構えている。軌道を変える暇も与えられず、ペキはそのまま飲み込まれていった。

「……。」

ルシファーは、ほんの小さく息を吐いた。次の攻撃を喰らわすべく構えを取ろうとしたが、その間もなく龍が反り返り奇声を挙げた。

ルシファーの予想した通り、ペキの拳が龍の背中を突き破った。龍の背から出てきたペキの手には、熱く燃え滾る、溶岩のような心臓があった。

「あっつ!!心臓まで火の塊じゃねーか!さっさと始末しねえと俺まで燃えちまう。」

そう言うや否や、心臓を高く放り投げてルシファーに見せつけながら銀の雫で切り刻んだ。心臓は、最期の火花を散らすと同時に、炎龍も呆気なく火の粉となって消えていった。固唾を飲んで見守っていた天使達からは歓声が起こり、悪魔達からは怒号と絶望の声が溢れた。

ペキは得意気な顔でルシファーを見た。

「次はどんな芸を見せてくれるんだ?虎でも出すか?」

その言葉はルシファーにとって屈辱でしかなかった。

ルシファーは俯くと、肩を震わせた。

「フ…フフフッ…。」

「なんだァ?泣いてんのか?」

情けない顔でも見てやろうとペキが歩み寄ると、出した足の指先に鋭く冷たいものを感じ、ペキは本能的に身構えた。

「完璧、か…。」

ルシファーは変わらず俯いているが、暗く澱んだ空気が満ちていくのが分かった。ペキがふとルシファーの手を見やった。地と水平に開いた手から、赤黒い血がボタボタと零れている。

「お、おい…。」

ペキはその異様な光景に、つい声をかけてしまった。

二人の攻防に為す術なく見守るしかない天使達がざわめいた。

「ね、ねぇ…。ウリエルあなた、ルシファーのあんな姿…見たことある?」

カミュールがウリエルの衣の裾を震えながら引っ張る。

「見たことある訳ないだろ…。見えるか、あのミカエルも引いてるんだぞ。」

ウリエルの視線の先には、ミカエルが青ざめた顔をしている。神は、眉を顰めると、

「あの剣…。ルシファー、怨念を連れて来おったか。要らぬ事を…!」

と吐き捨てるように呟いた。

ルシファーの血の一つの雫が燃え、また一つの雫が燃え、それらが繋がりルシファーの手の平からは暗い炎の柱が造られていた。それはみるみるうちに剣の形を成し、ルシファーの手に握られていた。

「ルシファー…。」

ただ呆然と立ち尽くすしかないミカエルは、自分でさえも見たことの無い剣に震えた。

「ルシファー様…?」

いつもルシファーに対して尊敬の念を禁じ得ないサルマンダの背中を、氷の蛇が這った。

それは禍々しく、死人の血のような色をし、鈍い光を放っている。

「ふッ…!」

ルシファーはおもむろに顔を挙げると、ペキの体を斬り付けた。銀の雫がそれを遮り、高い金属音が張り詰めた空気の中に響き渡った。

「…ッ!!」

「お前ごときが銀の雫を…。笑わせるな!」

ルシファーは剣を離すと、なおも激しく斬りかかる。剣を振る度に、赤黒い血が溢れ出る。低く吐き気のするような絶望の囁きがざわざわと聞こえるが、これは幻覚か、現実なのか。並の天使なら、これだけで気が狂う事だろう。

しかし、ペキは嫌悪を顕にはするものの、平然とそれを受け続けた。銀の雫が、怨念の血を散らすように白銀色の火花を飛ばす。

「気味悪い剣を振ってくんじゃねーよ!」

ペキは、僅かにルシファーの動きが大きくなった瞬間を見逃さなかった。上からの斬りかかり

を避けると、瞬時にルシファーの背後を取った。

「くっ…!」

目線でペキを追う。避けようと飛び退くが間に合わず、銀の雫はルシファーの左頬を横から切りつけた。

「ルシファー!」

思わず、ミカエルがその名を呼んでしまう。が、すぐさま口を噤んだ。

「お前、強いんだなぁ。」

ルシファーの左頬から鮮血が流れる。ペキは避けられるのか、と感心したように頷いた。

ルシファーは、己の頬を熱い血液が流れるのを感じた。どれくらい振りだろうか、肉体が傷付けられたのは。

すぐさまペキに向き直るが、既にペキは大きく剣を振り下ろさんとしていた。ルシファーは剣でそれを受けたが、鈍い金属音と数々の悲鳴がしたかと思うと、剣は一瞬ぶわりと膨張し、呆気なく折れてしまった。

