いきなりの異変に驚こう!
「そうですか……ヴァンがご迷惑をおかけしたようで」
「気にしないでください」
エストリアの話によれば、六日ほど前にこの秘密の入り江にたどり着いた時、舟が大破して積み込んであった荷物のほとんどが海の底に沈んだのだという。
そのせいで食料も少なくなり、船の横には湖のような海面が広がっているが、不思議とその中には魚は一匹も居なかった。
多分この場所の魔力濃度が高すぎて、魚は近寄ってこないのだろうなと僕は思った。
結果、備蓄食料で生き延びるしか無くなった二人だったが、それもいつまで持つかわからない。
助けを待つにもこんな所に誰かが来る可能性はそれほど高くない。
そう思ったヴァンは、食料の残りの全てをこの場所に置いて、唯一の出入り口と思えた洞窟から地上へ助けを呼びに向かったらしい。
「まさかあの中があんなに迷路みたいになってるとは思ってもみなかったぜ」
砂浜を全力疾走して気が晴れたヴァンが戻ってきた。
既に息すら切らしてないし疲れも見えない。
これが獣度の高い獣人の身体能力かと少し呆れるほどだ。
「それはそうだろう。私の先祖がこの地にたどり着いた時、五十人ほどの男衆で調べても地上への正解の道を見つけるには苦労したと聞いている」
「登ったり降りたり、水が溜まってたり大変だったぜ。救いは魔物がいなかったくらいだぜ」
それも多分この地の魔力濃度の高さのせいだろう。
ある程度の濃さの魔力は魔物を呼び寄せるが、あまりに強いと魔素酔いのような現象を起すと文献に書いてあった。
多分島に住んでいた魔物たちがこの洞窟に入らなかったのはそれを嫌がってだろう。
「俺のカンじゃあ半日もあれば上れると思ったんだがな」
「まぁ道さえ知っていればゆっくり上っても半日もかからないだろうけど、探索しながらじゃ難しいだろうね」
僕もトアリウトの案内が無ければ、とてもじゃないがこの入り江にたどり着けるとは思えなかった。
それほど洞窟は島の中のあっちやこっちに伸びていて迷いやすいのだ。
「それじゃあ一休みした所で準備お願いできますか?」
「準備ですか?」
「ええ。何時までもここに居るわけにはいかないでしょう?」
僕は天井を指さしながら続ける。
「後の話とこれからのことは地上へ戻ってからしましょう」
「そうですわね。ヴァン、そこの箱に使えそうな物は全て入れておきましたから持って行ってくださいます?」
「あいよ」
エストリアが指し示した先には、大人が両手を広げてギリギリ持てる程度の大きな木箱が置かれていた。
まさかそれを持って行こうというのだろうか。
「そんなに荷物があるのか。なら後でまた村の男衆を連れて取りに――」
驚いてそう声を掛けたトアリウトだったが、ヴァンはそのままひょいっと軽いものでも持ち上げるように木箱を担ぎ上げて言った。
「いや、この程度なら腹一杯になった俺にはどうってことないぜ」
「……」
「……いやはや、これは驚きですな」
それほど巨体でも筋肉があるようにも思えないヴァンが、見るからに重そうな箱を軽々と持ち上げている。
その光景はあまりに異常だ。
「ヴァンは獣人族の中でもかなりの力持ちさんなのですよ」
「ははっ、自慢じゃねぇが獣人腕相撲では毎年良い所まで行くんだぜ」
力持ちさんという言葉で片づけていいものだろうか。
獣人族の身体能力の高さはヴァンと出会ってから散々見せつけられたけれど、それでも驚いてしまう。
「っと、その前に来やがった……」
ヴァンは一旦持ち上げた箱を地面に降ろすと、船の先にある海面に顔を向ける。
そしてエストリアも、耳をパタパタとさせたかと思うと僕たちに向けて「今から面白いものが見れますよ」と言った。
「アレが始まるのか」
「アレ?」
「トアリウト殿も何か知っているのですか?」
エストリアの言う【面白いもの】をトアリウトも知っているらしい。
僕はそれが何かを問いかけようと口を開きかけ――
ゴゴゴゴゴゴゴ。
地鳴りのようなその音に口を閉じた。
「なっ……」
「これはいったい」
僕は音の聞こえる方に――ヴァンが見つめる海面に目を向けた。
だが、そこには既に海面は無くなっていて、大きな暗い穴がぽっかりと口を開けていた。
「水が消えた!?」
思わず僕は今まで見えていた海面のあった場所へ駆け出した。
だが、その肩をトアリウトの手が掴む。
「レスト殿、危険です」
「危険?」
そう言ったトアリウトが指し示す砂浜の先に目を向ける。
ざざざざざっ。
静かな音を立てて砂浜がどんどん崩れていくではないか。
もし僕があそこまで行っていたら、そのままあの大穴の底に落ちていたかもしれない。
「逃げなきゃ」
徐々に広がる穴を見て僕は慌ててみんなを見渡す。
だが、その場で慌てていたのは僕一人で。
「大丈夫だレスト。あの穴はもうあれ以上広がらねぇよ」
「うふふ。レスト様は思ったより臆病なのですね」
ヴァンだけでなくエストリアにまでからかわれるようにそう言われてしまった。
しかしこんな現象を目の前で見たら誰だって驚くだろう。
なんせ今の今まであった海面が一瞬にして無くなってしまったのだから。
「いったいこれはどういうことなんです?」
僕はまだ肩を掴んだままのトアリウトにそう問いかけ、答えを求めた。