「…っ!」

「なんだ、そんなナリしてるからどうかと思ったが…。その剣、フツーに折れるんだな。」

ペキは笑ったが、怨念の剣はそれを見逃さなかった。折れた剣身は落ちながらもぬるりとした血の触手を幾本も伸ばし、ペキの腕と銀の雫に纏わり付いた。

「!?」

その血達は黒い炎となり、ペキの腕を蛇のように這い、そして銀の雫を覆った。

「熱ッ!いったッ!」

思わず、ペキはその手を離してしまった。

「しまっ…!」

笑い声は確かに聞こえた。堕ちゆく穢れた剣は、尚も美しい光を放つ銀の雫をその忌み血で抱きかかえながら笑っていた。

ルシファーは、怨念の剣が作ってくれた隙を無駄にはしなかった。すぐさま距離を取り両手を高く上げると、大きく黒い靄で出来た球を創った。それは、瞬きほどの時間だった。ルシファーの手から放たれたそれは、確かにペキに当たった。だが、悪魔達から歓声が沸くより先にその黒い空砲は消えていった。いや、ペキの体に吸われていった、と言う方が正しいだろう。

「今の技、もらったぜ。」

ニヤリと笑うと、ペキは先程まで銀の雫を握っていた右腕を伸ばし、ルシファーの何倍もの威力を持ってしてそれを放った。先程の黒い靄とは打って変わり、全てを照らす白く眩しい光だった。

「ルシファー様ぁぁ!」

それはあっけない幕切れだった。サルマンダの声がこだまする中、ルシファーは堕ちて行った。赤黒く変色した顔はゆっくり元の白い肌に変わり、禍々しく尖った角は解け金色の優しい巻き毛へと変わっていく。青く澄んだ瞳には、ルシファーを静かに見守る神の姿があった。

神の姿が遠くなると、ルシファーはゆっくり目を閉じた。

「貴様ァァァ!!」

サルマンダの涙は止まらない。食らい付くようにペキに掴み掛かる。

「なんだ?あいつの手下か?」

サルマンダは技を出そうと構えるが、技を放つ間も無く、

「悪いなぁ、お前のこと嫌いじゃねぇんだけどな。」

たった一撃、鳩尾に食らわされると堕ちていった。遠のく意識の中、サルマンダは血の滲む程歯を食いしばっていた。

「ウソだろ?ルシファー様もサルマンダも殺られた…。」

「やべぇ!圧倒的じゃねぇか!俺は逃げるぞ!」

「ルシファー様の仇を!」

「やってられるか!!」

悪魔達からは、混乱する声が次々に上がった。嘆く者、怒る者、泣き崩れる者…。

「あのペキとか言う男に遅れを取るな!」

ウリエルは弓を構えながら指揮を執り、

「戦いはまだ終わってはおらぬぞ!」

ガブリエルは既に一人、紫煙の刀で悪魔の首を討ち取りながら叫んだ。

「ミカエル…。」

カミュールは、ルシファーの堕ちた先を見続けるミカエルの元に翔け飛ぶと、そっと声を掛けた。

「ね、ミカエル。この戦いが終わったら、皆でピクニックにでも行きましょうよ!ね?」

「カミュール…。」

ミカエルは、カミュールの精一杯の笑顔に救われる思いがした。

「すまない、ありがとう。…さぁ、行くぞ!」

ミカエルは強く槍を握り直すと、翼を広げて飛び立った。

ルシファーやサルマンダが堕ちた後の戦いの終焉は速く、呆気ないものだった。

頭を無くした悪魔達はまるで勢いを無くし、塵となる者や地に堕ちる者など、天使達に残らず倒されていった。

天使達は勝利に喜びの声を上げ、ラッパを高く鳴り響かせた。その音は重なり、何処までも何処までも木霊した。


天使達は勝利を伝える為に神の所へ集まり跪いた。神は一人一人の頭に手をかざすと、

「祝福を。」

と言葉を述べた。

皆が喜びに満ちた顔で神からの祝福を受けている中、ミカエルはただ一人拳を握り締めペキを睨み付けていた。

「ミカエル…。ミカエル…!」

カミュールの呼ぶ声にはっと我に返り見上げると、いつの間にか神はミカエルの前まで祝言を述べに来ていた。ミカエルは慌てて頭を垂れると、神はそっと手をかざし、皆と同じように、

「祝福を。」

と言った。

そして、最後の一人、ペキ。

ペキは、胡座をかくと隣で跪くウリエルの真っ白で艶やかな羽を、撫でたり引っ張ったりしている。ウリエルの羽根がピクピクと動いて、

「おいっ!触るな!」

と、小さな声でペキに怒り、手を叩いた。

ペキは、やっと自分の所に来た神を見上げると、

「俺もこの羽貰えるのか?」

と聞いた。すかさずガブリエルが

「何と無礼なものの言い様!その口利けなくしてしまうぞ!」

と言うと

「ペキも天使の仲間入りなんだから、当然貰えるわよ。」

とカミュールがペキにウィンクをした。

「どうしたものかのぅ…。」

神は少し悩んだ様子で長く延びた弱々しい髭を撫でた。

「完璧なる者よ、お前は天使として創造したのでは無いのだ。この戦場において天使達を勝利に導く為の戦士として創造したのだ。」

「それじゃ俺を天使につくり直してくれ!その杖でちゃちゃっと、できるんだろ?爺さん?」

「お前バカか、神様にお願いするのに爺さんはないだろうが。」

ウリエルはペキの頭を押さえて、

「こうやってお願いします。って言わなきゃ天使にはして貰えねぇよ。ですよね、神様。」

とウリエルは神を見て言ったが神は再び髭を撫でながら、

「ミカエルよ。この戦士、お前ならどうする?」

「申し訳ございません!私の力が足りないばかりに、神様にその様な者迄創らせてしまいました。いっそ、私の羽をちぎりその者に付けてやれば…。そして、私を地の果てに落として下さい!」

ミカエルは自分の不甲斐なさにたまらぬ苛立ちを隠せなかった。

「へぇ、それなら俺はあんたの羽、もらってやっても良いぜ。」

「黙りなさい!」

ペキの言葉に神が怒鳴った。周りの空気は張り詰め、ウリエルはペキの頭を小突いて睨んだ。

「予期せぬ出来事はいかなる時もあるものだ。ルシファーとて例外では無かろう。」

ミカエルは涙を浮かべ、拳を握りしめた。

「私が止めたかった。いや、私が止めるべきだった。兄上…。」

「自分を責めてはならぬぞ。又完璧なる者も責めてはならぬ。よいな。」

「ミカエル…。」

カミュールも涙を隠さない。

「私は完璧なる者を地上の奥深くで眠らせようと思う。」

辺りがざわつく。

「それでは、その者は堕天使になるのですね?」

とガブリエルが言うと、

「天使じゃ無いんだから堕天使になる訳ないじゃない。バカな女ねぇ。」

と涙を拭いながらカミュールが言った。ガブリエルがカミュールを睨み付ける。ミカエルが神を見上げて聞いた。

「どういう事ですか?」

「この者は、怒りや悲しみ、喜びや憎しみ、まだ何も知らぬのだ。そして、やがて地上は混沌とした世界となるだろう…。いつか、眠りから覚めたなら…。その時、この者を人間の手に委ねようと思う。」

「この者って俺の事か?」

ペキが横から口を挟むと、カミュールがすかさず人差し指をちょっと厚めの唇まで持っていき、

「しーっ。」

と言いながらまたウィンクをした。

「ですがペキは戦士です!人間を襲うかもしれないのですよ!」

「戦士は悪ではないのだぞ。ミカエルなら解るであろう。」

「しかし…。」

神はミカエルを睨み付け、

「一度創造した者を、この神とて消し去る事は出来ないのだ!」

雲に叩きつける様に杖を振り降ろした。皆が神の怒りにひれ伏すと、神は顰めた眉を和らげ、微笑みながらミカエルに言った。

「私にはルシファーの鼓動が聞こえる。小さく消え入りそうだが、鼓動が聞こえるのだ。」

ミカエルはその言葉に驚き、

「おお…!神よ!」

と喜びの声を上げた。

「もしお前がルシファーに巡り会えたその時は、お前がルシファーの心を救ってやるのだぞ。」

「有り難うございます…。」

ミカエルが頭を垂れ、涙を流した。

「おいおいおい。何の話してるんだ?俺の話じゃねーのかよ!羽はどうなるんだ!?」

神は杖を完璧なる者へ向けると、

「ご苦労だったな、ゆっくり休め。」

ペキに向けた杖の先から細い光りが放たれ、ペキを包み込んだ。

「い、いやだ!俺も天使になるんだ!」

ペキが言う間もなく、一瞬で地上に落ちて行った。

「あんな一瞬で…。ちょっとカワイソウだわ。」

「ふんっ!神様にあんな態度を取るからこんな事になる!良いザマだ!」

「やれやれ。ちゃんと目覚めるのかねぇ?」

「…兄さん…。」

カミュール達は好き勝手話していたが、神の視線を感じ恐る恐る見上げた。神はにっこり笑うと、

「お前たち。他人事ではないぞ?」

「えっ?」

声を揃えてきょとんとする。

「先に言ったように、ペキは感情を何も知らぬのだ。ペキが目覚めた時、誰が助ける?誰が見守る?」

「ええっ??」

「ペキが道を間違えないよう。しかし己の力で歩めるよう、付かず離れず、助けたり助けなかったり…。ま、そんな感じで頼むとするかのう。」

「か、神様…そんな適当な!で、誰がそれをやるんです…?」

ウリエルが恐る恐るきいた。

「き、きっと新天使のミリングよ!あの子が適任よ!今回だっていい働きぶりで…!」

カミュールがミリングを探そうとするが、神はそれを制しにっこり笑った。

「儂が完璧にと創った男ぞ。ミカエル、ウリエル、ガブリエル、カミュール。お前達の他に、一体誰がペキを救えるのだ。」

「や、やっぱり…。」

四人はガックリと項垂れた。

地上に落ちて行った者達と、目の前の天使達。各々の感情を知ってか知らずか…。

「ほっほっほっ。」

神は、髭を撫でながら楽しそうに笑った。

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